空に想うは君の欠片
それは、白く。
それは、空で。
目には見えるけど、目には見えず。
体感をしても、認識できず。
少しずつだが確実に。
確実だが不確定に。
現実を侵食し、削り取っていく。
地を張る根のように。
肉を這う管のように。
それは広がっていく。
あともう少し。
あともう一歩。
あともう——どのくらい我慢すればいいの?
それはね——……。
◆
「随分と厳重な構えだね」
「その割には、軽口を叩く余裕はあるようだな」
かび臭さが漂う地下の中。
石畳と鉄骨で作られた牢獄が、レオンとヨシュアの二人を閉じ込めていた。
捕まっているはずのレオンは、飄々とした様子を見せ座っている。
それが気に食わず、ヨシュアは苛立たし気な声を出す。
「いやいや、《空想錠》によって空想を封じられ、その上、これほど警戒されているんだ。抜け出す隙なんて全く見当たらないよ」
じゃらりと、重苦しい鉄色をした鎖がレオンの両腕を縛っている。レオンが言った《空想錠》という無骨な鎖は、数々の文様が刻まれており、どことなく呪具のようにも見える。
《空想錠》は空想士にとって名前の通り空想を封じるものであり、過去罪人となった空想士を捕らえるために作られたものだ。
それが今レオンの空想を阻み何もさせないでいる。
「ふん。お前を相手にすることを考えたら、この程度では足りないぐらいだ」
「買いかぶりすぎだよ。私はそんな大層なものじゃない」
やれやれとと言ってレオンは息を吐き出す。
外と違って地下の空気は冷たく湿っており、より気分を冷え冷えさせる。
「過大評価も過小評価もボクが決めるが——お前に一つだけ選ぶ権利をくれてやる」
「ん? ここから出してくれる権利かな?」
「ふざけろ。苦しまず全てを語って死ぬか、苦しんで全てを語って死ぬかのどれかだ」
「何一つ魅力の感じない提案をありがとう」
「当たり前だ。本来ならば、お前ほどの大罪人すぐに死刑に処しても問題にならないぐらいなんだ。今こうして生きていられるのは、ボクの権利を行使した結果に過ぎないことをよく覚えておけ」
「それはそれは」
——どうもありがとう。
あくまでも余裕ぶった態度を崩さないレオンに、ヨシュアは更に苛立つ。
だが、これ以上の尋問は無駄だとわかり、ヨシュアもまた少しずつであるが頭が冷静に戻っていった。
そして、ヨシュアは大きく息を吸って吐き、キッと目を開ける。
「では、第一の質問だ。何しにイグドラに来た? お前のことだ、何かの目的があってここに来たことぐらい、予想はついている」
「残念ながらただの観光だよ。『緑の小人亭』という店が出す料理がおいしいとの評判でね。そうだ、ヨシュアも一度行ってみるといい」
ドガッ!
鈍い音が地下室に響いた。
「ぐっ……!」
ぽたぽたとレオンの口から血が零れ落ちる。
ヨシュアはレオンを殴った拳をさすっているが、表情からは何の感情も感じさせない。彼の眼は、囚人に対し拷問をするそれによく似ていた。
「次の質問だ。《枯渇病》について知っていることを洗いざらい話せ」
「空想が《枯渇病》する病気で、罹ったものは虚ろい人になる。それが全てだ」
今度の質問は答えた。
だが、そんな程度の浅いものをヨシュアは求めているわけではない。
「ちっ、ならなぜオークジアが《枯渇病》になっている」
「さぁ。全く予想がつかないな」
再びヨシュアがレオンを持っていた鉄棒で腕を殴りつける。
体に響く音が地下室に響いたのに、レオンは悲鳴を出さずに耐えた。
「……いいだろう。おいおい口を割らせてやる。最後の質問だ」
最後の質問。
それを口にしようとしてヨシュアは黙った。
子供のようにヨシュアからは躊躇い——恐怖が見え隠れした。
「なぜ、姉さんを——お前の妻を殺した?」
泣いている子供が嗚咽をもらすように、ヨシュアの声は震えて聞こえた。
「ソラリス……か」
ヨシュアの姉にして、レオンの妻——ソラリス。
