英雄の兄弟
*——————————*
滅び行く世界。
この世界はどこに行くのだろうか?
*——————————*
ノアの空想が世界を変貌させる。
白色の世界が一変し、廃墟と瓦礫が辺りに広がる。生命の息吹がほとんど感じられない死の大地がノアの周囲を覆った。
ノアは知覚する。
自分の周囲だけしか空想を展開できていない。
《枯渇病》による白色化は進むばかりで、ノアの空想の範囲は足りていない。レオンが言った白色化を止めることなんて全然至っていなかった。
*——————————*
瓦礫の中、弟はそんなことを考えた。
かつて兄は世界を助けて欲しいと、天へと出向いたが帰って来なくなった。
残された人々は天の怒りを買った罰だといい、この世から希望は消え失せた。
*——————————*
ちらりと、レオンを見る。
あれだけの雄大な空が広がっているのに、ノアの空想の範囲内でしか飛び回れないでいる。
わかっている。
白色化の中心部に行けば行くほど白色化の影響は強く、レオンの空想と言えど長い間飛びまわれるわけではない。
だから、ノアの空想でイグドラを覆う必要がある。
空想しろ。
空想しろ!
空想しろ!!
全てを。廃墟の瓦礫一つに至るまで。
草木はなく、空はセピアに似た赤褐色で、灰色の大地が広がっている世界を——空想する。
*——————————*
弟は世界を見る。
不毛な大地。赤き血を零す空。緑のない灰色の世界。
残された少ない人々しかいない世界で、兄はなぜ旅に出ようと思ったのだろうか?
*——————————*
——イグドラの全域にまで広がれ!
白色の世界が少しずつ色を帯びてくる。
ただの白だった世界がノアの空想によって色を取り戻しつつある。
ノアの空想は幼い。
まだ世界の全てを細やかに空想することはできない。
レオンのようにあそこまで精緻なレベルの空想は不可能なのはわかっている。
しかし、レオンは言った。
経験というのは深みを与えてくれる半面、新しいものを生みづらくなると。
ならば、レオンが期待しているのは——ノアの未経験ゆえの新しい空想だ。
精緻な空想はいらない。
リアルな空想は今はいらない。
ただ自由に、ただ壮大に、ただ大きく、世界を空想する!
そして、空想は——イグドラの全てを覆った。
*——————————*
弟は廃墟を歩き回った。
兄が好きだった場所だ。
住んでいる場所から少しだけ離れている何もないところで、兄が消えてからというもの、弟はここへよく来るようになったいた。
そんな廃墟を歩いている最中、弟は信じられないものを目にした。
*——————————*
『行くよ。ヨシュア!』
「あぁ!」
イグドラ全域をノアの空想が覆った瞬間、レオンとヨシュアの二人が中心部にあるオークジアへと一直線に向かい始めた。
空から見えれば一目瞭然。
イグドラの風景はもはや形もない——が、たった一つだけ、オークジアだけが《枯渇病》の影響で白色化となったままだ。
しかし、二人に白色化の影響はなく、今ならばオークジアに向かっても二人が《枯渇病》にかかることはない。
天使の背中に乗った義弟が、空想の廃墟の中を風を切り裂きながら進んだ。
*——————————*
雲と雲が重なり合い、陽の光なんてないと思っていた。
なのに、その場所だけには一筋に細い陽の光が差し込んでいた。
生命が死ぬだけしかないこの大地に、生命の息吹が消え去ったこの世界に。
小さな。小さな木が……花をつけていた。
弟の目から、一粒の涙が零れた。
ようやく見つけた。兄が旅立った理由を。
*——————————*
「ボクは姉さんが作った『英雄の兄弟』が大好きだった。それをお前は汚した。ボクはそれを許すつもりはない」
『……わかっているよ』
「だけど、今だけは……彼女、ノアが作る空想と姉さんのために、この空想を演じきってやるよ。……レオン義兄さん」
『——十分だよ。私には過ぎるほど十分だ』
そして、二人はオークジアを目前にまで迫った瞬間——。
*——————————*
生命がもう生まれない世界に、生命が育っていた。
これは、世界の希望そのものだった。
弱々しい姿で、それでも力強く生きる姿を兄は見たのだ。
死にいく世界に新しき生命が生まれることを、希望があることを知ったのだ。
だから、兄は旅立つことを決めたのだろう。
新しい世界を護るために。
ならば、弟のすることは一つだけだった。
希望を運んできた小さな木を、弟は《アーク》と名付け、この小さな希望を枯らさず、育て、見守ることを決めた。
*——————————*
オークジアの形が、徐々に消え始めた。
《枯渇病》最後の段階である消失が始まったのだ。
あれだけ実っていた葉が枯れ果てるように消え、丸裸になった枝の先から、空へと奪われるように、形が消えていってる。
「オークジアがっ!!」
