幕間1
「ハア、ハア、もう追いつかれたか…。」
「い、如何致しましょうか、お祖父様…?」
山の中を走る2つの影と、それを追いかける複数の影。
それらの影の間には距離が未だかなりあった。しかしに次第に近づき、接触するのは時間の問題と思われた。
「まさか、此処まで多くの密偵がヨミ国内に潜んでいるとは。我らの事も奴らに筒抜けであったようだ。もはや誰も信用出来んかも知れん。」
大小2つの影の内、大きな方の影が呟いた。その言葉を聞いた小さい方の影が、小さく震える。
「彼奴らの狙いは私です。どうか私めを置いてお逃げを!お祖父様だけでも生きて下さい。覚悟はできております!」
「愚かな事を云うでない孫よ。未来ある若者の命を踏み台にして生き長らえたとあっては、末代までの恥晒しよ。儂を見くびるでないわ!誇り高き導族の末席に名を連ねる者として、未来の為に華々しく散って見せようぞ!」
「そんな…、イヤ、イヤですお祖父様、お祖父様まで居なくなったしまったら私は…」
小さい影の発する言葉は震えていた。自身の身の危険より、誰よりも敬愛する祖父の身を案じてのことだった。
「こんなに孫に思われて、祖父名利に尽きよう。しかしな、儂もお主をそれ以上に愛しておる。お主は生きて、誰かを愛しなさい。誰かを愛して、幸せになりなさい。曾孫が見られんのは残念だが、孫が成長する姿を見て更にその先を望むのは流石に贅沢というものよ。死んだ儂の息子夫婦に小言謂われてしまう。」
祖父の普段通りの雰囲気から放たれた言葉に、思わず少女の口調が普段の物となる。
「イヤ、イヤだよう…、ヒグッ、わ、私、エグッ、おじいちゃんとはな、ヒグッ、離れたくない!独りぼっちは、ウェッ、イヤぁ…」
感情が溢れ出し、止めどなく涙が頬を伝う。こみ上げる嗚咽を必死にこらえつつ、孫と呼ばれた少女は祖父の姿をまるで瞳に焼き付けるように凝視していた。その姿を見た祖父は思わず瞳を潤し、少女を掻き抱いた。
「さあ、行きなさい。此処は儂が食い止めよう。お主は儂が手塩に懸けて育てた自慢の孫だ。どこに出しても恥ずかしくない位に育ってくれた。お主ならきっと大丈夫だ。」
まるで自分に言い聞かせるかの様に自身の言葉を心の内に噛み砕き、祖父は少女をゆっくりと離して立ち上がる。
「さぁ行けぃ!決して後ろを振り向くな!只々前を向いて走り抜けぃ!後ろを向いては前へと進まん!後顧の憂いはこの儂が必ず断つ、お主は未来に向かって安心して進むが良い。お主の進む未来に祝福があらんことを!!」
祖父の決死の覚悟を受け止め、その言葉を確かに胸の内に刻み込んだ少女の顔に、もはや恐怖はなかった。
「わかりました。お祖父様、必ずや生きて幸せになって、お祖父様に報告を申し上げましょう!」
だから生きて、生きて下さいと、口をついて出ようとする心を必死に抑え、少女は祖父に背を向ける。これ以上祖父を見ていては、決意が鈍ると感じたからだった。
「それではお祖父様、どうかお達者で。本当に、本当に愛しております。今までも、これからも。」
そう言って少女はその場を立ち去り、森の中へ消えて行った。完全に少女が見えなくなった後、祖父は空を見上げる。こぼれ落ちそうになる涙を抑えるために。そして、小さく呟いた。
「どうかご武運を、姫殿下…」
不意に木々の間から何かが祖父目掛け飛び出した。祖父はそれに一瞥もくれず右手で掴んだ。右手には一発の潰れた銃弾が握られていた。
「やれやれ、孫との別れの感傷に浸っておると言うに、無粋な奴らだ。」
見ると木々の間から複数の影が現れ出ようとしていた。
「爺さん1人か。娘は逃がして自分は囮になるとは、殊勝な心掛けじゃないか。」
現れた影の一つが言葉を発する。その声には侮蔑の感情が込めれており、耳にした祖父の心を掻き乱す。
「フン、貴様らに誉められても何にも嬉しく無いわ。」
「そんなにあの娘に誉められたいのか?じゃあ俺たちに任せておけ。てめぇをキッチリあの世に送ったら、直ぐにあの娘も同じ所に送ってやるから、そこで娘に誉めてもらいな。『良くぞ私を見捨ててくれました』ってなぁ!」
「悪いが願い下げじゃ。儂はまだ頭も手足もしっかりしとる。介護にはまだ早いし、貴様らなんぞに介護されとう無いわ!」
「良いぜ、すぐにそんな減らず口利けなくして、要介護者にしてやるからよぉ!」
言葉の応酬が終わり、双方が構える。襲撃者の手には銃が握られていた。
「フン、その銃で儂を殺し、その罪をヨミ国になすりつけ、それを口実に戦争を仕掛けるつもりか。」
襲撃者がヨミ国製の武器を使用しているのを見て、翁は襲撃者のもう一つの目的を悟る。
「我らの祖国の為に死ねるのだ。俺たちに感謝するんだなぁ。」
襲撃者は短く語る。
「ヨミ国に迷惑を掛ける訳にはいかんなぁ。」
そう言うと祖父は地面に四つん這いになる。
「久方振りに本気を出してみるかのう。」
刹那、祖父の纏う雰囲気が一変し、辺りの土がまるで意志を持つかのように踊り狂い、祖父の周りに纏わりつく。
「ケッ!時代遅れの老害が!名前通り土に帰してやるから覚悟しやがれ!」
戦慄し一歩下がった襲撃者に対して、その大きな眼は鋭く睨みつけ、牙の生えた口からは大地を揺らす程の轟音を響かせる。
「前アビス王国国王直属親衛大隊元隊長、『地竜皇帝』バイドン・エル・フェルミ、身命を賭して主命を全うせん!いざ…参る!」
山の中に出現した巨大な土のドラゴンは、まるで自身の宝を守るかのように不届き者達の前に立ち塞がった。