第3話
「おーい!リアー!ジアー!父さーん!」
「あれ?お兄ちゃん?」
エントランスに居たアキト達の耳に、今度は若い男の声が聞こえた。一瞬コウガの声かとアキトが思ったそれは、彼の長男であるナツトの声であった。ナツトは小さな女の子を抱えながら、テネジアと同じ様に上の方から飛んで来たが、彼女の様に突撃するのでは無く、ゆっくりと舞い降りて来ていた。
「あれがナツト君ですか。外見は先生にそっくりですね。」
「そうですか?目元とかはシアに似ていますよ?少し可愛い感じが特に。」
「可愛い……ですか……。」
コウガの言葉を聞いて、アキトは改めてナツトの目を見た。確かに、その目付きのキツさはコウガ程では無かったが、それでも充分に怖い。本気で怒ったら、きっとコウガ並みに怖い顔になるだろうなと、アキトは思った。
「彼が抱えている子は、末っ子のスパルナちゃんですか?」
アキトはナツトの顔から、彼に抱えられている三、四歳程度の少女の方に視線を移す。ナツトの方を向いてしがみついているので顔は見えないが、その髪は赤が強めの黒であり、背中には小さく折り畳まれた紅い羽根が生えていた。
「ええ、そうです。まだ小さくて自力では飛べないんですよ。可愛いでしょ?あと、スパルナは気が弱くて人見知りなので、上手く挨拶は出来ないかも知れないですが、それでも余り気を悪くしないで下さいね。」
「大丈夫ですよ。良く知らない大人が近付けば、小さい子が警戒するのは当然ですから。寧ろ、兄にしがみついているあの姿、とても微笑ましいじゃないですか。僕の昔の妹の姿を思い出して、とても懐かしい気持ちになりました。」
アキトは、自らの妹であるシオンの小さかった頃を思い出す。生粋のシスコンを自認するアキトは、今のスパルナの姿に昔のシオンの姿を重ねた事で、思わず口元が緩んでしまっていた。そんな彼のすぐ近くに舞い降りたナツトは、抱えていたスパルナをテネジアに渡し、アキト達の方を向いて頭を下げる。
「初めまして。僕はミノリ・ナツトと申します。アラカミ・アキトさんですね?この度は、母の命を御救い下さった事、誠に感謝申し上げます。」
「これは御丁寧にどうも。ですが、それはイナバ先生やカスミ先生のお力添えがあったからこそ、僕一人の成果ではありません。其処まで畏まられると此方も困ってしまいますので、どうぞ楽にして下さい。」
アキト達がナツトに丁寧に挨拶を返すと、それを見計らったテネジアがナツトに話し掛ける。彼女が抱いているスパルナは姉にしっかりとしがみ付いたままで、アキト達の方を全く振り向かない。コウガの言った通り、極度の人見知りである為に、見知らぬ客人のアキト達の方を見れなかったのだ。
「それにしても、どうして玄関まで出て来ちゃったの?しかもルナちゃんまで連れて来ちゃって。確か、お客さんが苦手なルナちゃんを気遣って、一緒に部屋で待っているんじゃなかったっけ?」
「どうしたのじゃないよジア…。ジアがお父さん達を出迎えに行ったと思ったら、なんか良くわからないけどリアが突然、血相変えて物凄い勢いで部屋を飛び出していっちゃってさ。本当に吃驚したよ…。」
「あ…あははは、そっかそっか…。」
「それでも、ルナを一人に出来ないから少しは部屋で我慢していたんだよ?でも、中々皆戻って来ないから、もしかして何かあったんじゃないのかって心配になったんだ。だからこうして、ルナを抱えながら様子を見に来たんだよ…。」
ナツトはテネジアに溜息混じりに答えた。少しばかり抗議の色も混じっていたものの、家族の事を心配しての行動であったので、特に何も無かった事による安堵の色の方が強かった。しかし次の瞬間、テネジアのある発言によって、その安堵は見事に完膚無きまで跡形も無く破壊される。
「ごめんね、お兄ちゃん。リアお姉ちゃんが飛び出して来ちゃったのは私の所為なの。ちょっと、お姉ちゃんの彼氏騒動で色々と誤解があって…。」
「………はあ⁉︎え、何々今何て言ったの⁉︎彼氏?いや嘘でしょ⁉︎リアに彼氏⁉︎え?え?ええ⁉︎えええええ⁉︎」
「キャアアアアアア!」
「キュキュウウウウ!」
ナツトの狼狽え振りは凄まじく、その顔は鬼気迫る。それを間近で見てしまったシルバーナとディアは恐怖に震え上がり、アキトの背後に隠れて彼にしがみ付く。アキトは怯える彼女達を必死に宥めながら、コウガにナツトを落ち着かせてくれる様に頼み込み、コウガはそれに応えた。
「ナツト、取り敢えず取り乱すのを止めなさい。お客様の前ですよ。」
「だけど父さん!リアに彼氏っておかしいでしょ!まだ小学生位なんだよ⁉︎一体相手は何処の鳥の骨ですか!ガラスープは取れるんですか!濃厚なんですかぁ⁉︎」
