TS女戦士は初恋中毒
オレ達の世界には、勇者なんてたいそうな使命を背負ってしまった人間が存在する。
勇者は魔王が復活するたびに何度も生まれ、代々その壮大な冒険の果てに、魔王の封印を持ってこの世界に平和をもたらす役割を担ってきた。勇敢な歴代の勇者たちとその一行は、危険の付きまとう修行の旅の末に強大な敵と戦い、何度も勝利を収めてきた。
そんな勇者たちは、いつの時代でもモテモテだったそうな。
そして、今代の勇者ことセドル。歴代でも最強と名高い彼もまた、長い旅の果てに魔王グラシオーダを打ち破った。だが、彼が歴代の勇者たちと決定的に違ったのは、封印ではなく完全な撃破によって、その長い勇者と魔王の闘争の歴史に終止符を打ったことだろう。
セドルは、人類を救った大英雄として末代まで崇められるらしい。人類は彼によって救われたのだ。
そしてそんな彼が、仲間とともに、帰って来た。
セドルを除いた勇者パーティーのメンバーは、全員女の子で、しかも美少女ばかり。さらに、なんでも全員がセドルの事が好きだとか。
いくら世界を救った勇者だとは言え、そんなことがあってたまるかと世の男性諸君は思っているだろうが、残念ながら事実であった。
勇者パーティーを支えた女の子は全部で4人。
勇者セドルの幼馴染にして、勇者パーティーのまとめ役。数少ない常識人にして、正統派巨乳ヒロインの治癒術師。アリシア。
セドルの魔術の師にして、若くして国を代表する大魔導士。ローブの下に爆乳を隠した情操教育によろしくないタイプのお姉さん。エノリー。
元騎士団所属で鍛えられた剣技は勇者をはるかに凌駕する戦闘狂だが、非戦闘時の寡黙な様子はまるで人形のようだと絶大な人気を博すロリ巨乳。メノア。
そして、最後の一人。その名前と容姿以外すべてが謎に包まれた勇者パーティーの斥候兼罠師。勇者パーティー唯一の貧乳が醸し出すマスコットオーラは意外な女子人気を持つ貧乳ロリ。アルル。
このアルルという少女。勇者パーティーなんて嫌でも注目を浴びる立場でありながら、なぜこんなにも謎に溢れているのか。彼女がどんな秘密を隠しているのかも、どんな秘密によって守られているのかも、誰も知らない。
そう。彼女がパーティー加入の際に『性別と姿がまるまる変わってしまった元男』だなんて、誰も知らないのだ。
では、なぜオレは彼女の秘密を知っているのかって?
それは、何を隠そう。オレがこの少女アルル本人だからだ。
***
「さぁ、話をしましょうか」
シンと静まり返った宿の一室に、アリシアの声が響いた。その雰囲気は重苦しく、とても無事に魔王を倒して帰って来た勇者パーティーだとは、さっきまで王城で笑顔を振りまいていた勇者パーティーだとは、どうしても思えない。
オレたちがなぜこんなにも険悪な雰囲気を醸し出しているのか。なぜみんなに惚れられているはずのセドルがこんなにも猜疑の視線を向けられているのか。その原因こそ、オレたちがコイツに惚れさせられていたことにある。
「私たちは今まで命を懸けた旅をして来たけれど、それはひとえに、あなたを信頼しいていたからなのよ、セドル」
冷気を纏ったアリシアの言葉が、みんなの視線が、セドルにつきささる。
「私たちはあなたにその期待を裏切られた様に感じた。さて、まずはその言い訳をしてもらいましょうか」
オレを含めた女性人たちは、期待半分恨めしさ半分でセドルに視線を向ける。
魔王討伐の旅は危険を極めた。もちろん勇者の力があるとはいえ、最初からセドルの力も最強格だったわけではないし、まだ若い女子4人が付いて行くには到底耐えうる旅ではなかった。それでもオレたちが旅を続けたのは、みんな一様に何かしらセドルに救われて、『コイツならきっと世界を救える』っていう確信があったからだ。そして、そんなセドルを好ましく思い、コイツに救われた分まで支えてやりたいと、そう思っていたからなのだ。
実際にセドルはその期待に応え、魔王を打倒して見せた。オレたちは喜び、そして、信じてよかったと幸せな心地に包まれた。
