疲れた時、ちょっと笑いたい時に読んでいただけたら嬉しい作品達
声に恋する物語
午前三時半。深夜なのか早朝なのか、微妙な時間帯。
鏡に写る、むくんだ顔を見てため息をつく。水垢で汚れた鏡に洗面台。その鏡に写る顔は、もっと醜い。顎の下にたぷたぷと柔らかい皮膚がたるみ、首につながっている。
唇はかさかさ、瞼は腫れぼったく目が埋まってしまっているように見える。
昨晩も寝落ちした。晩御飯としてコンビニの唐揚げ弁当を食べた後、デザートと称して新発売のホイップクリーム入りのメロンパンを平らげた。
すると、自然と塩辛いものが欲しくなる。そんな時のために、ポテトチップスも買っておいた。
自分のことをよくわかっている。
それを全部お腹に詰め込むと、ようやく人心地ついた。
後はこたつで横になって、YouTube三昧。仕事でのストレス解消が、大食いとYouTubeをゴロゴロしながら見ることだ。
社会人になってから十キロ以上太った。健康診断では、常に
〝要医療〟と判定され、毎年服のサイズが大きくなっていく。
ある一定のラインを超えると人は諦めるようだ。
私の場合はデニムのXLサイズがきつくなった時に諦めがきた。
昨日の大食いが、まだ胃の中に残っていても、全く胃もたれしない。丈夫な胃腸を持つ体に産んでくれた母親に感謝する。
今からもう一度寝るのも微妙だし、お風呂にも入らなければならない。仕方がない。このまま起きよう。
お風呂に入る前に少しスッキリしようと、歯を磨きながらこたつに戻る。
テレビをつけるも、この時間帯は再放送の番組か放送休止の画面か、テレビショッピングかだ。
何気なくテレビショッピングを見始めた。
最近見ないタレントが、とってつけたように「信じられなーい!」とか「これはすごい!」とか騒いでいる。演技してもしなくてもギャラは同じだろうに、と皮肉に思う。
口をゆすぐと、急にお風呂に入るのが面倒になった。ひとまず再びこたつに戻り、テレビショッピングの続きを見る。そこでは、魔法のクリームなるものが紹介されていた。
何でもそのクリームは、しみや皺の根元まで浸透し、皮膚を若返らせてくれるという。保湿効果も高いらしい。そして美白もできるオールインワン。
本当か嘘かわからないその会社独自の分析結果や、一ヶ月使用した人のビフォーアフターのパネルが次々画面に映る。モニターの七十台の女性が、肌年齢測定をし五十代と判定されると「嬉しい……」と言って涙ぐんでいる。
最後には、お嫁さんまで出てきて「お義母さん」と、手を取り合って涙を流す。
何がそんなに嬉しいのか悲しいのか、女子力が皆無の私には理解できない。嘘くさい、と思っているのに、ついつい見入ってしまう。
「それでは! お値段の発表です!」
司会者が高らかに声をあげる。
「はなまるスキンケアクリーム、五十グラムに詰め替え用のものを九百グラムお付けして、二千円! 二千円でご奉仕致します! 万が一、お肌に合わないなどの場合はいつでも返品可能です! 代金もお返し致します」
いやいや、ちょっと待て、と思う。この会社大丈夫なのか?
十回以上の詰め替えができて二千円って。
そう思ったところで、こたつの上に転がっている化粧水を見つけた。もうあと何回分かしか残っていなかった。
さっきまで、大丈夫かとか嘘くさいと思っていたのに、化粧水を買わないといけないという現実に気づいた途端、損得勘定が働いた。
いつも使っている化粧水は、ドラッグストアの安いものだ。値段は七百円ほど。それを考えると、このはなまるスキンケアクリームは得ではないか?
その気持ちを煽るように画面がお申し込み電話番号を表示する。スマホを手に取り、その番号を押していた。
番号を押し始めたところで、フリーダイヤルではないことに気づく。どこかの市外局番から始まっている。個人の電話番号のようだ。そして、そのテレビショッピング自体が見たことのない会社のもので、雰囲気も他の会社のものと違うと気づく。
けれど、指は止まらない。番号を押し終え、呼び出し音が響く。数回コールしてつながる気配がした。
テレビショッピングを見て、実際に電話をしたのは初めてだが、こんなにすんなりつながるものなのか。
「お電話ありがとうございます。はなまるコーポレーションです」
電話の向こうから声がした。聞き取りやすいアルトとテノールの間の声。
おや? と思った。男性?
テレビショッピングのコールセンターは女性が対応するとばかり思っていた。
しかし、それにしてもいい声である。声だけでイケメンなのだろうとわかる。
「あのー……スキンケアクリームを見て」
寝起きの声は、がさがさで掠れていて我ながら恥ずかしい。
「早速ご連絡ありがとうございます」
私の声など、全く気にせず彼は言う。
きっと背が高くて、細いけれどある程度筋肉はついていて、髪型は無造作な感じでセットしていて、ジーンズの裾をくるぶしくらいまでロールアップした休日のラフな服装も、スーツにジャケットの通勤着も、なんでも似合う人なのだろう。
現実世界での恋愛に全く縁のない私は、漫画やアニメの世界で恋愛することで、こんな風に想像力だけは逞しくなった。
あくまで客とコールセンター勤務の人との会話なので、決まった内容のやりとりだ。
でも、彼の声を聞けば聞くほど心がとろけそうになる。この声をずっと聞いていられたら、永遠に至福の時だ。
彼女はいるのだろうか。もちろんいるだろう。髪の毛が長くて、いかにも女性らしい彼女……いや、逆にショートカットが似合うアクティブな女性でも似合うかも。
また妄想が膨らむ。
一通りマニュアル通りの会話を終えたところで彼が訊く。
「他にご質問や、ご不明な点はございませんでしょうか?」
質問? ある。
彼女はいますか? いや、それはダメだ。でも、もう少しでいいから、彼の声を聞いていたい。
「あの……すごく、いい声ですね」
思わずそう言っていた。
電話口の向こうで小さく、あはっと笑う声がした。
「声だけアナウンサーとか俳優って、よく言われます」
彼がそう返してくれたことに、安心するとともに妙な満足感を覚える。客とコールセンターの人、という決まったやりとり以外の会話ができたことに。
「お電話ありがとうございました。はなまるコーポレーション、高遠がお受け致しました」
その声を最後に通話が終わった。
スキンケアクリームなんて、どうでもいい。高遠さんと出会えただけで満足だ。
先程の電話番号をスマホの電話帳に入れる。名前は高遠さんで登録した。これくらいは許されるはず。
急にやる気が出てきて「よし!お風呂に入ろう!」と声を出し、浴室に向かった。
何気なくテレビショッピングを見ていた時に、思いついたお話です。
読んでいただいてありがとうございました。