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ヘルタースケルター


      4



「アイツ。――本気で冷水シャワーなのか?」


 御手隙の笙冴が学院寮の前で呟いた。

 余りにも手持ち無沙汰なのか、左手首に腕時計のように付けられた携帯型多機能端末であるSIM――System of Intelligence Memoryの略で通常、シムと呼ばれる携帯型多機能端末――を空中に投影展開させて昨今、流行中だとか言うパズルゲームに勤しんでいる。

 茜空。只今、秋日没(あきいりひ)にて快晴なり。

 まだ日没には少し早いが地平線へと傾いだ太陽が薄焼けの茜空を生み、幻想的な風景を創り出していた。

 と言っても、ウェザーシステムが季節に合わせた気候をランダムで算出させた結果で、空模様とフロア毎に設置された人工太陽の織り成す事象にでしかない。――それでも、冷えた空気が肌を刺す。今年の冬は寒くなりそうだ。


「翔子。異常」


 寒がりの唯夏からしてみればこの時期に冷水を被るなど考えられないことだと、涼しげな声で言う。これまた涼しげな表情で。


「違ぇねえな。お、一〇連鎖」

 

 笙冴が屈託のない顔で笑う。


 訓練終了後。自室でシャワーを浴びたいと言い出した翔子の提案を飲んで一度、寮に戻ることになった。

 敷地内に隣接された寮は本校から徒歩五分と理想の立地条件下にある。彼女が化粧でもして時間を無駄に浪費しない限りは大した遅延には成らないだろう。


 空。どこまでも茜色に染まる空は果てしないように見えて、その実。手を伸ばせば届きそうなほどに低い。



アガルタにはソラがナイ。



 いつだったか、だれだったかが、そんな事を言っていた。有名な言葉だったような気もするし、そうではなかった気もする。少なくても教科書には載っていない。だが、この言葉以上にこの国を表すに適切な言葉は無いとも思う。

 常時展開された外壁映像を剥ぎ取れば、そこには冷たい岩肌が広がっているのだ。


 二度の大災厄から生き延びた人類が手にしたのがこの箱庭の楽園である。


 感慨も何もない。唯夏が生まれた時から偽りの空はそこにあったし、それが普通だった。

 この国では本物の空を知っている者の方少ない。だからという訳ではないが、本物の空を見てみたい気持ちはあった。人間というのはどうにも昔から大空に夢を見るものなのだから。

 二年生に上がれば実地訓練などで地上に登る機会もあるだろうから、今はそれが楽しみでもある。


「空。綺麗」

「ん、ああ。夕焼けだな」


 展開中のSIMを終了させて、笙冴が空を仰ぐ。


「お待たせ。何を見ているの?」


 口数少なく空を見上げていた二人に声がかかる。

 振り返ると着替えまで済ませた翔子が不遜な態度で立っていた。


「空だよ。空」

 

 同じく、翔子も空を見上げる。


「天井」

「夢がねぇな。おい」


 淡々と真実を口にした唯夏に即座にツッコミを入れたのは笙冴。それを見て呆れるのが翔子。見慣れた光景であった。


「制服くらい、着替えればよかったのに」

「制服であり私服でもある」

「制服だけで一〇着以上持っているショウゴには聞いてないわ」

「むしろ制服以外は、部屋着しか持ってないからな!」

「全然、威張れないわ。それに、もともとショウゴにファッションセンスを期待してないわよ」

「……いや、お前も中々だと思うけどよ?」


 翔子の出で立ち。それは――。

 目深に被ったキャスケット帽には羽根のブリーチ。そこから垂れるのは金糸の髪。胸の開いたタンクトップの上に羽織った人目を引く鮮烈な赤色は、モッズコート猫耳フード付き。半分がプリーツで半分がタイトなよく解らないスカートに赤黒のボーダーニーソックスは、当然とばかりに絶対領域を完備。その下をハイカットのスニーカーで固めて、活発そうな、それでいて少し不良そうな少女を印象付けている。


