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デスパレード・アタック


      3



 メインストリートを駆け抜ける唯夏に対して翔子が遠距離狙撃により援護しキマイラを抑え込む。唯夏と翔子によって際限なく打ち込まれる弾丸の雨に怯んだキマイラの隙を突いて、唯夏が二度目のバンガーを撃発させた。必殺必中の間合いから放たれた爆速のバンガーは狙いを過たずキマイラの獅子の顔を貫き、大地を揺るがす絶叫を響き渡らせた。


 だが、それが決め手になることは無かった。


「■■■■■■■■―――――■■■■■■■■ 」


 阿鼻叫喚。悲痛の三重奏と大量の血液をぶちまけながら、深々と突き刺さった杭を信じられない事に自ら引き抜くと後肢の二脚で立ち上がり、弓なりに体躯を反らしてメインストリートを俯瞰する摩天楼へと投擲のモーションを執行。


 投擲の直前、キマイラの太い腕が更に大きく膨れ上がった。まがりなりにもそれが投擲だと気づいた時にはすべてが遅く、射出装置から撃ち出されたが如く砲弾と化した杭が放たれた。


 距離にして二〇〇メートル超。乾坤一擲に放たれた杭は本来の威力に十二分以上の破壊力を与えて翔子の足元僅か数十センチ下の壁面を爆散せしめた。屋上の床が抜けて階下へと叩き落とされ、その上に瓦解した瓦礫が容赦なく降り注ぐ。


「ちょっ…嘘でしょ!?」


 二〇〇メートル。訓練された兵士が構えた狙撃銃をスコープ越しに覗けば、そう大した距離ではない。手練とも成れば、強風の中でも必中させ得るだろう。


 問題なのは、幻魔がそれをやってのけた事だ。米粒ほどの大きさにしか見えない人間を槍投げで倒す。そんな馬鹿げた事をただの一撃で成功させるなど冗談にも程がある。ともなれば彼女の動揺も必然だ。一番安全圏だと思っていたのだから。


「翔子!」

「…大丈夫。生きてる。けど、ごめん。動けそうにないかも」


 どうやら無事らしく、安堵に胸をなで下ろす。


 高強度プロテクターのお陰で致命傷は避けたものの、鉄筋コンクリの塊の下敷きとなり敢え無く行動不能に陥ったらしい。


 力押しのカウンタースナイプを成功させた凶獣は獅子顔の半分と胸部を貫かれ、足元に血の池を溜めて荒い息を吐きながら振り返る。その目には獰猛な殺意に濡れていた。


「翔子! クソ。やられたのか!?」


 舌打ち混じりに笙冴が叫ぶ。


「心配いらないわ。このくらい自力で何とかするから。それより、もうすぐ唯が合流するわ。そっちのが頼むわよ」

「っち。仕方ねぇから頼まれてやる。サクッと終わらして助けに行ってやんよ」

「そう…あまり、期待しないで待っているわ」


 かくして二度目の逃走劇が始まる。

 狙撃手を封殺され拍車が掛かった猛追から必死に逃げる。

 逃げる少女と追う魔獣。美女と野獣の構図にしてはちっとも笑えやしない。


 果たして笙冴が構えるEブロックに辿り着く。峡谷さながらに聳え立ち、どこか閉鎖的な雰囲気を醸していた街道が開け、視界一面を緑一色で覆い隠さんとした芝生が顔を覗かせた。


「唯夏。広場に入るまでに出来るだけ距離を取れ!」


 確保された広場を目前に笙冴から通信が入る。

 唯夏が戦略的撤退の姿勢を取ってから既に十数分が経過している。どんなに鍛えたところで人間である以上、そんなに長く全力疾走出来る者など居ない。


 文字通り命懸けの逃走劇。今は返事をするだけでも惜しい。


「…ッ。了解」


 吐き出すように小さく返信する。だと言うのに、それだけで心臓が口から脱げ出していきそうになる。止めろ。これ以上走らせるな。お前が走るのを止めないのなら、こっちが体から出て行ってやると抗議しているようだ。全身が寄って集って酸素を寄越せと叫んでくる。小さな肺から酸素を毟り取り、奪われた肺は新たな酸素を求めて喘ぐ悪循環。だが、肉体に置ける苦痛など今は関係なかった。


