たった一人のための英雄
「レオンさん! ヨシュアさん! 私の近くに来てください!」
ノアの力強い声が辺りに響く。
二人共すぐさまノアの元へ駆け寄り、三人は同じ方向を向いた。
白い世界にいる——ソラリスを真っ直ぐに見る。
「レオンさん。今から私とヨシュアさんが、あなたをソラリスさんの元まで送り届けます」
迷いなくノアは告げる。
ソラリスとこちらを分ける白の境界線がある。
あの向こう側に一歩でも踏み出せば白色化することは想像に難くない。
現実を空想に還す彼女の力は、明らかにオークジアの白色化と別格なのは肌を通して感じる。
白い雪が舞ったかと思えば、それが、すぐに白い花びらとなり世界を崩していく様は——まるで世界の終わりのような景色であった。
ノアたちにしてみれば、それは世界の終焉のようで。
ソラリスにしてみれば、それは世界の始まりなのだろう。
決して交わることのない平行線。
それを無理やりにでも繋げてみせると、ノアは言っている。
「ノア。どうして君は、そこまでしてくれるんだ……?」
こんな状況なのに聞かずにはいられなかった。
レオンにしてみれば、ノアは巻き込まれた小さな少女なのだろう。
だが、ノアにしてみればそれは違う。
なぜなら、
「だって、観たいじゃないですか」
ノアは自ら望んだから。
空想士として生きると。
「英雄がお姫様を救い出す——そんな素敵な空想を」
こんなにも空想的で、幻想的で、夢想的な物語に関わりたいと望んだのだ。
創られた物語じゃない。
これから創られる物語で、語られる空想を最前線で観たいと思った。
結末のわからない空想に、少しでも関わりたかった。
「レオンさん知ってましたか? お姫様が待っているのは王子様なんかじゃないんです。自分を救い出してくれる英雄を待っているんですよ」
ノアは望む。
ノアは願う。
こんなにまですれ違い、悲しんだ二人に幸せになってほしい、と。
空想士を目指そうと思った人に、恩返しの意味を込めて。
空想士の道を示してくれた人に、感謝の意味を込めて。
英雄を、空想の姫の元へ届けてみせる!
そして、同じ想いを抱えるのはノアだけではない。
「なら、今度はボクが道を作ってやるよ。義兄さん」
ヨシュアが、レオンの横に肩を並べて言う。
両隣に立つノアとヨシュアの二人は——もう小さな子供ではない。
レオンと同じ方角を向いて歩く仲間だ。
「二人とも——ありがとう」
レオンは、素直な気持ちを伝える。
その気持ちを受け取ったノアは、空を見上げた。
「行きますよ。今なら何だってできそうな気がします」
空想士になってよかったと心から思える。
こんな素晴らしい人たちに囲まれて、小さな村に居た時では観られないことが続々と起きて、退屈する暇どころか、心の整理をする暇すらない。
そんな経験を経て、さらなる空想が心から溢れる。
——空想は無限よ。
あなたは、いつもこんな感覚の中にいたんですね。
今になって、ノアはソラリスが小さい頃に語ってくれた言葉の意味を知る。
さぁ、空想の世界の始まりの合図を鳴らそう。
「私が想う無限——それは……」
私の空想があなたに届きますように。
そんな無限の願いを込めて声に出そう。
「ソラ」
世界は、無限の空に染まった。
◆
「まぁ!」
世界から大地が消えた。
四方八方どこを見ても、青い空しか広がっていない。
「すごいわ!」
感嘆の悲鳴をソラリスは上げる。
まさしく無限としか思えないほどに、世界は空になっていた。
「綺麗な空。それに、なんて広いのかしら」
うっとりと見蕩れるように、ソラリスはノアの空想に浸る。
海のように澄み切った空は何もかも包み込むようでさえある。
「これが、あなたの無限なのね」
どこまでも純粋な美しい空を見て、ソラリスは感想を漏らす。
上下左右そんな概念すらわからないほどに、空が広い。
これが、ノアの無限の空想。
かつての、自分の言葉を心にこんなにまで育ててくれた。
その事実に、ソラリスの心は歓喜の悲鳴をあげる。
「なら、私の無限——それは……」
だから、彼女に恥ずかしくない空想を魅せないとだめだ。
彼女が憧れた——空想士として。
ソラリスは想う。
ソラリスが願った無限。
それは——
「クウ」
世界は、無限の白へと還った。
◆
「……っく!」
一瞬。
ほんの一瞬で、青い空の半分が白に還っていった。
青に染まっていた空に雲がかかるように、ソラリスの空がノアの空を奪っていく。
「でも、私だって!」
ノアの空が押し返す。
その光景はまさしく、空に雲が流れているかのようだった。
時にはゆっくりと流れ、強い風が吹けば流れ、形を変える空のように、二人の無限の空想が空を覆いつくしていく。
片方は生み出す空想として。
片方は還していく空想として。
二人の空想が、互いに拮抗していた。
「いいぞ。その調子だ」
ノアの肩に、ヨシュアの熱のこもった手が置かれた。
今がんばっているノアが倒れないように、支え、応援する気持ちを込めて。
そして、自分も。
「義兄さん。今からボクが姉さんの所まで続く樹を空想する」
空想の準備を始める。
ノアの空想も確かに素晴らしいが、残念なことにソラリスの空を脅かすほどのものではない。
だが、間違いなく今この空想を解けば、すぐさま、このイグドラ全てがソラリスによって空想になって還されるだろう。
ならば、その姉の元へと続く道を作らなくてはいけない。
そして、その道を通るのは——英雄であるレオンだ。
「姉さんのこと、頼んだぞ」
ついこないだまでだったら、こんなこと口が裂けても言えなかっただろう。
それが今やどうだ。
世界なんて、一つの空想で全てがひっくり返った。
ソラリスが空想になったから何だというんだ。
絶望するには——まだ早すぎる。
そんな空想に迷子になった姉を取り返すにはどうしたらいい。
——決まっている。
姉がどこにいてもわかるぐらい、大きな止まり木を空想する!