「だから落ち着きなさい。混乱して訳のわからない事を言っていますよ。リアに彼氏はいませんし、何より私が許しませんから安心なさい。あと貴方は私に似て顔が怖いのですから、常に冷静でいないと、かつての私の様に友達を無くすっていつも言っているでしょう?あれ…なんか言ってて涙が出て来ました…。」
「うわあ⁉︎先生!泣かないで下さい!」
錯乱するナツトの顔、そしてそれを上回る怖さを持つコウガの半泣き顔と、二つの恐怖に挟まれたアキトは更に焦る。シルバーナとディアが正気を失わない様に強く抱き締めて顔を隠し、何故か状況が寧ろ悪化してしまった事に疑問を抱きつつも、彼女達を守ろうと必死に庇っていた。
「いい加減にしなっさァアアアイ!」
そんな困り果てたアキトを救う大きな声が、コウガとナツトの暴走を止めた。クロウリアの怒りの声であった。彼女は息も荒く、顔も真っ赤にして肩を怒らし、八重歯を剥き出しにして父と兄を威嚇していた。テネジアはすぐに、今にも泣きそうになっているスパルナを宥めながら、近くの部屋へ飛んで逃げ果せた。
「アキお兄ちゃんが困っているじゃないの!シルバーナちゃんにディアちゃんも泣かせて!親子揃って何やってんのよ!」
「「リ、リア…。何をそんなに怒っているの(ですか)…?顔が怖い(です)よ…。」」
「お父さん達にだけは言われたくないわよ!そんな事より謝りなさい!アキお兄ちゃんに謝りなさい!『怖い思いをさせてしまってごめんなさい』って言いなさァアアイ‼︎」
「「こ、怖い思いをさせてしまってごめんなさい‼︎」」
クロウリアの勢いに圧倒され、コウガとナツトは父兄としての威厳も反論も何も無く、素直に即座にアキト達に平謝りをした。その光景にアキトは、ミノリ家におけるヒエラルキーを垣間見た気がした。
「だ、大丈夫ですから、顔を上げて下さい。ほら、もう怖くないですから、僕から離れても大丈夫ですよ。ルビィ、ディア。」
もう大丈夫だろうと判断したアキトは、抱き締めていたシルバーナ達を離す。いつの間にか恐怖から逃げる為では無く、寧ろアキトにくっ付く事が目的になっていた彼女達は、その幸せな時間が終わってしまった事で少し名残惜しそうにしていた。
「私も謝るわ。お父さんとお兄ちゃんが怖くて本当にごめんなさい。」
其処にクロウリアが近付き、彼女もまたアキトやシルバーナに対して深く頭を下げた。先程までの、烈火の如くに怒る修羅の様な表情はもう其処には無く、水やりを忘れた花の様にしおれていた。
「でも、誤解はしないでくれると嬉しいわ。お父さんもお兄ちゃんも悪気は無いから…。お兄ちゃんは純粋に私を心配してくれただけ……極端だけど。あと、お父さんは……ちょっと昔を思い出しちゃってね。ジアには、後でキツく言っておくわ。」
「ええ、大丈夫です。あと、テネジアちゃんも悪気は無いのはわかっていますから、程々にね。それよりも、こっちこそリアちゃんに御礼を言わないとですね。助けてくれて有難う。リアちゃん。」
「え?あ、いえ…この位は、当然ですから…じゃなかった…と、当然よ!」
クロウリアは、敬語になりかけた口調を、半ば無理やり普段の彼女のそれに直していた。先程のアキトとの約束を、彼女なりに考えて守ろうとしていたのだ。しかし、いきなり慣れない事をしようとした結果、少しばかり歪な喋り方になっていた。アキトは、そんないたいけな彼女に微笑みかける。
「ふふ、そんなに頑張って口調を普段通りに変えようとしなくても良いですよ。」
「ですが…だけど…。」
「少しずつで良いんです。少しずつで。気を急いてはいけません。僕達は、まだ出会ったばかりではありませんか。これから長く付き合って行けば、段々慣れていきますよ。でも、その気持ちは本当に嬉しいです。有難うね。」
「……うん!」
アキトの言葉に、クロウリアは今度こそ素直に頷けた。空回りしてしまった事が恥ずかしくて、少しだけ頬を赤くしながらも、しかし心は明るかった。これからアキトと触れ合う機会が増えると言う事と、アキトの微笑みの声が聞けたのが、自分でも不思議な位に嬉しかった。
(父さん…リアの様子、どう思う?家族以外の人に対して、あんなに良く懐いている姿、僕は初めて見るんだけど…。)
(私もですよ。幾らアキト君が母の命の恩人で、盲目な事も全く気にせずに、自慢の聴力を褒めてくれたり、一緒に協力して窮地を脱したり、恥を晒しても励ましてくれたり、寧ろその心の有り様を讃えてくれたりしたとしても、あの態度は……て、あれ?)
