素晴らしい空想は素晴らしい食事から
「よし通っていいぞ」
「どうも、門の守衛お疲れ様です」
荷物の点検を終え、イグドラに入る許可が下りた。
旅に手馴れたレオンは、守衛とのやり取りも堂に入ったものである。こういった経験がないノアは、内心では自分が空想士であることがばれないかとドキドキしていたが、問題なく終わった。
「しかし、お前らも大変だな。こんな時期にイグドラに来るとはな」
「どういうことですか?」
やれやれといった調子で話しかける守衛。
何を言っているのかさっぱりなノアは、どういうことかと尋ねる。
「王都から視察部隊が派遣されたんだよ。おかげで、都市の中は静かなもんさ」
「視察部隊とういことは、イグドラに何かあったということですか?」
「何だ。お前らも噂を知って来た連中ではないのか?」
——噂?
もちろん、こないだまで村にいたノアは何のことかわからない。
レオンならば何か知っているのかと横目で見る。
だが、レオンも知らないようで守衛と会話を続ける。
「いえいえ、気ままな旅を続けている兄妹ですよ」
イグドラに着く前に、一応二人は兄と妹という関係にしておいた。
恋人にも見えず、かといって親子というほど年が離れているわけではない。変に勘ぐられるのも気分も良くはないので、兄と妹で商いをしているという設定で通すことになった。
「このご時勢に気楽なものだな。……だが、旅人の数や流通量が減少している今となっては、お前らみたいなものが増えるのは良いことなのだろうがな」
「空想戦争以降ひどいものと聞いていますよ。それで、噂とは?」
「あぁ、そのことだが——……いや、俺が言うまでもないだろう。見ればわかるが、一つだけ忠告をしておこう」
言うまでもないこと。
そして、噂になっている。
話が見えてこないが、守衛の様子は至って真剣に自分たちを心配しているようだ。
「来た理由が何であれ、できるだけ早くこの都市から出たほうがいいぞ」
声を小さく潜めて、こそりと告げる。
旅人を招く流通の要であるイグドラで、旅人に出たほうがいいと忠告する。この意味の重要さにレオンはすぐに気づき、遅れてノアも気づいた。
「なるほど——厄介なことが起きているようだね」
それがどんなことかわからない。
けれど、確かにそれは起きていて、王都から視察部隊まで送られてくるほどのことなのだろう。
なのに、レオンは意に介した風でなく、飄々とした様子に変わりなかった。
安心感とでもいうのか。ノアは言い知れない信頼感をレオンから得ていた。まるで、こんなことをいくらでも経験してきたかのように。
旅をしてから、結構な日数が経っているが、ノアはレオンの過去には触れなかった。必要があればレオンが話すと思ったし、話したくないことを聞きたくはないから。ただ、こういった時は、ひどく聞いてみたくなる。
——レオンさん。あなたは一体何者なんですか?
——どういった人生を歩んできたのですか?
どこから来てどこへ向かっていくのか。
あなたの空想は何を目指しているのか。
そんなあれこれを、ノアはそっと胸にしまっている。
いつか話してくれるその時まで。ずっと。
「色々と情報をありがとう。よければ、これどうぞ」
レオンは荷物の箱から真っ赤に熟したリンゴを一つ手に取っる。それを守衛にポイと投げて渡した。「おう、すまんな」と言って守衛はリンゴを受け取った。
「あの、レオンさん。今の守衛さんの話は、どういうことなのでしょうか?」
「あまり愉快ではないことが起きているのは間違いないだろうね」
現に、イグドラの街が異様なほど静かではある。
ところどころ人はいるにはいるが、それでも子供の頃に来ていた頃の記憶を比較してもはっきりと人通りが少ないのがわかる。
しかも、視察部隊がくるほどの事態が、何かこのイグドラで起きている。
これを、良いことの予兆だと判断するほど……ノアも世間ずれしていない。
「何だか、少し怖い気がします」
「……やれやれ。とりあえずは、宿を見つけてご飯としようか。ノアがいるおかげで料理に困らなくなったが、それでも都市ごとの名物料理は食べておくのが礼儀だからね」
緊張し固くなったノアを気遣うように、レオンは話題の変えてくれた。
そうだ、今こうして何もわからないことに気を病んでいても互いに疲れるだけだ。人は空想によって病み、空想によって元気にもなる。
ならば、元気に振舞おう。空元気も元気のうちだ。
「素晴らしい空想は素晴らしい食事から生まれるですね!」