 なんか、色々な属性を併せ持っていた。


「アンタの評価は求めてないわ。それより唯はすごく可愛くなると思うのに。あ、もちろん制服も可愛いわよ」


 端正な顔立ちに線の細い身体。可愛らしい服を着せれば、無表情も相まってビスクドールを思わせる美人が出来上がるだろう。

 ただし、翔子の差配に任せて服を選ばせてはどのように仕上がるか。その結果は宇宙の真理と同じくして無理解なものである。


 翔子に服の話題を振られて困るのは笙冴よりも唯夏の方だ。

 制服が私服。とまでは言わないが、唯夏自身も服装に気を使うタイプの人間ではない。着られるならなんでもいいとまでずぼらな考えではないが、それなりに動きやすい制服は服としての機能を遺憾なく発揮してくれる。


「翔子。薫香。変化」


 微かに香る甘いに匂い。

 衣服の話題からそれとなく、しかし素早くシフト。


「あ、やっぱり分かる?」

「なんだ。シャンプーでも変えたのか?」

「んーん。変えたのはコンディショナーよ」

「納得」

「納得なのか? なんでリンスだけ変えてることに納得できるんだよ!」

「女の子は髪が命だからよ?」

「理由になってねぇ!」

「女の子だからよ?」

「理由が変わってねぇ!!」



 主要都市部を結ぶ幹線までの道程を歩く間、不毛なやり取りが続いた。


 広範囲自動補助移動道路(Range of Auto Inport Road Line)。通称レイルラインは路面いっぱいに敷き詰められた極小の超伝導ボールベアリンが僅かな重心の変化を鋭敏に感じ取り推進力へと変化させる物で、最高時速は個人差はあるが約八〇キロにも及ぶ新世代型道路として急速に普及し始めている。

 

 洞窟内に建国されたアガルタは内燃機関を用いた移動手段を多用する事ができない。ハニカム構造の区域を蟻の巣状に掘り下げられている為、必要な排煙装置を敷設するための莫大な予算を捻出できないのだ。ここからでは見えないが外周区に行けば、中途半端に施工された通気ダクトが幾つも工事中のまま放置されている。

 怪我の功名とでも言うべきだろうか。そのお陰で次世代型のクリーンな移動方式が確立されたのだから。


 内燃機関。つまりは自動車やバイクといった乗り物。それらが走行する道路とはもちろん別けられているので事故の心配は無用なのだが。


 しかしこれが中々に難しい。例えるなら初めて立ったスケートリンクだ。歩道際で転んでいる子供を見かける事も多々ある。高齢者の単独使用が禁止されるのや、速度リミッターの着用が義務付けられているのも納得の理由である。

 

 専用のゲートを通ってレイルラインに乗るのだが、簡単に説明すれば高速道路と同じシステムだ。ゲートからしか入れないし、降りられない。


 唯夏達が横一列に隊列を組んでゲートの入口に差し掛かると、向こうから歩いてきた二人の男と鉢合わせた。

 

 カーキ色の強い迷彩柄の上下。服の上からでも分かる分厚い筋肉の鎧をまとっている。誰がどう見ても軍人だ。


 筋骨隆々の筋張った身体に加えてキロリと睨むような目は、牙をむき出しにした獣じみた印象を与える。


「おいおい。魔狩人の特待生が居るじゃないか」


 印象にたがわず一人のアメリカ系男子が突っかかってくる。


「は。歩哨任務ご苦労様であります」


 笙冴の挨拶を合図に、ぴしりと背筋を正した敬礼が三人同時に行われた。


 アガルタ防衛学院の生徒はその性質上、軍部に属している為に生徒全員に擬似階級が付与される。高等科に進学した時点で二等陸士の階級が当てられ二年で一士に上げられる。

 卒業と同時に国軍特別任務隊に配属され、一般軍役の枠から除外れるのだが、いくら擬似階級とは言え軍部に属している以上は軍人である。上官への挨拶は絶対なのだ。


 だからといって軍部と仲がいいわけではない。むしろ、その逆。


 護国の盾と銘打った国軍が防戦一方を強いられている幻魔との戦いに突如として投入された年若き魔狩人達が破竹の勢いで戦果を挙げて行くのだ。中には大隊指揮権を持つ大佐クラスにまで階級を上げる猛者までいるのだから、上層部が面白く思わないのも当然の話だろう。