 マガジンポーチからスペアを取り出し換装。素早くボトルリリースし初弾を薬室に叩き込む。片手で牽制射撃しつつ三本目。最後のバンガーを引き抜く。


 照準器を覗くことなく後ろ手に乱射する銃撃に命中率など望むべくも無かったが、少なくとも走りながらバンカーを抜くだけの余裕は生まれた。しかしこれが、このバンガーが泣いても笑っても最後の切り札だった。


 大路から脇路に逸れて、細い路地を選択しながら走り抜ける。塀を越え、はたまた塀の上を走り、地下駐車場を抜け、ビル群の隙間を縫って追跡者を突き放す。


 目前に迫った広場から随分と遠回りをした事が奏功してか、距離を一〇メートルばかりか空ける事に成功。


そして、東京砂漠に咲いたオアシスにキマイラが足を踏み入れた途端、爆音が空気を震わせた。


「っしゃあ! ドンピシャだぜ!」


 笙冴の仕掛けた遠隔操作型地雷がキマイラの脚を吹き飛ばし、その巨体が地面をこするや、激震が走り大地が大きく揺れる。


 爆音に爆炎と爆風を引っ提げてハードランディングしてくるキマイラ。その衝撃はそう簡単に相殺できものではない。


 石礫と土塊が背中をパラパラと叩き、すぐ背後で停止。

 四肢を失って、それでも混沌と憎悪に曇らせた瞳は暗く揺らぎ、吼える。逆巻く風と生き物特有の獣臭い息が唯夏の背中を叩く。


「唯夏! 脚だ。脚を徹底的に狙え!」


 茂み伏して待ち伏せていた笙冴が飛び出しざまにフルオート掃射で迎撃。傷口から侵入した銃弾がキマイラの体内を駆け巡り、水銀を流し込む。


「再生させる時間を与えるな!」


 襲い来る土砂と断末魔に顔を覆っていた唯夏がはっとして加勢する。バンガーを持った左手の親指と人差、中指の三本だけでフォアグリップを握り、笙冴に対して直角の位置に回り込むと同様にフルオート射撃。五・五六×四六ミリ水銀徹甲弾の容赦ない十字砲火が襲い掛かり、その肉を穿ち、削り、蹂躙していく。


 元々、高火力にパッケージを置く笙冴の武装は通常マガジンケースを収納するためのジャケットポーチすら惜しんで『TNT』や『C4』と言った爆薬類の携行に割いている。


 先程の地雷の威力から見ても相当量の爆薬を使用している筈である。その為か、笙冴と唯夏が弾切れを起こすのは同時だった。


 真鍮色の空薬莢が二人の足元を金属質な色合いに染め上げる頃にはようやく膝を屈し、地を這う凶獣の姿が拝めた。


「コイツで看板だ!」


 パッケージ・ストライカー。デスパレードバンガー。笙冴背の背負った杭は、唯夏のそれと比べて悠に三倍の質量を誇る巨大な物だった。長さでは無く直径で。


 先端部から沿うように格納された三脚(トライポッド)を展開させ地面に固定させる。


「喰らいやがれぇッ!」


 根底のスイッチガードを跳ね上げるトグル式――ミサイルスイッチを押し込む。伝達された信号が雷管を叩き、乾いた炸裂音を響かせながら、狂ったようにバンカーを押し出す。


 唯夏の放ったバンガーを銀閃の槍と喩えるなら、笙冴の放ったそれは鉄鎚である。自身の腕程の太さもある薬莢と呼ぶには巨大すぎる薬室からもたらされる途方もないエネルギーを受けて押し出された杭が空間を切り裂かんばかりの大音響を奏でた。