「そういうこと」
レオンとノアは、どこの宿にするかを話し合い、二人が通る馬車の音は、イグドラの静かな通り道によく響いた。
◆
「おいしいです!」
「うん。さすが碧樹都市だけあって、野菜ものの料理はおいしいね。特にこの香草で包んだ魚は最高だよ。柔らかな魚肉の味わいが、グッと引き立っている」
「こっちのマリネもいいです! ほのかなレモンの酸味が、若草が成長するように食欲を刺激してくれます! 料理が美味しく食べられちゃいます!」
宿と料理屋をやっている『緑の小人亭』を見つけることができた二人の目の前には、色とりどりの野菜を中心とした料理が所せましと並べられている。
マリネに、野菜たっぷりのコンソメスープ、ほのかに香る緑色の香草で包まれた魚など、見ているだけでお腹が一杯になりそうなメニューだ。
「野菜料理なのにお酒がこんなにおいしくなるとは。すごいなこれ。緑色の酒が出てきた時はどうしたものかと思ったけど……ちょっと、感動した」
レオンにはノアと違いお酒も出された。その酒はノアの村でも見たことないような色の酒であり、人が飲んで大丈夫かとも思うような深い碧の色をしていた。さすがのレオンも多少遠慮がちだったが一口飲んだ後は、今はもうぐいぐいと飲んでいる。
すると料理が出揃ったのか、奥から一人の恰幅のよい女性が出てきた。
「あっはっは! あんた方いい食いっぷり、そして、おいしい言葉ありがとうよ!」
どうやら料理をしていたのは彼女らしく、ぺこりと一つ頭を下げる。
料理に夢中になっていたレオンとノアも一旦手を止めて彼女を見る。
「本当においしいよ。お世辞抜きで」
「はい! 私もこんなにおいしい料理初めて食べました!」
「そりゃそうさ。あたしの愛情がたっぷり入ってるんだ。うまくないなんて言ったら、オークジアより高くぶっ飛ばすよ!」
お客に向かっての口聞きとは思えないが、なぜかこの女店主が言うとそんなことはどうでもいいと思わせ、一緒になって笑ってしまった。
……もちろん、ぶっとばすのは嘘だとわかっていても、この人なら本当にできそうかも、と一瞬でも思わせられたのも内緒だ。
「ふふ。そんなことありませんけど、ぶっとばされるのは怖いですね」
「なーに、ぶっとばすのは料理でさ。お待ちどう! これがうちの名物のデザート! 『丸ごとかぼちゃのオークジアの実風プリンケーキ』だ。さぁ、食べな!」
といって出されたのは、かぼちゃの中の実をくりぬいて、それを入れ物として使ったプリンケーキだった。深い黄色をして輝いて見える表面を見てるだけでも、これがおいしいことがわかった。
「これは——すごいです」
スプーンをすっと中に滑り込ませるように入れる。
プリンケーキというだけあって、中はスポンジとプリンの中間のような手触りだ。
そして、それを口に入れる。
……思ったほどの味の衝撃は最初に来ないので若干拍子抜けした。
かぼちゃの風味が口に広がり、ほどよい甘さが舌に残る。喉を通れば、プリンのようにツルンと胃の中へと入っていったが、どうもこれだけでは、よくわからない。もうお一口と思って食べる。やはり足りない。
パク。パク。パク。パク。
それを何度繰り返しただろう。
食べれば食べるほど、ケーキの美味しさが増していく。
気づいた時には、プリンケーキはもうどこにも無くなっていた。
その時の衝撃はかくたるものだった。
あれだけの量があったのに、その姿はもう無くなっていて、食べ終わった時の満足感にすっきりとした爽やかさ。
正直、この味を語りつくすだけの言葉をノアは持ち合わせていない。
レオンも同じだったようで、空になったかぼちゃの入れ物だけが残っていた。
「夢中で食べてしまった」
「私、こんなに美味しいもの食べたの初めてです……。まだ、舌に味が残ってます。女将さんこんなに美味しいもの本当にありがとうございます!」
「礼を言うのはこっちのほうさ。久しぶりのお客さんに、ついつい気合が入ったよ!」
だぁっはっは! と高らかな気前の良い笑いの女店主。
しかし、こんなにもおいしい料理を出すお店なのに、ノアたちが久しぶりのお客ということは——そういうことなのだろう。
「守衛の方も言っていたけど、やはり、視察部隊の影響かい?」
さらりとレオンが今の街の現状を聞いた。
「いーや、その前からだよ。空想禁止法出されてからはめっきり旅行客が減少しちまったからね。流通の要であるオークジアがだよ? ったく、オークジアの樹の下で空想士たちがワイワイやっていた頃が懐かしいよ」