(……うん。良く良く考えて見れば至極妥当だったね……。)
一方でコウガとナツトは、クロウリアがアキトと嬉しそうに会話しているのを横目に、彼女の気がアキトの方に向いているタイミングを狙ってヒソヒソと相談していた。何時にも無く嬉しそうな彼女の様子を見れば、その父兄が何かしらを勘繰るのも無理は無かった。
「お父さん、お兄ちゃん。わかっているとは思うけど、ちゃんと聞こえているからね?」
「「ご、ごめんなさい!」」
勿論、聴力非常に良いクロウリアがそれに気付かない筈も無く、怖いくらいに無邪気な笑顔と明るい声を向けられたコウガとナツトは、睨まれてもいないのに竦み上がり、またも平謝りしたのだった。
「ーーつまりは、アキトさんが学園に行っている日中、母にシルバーナ様の護衛をして貰いたい。かつ、様々な知識の教授、護身術等の訓練を任せたい。と言う事で宜しいのですか?」
エントランスホールから移動し、これまたかなり広く綺麗に整理されたダイニングルームへとやって来たアキト達は、高価そうな大理石のテーブルの周囲に設置してある、これまた大きく座り心地の良いソファーに、互いに向かい合う様に座って話をしていた。
「はい。ナツト君のその認識で合っています。」
コウガやアイビシアには先に話を通して承認は貰っているものの、自分達の勝手で迷惑を掛けてしまう事に対して、それを当然と開き直って良いと言う訳では無い。ナツトやクロウリア、テネジア、スパルナに対しても対等にきちんと説明し、懇願して承認を貰う手順を踏まえるのは、アキトにとって譲れない事であった。
「護衛の方は、シアさんだけにお任せするつもりは有りません。カスミ先生にお願いして、複数の私服警官の方を、周辺の警戒に回して頂ける様に手筈は整えて有ります。聞いた話だと、ナツト君と顔見知りで、導術使いとしても実力的に信頼出来る方達だとか。」
「ええ、公安捜査庁の武装隊員達が病院に襲撃して来た際に、僕と一緒に迎え撃って下さった方達ですね。確かに、あの人達なら僕も良く知っていますよ。ただ、其処までして貰うのは、何か色々と申し訳無い様な…。」
「いえいえ、そんな事は有りませんよ。シアさんが実力者である事は知っていますが、それでも余計な負担をかけてしまう事には違い有りませんからね。勿論、相応の謝礼もお支払します。ご迷惑をお掛けするかも知れませんが、どうか宜しくお願い致します。」
アキトは深々と頭を下げる。それに倣ってシルバーナやディアも頭を下げると、ナツトが慌てる。只でさえシルバーナの護衛に母が指名された事、そして彼女を家で預かると言う事に驚いていた彼は、アビス王国の貴族令嬢であるシルバーナが何の躊躇も無く頭を下げた事に、更に驚いたのだ。
「あ、頭を上げて下さい!其処まで畏る必要は無いですよ…。あと、父も仰った様に謝礼も必要有りません。母を助けてくれた恩人なのですから、その位は当然です。寧ろ、本当に私の様な凡俗な者が、かのフェルミ公爵家縁の方をお迎えして宜しいのか心配で…。」
「お兄ちゃん…背中曲げ過ぎ、首竦め過ぎ、内股気味なのもどうなのよ。それに、私達は分家の立場とは言え一応、ヨミ国では名門と知られるミノリ家の一員なのよ?幾ら何でも卑屈過ぎ。それって、寧ろ相手に対して失礼にならないかしら?」
「そんな事言ったって…。逆にリアは何でそんなに堂々と出来るの…?」
クロウリアの指摘通り、ナツトは緊張の為にかなり縮こまっていた。コウガ譲りの立派な体躯と厳つい顔は、そのままでは意図しなくても相手を威嚇してしまう。それを良く理解している彼は、せめて精一杯小さくなって謙る事で、なるべくシルバーナを怖がらせない様に配慮していた。
「そうだよお兄ちゃん。もっと肩の力を抜いた方が良いよ?ほら、私みたいに羽根を伸ばしてジャンッピングゥストレェッチ!」
「ソファーの上で飛び跳ねるのは止めなさい。羽を広げ過ぎると隣の人に当たりますよ。ナツトは確かに硬くなり過ぎですが、ジアは逆に軽過ぎます。もう少しお淑やかにして下さいね。」
「はーい!」
「はあ…返事だけはいつも良いんですけどね…。どうも、娘が失礼しました。すみませんでしたね。アキト君、シルバーナ様。」
「いえいえ、気にしていませんよ。子供は元気が一番ですから。」
ナツトの硬まった姿勢を崩そうと、コウガとテネジア、アキトは場の雰囲気を和ませる様に行動してみたものの、彼には余り効果は無かった。そこで今度はシルバーナが、アキトに断りを入れてナツトに話し掛ける。
「そう恐縮しないで下さいませ。ナツト様。私は確かにアビス王国では、不肖なこの身ながらフェルミ公爵家の末席と言う地位を賜っております。しかし、このヨミ国に於いては只の一般人に過ぎない上、貴方様にご迷惑をお掛けする立場なのです。なので、どうかそう畏まらずに普段通りになさって下さいませんか?」
「そ、そんな…僕は、その様な無礼な態度が許される立場の者では有りませんよ…。こ、公爵家の方に、僕の普段通りの口の利き方をするなんて、お、お、畏れ多くて出来ません…。」
しかしシルバーナの言葉は、寧ろナツトを更に酷く萎縮させてしまうだけであった。彼も一応は名門のミノリ家出身ではあるものの、養子の分家筋でしかも導族である為、権限も権威も全く持っていない。その為、ナツト自身は自分が只の一般人としか思えなかったのだ。困り果てているアキトの様子を察知したクロウリアは、彼を助けようと其処に割って入る。
「お兄ちゃん。シルバーナちゃんもああ言ってるし、普通にしてたら良いんじゃない?あとシルバーナちゃんも、もう少し言葉を砕いてくれると、此方も普段通りに接し易くて助かるのよ。お願い出来るかしら?」