「大樹、いや、空想樹オークジア! 今一度、ボクはお前を空想する!!」
真っ直ぐに、ソラリスに向かってヨシュアの空想樹が伸びていった。
だが、ソラリスに近づけば近づくほど、空想樹もまたノアの空と同じように白の空へと還っていってしまう。
樹が燃え尽き、灰になるように、先端部分が次々と消えていった。
だけど、ヨシュアの樹の成長は——留まることを知らない。
消えたら消えた分だけ。
空へと還るならば、さらに空想をすればいい。
姉が空想に還すというのであれば、それ以上の、速さと量で空想するだけだ。
少しずつ。
ジワジワと。
ヨシュアの空想樹が、ソラリスへと近づいていった。
そして、
『いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ————————————————————————!!』
若き二人の空想士の叫びが轟き。
無限の空の中に、姫と英雄を繋ぐ橋が出来上がった。
◆
「ありがとう。二人とも」
二人の声援を受け、レオンは空にかかる橋を突き進む。
その先にいるソラリスの元へと、がむしゃらに走る。
体が軽い。
さっきまでの、空想が吸い取られるような感覚はない。
ソラリスの空をノアとヨシュアが抑えていてくれるおかげだ。
安心して背中を預けられる。
子供だとばかり思い、自分が指示し、導き、道を示さなければならないかと思っていたが、思い上がりもいいところだ。
そんな関係をレオンは、知っている。
——仲間だ。
「私はいつだって君の苦しみに気づいてやれなかった」
でも、その輪の中には君がいない。
彼女が《枯渇病》にかかって空想が出せなくなった時、自らの無力さを知った。
空想禁止法が出た時だってそうだ。
レオンは内心ホッとしていた。
空想戦争で戦功を残した英雄として祭り上げられ、相応の振る舞いを求められた。
ただ、自分は彼女を護れるならと思って戦争に参加しただけだったのに。
いつしか、大勢の人たちの期待を背負うことになってしまった。
だから、禁止法が出た時「あぁ、これ以上空想をしなくて済む」と思ってしまったのだ。
その時に、《枯渇病》が空想で治せると知っていたのならばと思うと、後悔は尽きない。
「もう手遅れなのかもしれない」
彼女の願いを叶えるために血塗れた手だ。
愛する女性と世界を天秤にかけ、世界を選んでしまったのは自分だ。
……後悔しない日などなかった。
だからこそ、レオンは誓ったのだ。
空想が大好きだった彼女が、再び空想できるような世界を取り戻そうと。
もう二度と、彼女の想いを諦めないと。
「教えたいんだ。私の空想を」
君が、空想の大切さを教えてくれたということを教えたい。
「伝えたいんだ。君の空想を」
あの日——ノアと初めて会った時、涙が出そうになった。
ソラリスが昔にやっていた空想劇を、色あせずに記憶し残していた少女に出会ったのだ。どこを探してみいなかった彼女にようやく逢えた気がした。
その時、ようやく気付くことができた。
彼女の空想は消えてなんていなかった。
誰かの空想となって、世界に生き続けていたのだ。
——これが、ソラリスの本当の無限の空想。
——それが、君の空想だったはずだろ。
そして、レオンは彼女の名前を呼ぶ。
「ソラリス!!」
あと少しと迫ったところで、ソラリスの白色の境界線が元に戻った。
まるで、その境界線はソラリスとレオンの世界を区切る壁のようであり、ソラリスがレオンを拒絶しているかのようにさえ見える。
だが、レオンはかまわずその白の壁に手を伸ばす。
「君が世界に絶望したと言うのならば、私は君に希望を与えよう」
左手が白の世界へと食い込んだ瞬間、レオンの左の指先が消えていった。
それが、徐々に指から手へ。
手から腕へと空想になって消えていく。
左肘まで空想になった時、レオンの右手がさらに白の世界へと伸びた。
固く閉じられた強固な門のイメージ。
それをこじ開けるかのように、レオンの両腕は内側から外側へと力を入れていく。
手応えはある。
少しずつ門が開いていくのを、消えた両腕が感じる。