「確かに、閑散とした風に見えますね……」
懐かしいといった女店主の瞳は、どことなく憂いに満ちていて、その先には多分過去のオークジアが映っているのだろう。ノアにも少しだけ見える。あちこちに残る薄汚れたシミに細かな傷がついた机。到底、綺麗なお店とは言えないまでも、その一つ一つが女店主が歩んできた思い出の一つ一つなのだろう。
それを想うだけで、なぜだか胸が苦しくなった。
「最近はこんなもんだよ。《枯渇病》が流行るわ、禁止法が出るわ。今となっちゃ過去の栄華なんて、そこら辺のゴミ箱に捨てられちまったんだよ」
「……やはり、ここでも《枯渇病》の患者が?」
「はっ、毎年毎年何人も出てるよ。ったく、どうしてこんな世の中になったのかね。そこらへんは旅しているあんたの方が詳しいだろ?」
「そうだね。どこもひどいものだったよ」
どこも——ひどい。
小さな閉じられた村にいたノアにはわからない出来事で、この二人は身をもって知っている。悔しいと思う反面、自分は恵まれていたのだとも思う。
そして、こんな世界になった理由——それを聞いてみたい。
「あの……こんな世界にした空想士を恨んでいるのですか?」
閉じられた世界にいたからこそ、今のノアは何でも知らなければいけない。
そうすることが、空想士として正しいことで……必要なことだと思うから。
「あー、そうだね。店が繁盛しないことに恨んだり憎んだりもしたよ」
そうなのだろう。
普通の人は、やっぱりそう思ったりするのだろう。
空想戦争による被害が最も大きいのは——空想士なんかじゃない。
いつだって、力のない人たちが傷つくのだ。
この間まで、その一人だったノアにはよくわかる。
夢を奪われた、ただの少女だったのだから。
「だけどね、そりゃ筋違いってもんなんだよ」
えっ、とノアは驚き顔を上げる。
「あたしたちは空想士のおかげで利益を得てきたし楽しませてもらってきた。なのに、空想士が世界を変えたからって、恨むのはやっぱりだめなんだよ」
——こういう人もいてくれるのですね。
何気ない、そんな一言に、ノアの顔が綻んだ。
「人はわかりやすいがあると、どうしてもそこに感情をぶつけるからね」
「そういうこと。……だけどね。あたしゃいつまでも腐ってはいないよ!」
がしっ! と、袖をまくった腕を力強く店主は握る。
本当に頼もしい限りである。
「今店が傾いているのはあたしの力が足りないだけで、そいつを誰かのせいにはしない。なら、今よりもっとすごい料理を出して、どんど人を呼び込んでやるのさ! まっ、そいつが、あたしなりの世直しってやつだね」
素直にすごいと思う。
あんな美味しい料理を出すだけでなく、こんな立派なことを考えて。
さらに、今の腕間にすら満足しないで上を目指す姿勢。空想士ではないけど、見習いたいと思える人だ。
「素敵な夢ですね」
「ありがとさん。だから、あんた方が旅をしてここの評判を助けてくれたら、お茶の一杯でもサービスするよ」
「店主も美人なら、料理もうまい。さらに気風は大樹オークジア並み! と、お墨付きで紹介しておくよ」
「いいねぇ〜。ぜひとも、それでお願いするよ」
どこか意地悪そうな子供のように笑い、お茶を振舞ってくれた。
料理の後に飲むお茶というのは、どうしてこうも優しい味がするのか。
すると、扉のほうからザッザッザッと大勢の人間が、一定のリズムで歩く音が聞こえた。
窓を見ると、歩いていたのは——視察部隊の人間たちだ。
「……そういえば、視察部隊が何しに来ているか、わからないままですね」
「あれ? 何だいあんたら。知らなかったのかい」
コポコポとお代わりのお茶を注いでいる店主が、知らないことが意外なように返答した。
「はい。守衛さんも見ればわかるからって」
結局、どういう意味なのかわからないままだが。
「なら、飯食ったら見に行くといい」
すごいものが見られるよ。色々な意味でね——そう言った彼女の言葉には、どこか皮肉めいた響きが込められていた。
——どこに?
そう尋ねる前に彼女は、どこに行けばいいのか教えてくれた。
「大樹オークジアが白色化しているんだ——まるで、《枯渇病》にかかったみたいにね」
——ほら、愉快じゃないことが起きていた。
こうなることが、予見していたかのようにレオンの声は平坦で、なのに、その顔はひどく辛そうに見えた。
オークジアの白色化。
それがどういう意味を持つのか今のノアには、わからないままだった。