だが、魔王を倒してひとしきり勝利の余韻を楽しんだ後、オレたちに異変が起こった。
セドルの事を見るオレの目から、すぅーっ、と熱が引いていく感覚がした。
オレは目を擦ったが何も変わらず、気が付けば、勝利の余韻の中に、ひどく冷静な自分が現れていることに気が付いた。
そして、その冷静な自分がオレ自身を見つめなおして気づく。
いくらセドルに救われた過去があるとはいえ、いくら目の前で魔王を打倒した勇敢な姿を見せられたとはいえ、そのセドルへ向けられた激情は、セドルへ抱いた恋愛感情は。
セドルと出会うまで男として過ごしていたオレが抱くにはあまりにも行き過ぎたものであると言うことに。
もちろんそう言った愛の形があることは否定しない。だがしかし、自分にそのケはなかったし、実際に一瞬にして醒めてしまったセドルへの感情を鑑みると、一つの可能性に思い当たってしまう。
この感情が、セドルか、あるいは何者かによって半ば強制的に引き出されてしまったものである可能性に。
それは他のメンバーたちも同じだったようで、オレと同じようにしばらく目を白黒させた後、皆一様に自分と向き合うようにうんうんと唸りながら王都へと帰還していった。
黙りこくったまま思考を整理していたセドルは、おもむろに口を開いた。
「……それが、女神の加護ってやつだったのかもな。多分」
セドルの顔が苦々しく、嗤うように歪む。しかしてその嘲笑は、きっと自分自身に向けられたものなのだろう。オレたちはまだ口を開かない。
「『不便しないように、出会う人からの印象が良く見えるようになる』って言われたんだ。そんな僕とずっと一緒に居たからだと思う。自分のコトさえロクに把握できていなかった僕の責任だ。本当にすまないと思っている」
セドルが再び口をつぐむ。部屋にまた重い空気が流れた。
要するに、セドルを見る人間はセドルがいい奴に見える。せいぜいが『まじない』程度の気休めでしかないはずだが、一緒に旅をしてセドルを視界に入れ続けたオレたちは、コイツがよりいい奴に、好い奴に、印象を捻じ曲げられ続け、ついには小さな呪いが呪いのようにオレたちの恋心を掻き立てたってわけだ。
「それにしても、なんでアタシたちは急に元に戻ったんだろうねぇ。それこそ人の印象なんて急に変わるものじゃないよ」
「……多分、魔王を倒したから。……今までの勇者は封印、したらしいけど。……それで、勇者の使命が終わって、……女神の加護ってのが消え、た?」
納得いかない様子で唸るエノリーと、久々に長文を喋って一息ついたメノア。コイツら本当にマイペースだな。
「その辺の理由はおおかたメノアの推測であってると思うけど、大事なのはここから。私たちが今後どうするのかよ」
自分の世界に飛びかけたエノリーとメノアをアリシアが一声で連れ戻す。キッッとアリシアの表情が締まる。こうなるとオレたちパーティーのメンバーでアリシアに逆らえる者はいない。
それに今後の事は重大な問題だ。元々は全員盲目的にセドルに付いていくつもりでいたが、加護とやら消えた以上オレたちには自分自身の道を選ぶことができる。
詰まるところ、現状みんなノープランなのだ。
「……あー、」
意外にも、最初に声を上げたのはメノアだった。
「やっぱりメノアは、騎士団に戻るよ。……メノアには、恋よりも戦いの方が、性に、あってる。平和な余生なんて、いらないし」
メノアは当たり前のように言い放つ。そしてそれは、ある意味オレたちの予想通りでもあった。メノアは元々(胸以外は)幼い見た目から前線に立たせてもらえなかっただけで、その本性は戦闘狂だ。魔王討伐の実績をひっさげた今、彼女への戦力としての需要は事欠かないだろう。
メノアに次いで、エノリーが口を開く。
「次の仕事が決まってるって言えば、実はアタシもなのよね」
「「えっ!?」」
その言葉にオレとアリシアは目を見開いた。
……あの自堕落人間のエノリーが、…………仕事!?