「リ、リア⁉︎何普通に貴族様に対して凄く失礼な事を言っちゃってるの⁉︎シルバーナ様すみません!愚妹が大変な失礼を!ちゃんと後で言い聞かせておきますので!」
「私は大丈夫ですので、どうか気にしないで下さい。えっと…こんな感じで良いですか?クロウリアちゃん。」
「えええええええ⁉︎」
「あはは!お兄ちゃんの驚く顔面白ーい!」
ナツトはクロウリアの言った事、そしてそれに対するシルバーナの反応に盛大に驚いた。シルバーナは養子とは言え、問題さえ無ければ、バイドンが直々に自身の後継者として指名する予定の者である。それ程の存在が、自身の妹といつの間にか打ち解けている様な雰囲気になっているのだから、その驚きも一入であった。
「う〜ん…まだちょっと硬い感じがするけれど。うん、まあそれはこれから段々に…よね。私の事はリアで良いわ。これから宜しくね。」
「はい。それでは、私の事もルビィと呼び捨てで結構です。」
「……いきなり呼び捨ては、流石に難易度高いわね。ルビィちゃんで良いかしら?」
「はい!では私はリアちゃんと呼びますね!宜しくお願いします!」
クロウリアはナツトの反応を無視して話を進める。ナツトはその気の弱さから、優しいが少し主体性に欠ける部分が有る為、周囲に流され易い傾向にある。それを良く知るクロウリアは、話の流れを無理やり持って行く事で、『馴れ馴れしくする』と言う流れを作ろうとしたのだ。それに気付いたコウガは、間髪入れずに追随する。
「ルビィさん。私の事も様付けは必要ありませんからね。この子もルナって呼んで下さい。今は恥ずかしがって顔を伏せちゃっていますが、きっと喜びます。」
「私もジアで良いよ!ルビィお姉ちゃん!」
「はい。では…コウガさん、ジアちゃん、ルナちゃんと呼ばせて頂きますね。」
「お、お父さん⁉︎ジアまで⁉︎」
周囲が打ち解けて行く様子は、ナツトに焦りを覚えさせる。クロウリアの狙い通り、彼は身内が次々シルバーナと仲良くなって行く様子に、自分も同じ様にせねばと言う変な義務感を抱いたのだ。そして彼は様々な葛藤を抱きながら、なけなしの勇気を振り絞り、尻すぼみな言葉ながらも何とか搾り出す。
「……あ、あの……僕も、ル…ルビィ…さんと、呼ばせて下さい……。」
「はい!これから宜しくお願いしますね。ナツトお兄さん。」
「あ……は……はい……。」
ナツトは遂に顔を背けてしまう。シルバーナの眩しい笑顔を見ていられなくなってしまったのだ。その隣に座っていたコウガは、彼の肩を優しく叩いて、その勇気を労った。
コウガはナツトに代わり、アキト達とこれからについての話を始めた。
「それではルビィさん。アキト君が学園に居る間は、この家の敷地内に居て下さい。外出したい時は、必ずシアに声を掛けて下さいね。勉学は此の館で、訓練はこの隣の施設で行います。わからない事があったら何でも訊いて下さい。これから宜しくお願いします。」
「はい!頑張ります!」
「元気が良いですね。やる気が有るのも大変宜しい事です。ただ何度も言われている様に、無理だけは決してしない事。折角この国に暫くは住む事になったのです。機会を見て、皆で何処かに遊びに行きましょう。偶の息抜きも大切ですからね。」
「……はい、わかりました!」
シルバーナがしっかりと頷くのを確認したアキトは、心の底から嬉しそうに微笑んだ。目の前の少女が、例え少しずつでも成長して行く様を見れた事が、とても嬉しかったのだ。彼の笑顔に気付いたシルバーナは、顔を真っ赤にして俯く。そんな二人の様子を見ていたコウガは、思わず口元が緩んだ。
「リア。導族であり、また同じ位の年の貴女なら、きっとルビィさんも色々な相談をし易いでしょう。側に居て、なるべく力になってくれる様にして貰えると助かります。ジアは、出来るだけお母さんのお手伝いをして下さいね。」
「はいは〜い!じゃあじゃあ、私ルナちゃんの面倒見るね!」
「任せたわよジア。こっちは私に任せといて。それとお父さん、集音器と発声器を貸してくれないかしら?それでお母さんの監視をするわ…見えないけど。お母さんを放置すると、ルビィちゃんに変な知識ばっかり与え兼ねないし。」
「ええ、構いませんよ。後で私が設置して置きましょう。寺子屋のサンリ先生にも事情を伝えて置きますね。シアには私からも良く言っておきますが、もし暴走しそうになったらお願いします。本当、情けない父で済みません……。」
コウガは申し訳無さそうに眉をハの字にする。日中、コウガは仕事でかなり忙しい為、アイビシアが暴走しないか監視するのは非常に難しい。一方、クロウリアの通う寺子屋はある程度の融通が利き、彼女ならば授業を受けながらアイビシアの監視(監聴?)を同時に行うと言う、かなり器用な真似も出来る為、その役を買ったのだ。
クロウリアの通う寺子屋の教師ミノリ・サンリは、ミノリ・サンガの実の息子でありコウガの義理の弟に当たる。それもあってコウガも話を通し易く、それを差し引いてもサンリはサンガに似て、相当に大らかな性格をしているので、これ位の申し出程度は難無く了承を得られてしまう。
「ディアさんの方は、アキト君専用の導物として登録されるので、彼と共に学園に行く事になりますね。ただ問題なのは、導物を扱う授業では無い時は、学園の専用の檻の中に入れて置かねばならないと言う規約が有る事です。」
「そうでしたね…。わかっては居ましたが、ディアには寂しい思いをさせてしまいますか。しかもその間は導術等の訓練も出来ず、待機したままと言うのは、時間的にも勿体無いですし…。」
「その通り。そこで、アキト君の得意な『召喚術』の出番です。」