 上層部の魔狩人嫌いはやがて軍部内に伝播し、魔狩人イコール獅子身中の虫と言う図式が出来上がる。


 第二次カトブレパス大災厄時に結成された国軍西部方面第七二連隊。その方面総監ロンバート・バウマンが魔狩人養成機関の人材が著しい戦功を上げた際に辟易とした表情を浮かべながら、Better an open enemy than a false friend.(偽りの友よりも明らかな敵のほうがよい)と語ったのはこの界隈ではあまりにも有名だ。


 詰まる所。


「バーチャルゲームはもう終わったのかい?」


 と感に触る笑い声を上げながら嫌味を振りまいてくるわけだ。


 彼の言うバーチャルゲームがコクーンを使った擬似的戦闘訓練を指しているのは明確だったが、そんな言葉一つに癇癪を起こしていられるほど唯夏達が子供な理由も無い。ただ、笙冴だけが眉根を寄せて明白に不機嫌を顔に表している。


 彼らが軽い敬礼で返答を返すのを待って、ようやく敬礼を解きながら「は。本日の訓練工程は終了しました」と答えたのは翔子。


 学生である今は未だ、機会には恵まれないだろうが、幻魔討伐という同じ目標を掲げている以上、共同作戦ともなれば協力を惜しまないのもやぶさかでない。ではないのだが、妖精のような笑顔を振りまきながら、


「我々が本日も無事に訓練工程を終了することが出来るのは、ひとえに先輩方のたゆまぬ努力の賜物と心得ております。ですので、この温情は神に誓って卒業後に地上での戦果を持って応えささせていただきます」


 軍部の確執を突いた盛大な嫌味をぶちまけた。

 余程の馬鹿でもない限り、この嫌味の意味は『私たちが地上の驚異を何とかしてやるから、お前らは神様にでもお祈りしていろ』となり、脳筋代表の陸軍といえども連中の顔に青筋を浮かべるには十分な効果があった。


「聞いたかよ。サップ。このジャパニーは神様のお祈りは済んでるんだとよ!」

「聞いたぜ、ジャック。このジャパニーはガタガタと震えて命乞いする心の準備はオーケーだってんだろ?」

「ジャップも気の利いたジョークが言えるようになったじゃねーかよ。もちろんションベンも済ませて来ているんだろうな?」


 ジャックと呼ばれたアメリカ系が芋虫のように太い指で翔子の顎を持ち上げる。

 しかし、そんなことはなんら驚異にはなり得なかった。


「先輩は幻魔を見たことが…いえ、戦ったことがありますか?」


 毅然とした態度で、凛とした声が響く。


「ホワッツ? なんだって」

「私はあります。もっとも先輩の言うバーチャル(V)・リアリティ(R)・ゲームの中で、ですが」


 コクーン内の戦闘はもちろん現実ではない。それでもそこで行われる行為は本物だ。ソーマプログラムによって再生される物は何も映像だけではない。五感も精神も全て再現される。言わば、別の世界へ放り込まれるようなものだ。

 そこで相対するのは、死神の他にならない人類の仇敵。異形の瞳に見つめられれば、足が竦むほどの恐怖心に煽られ、一撃でも受ければプロテクターの上から絶望的な痛み与えられ泣き叫びたくなる。最悪、生きたまま喰われる。

 あれは本当に最悪だ。生命活動が危険領域に達すると痛みをシャットダウンするなんて親切設計はされていないのだから。瀕死だろうが何だろうが、死ぬまで戦わされるのだ。


 まともな神経なら一回の訓練で精神が壊れる。一種のショック症状なのだが、精神崩壊で病棟に運ばれる生徒も少なくない。そんな常軌を逸した訓練を何度も何度も繰り返し行なってきたのだ。今更、ただの軍人に詰め寄られたところで怯む脆弱な心など魔狩人候補生は持ち合わせていない。