「■■■■■■■■―――――■■■■■■■■」


 ガラン。とドラム缶でも転がしたのかと思う音を立てて巨大な薬莢が落ちる。


 凄まじい速度で死んで行く。それは間違えようがない。しかし同時に超常的な速度で再生し続ける。肉が爆ぜ、血が溢れ、細胞が死んで行く。骨が軋み、血管が脈動し、肉体を再構築する。


 生と死が同居した肉体の中で血泡を噴いて大地を揺るがす咆哮が響く。

 巨大な杭のおおよそ、その全容を体内に収めた悪夢の体現者が今ここで悪夢を顕現させている。


 かつて世界を滅ぼした災禍。その災厄は三つの絶望で人類を飲み込んだ。

 一つは単純に強すぎる力。その膂力の前に矮小な人間など紙切れのように引き裂かれてしまう。二つめは強靭な肉体。対戦車ライフルでもその体躯を貫くことは叶わず。ミサイル爆撃を以てしても必殺には至らなかった。


 絶望がこの二つに留まっていれば人類もまだ希望を捨てずに地下に潜ることなく、地上で戦っていたと言われているのだが。


 三つめの絶望に人類は膝を屈したのだ。どのような致命傷を与えても数瞬で肉体の再生が始まり、再び襲いかかってくる。


 首を切り落としても死なず。心臓を刺しても死なず。脳を貫いても死なず。


 奴らを殺そうと思うなら一息に、脳。心臓。躯。全てを殺さなければならなかった。


 しかしパッケージ・ストライカー。

 デスパレードバンガー(生き急ぐ愚者の行進)はそれだけに留まらない。着弾から数秒の時を経て、六〇〇〇本の刺を爆散させる。その上、刺の一本一本が励起し総電圧数千万の雷撃を引き起こす。


 水銀を流し込まれた肉体を超電圧が駆け巡り、肉体という肉体。細胞という細胞を焼き焦がす。


 電撃は表皮を突き抜け、蒼白い火花を空中に弾け散らす。全身に余すところなく死を叩きつけられた目標は完全に沈黙。


「っしゃあらぁ。余裕だぜ!」


 赤褐色の肌をした獅子にも似た巨躯が横たわっていた。その羊頭の捩れた角に足を掛けながら大仰に拳を掲げる笙冴。その隣に移動しながらホルスターから拳銃を抜き、小さく構える。


「油断大敵」

「火がボーボーってか? ったく、心配性だな。唯夏は」


 乾いた発砲音が二発。弾丸が弾かれない傷口に打ち込み、


「殲滅確認」


 髪を掻き上げながら死亡確認(デッドカウント)を笙冴が横目に見やる。


「な。掃討完了だろ。帰って飯でも食いに行こうぜ」

「…確認。重要」

「確認。あー確認ね。そういや翔子の奴も救助もしねぇとな」


 拳銃を戻しながら半眼を作り、あっけらかんとする少年を睨む。


「ちょっと。ついで見たいな言い方止めてくれるかしら?」


 翔子の物言いに素知らぬ顔で口笛を吹く笙冴。その視界の端で何かが蠢いた。


「笙冴! 回避!」


 失念していたとは言え、一抹の不安が全身を支配する前に動けたことは僥倖だった。肩から体当たり、笙冴を突き飛ばした直後に唯夏の体を奇妙な浮遊感が襲う。

 

 見れば丸太のように太い蛇の胴体が巻き付き、締め上げていた。


「…ッ!」


 運良く、胸部プロテクターと胴体との間に自動小銃が挟まってくれたおかげで、肺圧迫による窒息だけは免れた。しかし徐々に圧力を増すそれは万力さながらに唯夏の躰を締め上げてキリキリと骨を軋ませ、自動小銃がひしゃげ始める。思わず苦悶の表情を洩らす。


