上中下の上
見ず知らずの人から「お願いしたいことがある」と連絡があったので訪ねてみたら、立派な屋敷で体格のいい若者が守っていた老人であった。
体に管を何本もつけ、あまり長生きはできそうもないように見えるが、顔つきも眼光も鋭く、表の若者がいなくても老人一人で私を吹き飛ばせそうな気がする。
「Aさんから聞きましてね。君は普通の者がとても探せないような音を録音してくる仕事をなさっているようで」
挨拶もそこそこに用件を切り出す。
「ええ、趣味で歩き回って、たまたま出会った音を集めてはいます」
「私がお願いしたいのは、人魚の歌声でしてね」
部屋には二人しかいない。
老人は体を起こしたがっているようだが、初対面の私が触っていい体でもないだろう。
外の若者も呼ばず私にも頼まず、多少体を動かしただけで、諦めたようだ。
「人魚ですか」
「ああ。私はね、大手と言われるレコード会社で働いていたんだ。今ではCDも売れなくなって悲鳴を上げているようだが、私がいたときはとても景気がよくてね。ずいぶん稼がせてもらったよ」
一旦区切り、
「いろんなレコードを作ったんだ。歌もそうだが効果音とか町の音とかね。解るかね?」
「ええ、たぶん。金魚売りのかけ声とか、風鈴の音とかですかね」
「うん、そうだ。いろんなレコードを作ったよ」
少し安心したようだ。
「見ての通り、私はもう長くない。いろいろあったが恵まれた人生だと思っていたが、ガキの頃に読んだ童話を思い出してね。人魚が岩場で歌を歌っている話だ。もちろん船乗りを惑わして舟を沈める歌だってのは解っているが、音屋としては一度聞いてみたくもある。無茶な話だと頭の中で転がしているときに、Aが来て君のことを言っていてね」
看板を上げているわけでもないし本職でもない。口コミと評判が地味に広まっているのは止めようもないが、まさかここに話が転がっていくとは。
「まあ無茶な話だとは解っているよ。しかし君ならば万が一と思わせてくれるようだ。どうかね?期限は区切らない。人魚の歌に行き当たったら、録音して墓前で流してくれないかね」
「いや、それは駄目ですよ」
即答する。
「人魚についての仕事だけは、受けられないんです」
即答せざるを得ない。