全力の推し活と全力の反省、果たしてどっちが優勢か。
「クフィーダ様。こちら、不要かと思いましたが、お弁当を作らせていただきました。どうぞ、お昼にお召し上がりくださいませ。」
目の前に立つ近衛騎士の騎士服に身を包んだクフィーダに、大きめのバスケットをそっと差し出したラテスカ。
「あぁ、ありがとう。……ところでラテスカ。」
それを受け取りながら、クフィーダのほうは視線を彷徨わせ、それから名前を呼ぶ。
しかし。
「それでは、本日も気を付けてお仕事なさってくださいませ、旦那様。いってらっしゃいませ。」
「「「いってらっしゃいませ!」」」
「あ、あぁ……いってきます……」
ラテスカの挨拶に続き、一斉に頭を下げた使用人たちの圧力に負け、彼はすごすごと馬車に乗り込むと、タイミングを見計らったかのように、御者は手綱をしならせ、馬は歩き出し、馬車は門扉のある方に向かってゆっくりすべるように動き出した。
一方、にっこりと笑ってクフィーダ様を送り出したラテスカが、顔を上げ、パンパンと手を打ち鳴らすと、使用人たちはラテスカに頭を下げてから、それぞれの役割に沿った場所へと動き始めた。
「私は部屋に戻ります。お昼までは刺繍をしようと思っているので、昼食の時間になるまでは放っておいてくれてかまわないわ。」
「畏まりました、若奥様。」
自分付きの侍女に声をかけたラテスカは一人、そのまま階段を上がり。自身に与えられた部屋へ戻った。
自分以外の一切の他者の立ち入りを禁じた自室への扉を開け、室内が見えぬように設置された大きな衝立の横をすり抜ければ、そこは、白と緑を基調にした、上品で可愛らしい設えに、ぎっしりと同じく白と緑で統一された小物が溢れた室内が広がっている。
白地に緑色の瞳をした大きなテディベアが長ソファの半分に鎮座し、白地にモスグリーンの糸で模様を施された美しいタペストリーに同じ柄のクッションがいくつも並んでいる。
横幅は自分の倍はありそうな大きなテディベアの隣に座ったラテスカは、先ほどまでの穏やかな貴族令嬢としての微笑みの仮面を放り出すように一気に表情を崩した。
「あぁぁ~。 今朝の鍛錬のお姿も、とっても素敵だったわ。」
部屋に入ったラテスカは、ソファに座ると傍にあったクッションをぎゅっと抱きしめた。
思い出すのは朝、庭で鍛錬をする姿で、それをお昼のお弁当を仕込みながらこっそり見守っているとき、まさに推し活してる! と、思うのだ。
「お昼ご飯、喜んでいただけるかしら? 今日は模擬戦があると伺っていたからカツサンドにしてみたのよね。試合に勝ツサンド! なんちゃって♪」
うふふと笑いながら、抱きしめたクッションをさらにぎゅうぎゅうと抱きしめるラテスカ。
ちなみに彼女が抱き絞めているそのクッション、白地に同色のフリルというとてもシンプルで可愛らしいものなのだが、その中央にはでかでかと、モスグリーンの糸で『クフィーダ』と、推しの名前がまるで紋章のようにデザインされ、刺繍されているという一品、もちろん彼女のお手製だ。
「さ! 今日はベッドカバーに刺繍をしましょう。どんな図案が良いかしら? お名前のデザインはやりつくしてしまった感があるから、剣なども併せて入れてみようかしら?」
その時、ふと鏡に映った嬉しそうな自分と目があい、ラテスカは首を振った。
思い出されるのは、つい先日、初めて告げられた夕食の礼と、初めて見る、頬を紅潮させはにかんだ可愛らしい推しの笑顔。
『いつもありがとう、ラテスカ。』
夕食の時、お弁当のお礼を言われたのだが、彼のあんな表情は、12年の推し活生活の中でも観たことがなかった。
そして、その顔を見た瞬間、今まではただミーハー的にきゃあきゃあと喜ぶだけだったのに、何故だか胸にきゅんとした不思議な感覚を感じた。
そして、次を願ってしまったのだ。
(いいえ! 推しのレア表情に萌えただけよ! 間違っても自分が愛されている、だなんて認知を歪めては駄目! 推しに認識されてはファン失格よ! クフィーダ様は推し! 結婚は政略! 特別な感情なし!)
