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ダンシング・オーガ

 第一章  ダンシング・オーガ



     1



――所定完結。


 午後六時を少しばかり過ぎた頃だと言うのに、街を行き交う人の姿は全く見当たらない。

しかし、それも当然と少女は納得した。


 倒壊こそ免れているものの乱立するビル群はそのどれもが長い歳月により風化したかの如く朽ち、窓ガラスは割れ、歩道に散乱している。まるで震災直後を思わせる様な雑然とした廃墟街が眼前には広がっていた。


 かつてはベニスよりも美しいと讃えられ、栄華を極めた東京都市も今は見る影がない。


 亡霊都市として短くない時を刻んできたのだろう。


――現在六時二九分五〇秒―――三、二、一。六時三〇分セット。完了。

 

 薄く砂埃の溜まった地面を踏みながら少女は背伸びをしてみせた。踵を浮かしたところで一六〇センチメートルに届きそうも無い身長。年の頃は十代後半。いや、半ばだろうか。服装の為かいくらか大人びて見える。

 

 本来なら意匠の富んだ服を身に付けたい年頃だろうが、少女が身に着けているのは、静音性と運動性に優れた艶消し処理が施された黒いスニーキングスーツだった。

 

 遠目にはボディラインのハッキリした運動着にしか見えないが、近寄ればそうでないことがわかる。炭素繊維を織り込んだそのボディスーツの胸や肩、肘に膝、各所にプロテクターのような物が装着されていた。腰には銃火器が入るであろうホルスターが提げられ、同様にプロテクター仕上げの軍靴には大振りのコンバットナイフが差されている。

 

 肩掛けされたスリングベルトの先には五・五六x四六ミリメートル水銀徹甲弾が装填された自動小銃がその銃口を今はまだ、所在無さ気に下を向かせている。

 

 それよりも更に目を引くのは、少女の身長程もある鋼鉄製のシャフトだ。先端が針状に尖っており、一見して杭の様に視える。その根元と胴部には滑り止めのグリップが巻かれている。そんな物々しい杭を背中に三本も背負っているのだ。

 

 その何処か軍人めいた格好と、少女が佇む荒廃したこの街を照らし合わせると酷く異質に感じる。


――作戦行動範囲確認。作戦行動時間三〇分。


 ビル群の隙間を縫うように流れた風が少女の髪を薙ぐ。

 

 黄金色に輝く太陽はその半ばを建設物の影に沈め大地の明暗をはっきりと切り取り始めている。少女はその境界ぎりぎりを綱渡りでもしているかのようにひらひらと歩いて渡る。刻々と侵食する夜に合わせて一歩、また一歩と少女の足も踊る。


「日が沈む。準備はいいな?」


 ジジジと電子的なノイズを孕ませてインカムから通信が入った。声の主――磯城笙冴しき しょうごがオープンチャンネルで通信を開いてきたのだ。その声は緊張しているように聞こえた。