「『召喚術』…ですか?」
アキトの言葉に、コウガは大きく頷く。
「はい。召喚術を使えば、アキト君は何時でも何処でもディアさんを呼び出せます。つまり、『必要な時だけ』手元に呼び寄せ、終わったらすぐに返せると言う事です。何も無い時は、ディアさんはこの家で、ルビィさんと一緒に訓練や勉学を積めば良いのですよ。」
「え?でも、そんな事しても良いんですか?」
「ええ、それ位の許可は得られます。実は『召喚導術』と『導物使い』、これら二つを学ぶ事が出来る者なら、限定的にですが、ある程度の融通を利かせる事が可能なんですよ。ただ、今までその様な奇特な方が殆ど居なかったですからね。この制度の事をアキト君が知らないのも無理は有りません。」
召喚導術ならば飼い慣らした導物をすぐに呼べるので、それらを組み合わせれば非常に有益になるだろうとの構想は、以前より存在した。ただ、導物を操る技術と召喚導術の、その両方の才能を満足に持つ者は殆ど居らず、導力開発総合学園にも前例が無い程であった。
それ故にアキトとディアのコンビは、ディアが高導物でアキトに非常に懐いていると言う特殊な条件こそついているものの、その珍しいケースの一例となる。貴重なケースである為に、資料として幾つか情報を提供する事により、代わりに様々な優遇を得る事が可能となるのだ。
「ただ、アキト君からの情報提供で、ルビィさんやディアさんに関する余計な情報までもが外部に漏れる危険性が有りましてね。そのリスクを避ける為にと、カスミ先生はその制度の事をアキト君には告げず、またその様な働き掛けが無いように手を回していたんです。」
「となると、今それを僕に伝えたと言う事は…。」
「ええ。悠長な事を言っていられる状況では無くなった為に急遽、方針を変えました。『神淵ノ端求社』に対抗するには、私達は少しでも戦力増強を図らねばならないのです。その為に、少しだけ危険な橋を渡ります。その事については大変申し訳無く思いますが、どうか御理解願いたい。」
コウガは真剣な顔で頭を下げる。大事な生徒や命の恩人達を危険に晒す事は、本心では回避したかった。しかし現状、既に狙われる立場となっており、また何処に敵が潜んでいるのかもわからない。ならば、例えほんの少しであろうと強くなり、自衛の力を付ける事こそが、本当の意味でアキト達の為になるだろうと、彼は考えを改めていた。
「私の見立て通りなら、ディアさんもルビィさんも非常に高い才能を持っています。昨日の戦い振りを見て、改めて実感しました。私達が皆さんの秘密を守り、その間にその類稀な能力を最大限に伸ばして貰うのが、奴等に対抗する為の最善手…と、私は考えています。」
「……わかりました。ディア、先生の言った通りです。基本的にはこの家でルビィと一緒に居て、導術訓練や勉学に精一杯励んで下さい。実習等でディアが必要になったら、シアさんかルビィに連絡しますから、呼び出されても良い様に身構えていて下さいね。」
「キュキュ!」
アキトの言葉に、ディアは元気良く鳴いて頷く。アキトが優しくその頭を撫でると、とても気持ち良さそうに喉を鳴らした。その首元に光る、カスミに貰った金色の首輪を見たアキトは、ある事を思い出す。
「そうだ、ディア用の導術封じの首輪はどうしましょうか?ヤクモさんが用意してくれる手筈だったんですが、頂く前に捕まってしまいましたし…。導術を使わせる実習時以外は、あれを嵌めて置かないといけないんでしたよね。」
「その辺りも含めて、先の特権を利用しましょう。一応、首輪は私が用意しますし、念の為に首輪の所持だけはしていて貰いますが。私の家やアキト君の家などの限定的な場所では、専用の首輪を嵌めなくても良いと言う形に持って行きます。」
「良かった。余りこの子に窮屈な思いをさせたくなかったんです。」
導物の導術を封じ込める首輪は、導物にとっては余り気持ちの良い物ではない。ディアを大事にしたいアキトとしては、首輪をしなくても良いのならそれが一番だと考えていた為、思わぬ朗報に非常に喜んだ。
「ディアさんの訓練には、若様が手伝って下さるとの事ですが、若様も色々と…特に課題等で忙しいので、一緒に訓練出来る時間は限られています。其処で、若様の土狼をお借りして、多対一などの訓練を行おうと考えています。土狼は土導術を扱えますし、良い対戦相手になると思いますよ。私も良く体力作りの為に、土狼百体と組手していますから。」
「いや、百体って……相変わらず、桁数がおかしいですよ。」
「ええ。若様の導子量は、本当に桁違いですよね。訓練を積んだ大人でも、あれ程の導子量を持つ方は殆ど居ません。私もそれなりの量を持っていると自負していますが、それでも驚愕してしまう位ですからね。」
「いえ、土狼百体を相手に出来る先生の事に対して言ったのですが…。」
「そうなんですか?ですが、慣れれば割と簡単ですよ?最近は残念ながら持久力が落ちて来たのか、組手を終える頃には息が切れ塩梅になってしまうんですが。いやはや、衰えたものです。流石に年には勝てませんね。」
いかにも学園長の関係者らしい、その色々とスケールの違い過ぎる話に、アキトは本気で自分こそが現在で一番の足手纏いなのだろうと痛感した。しかし、例えほんの数千分の一でも勝率が上がるのなら、アキトは努力を惜しむつもりは無かった。
「土導術の訓練にはこの広い庭の土や石を使用して下さい。ここの敷地内であれば、導術を幾ら使用しても問題ありませんから。ただ、特権が無効になってしまう可能性が有るので、敷地外の建物に被害を出したり、粉塵や騒音で迷惑を掛ける事は『絶対に』止めて下さいね?」
「キュイキュイ!」
