未知なるものの恐怖
いつまでそうしていたのかはわからない。
ギルの手を握りながら、ずっと、ノアはそうしていた。
かつて、ノアの両親が死んだ時にのようにギルが手を握ってくれていた時と同じく。
しかし、それはいつまでも続かなかった。
ギィっと、入口から誰かが入ってくるのを感じる。
「ノア。もう、よいか?」
「………………はい」
入ってきたのは村長だ。
ノアのことを様子見に来たのだろう。幸いというべきなのか、部屋の薄ぼんやりとした灯りだけでは、ノアの泣きはらした顔ははっきりとわからないだろう。
あまり、村長に心配をかけさせたくはなかった。
「先ほど、ピッケルと話し合いをしてな。医者が来るのはまだ先になりそうじゃ。少なく見積もっても、三日か四日程度はかかりそうじゃ」
「そんなに……ですか」
「あぁ、お前さんの心配はわかる。しかし、その間ワシらもにもやるべきことはある」
「やるべきこと、ですか……?」
どういうことだろう?
ノアは、村長の言ったことに疑問を覚えた。
だって、この《枯渇病》が少なくとも特効薬ができたという話は聞いたことはない。
村長自身も手の打ちようがないと言っていた。
なのに、自分たちにギルの身の身辺を世話する以外、何があるのかノアはわからなかった。
「予防じゃよ。幸い、今はギル以外に病にかかったものはおらん。じゃが、あくまでも今のところという話じゃ。村を預かるものとして、これ以上の蔓延はなんとしても防がねばならん。わかるな?」
「は、はい」
なるほどと思った。確かに、ギルは《枯渇病》にかかった。
こうしている内に、村の誰かも《枯渇病》になる可能性があるのは間違いないだろう。
だけど、予防といっても——具体的にどうやるのだろうか?
「あの、村長。それで、私は何をすればいいんでしょうか?」
「なに、そんな気構えることではない。ギルの近くにいたぬしらの話を聞くだけじゃ」
ついてきなさいと言って、村長がギルの家から出て行く。
一時の間、ギルを一人きりにすることは後ろ髪を引かれる思いであったが、ごめんなさいとギルに謝りノアも一緒に出て行った。
家を出ると、さっきまではアルアだけだったがミロやカルも来ていた。
「ノア姉ちゃん! ギル兄はどうだったの!?」
早速、カルから質問が上がった。
ミロはどうしたらいいのかわからないというように、少しぐずっていて、それをアルアが「泣くなよ〜」と困ったように慰めていた。
「少しだけ眠っているだけですよ。ほら、ミロ。あなたがそんな悲しい顔をしていたらギルが起きた時、困ってしまいます。——だから、こんな時こそニッコリ笑顔です!」
そうやって、ノアはミロのムニっとほっぺたをつかんで、笑顔の形にする。
そして、ノア自身も笑顔になってミロに笑いかけた。
「うん!」
ごしごしと顔を拭いて、ミロもぎこちないながらも笑う。
いつだったか、誰かが教えてくれた、大切なこと。
空元気も元気のうち。
笑顔でいれば、それだけで楽しくなってくる魔法。こんな時だからこそ、気丈に笑っていなくてはいけない。
「それで、村長。私たちに聞きたいことってなんですか?」
「ふむ。最近のギルの身辺で変わったこととかはなかったか? 何でもいい、思いついたことを何でも言っておくれ」
変わったことと言われて、ノアは、口元に手を持ってきて考えた。
子供たちの方もヒソヒソと互いに何かあったかと確認し合っていたが、すぐには思いつかないようだ。
ただ、変わったことではないが——周囲の事実としてあること、この場の誰もが思っているだろうことを言う。
「最近ではないですけど、その、あのことでギルは大分ショックを受けていて……」
「あぁ〜っとね。ノアちゃん、そのことはもう片がついた話じゃないか」
「よさんかピッケル。あれはワシらにも責任がある」
「す、すいやせん。村長。ですが、あれって《枯渇病》に直接関係あるんですかね?」
「それがわからんから、こうして話し合っているんじゃないか」