「唯夏!」


 眼窩には突き飛ばされたままの姿勢で驚愕の表情を貼り付けて叫ぶ笙冴。眼前には不気味な舌をチロチロと出し入れして死を誘う鎌首を(もた)げた蛇。


 どうにも身体を捕らわれた際にバンガーをどこかに吹き飛ばされてしまったのか、左手に握っていたバンガーが消えていた。視線を泳がせて見れば未だ横たわる巨体の傍ら、地面に突き刺さっているのが見えた。


 狼狽気味の笙冴に視線を配らせるが、どうやら彼の位置からではバンガーを確認できないらしく、小さく首を横に振る。


 ホントに使えないと思う。窮地にこそ冷静であれと普段、教官が口を酸っぱくして言っているのに。帰ったら岩木屋の『メイプルシロップとマロンのデリシャスミックスパン生クリーム仕立て』を本気で奢らせよう。


 飛びそうになる意識の隅にでそう決意しながら、肘から下の僅かに自由が効く腕で軍靴に着けられたプルダウン式のホルダーからコンバットナイフを引き抜き、胴体へと突き込む。


 内蔵された高周波振動増幅器が筋肉のブレを鋭敏に感じ取り刀身に超高速振動を伝播させる。鈍くブラッククロームの輝きを放つ肉厚の刃がいまや斬鉄剣と化す。


 それでも強固な表皮に有鱗目特有の鱗を強化外装させた皮膚を貫くことは容易ではなかった。対幻魔に殺傷力の期待できない武器だ。刀身の半分も埋められれば上出来だろう。事実、それでほんの僅かだが拘束が緩んだ。


 それで充分。縄抜けよろしくするりと身を滑らせ着地する。


 左手にナイフを持ち替え、逆手に構えながら再び拳銃を抜く。肘をコンパクトに折り、互の手の甲を合わせて近接戦闘の構えを取る。


 照門(リアサイト)(フロント)(サイト)を視線の一直線上に宛てながらじりじりと後退する。射線の先に視線を絡め、不意に違和感が襲う。


「……?」


 残弾数に不安が残る。一三発詰めの弾倉に加えて初弾装填で稼いだ一発の拳銃は先程二発撃って残り一二発。それにスペアマガジンが二つの計三八発。


 窮地を救った高周波振動デバイスを仕込んだ相棒を勘定に入れても心許無さ過ぎる火力。今攻撃されれば成す術なく、それこそ打ち捨てられたボロ雑巾のように不様を晒すことになるだろう。


 だと言うのに、


「襲って来ねぇな」


 同じように近接戦闘の構えを取った笙冴が軽く肩を叩き、生存ラインまで戻ってきたことを伝える。


「不可解」

「だな。……再生しているようにも見えねぇ」

「残弾薬」

「さっき言った通り、看板だ。いま残っている弾倉で最後だ。残りは液体爆薬とココアが少しと言ったところだ。そっちはどうだ?」


「予備弾倉。二つ」


 戦況は最悪過ぎてため息も出てこない。

 考えろ。思考を止めるな。獅子があの巨躯で羊が司令塔なら、蛇はなんだ? もしあれが毒蛇ならば最初の一撃で事が足りているはずだ。なぜ再生しない。なぜ襲ってこない。


 目まぐるしい思考で脳が焼け付きそうだ。その反面で体は冷静に敵を見据える。


 守っている? 一体何を――自身の身体に決まっている。


 なぜ守る必要があるというのだろうか。不死の恩恵を受けた存在でありながら、何を。


「不死?」

「唯夏? どうした」


 視線だけを寄越した笙冴が怪訝そうな顔をした。


「再生…蛇…不死」


 いくつか引っかかる疑問をぶつぶつとこぼす。そしてはっと気付いた。

 決して有り得ないとは言えない。だが、果たして有り得るのだろうか。そう思わずには居られない。至った答えは余りにも馬鹿げている。


「……脱皮?」


 口に出してみてもまるで現実味が湧かない。蛇が脱皮を繰り返すのは周知の事実だ。神話では最初の不死の象徴として崇められている。それはいい。では、あの魔獣はどう説明すると言うのだ。