「簡単に言わさせてもらいますと、ガタガタと震えて命乞いする心の準備はオーケーかって聞いています」


 青筋を浮かべたジャックの表情が怒りに歪み、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。

 怒りの沸点がどうやら低いらしく、ファックなんて品性の欠片もない言葉をがなり立てながら拳を振り上げた。


 振り下ろされた拳は過たず、翔子の可憐な面貌に打ち付けられる。――きっとジャックは確信に近い映像をそう幻視していたに違いない。


「敵対確認」


 その幻視が実現する数瞬前。矮躯が黒い髪を揺らしていた。

 地面を踏み抜く勢いで踏みしめた一歩はダンと音を響かせる。軸足を入れ替えながら、足と腰と背中の回転力を使って後ろ足を弾丸めいた速度で蹴り出す。


「あ。…唯、ダメッ」


 逆巻く風がすだれスカートのヒダを捲り上げ、そこから伸びる艶やかな太腿が跳ね上がる。その奥には穢れ知らずの男子禁制。純白の楽園。


 翔子の叫びが唯夏の耳朶を打ち、サップの視界が桃源郷を捉え口笛を鳴らした時には唯夏の放ったハイキックがジャックの横顎を抉っていた。


「ガァッ!」


 ジャックの上体が傾ぐのと唯夏の蹴り足が引き戻され、ピタリと上げたままの膝が胸の前で停止するのは同時だったが、そこには決定的な差が生まれている。


 決定的な差。それは体勢が崩れているジャックに対して唯夏は依然、戦闘体勢を崩していないと言うこと。


 彼がたたらを踏んで上体の維持を保っている間にはもう軽やかに地を蹴り、飛びつき腕十字の形が完成する。

 軍人が使う武術にはルールなどない。ただひたすらに効率的に敵を素早く無力化させるだけのものだ。魔狩人候補生とて例外ではない。


 形だけならば、このまま倒れて飛びつき腕十字が決まる。だが、そんな制圧術は使わない。


 唯夏は飛びついた勢いを利用して上体を引き上げ、太腿と脹脛で相手の首をホールドした。

 前面から首絞めオプション付きの肩車をしている嬉し恥ずかしのハードSM状態だ。

 

 表情に僅かな紅が挿した。


「Wha……!?」

「っぅん。……開口禁止。排除開始」


 敵は速やかに排除するべし。


 眼下の敵の頭頂部に肘鉄を打ち下ろし、一気に身体を捻る。

 唯夏の感覚が正しければ、人体に多大な影響を与えるギリギリまでその首は捩られている。


「イギィッ!!」


 グキリと壊滅的な音を鳴らしながら、低い呻き声を漏らして崩れ落ちる。

 自然と彼をホールドした唯夏の体も重力に従って落下を開始。結果、ジャックは後頭部とホールドされた頚椎に破滅的な衝撃を受けて昏倒した。


 対幻魔に置いて対人武術などクソの役にも立たない。実技項目に徒手空拳が無い訳ではないが、特に力の入れられている授業ではない。そもそも、ソーマプログラムによって能力全般の底上げが図られているチート人間が対人戦闘の訓練を行う必要性がないのだ。


 ついでに骨の数本も折ってやろうかと思ったが、表面上の上官である。あまり軍部に深入りしない方がいい、と思い直し止めておくことにした。


「うわぁ…。夜叉車よ。アレ」

「えげつねぇな。……見ろよアイツ。泡吹いて痙攣してやがるぞ。ありゃ。もう、軍人としてジャンクかもしれねぇ」

「唯夏の体重じゃなきゃ死んでるわね」

「想像したくねーな。なんにせよ、お気の毒様だな」

「お気の毒? 冗談でしょ。むしろ幸せを味わって逝った筈よ。私もあの脚に挟まれたいわ。でも、唯。やりすぎよ」

「お、おま。百合なのか?」


 冷たい眼光で笙冴を一瞥したあと、可及的速やかにお引き取り願うプランが台無しになったと翔子が首を振りながら手を差し伸べてきた。

 スカートをはたきながら手を取って立ち上がり、動揺の表情に包まれたワック陸士を正面から見据える。

 元アメリカ国籍の軍人はどうも自分たちの人種が一番優れていると思っている節がある。こんな穴蔵での生活を強いられる前までは事実そうだっただろう。それが当然なことだと笑うことは簡単だが、もう少し控えめな態度を取って欲しいものだ。そうすれば、ジャック陸士も冷たい地面とトモダチに成らずに済んだかもしれない。