「ちょっとショウゴ。リーダーのアンタがそんなので大丈夫?」


 少女と同じ不安を抱いたのか、それに答えたのは七海翔子だった。姿は見えないが彼女もまた、作戦区域内のどこかで日没を待っているはずだ。


「うっせ、武者震いだ。お前ら、いいか? 命令は一つだ。誰も死ぬな。絶対に、だ」


 笙冴の声はどう聞いても強がりだったが、少女――霧島唯夏きりしま ゆいなは「了解」とだけ返信しておくことにした。


 一様にして若い声。おそらくどちらも唯夏と同じ年の頃だろう。


 やがて目を窄めたくなる程の陽光は完全に遮蔽され、夜の帳が街に覆い被さった。ほぼ同時に折り鶴の形を模した髪留めの先で夜色の長い髪が揺れる。


――状況開始。


 唯夏が駆けたのだ。その体躯からは想像もできぬ程の速度で。


「作戦開始。唯夏は索敵。翔子は誘導。俺が雑魚を片して広場を確保する」


 僅かに遅れて笙冴が指示を下す。


「命令は一つじゃなかったの?」


 それに対して翔子がすぐに突っかかった。


「命令じゃないさ。お願いだ。それに…それがお前の仕事だろ」


 ふー。と彼女が吐いた尾の長い溜息はそれだけで、やれやれと言っているようだった。


「そ。じゃあ、さっさと片付けましょう。冷たいシャワーが浴びたい」


「おいおい。もう秋口だぞ。本気か?」


「お湯、嫌いなのよね」


「本気、かよ。風邪引くぞ」


 二人のそんなやり取りを聞きながらも索敵を開始している唯夏に唐突に声がかかった。


「唯、前方の大通りを左。Cブロックに敵影一、距離二五〇。駅構内ね」


 街全体を俯瞰できる場所に待機している翔子が素早くナビゲートする。


「了解」


 指示通り大通りを左に折れ、ひた走ると視界の正面に廃駅が飛び込んできた。


 ロータリーを突っ切り講堂も走り抜ける。改札口を飛び越え一番ホームに踊り出たところでようやく足を止めた。


「目標…消失?」


 安全装置を解除した自動小銃を腰だめに構えたまま視線を左右に泳がす。


「そんなはずは無いわ。ビルが邪魔でこっちからは肉眼じゃ確認出来ないけど、ソナーの反応は唯の位置情報と完全に重なっている。警戒して、必ず近くにいるわ」


 左手首に装着された端末を展開させると電子解析されたマップが空中に投影される。


 味方の位置情報が緑色でBブロックとEブロックに点灯表示され、唯夏自身の位置情報が青色で表示されていた。その青色と重なるようにエネミーを示唆する赤色のポインターが表示。それが正体不明を示す点滅表示で明滅していた。


「位置情報確認。索敵続行」


 出番をなくした銃口を再び地面に向けさせると唯夏は五感を研ぎ澄まさせた。


 ホームから左右に伸びた線路は数十メートル先で緩やかなカーブを描きながら太陽の残滓が残る薄闇へと吸い込まれていく。視線ではどうやら対象は捉えられないらしい。無論、触覚などこの場ではあてにならない。けれども人間程度の嗅覚では視界の外側にいる者を認識することすらできない。


 だらりと腕を下げて全神経を聴覚に集中させる。まるで五感すべてを耳で感じ取るかのように耳を澄ます。


 聴覚が視覚を持つ。そんな感覚だ。


 端末の位置情報の誤差は良くて数メートル。その僅かな距離を五感のすべてを聴覚に任せて探る。


 カン。と頭上で微かな金属音が跳ねた。


 その小さな音で全ての状況が、世界が変わる。


 唯夏が素早く自動小銃を構え、頭上――ホームの天井に照準を合わる。


 深呼吸。大きく息を吸ってゆっくりと静かに吐く。もう一度、肺の内を余すとこなく空気で満たす。そして停止。


 呼吸を止めたまま天板越しに音の漏れたその一点を正確に射撃。セミオートで三発。


 天板に穴を穿ち小さな断末魔が漏れる。同時に幾重にも重なり合って何かが羽ばたいた。 幸運にも被弾を免れた鳥たちが悲鳴を上げながら夜空に一斉に飛び立ったのだ。


――違う。上じゃない。


 敵は不明だが、特殊弾頭に防弾繊維。それらを装備して臨まなければならない程には危険な相手という事。


 投影したマップを、或は事前のブリーフィングで細部まで確認していれば見落とすことは無かったはずだ。唯夏の数メートル下に併設された地下鉄道の存在に。


 小さなミスが死に直結する。戦場とはそういう場所だ。


 深い井戸の底を吹き抜ける風の唸りにも似た音が聞こえた。それが喉を震わせた咆哮だという事に気づいた時、唯夏に背に薄ら寒いものが走った。


 突如、地面が抜け落ちる。ほぼ直感に近かった。唯夏がその数瞬前に飛び退いていた。


「会敵」


「「目標は」」


 翔子と笙冴の声が見事に揃う。


「未確認」


 大きく抜け落ちた地面から濛濛と土埃が立ち込めている。


「パイルバンガー使用」


 ガンスリングベルトをプロテクターの固定具に固定し、背負ったシャフトの一本を引き抜く。


 抜け落ちた穴の直径はおよそ三メートル。今更意味の為さない事だと知りながら極限まで足音を殺し、躙り寄る。あと三歩の所で唯夏は歩みを止めた。


 シャフトのグリップを握り直し、駆ける。


 一歩目は体を傾けるだけだった。傾いだ体はやがて重力に耐え切れずバランスを崩して意思とは関係なく倒れ始める。その瞬間を狙って軸足に貯めた力を一気に開放する。


 二歩目は踵から足の指の付け根まで。足の指まで踏み込むと加速を阻害する。一歩目の倒れ込みそうな初速を相乗させて更に加速させる。


 三歩目は全力で地面を踏み抜く。三歩で全速に達する足運び。


 四歩目は無い。まるで見えない階段を駆け上る様な自然な跳躍。


 それは三メートルをぎりぎりで飛び越えられる程度の幅跳びだった。ただし余剰なエネルギーは全て高度を稼ぐ為の跳躍へと変換された幅跳び。


 体操選手もかくやと言う伸身宙返り。


 反転した世界で唯夏の頭上と風穴の空いたホームが一直線に交わった刹那、シャフトのグリップを左右の手でそれぞれ別の方向に捻る。


 くしゃりとシャフト内部で薬室の砕ける僅かな感触がグローブ越しの手に伝わる。内部に流れ込んだ薬品が化学反応によって莫大なエネルギーを生み出し、パイルバンガーを超高速で打ち出す。バンガーの発射音は静かだ。吹き矢を吹く。その程度の音量しか生まない。だと言うのにその反動は滞空した唯夏の体を更にいくらか浮上させる程のものだ。