その名前を出した時、ほんの少しだけレオンの表情が悲しそうに歪んだ。
「なぜだ、なぜあれだけ慕っていた姉さんを、お前は殺したんだ!?」
拷問のために持っていた鉄棒を捨て、ヨシュアはレオンの胸倉を掴む。
その力は悲しいまでに強く、ヨシュアがソラリスのことを想っているがわかる。
「…………」
「黙るな! 語れ!!」
掴んだままレオンを壁にドンと強く押し付け、ヨシュアは詰め寄る。
それでも、レオンは沈黙を保ち、ヨシュアを真っ直ぐに見つめ続ける。怒りと憎しみに満ちた瞳と静かな凪のような瞳が交差する。
長くはない時間が流れた。
語るのを待つヨシュア。
黙して語らないレオン。
しかし、最初に痺れを切らしたのはヨシュアだった。
「クソっ!!」
わかってしまったのだろう。いや、悟ってしまったのか。
このままいくら時を重ねようとも、レオンが口を割ることはないのだと。
だから、ヨシュアは話の矛先を変えた。
「……あぁ、そういえばお前の連れのあの女がいたな。あれは何者だ? 空想士だとか言っていたが——まさかお前。姉さんと同じように騙したわけじゃあるまいな?」
今は部下に任せ、別の場所に軟禁しているノアのことを聞く。
あの時は、勢いに任せ人質のような真似をしてしまった。
だが、そうでもしなければ、こちらがやられていたのかもしれなかった。
それほどまでにレオンは——危険だった。
汚いやり方に手を出すようなことをしなければならないほど、ヨシュアはレオンのことを警戒しても足りないのだと認識している。
「違うよ。彼女は……そうだな、無限のカケラの一つとでも言っておこうか」
——無限のカケラ?
その抽象的な物言いに、何か胸がひっかかりを感じた。
「またわけのわからないことを」
だが、どうせレオンのことだ。またも煙に巻くようなことを言って何も言わないに決まっていると判断し、これ以上は無駄だと一度戻ろることに決めた。
「ふん、まぁいい。時間はまだあるからな。必ずお前から真実を聞き出してやる。その時を覚悟しておけ」
牢獄の分厚い扉を閉め、ヨシュアは出て行った。
◆
「ヨシュア、君だって無限の一欠けらなんだよ」
一人きりになった牢獄の中、ポソリと言った言葉が消えて静寂さだけがレオンの周りに満ちる。
想うのは、たった一人の義理の弟のことだ。
恨まれ、憎まれ、疎まれ、あらゆる負の想いを自分にぶつける義弟。
大きくなったとも思う。
最後に会ったのは——もう、大分昔のことだ。
その頃はまだ、小さな子供だと思っていた。
将来についての思いに馳せ、夢を持っていた真っ直ぐな少年だった。
それが王都の視察部隊の部隊長になっているだなんて、これっぽっちも思わなかった。
いや、そんな悲しい空想をしたくなんてなかった。
だけど、彼をそんな風にさせてしまったのは——間違いなく自分なのだ。
「ソラリス。もしかしたら、これは君の導きなのかもしれないね」
イグドラで会ったこと。これが何を意味するのか。
罪を認めて罰を受けろということなのか。
それは——誰に尋ねようともわからないことだ。
「わかってはいたけど……少しだけ、痛いな」
打たれた頬をさすりながらレオンは呟く。
だけど、本当に痛いのは……別のところだ。
覚悟もしていたし、受け入れる準備もしていた。
それでも、痛いと思ってしまう自分は弱いのだろうか?
それとも、強いのだろうか?
……いや、どっちでもいい。
必要なのは、それに耐え切ること。耐えて叶えること。
そのために、今は生き残ることを考えよう。
「そろそろ——《空震》が始まる」
それが起こることを肌で感じる。
かつて、経験しているせいで前兆がより敏感にわかる。
「今度はもう負けない。負けられない」
負けたあの日のことを。
枯渇化して消え、何も出来ずに終わったあの無力感。
——二度もあんなことを見るにはごめんだ。
「私の全てをかけて。奪われた空想を取り戻す」
そう言ったレオンの覚悟に迷いはない。