「ウチの勇者様は新魔法をバンバン作ったり発見したりで禁呪指定やら魔法規制やらで魔法業界は大変なのよ。これでも一応勇者パーティーの魔導士だし?セドルの魔法に関してはこの世の誰よりも詳しいし?」
そう言われれば確かに。このセドルは歴代最強の勇者であって、人類の英知の数段先を行く無茶苦茶な魔法を使いやがるし、そんなものが普及なんてしたら人類が滅びかねない。その対応ならエノリーはまさに適任者だ。
あと、ヤケに呪具との遭遇率が高い。それらの扱いも困っているのだろう。
「だから、アタシはマギタリアの街に行くわ。ずっと一緒だったアンタらと別れるのも名残惜しいっちゃ名残惜しいけど…………気持ちの整理的な意味でも、ほら。ね?」
エノリーの言葉にメノアがうんうんと頷いた。2人とも飄々と受け入れているように見せて、やはりセドルとの関係性や、抱いていた『はずの』恋心の処理は二人にとって抱えきれない大きな問題として抱え続けていたのだ。
だから、2人はこの街から離れることを選んだ。しばらくはこの街を拠点とするであろうセドルと、距離を取る選択をした。自分自身の人生を見つめなおすために。
こうなってくると、気になるのはアリシアだ。彼女は幼馴染という立場からセドルとの付き合いは一番長いし、それこそこれまでの人生をほぼ一緒に過ごしてきた間柄だ。
オレと目が合ったアリシアは肩をすくめて意外にも淡々と告げた。
「私は……そうね、また旅にでも出ることにするわ。4人の旅の軌跡を辿りなおして、アフターケアをして回ろうかしらね。……あ、もちろんセドルはついてくるんじゃないわよ?」
なるほど、それは確かにアリシアらしい。
おそらく、セドルの加護の件がなくてもこの旅はするつもりだったのだろう。まぁ、加護の効果が切れなければセドルを拉致って連れていくぐらいの事はしていただろうが。
「でも、アルルは別。行くところがなければ、私と一緒に…………いや、慌ててもよくないわね。ただでさえアルルは事情が複雑なのだから、『戻る』にしても『戻らない』にしても、ゆっくり考えた方がいいわ。私の旅の仲間にはいつでも歓迎するから」
「アタシも、マギタリアの魔法教会に口利きくらいはできるから、その気になったら教えて頂戴。一応あなたも設置型魔法に関してはアタシも認めるほどの実力者なのだから」
「……メノアも。アルル強いから、騎士団に推薦……できる」
みんなが口々に誘いの言葉を口にしてくれる。いつもなら、何だよオレモテモテじゃねぇか、なんておちゃらけているところだが、今がそうやって濁す場でないことはオレにもわかる。
みんな明らかにオレに気を使っている。ありがたいが、すこし申し訳なくなった。
「んー、ちょっと考えさせてくれ。今後の事も、『戻る』かどうかも」
「えぇ。ゆっくり考えなさい。私たちは一旦席を外すわ。……あと、そこのセドルは好きにしていいわよ」
アリシアがそう言い残すと、3人娘がぞろぞろと席を立った。おそらく、各々旅立ちの準備を始めるのだろう。
全員前を向いていて、えらいなぁ……なんて思ってしまう。きっとみんな魔王討伐の旅で成長して、いくらか大人になっていたということだろう。
オレもみんなに前って未来を見据えたいが、そのためにはオレはしなければいけない決断が一つある。
そう、オレは性別が変わってしまった元男なのだ。男に『戻る』のか、この数年付き合った女の体で過ごし続けるのか。それだけで人生設計が大きく変わってくる。まぁ、現状戻れるアテはないのだが、この広い世界を探せば、どこかには必ずあるだろう。
「……僕は」
黙ってみんなの決意を聞きとげていたセドルが、口を開いた。
「僕は、アルルにも酷いことをしたかもしれないけど。元に戻る手段を探すならもちろん協力するし、身寄りがなくても、後ろ盾くらいにはなれる。できることがあったら、言って欲しい」
「加護のことはお前が100悪いとも思ってないから。気にするな……とは言わないけど、気にしすぎんなよ、やりずらい」