すなわち、それは、空想で治すべきものが無くなったことになる。
このままでは、イグドラの全てが《枯渇病》により全てが消えてしまうことになる。
現にノアの空想により止まっていた白色化も勢いをぶり返し始め、オークジアを中心に白色化が再び侵食している。
『まだだ!!』
天の獣が吠えた。
*——————————*
いつの日か帰ってくる、兄を待つ。
弟は何日も、何ヶ月も、何年も弟は、その木の成長を待ち続けた。
生命の息吹が育ち、弟は村に生き残っている人たちに希望があることを教え、その人たちもまた、互いに涙し、生命の成長を喜んでいた。
だけど、世界はさらなる『死』が舞い降りた。
世界を滅ぼした悪魔が、再び、命ある木を滅ぼそうとやってきたのだ。
村の人たちは悪魔の絶望がやってきたことを知り、希望を諦めてしまった。
ただ一人、弟を除いて。
弟はたった一人で、希望の木アークの前に立って、命を護っていた。
必ず兄は、天の遣いを連れて世界を救いに帰ってきてくれると信じていた。
恐ろしき悪魔の群れ、その世界を滅ぼす力を前にしても弟は一歩も引かなかった。
そして——。
*——————————*
『まだ終わっちゃいない! ヨシュア! 君の「空想樹」でオークジアを空想するんだ!!』
「……っ!」
そんなことできるわけが——と寸でのところで、ヨシュアは飲み込んだ。
レオンならばまだしも、自分程度の空想でオークジアが再現できるとは思えなかったし、未だかつてそこまでの規模のものを空想したことがなかった。
だけど、ヨシュアよりも未熟であるノアは、レオンの無茶に応えた。
空想士であった姉を髣髴とさせるぐらい見事にイグドラの全域を覆うほどの空想をだ。
そして、レオンは、オークジアの白色化に対して、自らの身を犠牲にしながら羽を進めている。天使となったレオンの爪や毛皮が少しずつではあるが削られているのがわかる。
『夢だったんだろう……! ソラリスを支えられるような男になりたかったんだろう! だから、どんな時でも、どんな場所でも支えられる止まり木を空想するために、君はその空想を選んだんだろう!』
それでも、レオンは止まらない。
義弟を奮い立たせるための、犠牲をなんら躊躇うことなくする。
『君の空想を魅せてみろ! ヨシュアァァァァァァァァ————————————!!』
その言葉に。
「…………てやる」
英雄の兄弟の弟の心が。
「ボクの空想をお前に魅せてやる!! さっさとオークジアまで運べ!!」
希望となった。
*——————————*
兄は帰ってきた。
天の遣いではなく、天の遣いそのものとなって。
兄は言う。待たせたな、と。
弟は言う。遅かったな、と。
*——————————*
『うおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ————————————————!!』
オークジアにレオンが勢いよく突っ込んでいく。
それを拒むように、いや、むしろ受け入れるようにオークジアの《枯渇病》の力は増していっている。
レオンの空想が、天使の衣が剥がれ、もがれ、侵食される。
それでも、レオンは進む力を弱めたりしない。侵食されればされるほど、さらに力強く押し進んでいく。
あと少し。
もう少し。
枯渇する力と想う力の拮抗が——解けた。
ついに、レオンの空想がオークジアまでの道を切り拓いた。
その瞬間、ヨシュアはレオンの背から飛び降りた。
もはや、かつてのオークジアの姿は見る影もなかった。
大樹と呼ばれた背の高さは半分ほどもなく、風が吹けば粉々になりそうなほど弱々しい姿へと消失していた。
「大樹オークジア! さっさと空想を取り戻せ!!」
ヨシュアの空想が、消失しかけているオークジアそのものを空想する。
*——————————*
誰しもが諦めた時でも、その兄弟だけは絶対に諦めることがなかった。
例え、互いの関係の全てが変わったとしても、諦めることだけはなかった。
絶望に淵に落ちた村人たちも、その兄弟の姿を見て、希望の元に立ち上がったのです。
*——————————*
オークジアの幹に手を乗せ、ヨシュアの《空想樹》が空想が現実となって現れ始めた。
まずは、緑の色。
白色化となっていたオークジアの周りの雑草が色を取り戻し始める。
命溢れる青々とした雑草。踏まれても踏まれてもなお太陽に向けて育つ力強さに満ちている。
そして、オークジアの体幹となる茶色。
幹や根といった、巨木の象徴ともなるべき基幹部分が復元し始める。
そこで、一度ヨシュアの空想が止まる。
《枯渇病》による白色化の影響がさらに強まり始めた。
ヨシュアが空想を使えば使うほど空想の力が、枯渇した砂漠に水をやるように空想が消失していくのを感じる。
——……こんなものに、あいつらは対抗していたのか!