「その如何にも経験の有りそうな辟易とした口振り、もしかして…。」
「……ええ。昔、学園長がちょっとやらかした事が有りましてね。丁度悪い事に、ヤクモさんが所用で外していて、学園長を止められる人がその場に居らず…あんな事は、もう懲り懲りですよ…。」
「ああ…やっぱり…。」
アキトとコウガは同時に溜息を吐いたが、その想像している内容は少し違っていた。アキトは勿論、損害賠償やらその他諸々の費用の事に対してである。一方のコウガは、抗議に来た人達が彼の顔を見た結果、今にも泣きそうになった事に対してであった。
(学園長先生の事だから、きっと窓ガラスとか屋根とか色々と壊してしまったのでしょうね…。導術で直せる物は直したとしても、慰謝料等は合計で一体幾らになったのでしょうか…。)
(学園長に対して怒った筈なのに、訴えに来た人達の方が寧ろ恐怖してしまうとは……少し、考えが至りませんでしたね。でもまさか『命だけはお助けを』とか、そんな台詞を御近所さんに言われるだなんて…夢にも思いませんでしたよ…。)
当時、コウガは付近の住民の為に、また学園長がしっかり反省する為にと、少し本気を出して学園長を怒った。すると、その顔と声が余りに恐ろし過ぎた為に、学園長は勿論の事だが、それ以上に近くの住民に対して酷い恐怖を与えてしまったのだ。その所為か、今でもコウガは近所の住民から微妙に距離を置かれていた。
「話が脱線しましたね。それでは、最後にアキト君の方針です。基本的には、学園には通常通り普通に通い続けて貰いつつ、帰りに私の家で訓練を受ける形になりますね。その後はルビィさん達や公爵閣下が派遣して下さる護衛の方達と一緒に、アキト君の家に帰る事になります。」
「わかりました。しかし、一つ気になる事が有ります。奴等が僕達を狙って学園にやって来る可能性も有るのに、普通に学園に行くのは如何なのでしょう。他の学生の方達を危険に晒してしまうのでは…。」
「勿論、警戒は決して怠りませんよ。ただ、実際に戦った私達の経験と、奴等のこれまでの手口を見るに、表立って直接何かして来る可能性はかなり低いでしょう。下手に疑心暗鬼となり孤立するよりも、此処は大多数の人目に付く状況の方が、相手も仕掛け難くなる筈です。また、此方が怪しい動きをしていないと、暗にアピールする事にも繋がります。」
『神淵ノ端求社』はこれまで、ムカイドで操った警察や、公安捜査庁を利用してアキト達に襲撃を仕掛けて来た。自ら動いたアサテの様な例外も有るが、基本的に最初は他人を利用して間接的な襲撃であった。これをコウガは、彼等が目立つ事が御法度な秘密組織である為と考え、襲撃すれば見つかり易い状況に仕向ける事で、襲撃自体を忌避させようと画策していた。
「丁度、三日前に学生寮への立て篭り事件が有りましたからね。それを表の理由として、学園は暫くの間、警察の協力の下で厳重な警備体制を敷けるよう手配しました。更に、学園の警備用設備は最新の物を大量に導入して、明日から運用を開始する予定です。これらに勘付かれずに何かを仕掛けて来るのは、正に至難の技と言えるでしょう。勿論、油断など少しもするつもりは有りませんが。」
そして、表向き『ヨミ国のテロリスト』が引き起こした三日前の事件によって、学園の警備を強化する事が既に決定していたので、それをカスミが裏から働きかけて、当初の予定よりも遥かに厳重に警備を行う手筈を整えていた。警察内の他派閥の幹部に反対されたが、『一般の導術使いは自衛が満足に行えない』等と、さも尤もらしい理屈を幾つも並べて半ば無理やりに押し通したらしい。
「更に学園には、学園長やコチヤ先生を始めとした腕の立つ導術使い、警察に強い権限を持つカスミ先生、ムカイドを嗅ぎ分ける土狼操る若様も居ます。皆一様にその実力は折り紙付きですし、何より心から信頼出来る方達なのが大きい。護衛の為と多人数を下手に集めれば、スパイ等が紛れ込む余地を与え兼ねませんからね。」
多人数で守ろうとすれば、戦力的には良いかも知れないものの、その分密偵が入り込む隙も多い。よく知る実力者、また洗脳兵器に対抗出来る者を集め、少数精鋭で勝手知ったる場所にて守りを固める方が、より隙が小さくなる。隙が小さければ敵は簡単には攻められず、その分此方の準備の為の時間を稼ぐ事に繋がるだろうとコウガは言う。
「奴等の影響力が何処まで及んでいるのかわからない今、下手に動いたり良く知らない人に頼るのは却って危ない…ですか。かつての警察庁長官にも、強い影響を与えていた位ですからね。一体誰が敵なのか、それがわからないのは本当に怖いです…。」
「その通り。理想は、此方が襲われる前に奴等を見つけ、今度こそ完全に壊滅させる事です。はっきり言えば、彼我の戦力差から見ても、その実現はかなり厳しいものとなります。ですが、諦めるつもりは有りません。……その為に、私達は今までやって来たのですから。」
コウガの瞳と声に、強い怒りが宿る。その意思の強さを感じ取ったアキトも、改めて気を引き締めた。
「僕も、奴等からディアの両親を取り戻すと言う目的が有ります。先生達の悲願の為にも、そして僕の目的の為にも、僕に精一杯の努力をさせて下さい。少しでも強くなる為の方法を、教えて下さい。」
「その心意気、有難く受け取らせて頂きます。」
コウガはアキトとガッチリと固い握手をした。頼もしい自慢の教え子の言葉に、怒りに滾っていたその心が癒されたのか、先程までの険の有る表情が幾分か柔らかくなっていた。
「アキト君の訓練は、基本的には先日渡したノート、転移召喚術の応用方法を記した物ですね。その内容を学びつつ、シルバーナさんやディアさんとの連携、そして射撃や護身術等の訓練を行う事で、アキト君自身の総合的な戦闘能力向上を目指します。」