それでも、力を入れるのをレオンはやめない。やめることはない。
今この時を逃したら次の機会なんて永遠に訪れることはない。
その覚悟を込めてレオンは歯を食いしばり力を込めて——そして、その白く染まった世界の門が開かれた。
ガラスが割れたかのように、レオンとソラリスの間にあった白い境界線がなくなり、空色の世界が戻ってくる——が、その門を開くための代償として、レオンの両腕はすでになく、残ったレオンの身体すらも徐々に光を帯て空想となっていく。
その時だ。
「だって、私は君だけの英雄なのだから」
レオンは空想する。
彼女だけの英雄となった自分自身の姿を。
自らが望んだ姿になる空想脱皮。
その本質は変化することではない。
成長することにある。
昨日までの自分よりも、明日の自分はもっと成長している。
それが、レオンが望んだ空想。
古い殻を脱ぎ捨てたかつての英雄は、たった今、ただ一人の英雄として彼女の前に立ったレオンは、本当に伝えたい気持ちを言う。
「ソラリス。君を愛している!」
空想となった姫を抱きしめ、英雄は愛の言葉を誓った。
◆
「本当に熱烈ね。私の旦那様は」
「それだけ君が魅力的だということだよ」
レオンの腕の中、ソラリスは身を任せてながらうっとりして言う。
「知ってる。レオンは昔から私にメロメロだものね」
「それを言われると、少し弱いな」
クスッと笑うソラリスに、レオンは苦笑しながら返す。
そうして、ソラリスはレオンの肩にそっと静かに頭を乗せる。
「本当に——何でそれをもっと早く言ってくれなかったのかしら」
「……ごめん」
ソラリスの責める言葉に、それだけしか言えなかった。
気づくのが遅すぎた。
自分が誰が大切だったのか——それに気づくことができなかった。
ただ、君さえがいればよかった。
それだけで、世界は変わっていたはずなのに。
「だめよ。許さないんだから」
「ごめん」
「……もう! そんな顔するのは卑怯よ」
ぷいっとソラリスは顔を背ける。
それを見て、レオンは懐かしいやりとりだと思い出す。
昔もこんなふうに、彼女が自分を責めて、それを謝って、彼女が言い過ぎたのを反省して仲直りする。
それが、二人の日常だった。
二人が喧嘩をした後、レオンはいつも約束の言葉を口にしていた。
「ごめん。でも、必ずこの世界から空想を取り戻してみせる」
空想《枯渇病》に、空想禁止法。
余りにも大きな壁が立ちはだかっている。
「難しいわよ。私が諦めたぐらいなんだから」
それを、ソラリスは忠告する。
「うん。知ってる。でも、諦めないって決めたんだ」
「私の英雄になるから?」
「そうだよ」
「この世界を敵に回すことになるわよ?」
「なら世界の全てに勝ってみせる」
当たり前のように、レオンは言う。
覚悟なんてもうとっくに終わっている。
さらに、
「——そして、ソラリス。君も空から取り戻す」
新たな目標もできた。
今はまだわからないけれど、こうしてソラリスに触れることもできた。
彼女が空想になったというのならば、空想から必ず彼女を取り戻してみせる。
そう——決めた。
「あーあ。まさか、死んでから惚れ直すことになるだなんて、思わなかったわ。あんなに覚悟を決めたはずなのにね」
そっと身を寄せ、レオンの胸にソラリスは体重を預ける。
見れば、彼女の足が——消え始めていた。
空に想いが還る時が来てしまったのだ。
「私も愛しているわ。レオン」
ソラリスの瞳が濡れながら、呟くように、二人は誓いのキスを交わす。
「必ず。必ず私を助けてね。——ずっと待ってるから」
困ったように泣きながら、空想の姫は、彼女のたった一人の英雄に笑いかける。
皆の英雄だった時のレオンではない、自分だけの英雄に対して。
「あぁ、約束する」
二度と約束を違わない。
彼女が幸せでいられる、空想に溢れた世界を取り戻す。
そして、彼女を空から救い出す。
「じゃあ、またね。私の英雄さん——……」
二度と会えないさよならじゃなく、もう一度会うことを誓う言葉。
ソラリスは、空に連れ去られるように——還っていった。