 唯夏が思考の海に沈む。導き出した答えは稚拙にも程が過ぎる。もう一度問題の根底から再構成が必要だと思うった矢先に突如。


 キマイラの背に亀裂が入る。それがメリメリと音を立てて縦に広がり、大きく割れた。


 開かれた裂け目から零れ落ちる半透明な液体は粘性を含んでいるのか、糸を引きながら地面へと垂れ流れて水溜りを造る。


 ツンと鼻をつく悪臭が辺りを覆った。


「おぇ。なんだこの臭い……ってかアレ、脱皮してるのか?」


 隙間なく構えながらも不快感を与える異臭に顔を顰めた笙冴を横目に武装を解除する。


「好機。到来」

「好機? まぁ、確かに今なら攻め込めそうだが」

「爆薬。拝借」


 返答も待たずにウエストポーチへと腕を突っ込んで物色を始める。


「え? おい。ちょ、唯夏?」


 困惑する持ち主を尻目に取り出した爆薬筒をそれぞれの手に持つと、


「援護。要求」


 キマイラへと向けて走り出す。

 手にしたのはココアと液体爆薬。

 ココアとは飲み物のソレの事ではない。焦げ茶色の粉末で水に溶かすと甘ったるい匂いを発生させる事からそう呼ばれているが、一キログラムもあれば五〇メートルプールの水を全て蒸発させる事も可能な熱量と長時間燃焼を有する危険な代物だ。


