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空想脱皮  作者: 菊日和静
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真っ白な幼馴染

 走る。走る。走る。

 走ってどうにかなるものではないが、走らなければどうにかなりそうだった。

 風を切る感触が頬に伝わりながら、踏み鳴らされた土の道を迷わず駆ける。

 前を走るアルアの背を追いかけながら、ノアは懸命に走った。

 アルアから聞いたところ、ギルは仕事の後に《枯渇病》を発症させ今は家に届けられたということらしい。

 ギルの家自体は村の中央あたりに位置するため、村の端にあるノアの家からは少しばかりの距離を要する。

 レオンには悪いとは思ったが、大切な人が病気に掛かったため見舞いに行くと告げ、食料は好きにしていいことは伝えたので、今日のところは問題ない。

 もし、何かあれば後で誰かに伝言を預けると提案し、それで了承してもらった。

 レオンの方も、すぐに見舞いに行くべきだと理解を示してくれ、今はとてもありがたいと思う。

 数分後、ギルの家が見えてきた。

 家先には、数人の大人たちが群がっていて、難しい顔をしながら話し合っている。

 その内の一人がノアを見つけ、ここだと手を振る。


「ノアちゃん! 早かったね」

「い、いえっ。アルアが呼びに来てくれたおかげです」

「そうか。アルア、よくがんばったな」

「う、うん」

「それで、ピッケルおじさん! ギルは……ギルは大丈夫なのですかっ……!」

「今は村長がギルの容態を診ているよ。とにかく、今は落ち着くんだ。いいね」


 ピッケルおじさんとノアが呼んだのは、ギルが仕事でやっかいになっている男だ。

 恰幅のいい気の良い人であるが、こうしてノアに落ち着けと言っている彼の手が震えていた。彼もまた、ギルがこのようなことになってしまい戸惑いを隠せないのだろう。


「俺のところで働いていた時はまだ大丈夫だったんだが、仕事が終わってすぐに倒れてしまってな。最近元気がなかったから、体調を崩したかと思ったんだが……」


 口元をモゴモゴとさせ、ピッケルは言いづらそうに言葉を選ぶ。


「違ったんだ。いや、俺も初めてのことだからわからないが、ギルの身体がな——全体的に白色化をしていたんだ」 

「そんなっ……!」


 よろりと、ノアの支えていた足が一歩後ろへ下がる。

 こんな辺鄙な村ですら《枯渇病》の病状が知れ渡っている。

 症状の程度に差はあれど、一番わかりやすい特徴が一つだけある。

 人間の色素という色素が『白色』になるのだ。

 まるで、人の中から全てが乾き消えるかのように。人として存在していたものが最初からなかったかのように。白い姿へと変貌する。


「俺も目を疑ったよ。何度も何度も見たけどさ。ありゃ……多分、な」


 だからこそ、ピッケルも初めてそれを見た時は、ノア以上に驚いたの違いない。

 そしてまた、信じられなかったに違いない。


「ギルは……ギルはあんなにがんばってたのに。こんなのって……ひどいです」


 ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

 人一倍がんばって、がんばって、がんばっていたはずの幼馴染。

 なのに、そのがんばりが報われるどころか、逆に罰が与えられたかのような仕打ちに、ノアはただ涙を流すことしかできなかった。


「い、いや。とにかく、今は村長が容態を見ている! それに、村の連中が街まで医者を呼んできてくれているから。ね、ギルは大丈夫さ。そんな弱い奴じゃないことはノアちゃんが一番知っているだろ!」

