第1章2話 「カオス」
――リンは、じっとアリアを睨んでいた。
「わ、私は女神よ、女神。ほら、終焉の女神……」
「終焉を司る女神ならば王子様に害を及ぼしかねない。王子様、この自称女神をどうしますか?」
そんなことを急に尋ねられてもな……。
俺は困惑したが、頑張って台詞を脳内から引き出した。
「え、ええと、あ、アリアは俺の恩人だから! 許してやるのよ!」
俺は台詞の途中途中で噛んだ。
それに、最後の一言はオカマ口調になってしまった。
「分かりました。では、王子様の恩人ということを免罪符に、アリア様のことは赦免してさしあげます。ですが、王子様に害を冦なしたら……その時はどうなるか、お分かりですね?」
「は、はい……」
リンは微笑み、俺の方を見つめる。
こ、こえー。
こういう様な、笑いながら怒るタイプの人間が一番怖いんだよなぁ。
「では、わたしは王子様への昼食を持ってきたので。食べてください」
「あ、ああ……分かった」
俺は恐る恐るリンが運んできた料理の皿を手に取る。
すると、アリアは俺の料理を見て涎を垂らしていた。
「アリア様」
「な、何でしょうか……」
「アリア様の分はこれでいいですね」
「あ、ありがとう……」
リンはアリアへ昼食の乗った皿を渡す。
俺とアリアの昼食はそれぞれ違った。
俺のは、何かの動物のステーキ。見た目は牛の肉に近い。
アリアのは緑色のスープで、芋虫の様な生物が入っていて――、
「ひゃああああああ!!!」
アリアはスープに入っていた芋虫の様な生物を、知らずに齧っていた。アリアは気絶した。
俺はリンの方を見た。
リンは何食わぬ顔で俺を見つめ返した。
「幾ら何でも、あれはやりすぎじゃ……」
「ふふっ。王子様は高貴の料理を食べるのが当然のこと。ではアリア様は女神と名乗る、素性すら知られていない不届き者……。食に差が出るのは仕方のないことです」
リンは微笑を浮かべ、少しばかり頬を赤くして俺を見つめている。
当たり前の様に、アリアへ地味な嫌がらせをするとは、本当に恐ろしい。
怒らせたら怖いだろうな。
そう思いながら、俺はステーキを齧る。
「それで、この肉は何の肉だ?」
「確か……フレアドラゴンの腿肉だったと思いますが……」
「ぶふっ!」
俺は思わず吹き出した。
ど、ドラゴンの腿肉だって?
「げほっげほっ。おい、ドラゴンってどういうことだよ?」
「ドラゴンはドラゴンですよ。それに、王子様はドラゴンをよく好んで食べておられたじゃないですか」
もしかして、この世界では俺が凄い奴設定なのだろうか。
俺が異世界に生まれ、身分が王族であり、王子の座に着き、ドラゴンをよく食べる。
俺はこちらの世界でそんなに凄い奴だったのだろうか。
「では王子様。わたしは城内の掃除をして参りますので」
「あ、ああ。頑張れよ」
俺は部屋を去ったリンに手を振った。
そして、気絶しているアリアの方を一瞥した。
「大丈夫か」
俺はアリアの身体を摩って起こす。
すると、アリアは欠伸をして目を覚ました。
「どうしたの……って、トラウマぁ!」
芋虫のスープを見るなり、震えだすアリア。
俺はアリアにステーキを一切れ、渡した。
「ほら、食べろよ」
「あ、ありがとう……」
俺はフォークにドラゴンステーキを一切れ差し、アリアの口内に入れた。
少し恥ずかしそうにしているアリアを見て、俺はとりあえず一安心した。
「ほら、もう一口」
「わ、私は自分で食べれますから!」
「でもフォークや箸はないだろ? ナイフでステーキを食べるってのも危ないし」
「くぅ……こうなったら」
すると、アリアは宙に魔法陣を描いた。
指先でなぞる様に描かれた碧の魔法陣は光を放ち、やがては一つのフォークと化した。
俺はその光景を目にし、瞠目する。
「す、すげぇ! 今のどうやったんだ!」
「教えなーい」
「まじかよ……」
俺は項垂れる。
魔法は誰だって使いたくなるし、憧れるものだろう。
俺も使いたいな、魔法。
「わ、分かったわよ。魔法の唱え方を教えるわね。じゃあ、一番簡単な『火玉』から!」
「あ、ありがとう! アリア、お前はもう俺の命の恩人だ」
「な、何よ。大げさすぎじゃないの? ま、それよりも。まずクウトさんに魔力があるかどうかを調べるから」
「おう、調べてくれ!」
幼子の様に嬉々としている俺を前に、アリアは少し驚いている様だ。
アリアは俺の胸に触れるなり、瞑目した。
俺はこの間、魔法が使えるかもしれないと思うと気が気じゃなかった。
だって、俺は昔から魔法の様なファンタジー要素が好きだったからだ。俺の読んでいた漫画に魔法を使う人物がいて、俺もこういうことできたらなーと、ずっと思っていた。
そして、俺が魔法を使えるか使えないかの命運が、今ここで決まる!
「クウトさん。残念だけどあなたには魔力がないわ」
「え? それはどういう――」
「魔力がないと、まずもって魔法なんて使えないってことよ」
「うそ、だろ……」
俺の長年の夢、崩壊。
俺は泣きそうな気分になった。
すると、俺を不憫に思ったのか、アリアは言った。
「だ、大丈夫よ。魔力がなくたって魔道具があれば、魔法を唱えられるし」
「本当か!」
「ほ、本当よ……」
俺の態度の急変に、アリアは驚愕した。
すると、俺の部屋のドアがいきなり開いた。
俺とアリアは驚き、ドアの方へと視点を移す。
「王子様。今戻って参りました、クロムです」
「すまんが、一体誰だ?」
「私は剣聖の肩書きを持つ、王国最強の剣士、クロムと申します。さて、王子様。その方は?」
藍色の髪を持った青年は、アリアを見やる。
すると、クロムは突然鼻血を流し始めた。
「な、何て私好みの女性なのですか! ぐへ、ぐへへへ……」
「え、えぇ……」
いやらしい笑みを浮かべたクロムに対し、アリアはドン引きしている様子だ。
それに、王国最強の剣聖とやらがこんな変態で大丈夫なのか?
俺は疑問ばかり浮かぶ中、クロムの背後に焦点が向かった。
「おい、クロム。何をまた女で興奮している」
「いだっ!」
後ろからクロムに拳骨を浴びせたのは、金髪の麗人だった。
少女は溜め息を吐き、アリアに「うちのクロムがすまなかった」と謝った。
「サシュア、別に私はあの御方で変な妄想はしていないぞ。――って、おい!」
「うるさいぞ、この変態め」
サシュアと呼ばれた麗人は、クロムを引き摺って部屋から去った。
「今のは何だったんだ……?」
「さぁ?」
やけに騒がしかったクロムとサシュアを思い浮かべ、俺はステーキを一つ口に入れた。