ピッケルをたしなめる村長はやれやれと肩を落とす。どうしたものかと、その場にいる全員が何かあったのか思い悩む。
ノアも同じように考えを巡らす。というよりも、《枯渇病》という病気そのものについて考え出した。ある意味では、《枯渇病》という病気そのものに対して、ノアは初めて向き合ったといえる。
今までは、空想士になれなかったことについて悩んだことはあっても、病気そのものには興味がなかった、というよりも、得体の知れない病気程度の扱いだったからだ。
だが、それでは駄目なのだ。
大切なギルがそれに罹ってしまった今では無関心ではいられない。
それで、今一度《枯渇病》について自分の知っていることを総動員する。
空想士が戦争により空想を使いすぎたことで、世界の空想が減ってしまい、そのせいで人々から空想ができなくなる病気。
それが、ノアの知っている全てだ。
そこで、ハッとノアは気づいた。
空想が使えば減るということは——もしかすると、自分が作っている空想物語もそれに当たるのではと。
「……私のせいでしょうか? 私が空想物語を作ったから、この村の空想が減ったんでしょうか……。そのせいで、ギルが……」
言葉に出してみると、ノアはすごく怖くなった。
もしも、自分のせいでギルが《枯渇病》になったとしたら。
そう思うと、手が震えだした。
「ノア。自分を責めるのはよしなさい」
「で、でも!」
「確かに、世に空想禁止法は出た。じゃが、それはあくまでも空想士の空想じゃ。ワシら一般人の単なる空想は問題ではない。でなければ、とうにワシらも《枯渇病》になっていなければ、おかしいじゃろ?」
「それは……」
「変に気に止む必要はない。それに、もしノアの空想が影響あるのだとしたら、こやつらにも影響があってしかるべきじゃ。三人とも、身体に何か異変はあるか?」
村長にそう問われた、カル、アルア、ミロの三人は首をぶんぶん横に振る。
「そうであろう。他に、何か変わったことがあった者はおらんか?」
シーンと、夜の夕闇に同化した沈黙が経ちこむ。
ノアとしても、今の意見で大体のところは出尽くしたところだ。ギルの身辺にあったこと、というより、村でもそうそう変わったことなど起きない。
そう思っていると——アルアが何か言いたそうに、ちらちらとノアを見ていることに気づいた。
「アルア、どうかしました?」
そう言うなり、アルアがノアの服の裾を掴んで、くいくいっと引張る。
それで、ノアはしゃがんでアルアの口元に耳を寄せる。
「ノア姉ちゃん。あの、今日来ていた人は関係ないのかな?」
「あっ」
すっかり忘れていた。
色々なことがありすぎて思いつかなかったというのがあるが、何よりもギルの身辺ということに着目しすぎていた。
「何じゃ。何か思いつくことがあったのか?」
「はい。その、実は今日、旅人さんが倒れていまして——」
ざっと、ノアはレオンが倒れていた経緯を話す。
そして、今は自分の家にいてもらっていることを話したところで、ピッケルが、
「ん〜、ノアちゃん。こう言うのもなんだけど、その人ちっと怪しくないかい?」
なんてことを言い出した。
「あの、ピッケルおじさん。……どういう意味ですか?」
さっきまで物語の話で盛り上がっていたレオンのことを疑われたことに、ノアはピッケルの発言に眉をひそめざるを得なかった。
「レオンさんはいい人でしたよ。確かに、今日会ったばかりですけど、騙したりとか、そういった感じはしませんでした」
「そりゃ、ノアちゃんはまだ若いから人を簡単に信じられるんだよ。いいかい、世の中には悪い奴ってのはいっぱいいてね——」
その言葉に、一瞬でノアはカッと頭に血が昇った。
「レオンさんはいい人でした! それに、この村の良いところは、旅人を温かく歓迎することじゃなかったんですか!?」
うぉっと、ピッケルが怯えたように、腕を前に出して後ろに下がる。
普段怒らないノアが怒って驚いてしまった。
「かかっ! ピッケル。ぬしの負けじゃい。それに、ノアの言うとおりじゃ。どんな旅人であれ優しくあれというのは、この村の慣習じゃ」
