憧れの空想士
ノアが物語を締めくくる間際のことだ。
朝露に濡れる森の空気よりも澄んだ声が——聞こえた。
「え……?」
凛と響くその音は、懐かしくもあり、嬉しくもある不思議な音色だった。
その声が響いた瞬間——
「え?」
ノアは目を疑った。
オークジアが白く染まり一瞬にして消えてしまった。
夢を見ているのかと思ってしまった。
なのに、何度瞬きをしても、オークジアは消えたままだった。
ノア、レオン、ヨシュアの三人が命をかけて創り上げた希望の樹が——消失してしまった。
心がざわめく。
嬉しさ。
寂しさ。
楽しさ。
痛みが全部ひっくるめたように、心がうずく。
いつの間にかノアは走っていた。走って。走って。走った。
そして、ノアは見る。
空想を遥かに超えた——現実の痛みを。
◆
突然『それ』は現れた。
そうとしか思えないほど突然の出来事だった。
ヨシュアがオークジアを空想したことで、イグドラを救えたと思っていた。
いや違う。救えたと確信していた。
空間の枯渇化を今度こそ治せたと思っていたはず——だったのに。
それは——現れた。
それは、人の形をしていた。
ひどく美しい女だった。
だけど、その人に色彩はなく、全てが白かった。
頭の先から足元まで白く、命の根源の全てを奪われたかのように白かった。
レオンは『それ』を知っている。
見紛うはずがない。
その髪も、その瞳も、その口も、その声も、その全てを。
たとえ、全ての色が抜け落ちようとも忘れるはずがなかった。
隣にいるヨシュアも呆然と見ており、彼は雨に濡れた子犬のようにただ震えていた。
そして、それはニッコリとこちらに笑いかけて言う。
「久しぶりね。レオン、ヨシュア」
変わらない艶のある声。
優しい笑顔。
その全てが何もかもが昔のままだった。
——そう。
レオンの最愛の妻にして、ヨシュアの最愛の姉。
ソラリス=ブリュノ。
白よりもなお白く。純白を凌ぐほどの純白として。
そこに、佇んでいた。
「どうしたの二人とも? 変な顔しちゃって」
きょとんとしてソラリスは、首をかしてながら二人に問う。
「ソラリス……本当に君なのかい?」
「あら、レオンったら。私が誰に見えるっていうの?」
あらあらと、困った子供に質問されたかのように、ソラリスは微笑んだ。
ありえないといくら頭で否定しても、否定しきれない。
こうして目の前にいる彼女は、生きていた頃と全く同じだった。
「まぁ、ヨシュア。こんなにも大きくなって!」
レオンの隣に立っているヨシュアに、駆け足で彼女は抱きついた。
記憶の中では、ヨシュアはソラリスの胸元までの背であったはずなのに、今は頭一つ分ヨシュアの方が大きい。
そんなことは関係ないとソラリスはヨシュアの頭を撫でる。
「ね、姉さん!?」
急に抱きつかれたことにうろたえたヨシュア。
死んだはずの姉に戸惑っているのか、それとも、成長した今でも姉の無邪気さに困っているのか——多分、両方だろう。
「姉さん嬉しいわ。また、あなたに会うことができるだなんて。本当に夢のよう」
まじまじとヨシュアの顔を見つめ、彼女は嬉しそうに笑う。
ヨシュアを可愛がった後に、ソラリスはくるりと振り返ってノアを見た。
「そして、あなたも久しぶりね。笑顔の素敵な泣き虫さん」
そう言われて、ノアはドキっとした。
思い出すのは幸せだった子供の頃。
ノアが空想士を目指した原点。
「空想士の、お姉……さん……?」
ノアの小さい頃のイメージと何も変わらない彼女がそこにいて、ノアが最後に会った時に話しかけたことを覚えていてくれた。
嬉しさよりも戸惑いの方が上回る。
それに、空想士のお姉さんが、レオンとヨシュアたちにとっての妻と姉ということを知り、ノアはますます驚いた。
だから、二人とも——ノアが語った『英雄の兄弟』のことを知っていたのだ。その生みの親がそこにいるのだから当たり前だろう。
でも、ヨシュアの話では彼女は既に死んでいたはずだ。
なのに、彼女は生きていて、《枯渇病》であるはずの白色化を発症しているのに、あんなに元気そうに動き回っているではないか。
——何が、どうなっているのですか?