「笙冴。卑猥」

「アイツを睨みながら俺を貶すのやめてくんねぇかな! ついでに言うとヒワイなのは翔子の方だからな。会話ちゃんと聞いてたか!?」


「お、お前ら。なんということをしてくれたんだ! 軍法会議ものだぞ!!」


 突然、我に帰ったサップが今度は気でも違ったように叫び始めた。

 対して三人の態度は冷えたものだ。


「軍法会議だぁ? 状況が飲み込めてないようだから、言っておくがよ…あん?」


 笙冴を片手で制して一歩、歩み出る翔子はふうと短い吐息を漏らしてからサップを見つめた。


「ジャック陸士の取った行動を正当防衛の対象と見なし、アガルタ防衛学院校則第一八条六項の適応を申請いたします。我々の本日の訓練工程は既に終了していますが、本来の軍務時間はまだ過ぎておりませんので棄却される可能性は限りなくゼロに近いです」


 そこで一旦、息継ぎを置いて泡を吹いたジャックを見やりながら更に続けた。


「こちらの過剰防衛は認めざるを得ませんが、幸いにもジャック陸士の命に関わる重大な怪我はなく半刻もあれば意識が回復すると思われます。本件にて校則を使われて困るのはそちら側です。ここはひとつ、『サップ陸士は歩哨任務に置いて一切の異常は発見していなかったが、同僚のジャック陸士は体調の不良を訴え先に士官寮に戻った』と、穏便に済ます気はないでしょうか?」


 国立研究機構アガルタ防衛学院――校則第一八条六項。本項はアガルタ憲法に基づき本学院に在籍する全生徒は学院内外に置いて自らが敵と定めた明確な脅威に対して、事の顛末の一切を明らかにする事を条件に無警告で対象の鎮圧を許可する。

 国お抱えの武装兵力と言う点では国軍も国立研究機構も同じではあるが、目的と優先度合いが違う。そもそも敵対する国が無いのに軍を持つことがおかしいのだ。治安維持を掲げるならば警察で物足りる。荒事専門の魔狩人に対して国軍とは有事の際の保険だ。保険が事故を起こすなど馬鹿げた話が有るわけない。必然と優先度は研究機構の方が高くなる。これは国立私立を問わず法律として決定されている。未来を守る貴重な人材を些事で失うわけにはいかないのだから。


 わなわなと唇と拳を震わせたサップ陸士だが、その事実を受け止めてこその憤慨なのだろう。なにせ、彼は元アメリカ国籍の軍人である。誇り高い人種なのだ。


「……ッ。

『私は歩哨勤務に置いて一切の異常は発見していませんが、同僚のジャック一等陸士は体調の不良を訴え先に士官寮に戻りました』

 ――これで満足か!」

「感謝致します」


 ジャックを脇に抱えて去っていくサップの背中が見えなくなるまで三人は敬礼を続けていた。






「だから、ああ言う手合いは適当に言いくるめてポイしちゃえばいいのよ」


 現在。唯夏たち三名は岩木屋の四人掛けテーブル窓際を陣取っている。窓際をひとりで占拠した唯夏の向かいに翔子と笙冴が座っている。

 レイルラインを降りて都市部に入ると真っ先にこの店に向かったのだ。

 そしてメニューと睨めっこしている唯夏に対して翔子が先程の行動を咎めているところだった。


 勘弁して欲しい。移動中ずっとお説教だ。

 笙冴の助け舟はぴしゃりと一蹴され、それ以降は気の毒そうな顔を向けてくるだけだった。


「何故? 敵対、明確。排除理由、充分」

「軍部と揉めたら色々と大変なのよ。それでなくてもウチらの教官は軍部と学院に板挟みにされてるのに…」

「ミッシェルちゃんをしがない中管理職のオヤジみたいに言うなよ」

「教官。迷惑? …反省」


 昔、ネコとネズミのアニメを見たことを思い出す。主に短足胴長のネコがネズミを追い掛け回しているアニメだった。そんなに仲が悪いなら一緒に住まなければいいとよく思ったものだが、今の軍部の状況も似たようなものだろう。