 ずるりと音を立てながら空気と混ざり合って半ば白濁した体液に濡らしながら、巨体を産み落とす。


「■■■■■■■■―――――■■■■■■■■」


 新たなる生命の誕生の喜びに嘶く幻魔の雄叫びが響き渡る。

 その尊顔を祝福する為に健気に馳せ参じた――という訳ではない。

 片手に携えた薬筒のキャップを開け、充填された液体爆薬を叩きつける。エタノール系燃料が主体の液体が飛沫状に飛び散って付着する。


 矢継ぎ早に放たれたのがココアパウダーの入った筒。粒子状の粉末が空気中に散布され、残った空筒が表皮に当たり軽い音を立てて落ちる。


 ココアが肺に入るのを防ぐため息を止めながら幻魔の脇を通り抜け、バンガーを回収して離脱。


「笙冴!」

「おおっ。消し飛べや!」


 巨体を挟んだ対岸で笙冴が拳銃を構えた。

 放たれた銃弾によって停滞したココアが灼熱の豪炎を立ち昇らせ、液体燃料が一瞬で気化。次々と火炎伝播し燃え広がっていく炎が気化燃料爆発を誘発させた。


 転瞬。世界が紅蓮に呑まれた。

 音と光の世界の中、素早く敵に横に回し込んだ先に居た笙冴が視線だけで合図を送ってきた。それに頷き挟撃を仕掛ける。


 残弾もなくスライドストップした拳銃を投げ捨ててナイフを構える彼を殴殺せんと振り下ろされる巨腕。すんでの所を危なげなく回避する笙冴。


 彼に(かま)けている間に心臓に狙いを定める。今度こそ必殺必中の間合いである。


 グリップを捻る。薬室の砕ける感触が手に伝わり、過たず心臓を貫いた――そう幻視しかけた瞬間。


 キマイラの意識が不意に唯夏へと向けられた。

 やばい。と固唾を飲み掛け、


「浮気してんじゃねぇッ!」


 笙冴の放ったナイフがキマイラの喉元を抉った。


「■■■■■■■■―――――■■■■■■■■」


 裂帛の怒号と共に硬直状態にあった体を薙ぐ。錐揉み、五メートル近く吹き飛ばされた笙冴の体が激しく地面に叩きつけられる。


「――ッ」


 下唇を噛み締めながら、唯夏はバンガーを放った。






 十分後。

 唯夏は宵闇に煙る炎の中に立ちすくみ、煌々と燃える火の粉に打たれていた。


 周囲の空気が一瞬の内に燃やされた結果、酸素欠乏に陥る。意識の手綱を奇跡的にも手放していなかったが、それも長くは続かないだろう。


 辺りには二つの影が転がっている。

 砕け散ったプロテクターの破片の向こうに打ち捨てられた人形のように転がって仰臥している笙冴。


 反対方向で燃え盛る焔の熱い抱擁を受けた幻魔。


 脱皮した後のキマイラはその弱点を完全に露呈する形となった。


 生まれたて(、、、、、)の皮膚は硬質化しておらず、超高温の火焔に炙られ重度の火傷を永続的に負わされ続ける。


 再生力を上回った火力は徐々にキマイラの体内を侵蝕し、煉獄の檻に閉じ込めた。


 なまじ再生力が強い分だけに地獄の苦しみを味わい、がむしゃらに暴れ続けるだけのキマイラを狙うのはそう難しい話ではなかった。それなり以上の犠牲を払ってしまったが。


 低い唸り声はどこか弱々しく、凶獣から初めて怯えにも似た感情が漏れた。それでもその眼には未だ憎悪に燃える闘志が宿っている。


 ありったけの水銀弾を打ち込まれ、更に都合三度もバンガーに身を裂かれて尚、絶命に至らなかった脅威。


 その化物にようやく終止符を打つことが出来る。

 意識は朦朧として視界も定まらない。

 もう眠らせろと体が訴えてくる。


 思考も儘ならず体も言うことを聞いてくれない。魂だけが眼前の敵を討てとかまびすしく叫んでいる。


 泥水に浸かったように重たい体を引きずってキマイラの前に立つと、緩慢な動作でコンバットナイフと引き抜く。


 照らされたブラッククロームの刀身が鈍い輝きを放ち閃いた。





                †





「……がぁぁ! 死んだぁ!」


 なんとも情けない死亡報告を宣言した磯城笙冴がコクーンから飛び出してきた。


「正面から突撃すれば負けるに決まっているわよ。ショウゴのは自殺よ。自殺」


 そう言って隣のコクーンから開閉ハッチを開け、上体を覗かせたのは七海翔子。サイドアップに括った髪は、月明かりを受けた淡い金色。笑えば可愛らしい印象を与える顔立ちだが、黒紫の瞳は路傍の石でも見やる様な冷ややかな眼差しを向けていた。


「お前だって死んでんじゃねーかよ」

「私は瓦礫に塞がれて動けなくなっただけよ!」

「リアルなら死んでるつぅの。それにあの状況で唯夏にバンガーを撃たせる為の決死の覚悟だ。名誉ある戦死だ」


「あの時、唯はまだ撃ってなかった。距離を取って仕掛け直すべきよ」

「アホか。再生されたら再戦もクソもねぇぜ。勝負はあそこが水際だったんだよ」


 光沢のある白に彩られた筐体の縁が淡いライムグリーンにゆっくりと明滅し使用中を示唆していたが、今し方それが待機状態の青色点灯へと変わった。


 ヘッドマウントディスプレイ(HMD)の光学ガラス素子に『作戦終了』の文字が踊り仮想訓練の終了を知らせる。


 コンソールパネルを手早く操作して、神経接続された仮想現実世界から意識を切り離しHMDの画面を終了させて、唯夏はヘッドギアを取り外した。

コクーン内部はお世辞にも広いとは言えないが、低反発のウレタン素材にフェイクレザーの内張りは閉所恐怖症でもない限り中々の居心地だし、人間工学に基づいて設計されたリクライニングシートの座り心地は自室にも一脚欲しいほどだ。


