二人の距離
「……う、う〜ん。ここは……?」
ぼんやりした頭で、ノアは目覚めた。
目をパチパチとしばたかせ見てみると、細かな飾りが彫られた頑丈そうなドアに、気品よく並べられた壷や絵画といった調度品がある。
あぁ、こんな豪華な所は夢に違いないと思って、もう一度枕に顔を押し付ける。ボフっと柔らかな反発が身体を包み込み、さらに夢の中へと遠のくのを感じる。
「くー……」
寝息を立てながら、昨日何があったのかを思い出してみる。
イグドラに辿り着き、さっそく宿兼料亭の『緑の小人亭』に立ち寄りご飯を食べた。あれはおいしかったなあーと、口の中が想像だけで刺激されじゅるりと唾が出る。今日の朝ごはんもおいしいといいなと思いながらも、その後のことを思い出す。
その後、オークジアが白色化しているとか何とかで、それを見に行ったはずだ。
……それでどうしましたっけ?
あ、そうだ。レオンが誰かに会って驚いて——
「おい、起きろ」
そうだ、こんな人だ。
金髪にラベンダー色の瞳をした、柔らかくも鋭い印象を持つ男の人。
それで、いきなりレオンの命を狙いだして……?
「きゃあ!」
がばっと、勢いよくノアはベッドから跳ね上がった。
「ようやく起きたか……。まったく、こんな状況でもここまで寝ていられるとは、よほど図太い神経を持っているようだな」
「ななななな、何なんですかここは!?」
キョロキョロと周りを見渡す。
部屋の中には、ノアと青年の二人だけしかいない。起き抜けの頭のせいで、この状況が何なのかわからない。
「起きたら起きたで騒がしい奴だな。それを説明するためにボクが来たんだ。いいから落ち着いて話を聞く体勢になれ」
「わわっ! は、はい! す、すみませんでした」
ヨシュアの凛とした声に、慌てているノアは言われるがままとなっている。髪の毛が軽く乱れているが、そんなことも気づかず、近くにあった椅子に座る。
「……ったく、レオンの奴は何でこんな女を……?」
腕を組み、わけがわからないとヨシュアはぼやく。
「え、あの、何か言いましたか?」
「ふん、何でもない。それよりお前、名を何という?」
「の、ノアです。ノア=フェルナンです」
「ボクはヨシュアだ。だが、覚える必要はない。どうせすぐに忘れる名前だ」
あっさりとした風にヨシュアが告げる。
——忘れると言われても、むしろ、忘れようがないのですが……。
そんなノアの戸惑いも関せず、ヨシュアは淡々と続ける。
「それじゃあ説明を始めるが、簡潔に言うとお前とレオンの両名は、ボクが捕えさせてもらった。今後の処置については追って知らせる。以上だ」
あまりにも要領を得て簡潔な説明。
あまりにも、 簡潔すぎて……説明が足りていない。
「……あの、それだけですか?」
「それだけだ」
「……えと、じゃあ、質問をしてもいいでしょうか?」
「いいだろう。何が聞きたいか言え」
聞きたいことは沢山あるが、ここは一先ず当たり障りのないところを聞くことにした。
「えと、じゃあここはどこですか?」
「イグドラに間借りしている視察部隊の宿舎だ」
「あぁ、だからこんな立派な部屋なんですね。へぇ〜、すごいですね」
夢心地だった時から、頭がはっきりしたのでゆっくりと部屋を見渡す。
どうやら、宿舎といっても、どこかの宿を一棟借り切ったかのように豪華なつくりだ。イグドラは流通の拠点ゆえに、こうした建物はいくつか用意されているのだろう。
おかげで、最近は野宿暮らしになって疲れきっていたノアの身体は十分以上に睡眠をとることができた。
「言っておくが、それを知ったからといって脱走とかは考えない方がいいぞ」
ヨシュアのその忠告に、ノアは幾分むっとしてしまった。
考えてみれば囚われの身。
しかも、事情がわからない上に、捕まえられたと告げられたことを思い出し、少しだけ腹が立ってきたので、
「考えてませんよ、そんなこと」
ツーンとした態度でノアも返答する。
「レオンの仲間である空想士がそんなことを言っても、何ら信用に足る根拠はないな」
その言葉に、ハッとした。
部屋のどこにもレオンがいないことに気づいた。
「そうだ! レオンさんはどうしたんですか!?」
向こうが主導権を握っていたゆえ、その考えに至らなかった。
本当ならば、真っ先に気づかなければならないのに。今更ながらヨシュアがレオンの命を狙っていたことを思い出し、ゾッとする。
「お前とは違う部屋に隔離している。……あいつは危険だからな」
違う部屋と聞き、少なくともレオンは死んでいないことがわかって、ノアはホッとした——が、やはり、聞き捨てならないものは聞き捨てならない。
怖気づいては相手の思う壺だ。
「危険って……。レオンさんは、そんなひどい人じゃありません!」
「予想通りの答えだな。ふん。お前は騙されているんだよ」
「だ、騙されてるって、どういうことですか……!?」
「言葉の通りだ。あいつは単なる罪人だよ。大方、空想士にしてやると言われ、あいつの誘いに乗ったんだろう?」
当たっている。
ウェレミーア村にいた時に、レオンが空想士になる道を示してくれなければ、多分、いつまでもノアはくすぶっていたままに違いなかった。
だけど、それは強制されたことではない。
少なくともレオンは、空想士になる道が厳しいことになるだろうと何度も忠告し、むしろ、ノアが空想士になる覚悟を計っていた節がある。
それでもなお、空想士になりたいと願ったのは——ノア自身の答えだ。
「……だとしたら、どうだと言うんですか?」
だが、そんなことをヨシュアに素直に話す謂れもない。
あえて、会話の主導権を向こうに持たせたまま、慣れない駆け引きを必死でノアは乗り切ろうとする。
空想では何度も考えたことだ。危険な場面を乗り切ってヒロインを助けようとする主人公の姿なんて何とも格好良いではないか。なのに、まさか現実でこんなことが起きようとは夢にもおもわず、人生初の経験に喉が乾いてくる。
「悪いことは言わない。今ならばまだ間に合う。あいつとの縁を切れ」
「嫌です」
きっぱりと、それだけは嘘もなく答える。
「レオンさんに付いて行くと決めたのは私の意志です。それを、何も知らないヨシュアさんに言われる筋合いありません」
「あると言ったらどうする?」
「え……?」
薄く冷たい氷のように、ヨシュアは微笑む。
何も知らないノアを労わるかのように微笑む。
何も知らないノアを嘲笑するかのように微笑む。
絶対的な優位者として嘲り、ヨシュアは諭すようにノアに問う。
「あいつのことを教える前に、そうだな。お前は、どこまでレオンのことを知っている?」
「……す、すご腕の空想士で、とても優しい人です」
汗が噴出して止まらない。
今目の前にいる、美しい顔の青年が一歩ずつ詰め寄ってくる。
何も知らない子供に、それは夢だと現実を突きつけてくる圧迫感にも似た苦しさ。
それを今どうして感じる?
——私は、レオンさんのことをどれだけ知っているのでしょうか?
「やはり、その程度か」
その……程度。
一週間ばかりしか旅をしていない程度の浅い付き合い。
それが、ノアとレオンの距離だ。
「少しだけ昔話をしてやろう」
ならば、ヨシュアとレオンの距離は——?
ノアの知らない、二人の距離の物語が始まる。