 今回の一件が軍部の耳に届けばミシェルへの圧力が強まり軍内部では一層に肩身の狭い思いをさせてしまう事になるだろう。それは少し不憫な気がしないでもない。


「向こうだってまだ軍学生だったし、あれだけ釘を刺しておけば大事にはならいと思うけど…。唯はもうちょっと慎重になるべきよ」


 そもそも軍学生の陸士に軍法会議を起こせる権限はないと思うのだがそれは口に出さないことにした。


 翔子はどちらかといえば面倒見のいいお姉さんタイプの人間である。それにしても彼女は少々、唯夏のことを子供扱いしすぎな所がある。それがどうにもむず痒いのだ。


 そんな不満をおくびにも出さず呼び出しボタンを押し込む。店内に澄んだ呼び鈴の音が響き、間も無くやって来たのはご丁寧にヘッドドレスまで着けたメイド風のウェイトレスだ。


「お待たせいたしました」


 どこか機械的な営業スマイルを貼り付けた細身のウェイトレスが丁寧なお辞儀をする。


「ブルーマウンテン。それから苺のタルト」

「私はメイプルシロップとマロンのデリシャスミックスパン生クリーム仕立て。それとアールグレイにするわ」


 メニューを見ることもなく注文を決めていく二人を横目に唯夏は新製品のチェックから始まり本日のオススメメニューまでじっくりと吟味して、わずかだが口角を釣り上げた。


「メイプルシロップとマロンのデリシャスミックスパン生クリーム仕立て。アップルパイ。モンブランケーキ。アフタヌーンティー。ベリー三種のミックスアイス」

「食いすぎじゃね? 太るぞ」

「唯はもうちょっと太ったほうが絶対に可愛いわ」

「心配無用。笙冴、財布。軽量化、貢献」

「無駄な気遣い痛み入るよ! 本当に!」

「そう。じゃあ、私ももうちょっと頼もうかしら」

「っざけんじゃねぇー」


 くだらないやりとりにくすりと笑うこともなく「かしこまりました」と頷き、電子伝票に打ち込むわけでもなく、メモを取ったわけでもないウェイトレスが行儀の良い一礼をして下がっていく。


「すげーな。今の全部覚えていったのかな?」


 カウンターの奥へと消えていくウェイトレスを見送りながら笙冴がぼやく。


「当然でしょう。あれ、バイオロイド(有機人工生命体)よ。それも新型の先月、ウチの基地に配備されたのと同じ型のやつ」

「そうなのか…道理で」

「道理でって。……普通、こんな個人経営の喫茶店の収入で購入できるほど安価な物じゃないわ。宝くじでも当たったのかしら」


 翔子が店内を見渡す。照明を少し落とした空間は明るすぎず落ち着いた雰囲気を醸し出している。調度品もアンティークな物が多くどこか懐かしさを感じるノスタルジックな空間に仕上がっていたが、学校帰りの学生や営業途中のサラリーマンたちが疎らに席についている程度で空いているテーブルもあちこちにあるのが見て取れる。

 書き入れ時でもないこの時間でそれなりの集客率だとは思うが、一介の個人経営喫茶店の収入で購入に踏み切れる値段では到底ない。翔子の言うとおり宝くじが当たったか、よほど美味い副収入でもあるのだろう。