 ヘッドアップディスプレイ(HUD)のアイコンをいくつかフリックし、開放アイコンをタップするとダンパーの減圧が開始されハッチが半自動的な軽さで跳ね上がる。


「生還」


 跳ね上げられたハッチが多段節的に折り畳まれ、コクーン後部に格納されたのを確認してから唯夏が起き上がり二人を見やった。


「唯は黒星ゼロだもんね。ずるい」


 翔子が頬を膨らませ半眼を作る。

 仮想訓練の結果は磯城の死亡。翔子の戦闘不能。そして唯夏が討伐直前にしてタイムアップという形で終了した。


「はいはい。お疲れさん。三人ともよく頑張ったわ。訓練用幻魔と言え、禁忌種が相手よ。もっと自分を誇りなさい」


 湯気の立ったマグカップを片手にモニターブースから顔を出したストレッチスーツ姿の教育担当官――ミシェルが賞賛を送る。


「つっても俺なんて、これで三連敗だ……情けなさすぎる」

「私のリザルトだって、芳しいものじゃないですし」

「仕方がないさ。君たちはまだまだ駆け出しのヒヨっ子だ。それにコクーンを使った模擬訓練も始めて日が浅い。むしろ、ここまで善戦出来る自分たちの才能に自信を持ちなさい」


 優しげな微笑みを浮かべて、マグカップに口をつけた。


「作戦は悪くなかったと思ったんだけどなぁ…」


 散切り頭の自己主張が激しい黒髪をかき上げて笙冴がひとりごちると。


「あれが作戦ですって…嘘でしょ?」

「……同感」


 唯夏と翔子の冷ややかな視線が笙冴を睨みつける。


「おい。やめろ、その眼。俺の作戦が完璧だったのは疑いの余地がねぇよ! あと、戦線離脱でオーディエンスに回った奴に言われたくねぇ」


「何よ!」

「文句があるなら現場で言ってくれ」


 よっ。と声を上げてコクーンの寝台から降りると黒いスーツに見える制服の上着を羽織る。


 唯夏達が着ているのはプロテクター仕上げのスーキングスーツではなく、ブレーザータイプ制服。男女共に黒を基調色とした普通な物だが、女子のスカートには長さが異なるヒダが下がり、プリーツの折り目ごとに鮮やかなピンクのラインが入っている。更に裾から一〇センチ程のスリットが簾の様に切られている奇抜なデザインだ。魔狩人を目指す女子の中で意外にもこの意匠を気に入って当防衛学院に入学する者が多い。


 一部、制服狂の心が暗い大人にも密かながら絶大な人気を誇っていると言う噂もある逸品だった。


 どちらにしても、なぜ女子の制服だけが個性的過ぎるのかデザイナーの神経を疑わずには居られない仕様となっている。


「君たちはコクーンに潜るたび強くなっていくのがわかるよ。優秀な生徒を持てて私も嬉しい。だけど、あの作戦は…ねぇ?」


「教官まで!?」


 思わぬ伏兵にがっくりと肩を落とす笙冴。


「冗談よ。エネミーの出現はランダム設定だったのだけど、第一種接触禁忌種と当たっちゃうなんて運が悪かったわね」


 正規の軍と違って魔狩人のパッケージは固定さている。基本的な装備品に加えて個々の武装が決まっているのだ。相対した敵に最低限の装備で挑まなくてはならないのは厳しいものだが、少人数部隊のメリットである行動力の高さでカバーしなくてはならないのが現実だ。必然的に個人に求められる戦闘能力の水準が高くならざるを得ない。