言い聞かせた時に、ちくりとした痛みを感じたことに気がつかないふりをする。
「よし! 大物作成だもの、頑張らなきゃ!」
うきうきしたようにクッションを隣に置き、愛用している裁縫箱を開けたラテスカは、隣に用意していた大きな真っ白のシーツカバーをテーブルの上に広げて笑った。
一方。
騎士団に到着したクフィーダは、バスケットを恨めしげに見ながら、あんな策を講じなければよかったと、ずっと悔やみ続けていた。
『は!? お前本当にやっちゃったの!? 馬鹿なの!? 脳筋なの!?』
結婚式の次の日、恥ずかしいのを我慢して、共に策を講じた幼馴染兼悪友に相談すれば、返ってきたのはそんな反応で、よくよく聞けば、冗談のつもり、そもそもそんなことを本気でやるとは思っていなかった、との言い訳を始めた。
『いやいや、よく考えればわかるだろう!? 貴族の政略結婚とはいえ、お前が好きで結婚したんだろう? なんでそこで大切にしよう、事情を説明して待ってもらおうと思わないの? どんな事情とはいえ、白い結婚を突き付けるなんて駄目に決まってるだろ!』
確かにそうだ、確かにそうなのだが、言い出しっぺのお前にだけは言われたくない! とクフィーダは相手の腹に一発入れた。
幼馴染兼悪友も、お前の常識のなさには驚いた! とクフィーダの腹の腹に一発入れた。
それからは、何度も話し合いをしようとクフィーダはラテスカに声をかけるのだが、彼女は昔と同じく、穏やかな微笑みを浮かべながら、推しであるクフィーダに対し、丁寧に『推し活』をしており、態度を変える様子は見られない。
昼休憩。
『あのラテスカ嬢を娶ったうえ、毎日愛妻弁当なんて本当にうらやましい! お前は果報者だな! 大事にしろよっ!』
と皆にヤッカミの拳を食らいながら、演習場の裏にあるテラスで、ラテスカが『命じて作らせた』といっていたカツサンドを一口頬ばった。
しっとりしたパンに、シャキシャキの葉野菜の千切り、それに甘辛い不思議なソースがたっぷりとかかったオーク肉をカラッと揚げた厚切り肉の入ったサンドイッチは、それはそれは本当においしくて。美味しさと後悔が入り交じった複雑な感情に襲われた彼は、ジワリと浮かんだ涙を袖で拭った。
「ラテスカ……。私は君に、なんて愚かなことをしてしまったんだ。」
今日もそうだが、結婚して以来、毎日持たされる彼女が自ら手配しているという、独特な調理方法がされた珍しい昼食は本当にとても美味しくて、ハイエナの様に狙ってくる同僚の魔の手から弁当を守るために、こうしてテラスで食べている。
しかも今日の弁当は特別だ。何故なら昨夜のこと。
『クフィーダ様は、明日は模擬戦に出られるそうなのです。その模擬戦は勝てば騎士団内での評価が上がり、騎士位が上がるのですよ? 頑張って勝っていただかなくてはいけませんから、今日は勝負に勝つ、という事でカツサンドにしましょう!』
と坊ちゃまのために、若奥様は前日から仕込みを始めているのですよ、と、幼い頃から自分を知っている家令と料理長に聞かされた時のだ。
その話を聞いた瞬間、彼は嬉しさのあまり膝から崩れ落ち、クッションを3つ駄目にするくらいむせび泣いた。
自分の昇進を願う、優しくて暖かい、彼女の願いと気持ちがこもったカツサンドは、本当においしくておいしくて……不覚にも、拭ったはずの涙がぼろりと零れ落ちた。
(もう本当に、土下座をしてでも話を聞いてもらうしかない。)
クフィーダは最後の一切れを見つめて決意した。
彼女は本当に完璧だ。あんなことをした自分を、こうして妻として支えてくれる。
好感度は上がる一方で、下がる気配どころか、はやく謝って仲直りしたくてしょうがない。
後悔しかないあの話し合いの後から、改めて話し合いを持とうとすれば、『これは、私の一方的な推し活ですから、推しからのお情けは必要ありませんわ。』と見事に話を終了されることはや一ヵ月。
彼女の『推し活』という名の愛情は、すでにクフィーダの頭の先から足の先の血肉となって染みわたっている。
食堂で共にとる朝食や夕食も、野菜を中心に鶏肉を主賓にしたものが多いが、量も味も申し分なく、家令に聞けば彼女が俺のために考えて料理長に相談しながら考えて作った『マッスル料理』であるらしい。
『推しの素敵な筋肉を衰えさせない為ですわ。』
と、大変だろうに、何事もないようににっこり微笑んでくれるラテスカに、先日、ようやくクフィーダは笑顔で感謝を伝える事が出来た。
『いつもありがとう、ラテスカ。』
毎晩お風呂で鏡の前で必死に練習した成果が出たのだ。
笑顔がひきつってないか、怖がらせていないか、もしかしてひかれてないだろうか。
感謝を伝えたものの、あの日の晩のように「あ、そういうのはいいです。」と言われたらどうしようとドキドキしながら、反応のない彼女の方をちらっと薄目を開け横目で見れば、どうした事だろう!