 対岸に着地。瞬時にガンスリングの固定を解除し素早く自動小銃を構える。


 ハイダーの先はぽっかりと口を開け煙の晴れ始めた地下鉄をしっかり捉えている。


 しかしそれが二度目の失態だった。覗き込んだ風穴から銀線が閃いた。


 視覚が捉えた状況を脳が判断し、状況解析が完了する頃には既に件の閃光は唯夏の頬を擦過し、天板を突き抜けて行く。


 堪らずたたらを踏む。


「バンガーの発射確認。外したの?」


「否定。反撃」


 どうやったのかは分からないが、地下にいる敵は唯夏の放ったバンガーをどうにかして打ち返したらしい。らしいと言うのはそのままの意味で翔子の通信がなければ打ち出されたのがバンガーだとすら気付かなかったからだ。


「反撃って…バンガーを撃たれたって事!?」


「肯定」


 晴れ始めたとは言え、未だ立ち込めたる煙幕の奥で闇よりなお黒く夜色の影を落とした何かが揺らいだ。


 唯夏の胴体程もありそうな太い腕が伸び、人のそれに酷似した五指が崩れ落ちた床面を掴む。それがゆっくりした動作で仄暗い地下より体を引き摺り上げる。


 最初に覗かせたのは頭。湾曲した二本の角を携えた山羊頭だった。


 その獣の瞳は矮小な人間どもを睥睨するかのように深い赤色を讃えている。


 次いで顔を覗かせたのは獅子だろうか。或は、獣王。そう称される物の類。なんら比喩ではなく、その顔は山羊の首下から胸部にかけて生えているのだ。迫り出した強靭な顎は唯夏の体など簡単に喰い千切るであろう乱杭歯がぞろりと並んでいる。


 見た目からに硬質化した皮膚は赤褐色に変色し、その一枚一枚が短剣ほどに大きく鋭い爪を持ち、燃えるように赤い鬣は背中に向けて広がり、さながらマントを羽織った王者の様相を呈している。


 そうして、ようやく現した全容は絶句に値する物だった。


 巌の如し肌を持ち、人間の腕の如し前肢を持つ。


 後肢にはその体格に見合うだけの脚を持ち、前肢とは異なり実に獣らしい蹄を携えている。

尾には大蛇を纏い、爛々と光る双眸が己の存在を誇示するように輝いている。


 山羊。


 獅子。


 蛇。


 三対の瞳に三つの頭。


「目標確認。情報転送開始」

 

 自動展開さている端末の情報処理システムが音波や電波の反射を用いた反響定位測定によって眼前の敵を丸裸にする。


「「情報確認」」


 端末が入手した情報を自動送信する。


 時を待たずして笙冴と七海から応答。


「冗談…。にしてはキツイよね」


「おいおい。マジかよ」


 二人から悲痛の声が漏れる。


 解析された情報が端末を通して空間ディスプレイに表示される。


 第一種接触禁忌指定〈キマイラ〉。


 異形も異形。人間の語彙で表現しうる術がないのならそれ以上にどう語ることができるだろうか。


 それこそ神代の幻獣の名を借りる他にないだろう。


 いよいよ絶望の体現者がその鎌首をもたげ始めた。


 「命令。遵守」


  後退しながらフルオート掃射。イジェクターから排出された薬莢が地面を叩くけたたましい音が鳴り響く。


 ホールドオープン。二連結マガジンを素早く入れ替えスライドリリース。


 キマイラを中心に半円を描くように回りながら撃ち続ける。


 着弾。外皮にめり込み潰れた弾頭から高圧縮された水銀が体内を駆け巡る。その苦痛に呻きキマイラが深淵に沈む。


「Eブロック誘導開始。援護、要求」


「了解。メインストリートから直線でEブロックに抜けられるわ」


 咆哮は怒号。インカム越しの翔子の声を掻き消す程の大音量と共に再び。いや、今度は飛び出してきた。皮膚を抉られ、肉を蹂躙された身体で地下数メールの縦穴を悠々と飛び越えて来たのだ。


 踵を返して元来た道を走り出す。


「班長。戦況は」


「問題ねぇ。バッチリ迎撃体勢だ。いつでも来い」


 各自の戦況確認を済ませると唯夏は銃把を強く握り直した。


 亡霊都市を颶風が駆け抜けていく。そのすぐ後ろをさながら暴風が追う。断続的に続く銃声とくぐもった咆哮が静寂を切り裂き、大気を震わす。


 片側二車線のメインドストリート。その中央分離帯の植え込みを縫うようにして疾駆する唯夏に対して全て薙倒し肉迫してくる。


 やがて、一対の疾風が横並びになった。

ご精読・お付き合いありがとうございます。

つたない文章の上、遅筆の不定期更新ですがよろしくお願います。


ご意見・ご感想などをお聞かせ頂ければこれ幸いです。

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