「確かにそうかもだけど、運の悪さを言い訳にするつもりはないわ。より実戦的な考え方ならするなら早めに慣れて置かないといけない事だしね」


 たら、れば、を挙げれば枚挙に暇がない。と翔子が肩を竦めてみせる。


「強者歓迎」


 それに唯夏が相槌を入れる。


「そういう事だね。ちゃんと解っているじゃない」

「にてしても幻魔ってのは吸血鬼みたいな奴だよな」


 話の方向性を変えたのは笙冴。


「どういうことだい?」


 女性人の視線が一同に自分が向いていることに気付き、居心地が悪そうに肩を揺らす。


「だってよ。殺しても殺しても全然死なねえし、特殊水銀弾頭にバンガーってまんまそれじゃねぇかよ」


「本気で馬鹿なの?」

「笙冴。幼稚」

「だからその眼やめろって…」


 埋められない温度差を痛烈に笙冴は感じた。


「ああ、成程ね。そんなこと考えたことも無かったよ。面白い考え方だとは思うけど、それは少し考えが安易に過ぎるよ」


 どうやら少年に味方はいないらしい。


「と言うと?」


 仮に、と前置きを残して少年の疑問にミシェルが答える。


「奴らを吸血の眷属だとすると、これほどに組し易い事は無かっただろう。吸血鬼の弱点は知っているね?」


 その問いに三人が首を縦に振る。


 伝説に沿うなら、吸血鬼と言うのは確かに弱点だらけなのだ。まず太陽光に肌をさらせられない。銀製の武器で傷を負わされれば再生できないし、心臓に杭を突き立てられれば絶命するのは有名だ。他にも聖水や流れる川を渡れないって言うのもある。それにこれは眉唾だがニンニクの臭いが嫌いだとか。


「ただ単純に力が強いとか、そう言うのは確かに注意を払う。だけど絶望には値しないし、姿を変えられるとか消せるとかも然りさ。赤外線探知に熱探知。酸素濃度探知と言うのもある。脅威点を述べるならそれは知恵があると言う事だろうが、それも人類の域を出ていない。そもそも、そんなのは映画の題材だよ。それも旧世代のね。実際に吸血鬼と戦争が起これば人類の圧勝を私は疑わないね」


 それに――「化物を倒すのはいつだって人間だ」と付け加える。


 至極真っ当に論破されていた。


 ミシェルがさっと腕時計に目を遣った所で本日の訓練は終了を迎えた。

 マグカップを傾けて、残った中身を一気に煽る。その素振りは部屋を去るもの。


「どこか、お出かけですか」


「ん。ああ…違う違う。職員会議さ。全く無駄な会議さ。特に私は正規の教員では無いのだからな。…とは言え、そうだな。終礼はしないから気をつけて帰りなさい」


「んぁ、少し早ぇぞ?」


 見れば、壁にかかる時計が午後の四時前を指していた。本来の終了時刻は四時半なのだから、まだ三〇分以上も余っている事になる。


「一組は君たち三人しか居ないし、担任である私はこれから会議。伝達事項もなし。小一時間で戻ってくるとは言え、それでは余りに手持ち無沙汰。だから、今日はサービスだ」


 一〇〇名前後の生徒を擁する防衛学院だが唯夏達を含む高等部は不作の時期が続き、三年生までを含めても一一名しかいない。その上、二年生からは実地訓練が多くなり三年祭に至っては夏季休暇と卒業式以外で学院に戻ってくる事がない程だ。


 今年は高等部の一年が生徒数の一番多い年だったが、それでもたったの七名しかいないのだ。加えて言うならば反応数値が四〇%を超えている生徒は特別訓練科に割り当てられ専属の教育担当官が付けられる。


 つまりは、霧島唯夏。磯城笙冴。七海翔子。以上の面々が高等部一年に置いての特別訓練科――通称。特科の生徒である。


「さっすが教官だぜ」


 歳相応の喜び方で笙冴がガッツポーズを取る。


「そう、じゃあ。久しぶりに三人で街に出かけてみない?」

「いいね」

「……笙冴は岩木屋の『メイプルシロップとマロンのデリシャスミックスパン生クリーム仕立て』を奢るべき」


「あ、私にも」

「なんで!?」

「門限は守れよ」


 談話に花を咲かす少年達に釘が刺さされる。


「もう子供じゃないわ」

「子供だよ。私にとってはね」













ご精読ありがとうございます。

やっとのことで戦闘シーンを書き終えて一安心です。


正直、初端に持ってくるかのはどうかと思った上に、書く予定のない回だったのでキャラも私も大暴走でした。


ご意見・ご感想など頂ければこれ幸いです。

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