ノアの困惑とは裏腹に、彼女嬉しそうに大きな反応を返す。
「覚えていてくれたのね。私、とっても嬉しいわ!」
まるで、少し見ない間に子供が大きく成長したことを喜ぶ親のように、彼女は感激しているように見えた。
何一つそこに偽りを見出せないほどに。
「それでね、あなたたちにお願いがあるの」
くるりと一回転。
踊るようにソラリスは、オークジアがあった場所に戻った。
何か言い出すことを恥ずかしそうにする女の子のように。
ソラリスは言う。
人では足り得ないことを。
「私、あなたたちの空想を食べたいの」
空気が一変した。
柔らかく流れる川のようなものではない。
白く、ただ白く、何よりも乾いた砂のような、肌から水が消え失せる空気へと。
「ね、ねえさん……? 何を、言っているの?」
冗談だよね、とヨシュアは言いたかったのだろうが、うまく口が回っていなかった。よろよろとヨシュアがソラリスに手を伸ばそうとして、レオンがヨシュアをかばうように前に立った。
「二人とも、私の後ろへいるんだ!」
いち早く、危険な雰囲気を察知したレオンが叫んだ。
戸惑いと悲痛。
彼が一番心を引き裂かれそうな顔をしている。
「なぜだ。なぜだ、ソラリス! 君はあの日に死んだはずだろ!? なぜ生きている!」
叫ぶようにレオンは問う。
その場にいることが何よりも矛盾している存在に対して。
「レオン、何を言っているの?」
きょとんとして、ソラリスは問う。
あどけない子供のように、彼女は夫であるレオンを見ていた。
生きていると言われても——そのまま信じられそうなほどだ。
「ちゃんと私は死んでいるわよ。だって、あなたが殺したんじゃない」
けれど、ソラリスは、レオンに真実の言葉を差し出す。
悪夢のような——真実を。
「……その、通りだ」
「あ、ちょっと違うわね。私が殺してとお願いしたんだったわね」
「おい、レオン。どういう……ことなんだよ……?」
衝撃の真実に、ヨシュアは思わず前にいるレオンの方を掴んだ。
かつて、ヨシュアが見た事実。
その真実はレオンが姉を殺したのは、姉が殺したと頼んだから——?
「まぁ。レオンはまだヨシュアに本当のことを言っていなかったのね! もう、あなたってばいつもそうよ!」
手を腰に当て、ソラリスはレオンに対して怒る。
新婚の夫婦のような一幕に見えるはずなのに、なぜか心に寒いものが走る。
「う〜ん、そうね。このままだと、ヨシュアの空想はおいしくなさそうだから、この世界の真実を教えてあげるわ。だから、いつものようにちゃんと聞きなさいね」
そして、白きソラリスは——真実を語る。
◆
「実はね、私が《枯渇病》にかかった最初の一人なのよ」
それが始まりの合図。
「空想戦争後に、レオンは英雄として帰ってきたわ。とても嬉しかった。だけどね、その空想戦争によって《枯渇病》が蔓延してしまった」
——あれ、なんで私白くなっているの?
空想戦争による弊害——《枯渇病》。
瞬く間に世界に襲った、空想士にとって何よりも恐ろしい病気だ。
「その時の、私の気持ちがわかるかしら? ううん、多分、この場にいる人たちはわかってくれるわよね。そう、私の心には絶望しかなかったわ」
——ねぇ、レオン。私、空想ができなくなっちゃった。
その気持ちは想像することでしかわからないが、その場にいる三人にはどれほどつらいものかがわかる。
「《枯渇病》にかかったことで、空想をすることもできなくなって、私の世界はそこで終わったかのように思えたわ」
——なんで、なんで! なんで、空想が出ないの!?
世界が終わる。空想を使わない人にはわからないだろうが、空想の世界で生きている人にとって、空想ができなくなることは世界が終わることに等しい。
「だけどね、いつしか私の周りでも《枯渇病》になる人が増え始めたのよ」
——私の、せいなの……?
単純に自分のみだけの特別な病気だと思っていた。
だけど、それは違った。
風邪のように一種の流行り病のとして、ソラリスを中心に広がっていった。
「そこで、気づいたわ。私が《枯渇病》になったことで、さらに広めているんだってことに」
——ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
昨日会った人が次の日には《枯渇病》になる。
そんなことが繰り返された。
「そして、レオンにお願いしたの。皆を苦しめるような存在になりたくないから、私を殺してって。レオンは——私の願いを叶えてくれたわ」
——もう、嫌なの! お願い、レオン。私を……殺して。
あれはどのくらいの被害者が出た時だったのだろう。
空想専門機関に隔離されたはずなのに、被害者はどんどん増えるばかり。
そして、空想する力もどんどん衰え始め、ソラリスはいつだって死を望んでいた。
そして、願ってしまった。
レオンに殺して欲しい、と。
「ヨシュア、これがあなたの知りたかった真実よ」