クフィーだの言葉に、頬を赤く染めて涙目になっているラテスカがいたのだ。
ここで結婚式の夜は本当に申し訳ないことをした、もう一度最初からやり直しをさせてくれ! と言えればよかったのだが、彼女のその表情に自分も胸いっぱいになってしまい、それ以上お互い何も言えなくなって、双方赤い顔をしたまま無言で食事を取り、互いに会釈はしたものの無言で自室へ戻るという事態に陥ってしまった。
あの時、あの勢いのままに謝ればよかったなぁと思っても後の祭り。
今日の今日まで、自分たちはまぎれもなく白い結婚のまま。
打開したい。
自分が言いだしたこととはいえ、私は彼女の事を心から本当に愛していて、この状況を打開したくてしょうがない。
もう、覚悟を決めよう。
最後の一切れを口に放り込んで、噛み砕きながらクフィーダは決意した。
「旦那様、おかえ「ラテスカ! お願いだ、私と一からやり直してほしい!」……え?」
使用人一同と共にクフィーダを出迎えたラテスカは、入って来た瞬間に目の前で土下座をしたクフィーダに目を丸くした。
「だ、旦那さ「旦那様ではなく、クフィーダと呼んでくれ!」」
がばっと顔を上げたクフィーダは、土下座から片膝をついた騎士の最上礼スタイルになると、腰に佩いた剣を手に取り、ラテスカに差し出した。
「私の忠誠は国王陛下へ捧げている。しかし私の愛はすべて君に捧げると誓う! 学園の初等部の入学式で君を見た時から、ずっと君の事だけを見てきた! 初恋だったんだ! 己の馬鹿な行動は心から反省している、君に恥をかかせたことは、一生かけて償う! だからどうか! どうか一からやり直させてほしい!」
そこまで、屋敷中に響くような大きな声で叫んだクフィーダがそう言い切り、判断をゆだねるように頭を下げると、事の成り行きを見守るため、屋敷内の音はすべて消えてなくなった。
しんとしたエントランス。
「坊ちゃん素敵なスライディング土下座でした!」「いいぞ、もっとやれ!」「あぁ、タイミング、タイミングが悪いです!」「相変わらず乙女心がわからない坊ちゃんガンバレ!」といったなんとなく統一した意見を心に、はらはらした顔で見守る男の使用人。
「いや駄目だろ、これ」「若旦那様、空気よめ」「いや、この告白はない。若奥様にとって、公開処刑と同義」「あまりの必死さに一瞬きゅんとしたけど、全使用人の目の前で土下座とかやっぱなし」など一瞬ダメ男に母性本能がとぐらつきつつも、酷評を出しつつ様々な表情をする女使用人。
皆がラテスカの行動を静かに見守る、永遠にも感じる長い長い時間。
「……お願いだ……ラテスカ……。」
頭を下げたまま弱弱しく漏れたクフィーダの声に、誰しも「お前が静寂破るんかい!」と突っ込みを入れると同時に、ラテスカがその剣に手を乗せた。
「推しの行動としては、マイナス100点ですわ、旦那様。」
がばっと顔を上げた涙目のクフィーダは、しかし次の瞬間目を丸くした。
「ラテスカ……。」
「私、前にも申し上げた通り、『推し』と恋愛をするのは駄目だと思っておりますの。」
ラテスカの言葉に眦を下げ、大きな涙粒をボロボロと流し始めたクフィーダ。
そんな彼に、ラテスカは首を振る。
「でも、先程の土下座で旦那様を『推し』たいという感情も一気に冷めてしまいましたわ。私の大好きな『推し』のクフィーダ卿は、強くて高潔、何物にも負けない信念を持ち、ブシドーにも似た『騎士道』を胸に、どんな時でも決して膝をつく事のない崇高な方です。決して女性に土下座をしたり、泣きながら許しを請い、すがる人ではありません。」
「……すまない……。」
問答無用の回答を淡々と告げるラテスカに、しめっぽいクフィーダの謝罪。
そんな言葉に、場の空気はどんどん重くなる。
(あぁ、やっぱり~! 若旦那様残念! でも若奥様の気持ち、良~くわかります!)