大の大人であるピッケルが、諫められた様が痛快だというように村長は笑った。
思わず大きな声を出してしまい、ノアは赤面する。
ピッケルも悪かったというように苦笑いをして頭をかく。
「じゃが、ノア。その旅人——レオンとやらと会うことはできるじゃろうか?」
「村長っ!?」
「勘違いするでない。旅人ということは外の事情に詳しいじゃろうて。《枯渇病》について知っていることがあるならば、それを聞いておくだけじゃ」
「あ……すみません。早合点してしまって」
「今日は色々あったからの。とりあえずは……そうさな、ワシとノアだけで向かうとしよう。他のものは家に一度家に帰るがよい」
わかりましたと言って、その場にいた全員解散する。
だが、どうにも皆の顔は暗い。
皆も恐れているのだ。ギルを心配する一方で、もしかしたら、次は自分もといった不安をぬぐいきれないでいるようだった。
「さて、行こうか」
村長は手に松明を持って、二人並んでノアの家に向かった。
辺りはもう夜となり、足元が火で照らさないと見えない暗さだ。星明りだけを頼りにするのも限界がある。
「ノア。先のピッケルじゃがな……奴もまた不安なのじゃ」
そんな折、村長がポツリと独り言のように言う。
「ちょうど、こんな夜の闇のようにな。松明がなければ頼りない星の明かりしかない。そんな中で、薄ぼんやりでも灯りが見えればそこに群がりたくもなろう……。ぬしは聡明な子じゃ。ここまで言えば、わかるな?」
「……はい。いえ、私の方こそピッケルおじさんに、強く言い過ぎました」
今さらだが、村長が何故こうも早く予防の話をしたがったのかがわかった。
皆は恐れているのだ。
わけのわからない枯渇病という未知なる病そのものを。
「また、ピッケルの言うことにも一理ある。未知なるモノというのは、希望でもあり恐怖でもある。それを警戒するのは生き物としての本能でもある」
「でも、私たちの村は——」
「その通りじゃ。旅人を歓迎するよう言っておる。しかしな、それもまたある種の防衛本能に基づいたものなのじゃ。未知を警戒ではなく、温かく受け入れることによって村を守り、発展させるという意味でのじゃ」
未知なるものは恐い。
それは、どんなことをしても振り払うことのできないもの。
そして、もしもその恐怖を根本的に振り払うことができない場合、その矛先となるのは、《枯渇病》に罹っているギル、もしくはレオンに向かう可能性がある。
そう考えただけで背筋がぞっとした。
村の人間を信頼しそんなことはないと思う自分がいる反面、もしかしたら、そうなっておかしくないと想像する自分もいたのだ。
多分、村長はそれがわかっていたのだろう。
口には出さず、出来る限りの手を打って村人を安心させようとしているのだ。
たとえ、無力だとしても、やるべきことをやる。
それが、何よりも力になると知っているのだ。
——経験の差の力。
今さらながら、ノアはまだまだ自分が未熟なことを悟った。
「ワシとて、未知なるものは怖い。じゃが、村を預かるものとしてまず、村の安寧を第一に行動せねばならん。ノア——そのことだけは知っておいておくれ」
「はい。私も、微力ながらお手伝いしたいです。ギルのためにも、村のためにも」
「すまぬな」
そうやって話している内に、ノアの家に着いた。
家の中から灯りが漏れているので、中にレオンがいるのは間違いないのだろう。
コンコン。
いつも自分の家にいるだけならしたことはないが、今はレオンがいるのでする。
「レオンさん。私です。ただいま帰りました」
思えば、こうして家の中にいる誰かに帰ってきたことを知らせることなんて本当に久しぶりだった。くすっと笑ってレオンからの返しを待っていた——が、帰ってきたのは沈黙だけだった。
「レオンさん?」
どうしたのだろうと、家の中まで入ってみると——ノアは目を疑った。
テーブルに俯くように寝ているレオン。
しかし、よく見ればそうではないとわかる。
なぜなら、そこにいるレオンが——白色化していたのだった。