目を閉じて、いろいろなことを思い返してみる。
セドルと出会うまでの苦しかった生活を。
セドルと出会ってからの決して楽ではなかった旅の軌跡を。
「なぁ、オレとお前たちが出会った時の事、覚えてるか?」
「もちろん。僕たちは盗まれた遺跡の呪具を追っていて、その呪具の運び屋が君だった」
「オレは当時はまだ男で、お前らとすったもんだした末に例の呪具を暴発させてさ」
「アルルは女の子になった」
「そう。呪具は壊れて戻る見込みもなくなってさ、お前らの後に引っ付いてった」
今でも鮮明に思い出せる。貧民街特有の不衛生と不健康を煮詰めたようなじめっとした空気。鼻を刺す動物臭と、何処から漂っているのかもわからないほど微かな血の匂い。
どいつもこいつも生きるのに必死で、明日の飯と最低限の金のために、金持ち悪党どもに食い物にされ続けた街の奴らの必死な猜疑に満ちた顔。
オレの故郷はそんなどうしようもない街だった。
「オレとしてはな?魔王討伐の名誉とこの未来溢れる小さい体を捨てて、薄汚い運び屋に戻る理由もないと思っているんだよ」
「元に戻って真っ当に生きることもできる」
「この貴族社会で身元不詳の貧民街出身はあまりにも生きづらいだろうな」
「それは……」
セドルが言いよどむ。セドルもこの旅路の中で、様々な貴族たちの黒い部分を見て来た。いろんな権力主義者たちの薄汚い部分を見て来た。オレの現状に責任の一端を感じているからこそ、無責任に否定もできなかったのだろう。
「少なくともオレはさ、楽しかったよ。お前らと旅をして。そりゃあ女になって混乱もしたけどさ」
さっきまで暗い景色ばかりが思い出されていたのに、急に思い出の中が華やぐ。
アリシアがいて。
エノリーがいて。
メノアがいて。
そしてセドルがいる。
「今までずっと一人だったのにさ、仕事でヘマしたと思ったら、急に仲間ができてさ」
そりゃあ危険もあったけど、皆で乗り越えた。
死にかけもしたし、自暴自棄にになったこともある。でも、その度にセドルに救われてきて、そんなセドルに恋をした。
「そりゃ大変な旅だったけどさ、お前らに勇気もらいながら必死に戦ってさぁ……」
そんなつもりなんてなかったのに、頬を一筋の涙が伝った。
「…………幸せだったんだよぉっ!!お前に恋してた毎日がさあ!!!」
気が付けば涙はとめどなく溢れてしまっていた。でも、それ以上に溢れてくる激情が止まらない。抑えられない。失ったはずのを恋情を求めて、でもそれは綺麗さっぱり無くなってしまっていて、空っぽの胸を抱え込んだ。これ以上何も逃げ出さないように。
それでも、心の中がどこまでも寂しい。足りないんだ。
「ずっと下向いて生きて来たオレだけどさぁ、前向けたんだよ!魔王を倒してさ、お前と……っ……、いっしょに、なりてぇって、希望が持てたんだよぉ!!」
涙を拭った眼でセドルにまっすぐ目を向ける。
目が合う。
でも、かつてのように胸は高鳴らない。
たったそれだけの事が、どうしようもなく苦しい。
「でもそれが全部加護のせいだぁ!?ふざけんなぁ!!!!」
ダン!と机を叩いた。二人しかいない静かな部屋に音が響いた。
耳に残る残響に、手よりも空っぽの心が痛む。
「……なぁ、セドル」
叫んで傷んだ喉から声を絞り出す。
もう好きでもなんでもないはずの相手でも、なぜか泣き顔を見せたいとは思えなくて、オレはセドルに語りかけながらも顔をそらす。
「また、オレを惚れさせてくれよ……」
セドルの息を呑む音が聞こえる。
「オレ、まだお前に恋していたいよぉ……」
消え入る声はきっとセドルにも届いただろう。だが、セドルから返ってくる言葉はない。
勇者の使命を終えて自由になったセドルの、その自由を奪おうとしているのはわかっている。
オレみたいな男女に言い寄られて迷惑かもしれないってのもわかってる。
それでも今は、オレの頭を撫でるこの手の温もりに縋るしかなかった。