と、気持ちが満場一致となりながらも、初恋の人に己の行動を一刀両断され、捧げた剣を持つ手を下ろし、子供の様に声なく涙をボロボロと流して泣き始めてしまったクフィーダに、使用人一同もつられ泣きを始める。
(もう一回! もう一回頑張りましょう、若旦那様! 若奥様! 申し訳ありませんが、この迷子の子犬ちゃんみたいな若旦那様にワンチャンス! あとワンチャンスだけお願いします!)
そんな願いを含んだしゃくりあげる声や嗚咽がいろんなところから聞こえ始める中。
「――ですが。」
そんな伯爵邸のエントランスに、凛とした声が響き、様々な思いの涙を流していた皆が顔を上げる。
使用人たちが見守る中、今だ1人、膝をついたまま、おいおいと泣いているクフィーダの前にしゃがみこんだラテスカは、彼の剣に手を触れ、それから取り出した自ら刺繍したハンカチで、彼の涙をぬぐい始める。
「クフィーダ様そのように謝ってくださったことに関しては、私、嬉しいと思ってしまいました。お弁当のお礼を言ってくださったことにも、少しばかりときめいてしまいました。……あの日言われた酷い言葉に対しては、のちほどしっかりと謝罪を要求いたします。ですが……」
「ラテスカ……?」
涙を拭われ、真っ赤になった眼のクフィーダをみたラテスカは、静かに微笑んだ。
「推し活はやめますが、これからは妻として、お支え致しますわ。しょうがありません、これは政略結婚ですもの。」
「そ、それは違う!」
微笑んでそう言ったラテスカに、クフィーダは慌ててその手を握った。
「さっきも言ったとおり、君が私の初恋の人なんだ! 君の事が好きすぎて酷いことを言って御免、謝っても許してもらえないのも解っている! これから、態度でこの反省を愛を伝えていくよ、だからそんなこと言わないでくれ!」
ぎゅうっと、ラテスカの手を包む手に少しだけ力を入れる。
「また失敗をして君を傷つけるかもしれない、その時はうんと怒ってくれていい! 君に推しが出来た時には、本当は嫌だけど、その活動を応援する! 君を幸せにするために努力を続けると心から誓う。だからどうか、私と結婚してください。」
「――私たち、もう結婚しておりますわ。でも、末永くお支え致しますね。」
ふんわりと笑ったラテスカに、クフィーダは抱き着いた。
同時に、伯爵家のエントランスにとどまらず、近隣の屋敷にまで届くほどの大歓声が響いた。
10年後、クフィーダの色にラテスカの顔立ちをした幼い男の子が、母親を筆頭としたご令嬢方の推し活の的になるなんて、この時の伯爵家の人間は、誰も知らないのである。
~Fin〜
以上、お読みいただきありがとうございます。
猫石が不定期にぶん投げる、勢いだけで突っ走る息抜き短編作品でした♪
楽しんでお読みいただければ幸いです(^^お読みいただきありがとうございます。
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