今さらながら、ここまで来るのにレオンとノアがどれだけ体を張っていたかを実感する。
だから、ここで諦めるのか——否。断じて否だ。
姉が生きていた頃のことだ。
ヨシュアは姉が空想士として子供たちを楽しむところを見ているのが大好きだった。まるで、空を自由に羽ばたく鳥みたいに思えたからだ。
その頃は、まだレオンは英雄なんて呼ばれていなかったが、それでも、名のある空想士として誰からも一目を置かれる存在だった。
二人はヨシュアにとって、とても大きな存在で、いつも置いてけぼりをくらっていた。
恋人同士である二人の世界。
小さな自分では支えることもままならず、かといって、追いつくことも難しい。
だから、ヨシュアは空想するとしたら何が良いかを考えた。
その答えは、いつも同じ場所で彼らの帰りを待つことだった。
彼らが空を舞う鳥のような空想士であるならば、いつでも帰ってこられる止まり木のような空想士になろう。ヨシュアの夢はそこで決まった。
*——————————*
そして、兄弟と村人たちは互いに協力し、悪魔の群れを追い払うことができたのです。
彼らは勝ち取ったのです。希望を。
彼らは護りきったのです。命の樹アークを。
*——————————*
誰よりも二人を待ち続けていたのは自分だ。
この大樹オークジアのように、大きな存在として、帰りの道しるべになりたかった。
それが、ヨシュアの原点にして空想の形。
それが、空想樹。
——ボクは、たった一本の大きな樹になりたかった。
『だから、私は——兄は帰ってこられたのだよ。弟が待っていたからね』
レオンが、天使の姿が崩れかけた姿で、ヨシュアごと覆うように、オークジアを両手で挟み、支え始めた。
弟を助けに来た兄のように。
ヨシュアの些細な夢。
それを姉に語ったら、姉は素敵な空想だといって作ったのが『英雄の兄弟』だ。それが嬉しくて、何度も何度も姉に読み聞かせをねだったものだ。
「……いつも遅いんだよ、お前は!」
今になって、のこのこと現れて。
——いつか、あなたたち二人が『英雄の兄弟』を皆の前で演れたら素敵ね。
本当に魅せたい相手はもういなくて。
——その時を、楽しみにしてるわ。私の大切なヨシュア。
なのに、こうして一緒に空想を重ねることに、心躍るのは……なぜなんだろう。
だけど、今だけは。
姉が望んだ空想をしよう。
「これが、ボクの空想だぁぁぁぁぁぁぁぁ——————————————————!!」
そして、ヨシュアの空想が花開いた。
*——————————*
希望の樹を守りきった兄弟を、村人たちは英雄だと称えました。
その勇気と希望。諦めない姿に彼らの心が震えたのです。
ですが、兄はもう天の遣いとなった身であり、人ではなくなったのです。
弟はわかっていました。兄との別れが近いことを。
*——————————*
「……すごいです。二人は本当にすごいです」
ノアは、二人がオークジアに向かっていってからもずっと空想を維持し続けていた。
滅んだ世界の廃墟に澱んだ灰空。
それが今やどうだ。
緑溢れる大地に、陽光が差す青空が広がっている。
死に絶えた世界に、たった一つの命が運んできた小さな希望が大いなる命となったのだ。
《枯渇病》による白色化もすでに事終えたかのように、侵食はすでにない。
空想によって、オークジアを、イグドラを救えたのだ。これが、嬉しくないわけがない。
ノアもまた、二人の元へと歩いていく。
この『英雄の兄弟』の最後の瞬間を、三人で創り上げた空想を、一番前で観たいと想ったし、二人と一緒にイグドラを救えた事を喜びたかったから。
そして、ノアは最後の空想旋律を紡ぐ。
*——————————*
弟は言う。希望をありがとう、と。
兄は言う。希望をありがとう、と。
そして、兄は希望を守ることの出来た代償として天へと旅立つ。
後のこと全てを弟に、全ての人に任せることができると信じて。
弟は兄を尊敬し感謝した。人々にとっての英雄が自分たちならば、弟にとっての英雄は最後まで越えられなかった兄が英雄だ。
そうして、悲しみに満ちた村を救った二人の兄弟。
兄は天の遣いとなって空へと旅立ち、弟は兄がいなくなった村をずっとずっと守り続けたのでした。
めでたしめでた——……。
*——————————*
『そして、空想は私のものとなる』