「わかりました。厳しい訓練でもしっかり付いて行く覚悟ですので、どうぞ宜しくお願い致します!」
「まあ、そう気負わずに。ヤクモさんからも、一学生としての生活には支障を来さない程度に止め置くようにと言われていますから。と言っても、甘やかすつもりは全く無いので、そのつもりでお願いしますね。」
コウガのその言葉に、クロウリアは疑問を呈した。
「あれ?確かアキお兄ちゃんって普通の導術使いでしょ?そんな実戦想定の訓練なんてしても大丈夫なの?確か法令違反じゃなかったっけ。」
「ああ、リアにはまだ話していませんでしたね。実はアキト君は少し特殊な立場にあって、特別にきちんとした戦闘訓練を受ける事を許されているんです。つい先日、許可を受けたばかりなんですがね。」
「そうなの?じゃあ、お兄ちゃんやお父さんと同じなんだね。」
クロウリアの言葉に、今度はアキトが反応し、質問する。
「元特殊部隊所属の先生ならまだしも、ナツト君までそうなのですか?さっきも少し気になったんですが、ナツト君は警察の特殊部隊所属の方達と顔見知りなんですよね。もしかして、ナツト君は其方の関係者なのですか?」
「ええっと…どう言ったら良いのかな。父さん。」
「ふむ…正確には違いますが、まあそんな所でしょう。実はナツトは、あの『警養専』に通っていて、其処で『特殊警察官候補生』に選出されているんです。昨日、私達と一緒に戦った警察の方達は、そこのOBなんですよ。ナツトの事も、良く目を掛けてくれているんです。」
『警養専』こと『警察官養成専門学校』とは、文字通り警察官を養成する為の学校である。通常の警察学校とは違って公務員として雇われている立場では無く、飽くまでも一学生と言う扱いとなるが、其処で『特殊警察官候補生』に選定された者は、特別に戦闘訓練と導術訓練とを両方行う事が可能となるのが大きな特徴である。
(確か、導族の方を警察に就職させる場合には、非常に有効だと言う噂ですね。リアちゃんもそれを目指していると言っていましたし、ルビィも出来る事なら其処に通わせましょうかね。)
元々は、人口に対して充分な警察官の数を確保出来ていたヨミ国であったが、二十年前に起きた大規模な導術使い達の反乱(『神月』が発足する切っ掛けとなった事件)の際に、その反乱した導術使い達の鎮圧が上手く行かず、当時関わった数千人もの警察官が殉職してしまった事に、その設立の経緯がある。
件の事件の為に、慢性的な警察官の人手不足が発生した結果、ヨミ国の治安が極度に悪化(この時にも『神月』は活躍していた。)した為、それを解決する為に数多の警察官を雇おうとしたのだが、今度はその人員を教育する機関が足りなかった。其処で、その教育機関の一つとして設立されたのがこの学校であった。
ある程度の警察官の数を確保出来た現在こそ、その緊急の必要性が無くなったが為に民営化されてしまったが、今度は優秀な警察官候補を安定的に輩出する為の特殊な教育機関として活動し、着実な成果を上げていた。導族が警察官になる場合でも、そこを卒業した場合には相当有利に働くとされている。
「と言う事は、ナツト君は普段は其方の寮に?」
「いえ、鳥型導族としての訓練を行うなら、寧ろ我が家の方が設備的に充実していますからね。カスミ先生に頼んで、特別に自宅から通う事の許可は得ているんですよ。」
「…カスミ先生って一体、どれ程の権力が有るんですかね…。まあ、それはそれとして。凄いじゃないですか。『特殊警察官候補生』と言えば、知識や体力、また導術の才能等が高水準に揃っていないとなれないって聞きますよ?ナツト君はエリートなんですね。」
「そ、そんな…僕なんてまだまだですよ。」
「そんな事はありませんよ。貴方は本当に…私の自慢の息子なんですから…。」
コウガは少しだけ辛そうな表情をした。ナツトを見つめるその表情は、昨日見せたクロウリアを想うそれと似ていた。『特殊警察官候補生』に選出されたと言う事は、将来は『特殊部隊に半ば強制的に配属される』と言う意味でもある。アキトは、仕方無いとはいえ大事な息子が危険な仕事に就こうとする、その事に対しての忌避感が強いのかなと感じた。
(僕も、もしもルビィが将来ヨミ国に住まねばならなくなった時には、能力的に考えて警察に就職すれば良い物と思って居ましたが、やはりそう単純な物では無いのかも知れませんね…。)
その様子を見たアキトは少しだけ悩む。何が本当に彼女の為なるのだろうかと考えたが、すぐに止めた。結局、それは今悩んでも仕方が無い事であり、それよりも優先すべき事が有る。故にそれは、後で悩むべき事だと断じたのだ。
「先生。話の腰を折っておいて言うのも何ですが、僕の訓練に関する話の続きをお願いします。」
「あ、ああ…済みません。そうでしたね。それで、射撃や召喚術の技術に関しては私が手ずから教えますが、護身術に関しては別の方にアキト君の指導をして貰おうかと考えています。」
「それはまた何故ですか?先生も充分にお強いと思いますが。」
「有難うございます。ですが、私としてはアキト君には敵を攻めるよりも、寧ろその攻撃から自身を護る技術を特に磨いて欲しいと考えていましてね。その方は、防御や回避する技術が私よりも長けているんです。それで、アキト君の護身術を指導する役は、彼にお願いした方が良いと判断したんですよ。」
「身を護る為の技術ですか。確かに、今の僕にはそれが一番必要ですね。」