「そんな大枚叩いてまで、必要なものなのか? アンドロイドってのは」

「さぁね。私には分からないわ。ただアンドロイドとバイオロイドは少し違うわ。アレはセクサロイドとしても優秀らしいわよ」

「セクサ…って、おい」


 笙冴の顔が茹だったように赤くなる。


「何、想像してるのよ。変態!」

「お前の安易な発言のせいだろ!」


 彼が何を想像したのか、言うまでもあるまい。そう、子供の出来ない子作りだ。

 それを理解した途端、翔子の顔もまた同様に朱に染まっていく。


「笙冴、変態。(確信)」

「括弧つけて確信してんじゃねぇ。俺は至ってノーマルだ」

「ノーマルですって? 有り得ないわ。バイオロイドをイヤラシイ目で見ていたくせに」

「肯定」

「イヤラシイ目なんていつしたよ? お前ら、なんか俺に恨みでもあるのか。むしろ異常性癖なのは翔子の方だろ。唯夏は色々とアレだよな。うん」

「私のどこが異常性癖ですって?」

「さっき、唯夏の脚に挟まれたいとか言ってなかったか」

「当然でしょう」


「お待たせいたしました」

「「空気読め、セクサロイド!」」

「……? 申し訳ございません。お客様」


 空気読めとはこの二人にこそ相応しいと思うが、我関せずと自分の仕事をまっとうするバイオロイドは流石である。いや、実際に無関係なのだが。

 真偽不明のままセクサロイドされてしまったのは可哀想だ。少なくても今はただのメイドロイドだと言うのに。


 それにしても、彼女がセクサロイドなら国立研究機構の国軍基地に配備されたバイオロイドはなんなのだろうか。


 テーブルに並べられたスイーツは圧巻であった。

 特に唯夏の前に鎮座するそれらはなんというか酷いの一言だ。


 甘党である。

 甘甘の激甘である。

 それはもう、見ただけで胸焼けを起こしそうな甘味のオンパレードにご満悦の表情である。普段が無表情だけにとろとろに弛みまくったその顔は目を疑いたくなるほどだ。

 到底、唯夏の小柄な体に収まる量には思えない。


 その糖類の塊にフォークを突き立て、口へと運ぶ。


 運ぶ。


 運ぶ。


 黙々と単調な作業を繰り返すライン製造業の従業員の如く淡々と繰り返し、咀嚼し、嚥下する。時折、思い出したようにミルクティーに口を付けては喉を潤し、咀嚼作業を再開する。

 その様子を二人は唖然と見守っていた。


 半ば強引に笙冴に会計を支払わせて、店を後にする。

 次に向かったのは大型ショッピングモールだ。翔子が鼻息を荒げて着せ替え人形よろしくと様々な服を試着させては、うんざりした表情の唯夏に「可愛い」だの「もう、嫁。決定」だのとまくし立てたり、無理やりランジェリーショップに連れ込まれそうになった笙冴が近くのアミューズメントストアに逃げ込んだりしていた。


 一行がアガルタのメインストリートに再び立ったのは一九時を過ぎた頃だった。

 視界のあちこちで飲み屋の提灯に灯が灯り始めている。

 見上げれば、満点の星空と延々と続く街路灯。その光を簡単に凌駕するネオン街を行き交う人々。

 両親に手を引かれて幸せそうに微笑む子供。ひとつのマフラーを互いの首に巻き、肩を寄せ合って歩く恋人。家路へと急ぐスーツ姿のサラリーマン。……様々な思いが交錯する巨大都市は闇の帳が濃くなるにつれて賑わいを増し、やがて夜光虫を集める光源の様に眠らない街へと変貌していく。


「そろそろ、帰らないと寮長に怒られちゃうわね」


左手首のSIMをちらりと見やり翔子が言う。

届出がない場合の外出は門限が二一時と決まっている。

今から帰れば、余裕を持って門限に間に合う時間である。


「俺。夕食の注文チェック外し忘れたから、既に激おこかもしんねぇ」


 と答えた笙冴はがくりとうな垂れ、帰路の足取りが重い様だ。


「一週間皿洗いだね。お疲れ」

「勘弁だわ」

「自業自得」


 ゲームセンターに逃げ込んだ笙冴が無駄な才能を発揮してクレーンゲームで獲得したアガルタのマスコットキャラクターの『ガルたん』のヌイグルを腕に抱えた唯夏が一蹴した。

 ハルピュイアを擬人化させた様な愛らしいマスコットの翼を弄る。なかなか気に入っていた。


「さて、じゃあ。帰るか」

「ええ」

「賛同」


 三人がレイルラインの方角へ足を向ける。そして歩きだそうとした時、同時に全員のSIMが強制展開された。

 展開された画面にはシークレットの文字、つまり秘匿回線の使用。他人からは決して覗かれることのない専用回線である。それが一斉送信で送られてきたのだ。


[緊急入電。国立研究機構アガルタ防衛学院特別訓練生 霧島唯夏。同、磯城笙冴。七海翔子に通達。本日未明アガルタ第五四層地下整備フロアにて幻魔を確認。目標は整備フロア内を北上中。予定では八〇二二(ハチマルフタフタ)に都市部周辺に到達する]


 聞きなれた声は教育担当官であるミシェルのものだった。


「国内に幻魔が? それって…」

「おいおいおい。ドッキリじゃねーよな?」


 口々に開かれるのは動揺。


[そちらの位置情報は既に把握している。現在、国軍の一部が急行中だ。合流地点を転送する。部隊が到着するまでの間、国民を最寄りの指定待避所に避難させろ。これは訓練ではないぞ!]

 

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