「そ、そうですね。ギルは強い子なんです。私なんかよりもよっぽど強いんです」


 そんな、なぐさめにならない言葉を互いに掛け合う。

 そうでもしなければ、不安に心を押しつぶされてしまいそうになるのが無意識的にわかっているのだろう。

 すると、ギィっと薄いはずの木製の扉が、重い音を立て開かれた。


「そ、村長。ギルの様子はどんな感じで……?」


 出てきた村長は、首を横に振る。

 老体でありながらも、未だに背筋がまっすぐで、髪も白髪ながらも、普段は年より若く見られがちな村長だ。なのに、今は年相応と言わんばかりに彼の額に皺が寄っていた。


「わからん。いや、ワシにわかったことなんて聞き及んだ《枯渇病》の症状に酷似しているぐらいじゃよ。国のお偉いさんにもわからんもんが、ワシにわかろうはずもない」


 深く、深く、長く、長く、村長は息を吐いた。

 村には医者がいないので、こうして村長が簡単な診察をし、薬草などを煎じて治すことが多いだけに、村長の手にも及ばない病気に対して、村長も深く傷ついていた。


「あの、村長。ギルに会ってもいいですか?」

「……ノアか。会っても奴は何も言わん。傷つくだけじゃぞ」

「構いません。ギルは私が傷ついた時は傍にいてくれました。だから、今度は私がギルの傍にいたいんです」


 ノアは、はっきりと言い切る。

 これだけは、譲ることができない。

 かつて、両親が死んで、ノアが傷つき悲しんだ時もギルは何も言わず傍にいてくれた。

 ならば、今度はそれを自分がやらなければならないことだ。

 そんな、ノアの強い意志が変わらないことを知った村長は、


「そうか。ならば、よかろう」


 何も聞かず許可を与えてくれた。


「あ、じゃあボクも!」

「アルア。お前は駄目じゃ」

「な、なんでさ!」

「今は二人にしてやりなさい」

「…………あ、うん。ごめんなさい」


 しゅんとアルアはうなだれる。

 すまないとは思うが、村長が止めたのはノアに気を使っただけではないだろう。

 アルアに、ギルの様子を見せるのは酷だと判断したのだ。

 多分、そんなひどい状態なのだろう——ギルは。

 ノアはギルの家の扉を開き、足を踏み入れる。

 最初に知覚するのは土と草の匂いだ。いつもギルからしている、村の男の人の匂い。

 こうしているだけだと、すぐそこにギルが元気で経っていそうな気がしたが、やはり、ギルの返答はない。

 進み、ギルが寝ているベッドのある部屋へと着いて——呼吸を忘れた。


「ギル……」


 白かった。

 雪よりもなお白いギルが、ベッドに横たわっていた。

 髪も、顔も、首も、毛布から隠れているところ以外、全てが白かった。

 いつもの、草と土と太陽の色をしたギルはどこにもなく、それは、どこかの世界に置き去りにされた、寂しそうな人形のようでさえあった。


「いやですね。ギルったら。今は夕餉どきですよ。寝るには早すぎです」


 近づき、落ち着いた声音でノアは、眠るギルに話しかける。

 それは普段会話する音に近いものだった。


「今日はですね。旅人さんが訪れたんですよ。レオンさんっていうんです。だから、私の家でこれから盛大にパーティをやりたいと思うんです。もちろん、ギルも参加してくれますよね?」


 ぶっきらぼうなギルに気遣いながら、少しだけ困ったように笑う。

 パーティをやると知れば、ギルは「そうか」と一言だけ言って、野鳥や魚を人知れず取ってきて振舞ってくれるのだ。

 そういう男なのだ。ギルという人は。


「嫌だといってもダメですよ。ギルがいないと……いないと…………」


 だけど、今のギルはその一言すらもない。

 もうノアの我慢に限界がきてしまった。



「私が——寂しいじゃないですか」



 直後、ノアの笑みはすぐに破られた。

 ノアはベッドの近くの椅子に座り、ギルの手をギュッと強く握り、額に持ってくる。

 空に祈るように、ギルが起きることを願う祈願者として、ノアは願う。


「約束しましたよね。今度私の空想を聞いてくれるって、楽しみにしてるって」


 ついさっきまで、幼馴染はそう言っていた。

 そう約束してくれた。


「だから……だから、起きてくださいっ! ギル!!」


 耐えられなかった。

 床にポタポタと水滴が落ちる。


「私、泣いちゃいますよ。悲しんじゃいますよ。もう嫌なんです。大切な誰かがいなくなるのは! お願いですから。ギル、お願いですから……起きてっ……!」


 必死なノアの願いは——無常にも静かに部屋に響き渡るだけで終わった。

 雲よりも白いギルの手は、ピクリとも動かず、部屋に空白な時が流れた。



 星が夕闇の中から少しずつ自己主張を始めるように輝き始める。

 それに気づき、家の中にあるランプに火を灯す。

 暗闇の中から、ぼんやりとレオンの顔がはっきりと浮かび上がってくる。


「もう、こんな時間か」


 暗くなっていたことに気づいていなかったことを示すように、レオンの前にはテーブルにノアが書いた物語の束が積まれていた。ノアが出て行ってからもずっと、レオンはこうして彼女の空想物語を読み続けていたのだ。

 すると、レオンの腹の虫が夜を告げる音を出す。

 ノアから食事は好きにしても良いと言われたから、その心配はしていなかった。

 だが、レオンが心配しているのはそのことではない。

 どうやら彼女の知り合いが《枯渇病》に罹患したと聞いた時、その場にいたレオンも聞いていたので、すぐに行くべきだと彼女に勧めた。


「本当なら、私も見舞いに行ったほうがいいのだろうけど——」


 レオンはテーブルにある紙の束を見つめる。

 これら全てノアが書き続けてきた空想物語だ。


「まだ見極めが終わっていなかったからね」


 ノア自身が書き上げたものと、ノアが過去に聞いたものが混じったそれらを見る。

 レオンは嬉しさと悲しさが入り混じった複雑な想いが、心から込み上がるのを感じる。


「まさか、こんなところで会えるなんて——夢にも思わなかったよ」


 誰がとも、何がとも言わない。

 それでも、出会うことができた。

 ずっと、ずっと、レオンは『それ』を探し続けていたから。

 目を閉じて、息を吐いて、心を切り替える。


「《枯渇病》がこの村にまでやってきた」


 ならば、やることは決まっている。

 

「もうそろそろ、ここに来てもおかしくない頃合だな」


 時間がない。

 自分の読みが正しければ、いや、今までの経験からこれからどうなるのかなんて予想をするまでもない。

 何度も読み返した物語のように展開が手に取るようにわかる。


「彼女は、何ていう答えを出すのだろうね……」


 それこそ、空想ではわからないことで、いつまでも答えの出ないこと。

 だけど、その答えはあともう少しで出る。


「ねぇ、ソラリス。君がいたら、今の私を怒るだろうか? それとも、褒めるだろうか?」


 君の答えを聞いてみたい。

 そう、呟く彼の声は、薄暗い部屋の中に吸い込まれていった。


「私の目指すべきもののために。ノア。君を試させてもらうよ」


 そう言った後、レオンの身体が金色の光に包まれ、小さな光の玉の一つ一つが、彼の身体の形を奪っていった。

 そして、後に残ったものは————。


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