アキトはコウガの言葉に納得した。召喚術使いは、契約を結んだ者達の命を預かる立場に有る。契約者が負傷などで戦地から脱出したくとも、肝心の召喚術使いが殺られていたのでは、助かる物も助からなくなるのだ。それ故に、召喚術使いに求められる一番の仕事は『生き残る事』であり、その為にも身を護る技術が重要となる訳である。
「なるほど。確かに師範代でしたら、その役はピッタリですね。」
「師範代?ナツト君は知っている方なのですか?」
何かに納得したかの様に手を叩いたナツトに対して、その反応にアキトは疑問を示した。すると、ナツトの代わりにコウガが答える。
「ええ。実はナツトも、警養専で彼に体術の指導をして貰っているんですよ。まだかなり若いのに、警養専の特殊警察官候補生達の体術指導役をあのカスミ先生から任される位なんですから、その実力は保証書付きです。」
「そうなんですか?それは凄い方に指導して貰えるんですね。御厚意、痛み入ります。それで、その方は一体どの様な方なのでしょうか?」
「言葉で表すよりも、実際に会って見た方が早いですし、わかり易いと思います。まあ、結構個性的な方とだけ言っておきましょう。実は丁度今日、アキト君と顔合わせして貰おうと思って、家に呼んでいるんですよ。そろそろ到着する時間だと思うのですが…。」
「丁度いらしたみたいよ。噂をすれば影ってね。」
コウガの言葉が終わらない内に、クロウリアは何かの音を感じ取り、それに反応した。直後に、インターホンから門前に客人が来た事を知らせるチャイムの音がした。
「凄いですね。此処から結構離れているのに、あの門の近くの音が聞こえて、しかも誰なのかもわかるのですか。流石はリアちゃん。聴力にかけては右に出る者無しですね。」
「あ、う…ありが…とう…。」
アキトに褒められたクロウリアは、思わず顔を下に向けた。少し紅く染まった頬が、その体温の向上を物語っていた。それを横目にコウガは立ち上がると、部屋の壁に設置してあるインターホン親機に近付き、門前に来た来訪者の顔を確認する。果たして目的の人物であった様で、親しげに挨拶をすると、門を開くボタンを押し、そのまま廊下に続く扉へと向かう。
「皆さんは此処で待っていて下さい。」
「あれ、先生何方に?」
コウガが部屋を出て行こうとしたのを見て、何事があったのかとアキトは立ち上がり、コウガに向かって問い掛けた。
「玄関ですよ。彼を出迎えようと思いましてね。」
「え…もうですか。その方は車で来られたのですか?」
「いえ、徒歩ですよ。」
「いや、徒歩ですよって…さも当前の様に言って居ますけど、確か門から玄関までの距離は、直線距離でも数百メートルは下らなかった筈ですよね。幾らなんでも早過ぎませんか?徒歩なら尚更ですし…。」
その時、アキトの予想を裏切る音が部屋に鳴り響く。それは正しく、屋敷の玄関のチャイムが鳴らされた音であった。
「……え?まさか……。」
「どうやら到着したみたいですね。出迎えて来ます。」
「あ、ああ…はい。」
驚くアキトと対照的に至極冷静なコウガは、客人を待たせまいと足早に広い廊下を歩いて行った。廊下と部屋とを繋ぐ大きな扉が締まると、再びソファーに座ったアキトは首を傾げた。そして、思い付いた疑問について、ナツトに問い掛ける。
「何かの導術でも使用したのでしょうか。あの距離をこんな短時間で移動…となると、その方は風導術使い?」
「いえ。師範代は確かイズモ家の出身なので、得意なのは水導術ですよ。」
「イズモ家の出身…なら、カスミ先生の関係者ですかね。それにしても水導術ですか。水中では無く地上なのに、これ程素早く移動出来るとは…摩擦か何かを減らしているのですか?」
「ええ。確か体表面全体に薄い水膜を張って、それを上手く操作する事で地面との摩擦や空気抵抗を極力減らし、滑走していると言っていました。かなりの速度が出るんですよ。」
「それはまた高度な技を…氷導術のお株を完全に奪っていますね。中々出来る事では有りませんよ。導術使いとしても相当に実力者と言う事ですか。」
扉がノックされた音にアキト達が其方の方を向くと、それがゆっくり開く。そしてコウガが最初に現れ、次に彼の後ろから一人の大柄な青年が現れる。その青年を見たアキトは思わず、シルバーナやディアと共にその格好に驚いて二度見してしまった。
「………え?」
それは、コウガに負けない程に筋骨隆々な体格を持つ青年であった。彼は挨拶代わりにと、唖然としているアキト達に、その自慢の筋肉を見せつける様にポージングを次々決めて行く。彼の指示を受けた彼の筋肉達は、まるで邪魔をするなと言うが如くに隆起し、締め付けるタンクトップとハーフパンツをはち切れんばかりに引き伸ばす。
「紹介しますね。此の方はイズモ・フユト君です。」
フユトの体表面には、水導術に由来しているのだろう薄い水膜が張られており、それが部屋の明かりの光を受けて煌びやかにテカる。まるでローションを塗りたくったのではないかと思う程に、その七色の輝きは眩しく輝いていた。そして最後に、彼は満面の笑みでアキト達を見た。その口元から覗く白い歯もまた非常に綺麗であった。
「フンッ!フンッ!ハッ!ハアアアアアン‼︎」
「あ…ぼ、僕はアラカミ・アキトです。よ、宜しくお願いし、します…。」
「ハッ!ハッ!フンフン!ハァアアアア‼︎」
アキトは、その物理的に眩しいフユトの笑顔を直視出来ず、視線を少し下に向けて挨拶するのがやっとであった。そしてフユトは、その挨拶に応える様に、渾身のポージングを決めながら頷いたのだった。
ボディービルダー風キャラの言動のイメージって、誰が最初に定着させたのでしょうかね。現実とはかなり乖離しているのでしょうが、やはり癖の有るキャラと言うのは見ていて楽しいなと思います。




