アルトの林檎
ベネフィス視点です
皇太子殿下から届いた手紙には、ゼナオリア王はアレクシア様を選んだとだけ書かれていた。
主人はやんわりと笑って、つまらないねと言った。
真実、つまらないなどとは微塵も思っていないだろう。主人の予想する未来にこの結果も存在している筈だ。
皇女シンシアもその母も、王妃として不適格だ。
アレクシア様が相応しい訳ではない。
子を作らない為の理由が付けやすい人物が選ばれただけの事。
あちらは交渉するつもりでいると言う事なのだろう。主人が言っていたように。
主人は皇太子殿下より先にこの決定を知っていたのか、それともそう読んだのか、そちらの方向に持っていきたかったのか。
「決定したのは誰だろうね。お人好しな王ではないだろうし、外交を担当していると言うヒメネス卿かな」
椅子の背もたれに寄りかかると、胸の上で両手を組む。
「駒が増えたようです」
ヒメネス卿は皇国の貴族──ビルボワン家の令嬢を妻に娶った。
シャマリー・ビルボワンがミチル様に関する噂を流した際、主人の意向を受けたサーシス家が広めた。
一つの駒が消え、一つの駒が増えた。
「そのように言うからゼファスに悪魔と呼ばれるんだよ? ベネフィス」
皇太子殿下は私を悪魔と呼ぶ。
理由は知らない。
「王が誰を選ぼうと構わないよ。純血を守ろうとするのはディンブーラだけではないだろうからね。
選択肢は多い方が良いから用意させていただいた訳だけど、私がフィオニア達を引き裂いた訳ではない。
せっかく差し上げた幸福を要らぬと手放そうとなさるから、では皇族としてお働きいただこうと言う理由に過ぎないよ」
このような物言いをなさるから、ゼファス様に胡乱だと言われる。
「真実、何をお望みなのですか」
私の質問に目を細めて微笑まれる。
「私はね、とても面倒くさがりなのだよ」
突然何を言い出すのかと思いながらも話の続きを待つ。
「謀は嫌いではないよ。どちらかと言えば向いている方だろう。
私が嫌いなのはね、後始末だ」
後始末。
「自分だけ良い思いをした場合はね、得られる利点が頭打ちになるんだよ。そしてそれは人の不満を呼び、いずれ足を掬われる。
アルトはその後始末を任される事が多いだろう? それが嫌いなのだよ。面倒極まりない」
「……それだけにございますか?」
私の言葉に主人は笑った。
今日は雨が降っている。
スモーキーな香りの紅茶を淹れる事にする。
「皆、私を複雑に捉え過ぎなのではないかな。リオン・アルトはね、極度の面倒くさがりで、巻き込まれるのを最小限にする為に裏で動き回るような卑小な人間なのだよ、実の所」
面倒だからと世界を変えようとする者をそうは呼ぶまいと思うが、そうおっしゃるのだからそれで良い。
「だってそうだろう? 神の御心など、人の身には分からないのだからね」
──神。
女神マグダレナは魔素を全ての大陸に広めた。
イリダとオーリーの魔素についてはまだ分からない事ばかりだと聞く。
その事を言っているのだろう。
茶器を温め始める。
「本当は見通しがついてらっしゃるのでは?」
器に茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
蓋をし、ティーコージーを被せて蒸らす。
「予測の範囲を出ていないよ。もう少し情報が欲しい所だし、あまり時間を持たせて悠長な事をされても困る」
「ですからあのような事をなさったのですか?」
目を細めて微笑む主人の様子に、二人のご子息が不憫になる。この方の息子として生まれなければきっと、楽に生きていけたろうに。
「そうではないけれどね、もう要らないだろう? 王は要らないと言った。唯一有効に使える局面であったのに、断られてしまったのだから」
皇女シンシアはアスラン王に選ばれなかった。
かつての女皇エリーゼも。
「選んだのは彼女であるし、意思は尊重したつもりだ。ディンブーラにとって不要な存在になったのだから、我らアルトが然るべき報復をしたとしても問題ないだろう?」
「ギウスの族長の妻と言う使いようはありませんでしたか」
ないね、と簡潔な答えが返ってきた。
「ギウスで好き勝手にされたら面倒だろう。厄介払いというのは被害がこちらに来ない事が前提だ。それにギウスからそのような要求は来ていない」
皇女シンシアも前女皇のエリーゼも、アルトに対して好き勝手にしてくれた。
その報復は十分ではなかった。幽閉が落とし所だと思っていたが、主人にとってはそうではなかったようだ。
十分に蒸らし終えた茶をカップに注ぎ、主人の前に置く。
主人はカップを手に取ると、香りを楽しむように顔を近付ける。
「今日の天気によく合った香りだ」
窓の向こうでは雨が音をたてて降っている。
この雨でまた寒さが深まる事だろう。
春になればラトリア様はイリダに渡る。
簡易な輸送は頻繁に行われているが、人を乗船させる場合は月に一度である。冬は流氷などもある為、定期便は推進力のある中型船に限られ、乗客はいない。
「やり直しの機会は十分に与えた。それをものにするかしないかは当人達の自由だけれどね、その自由がいつまでもあると思われるのはあまり好きではない」
やり直し。
それは誰に向けてなのか。
「それにね、私がやらなかったとしても陛下がなさったろうと思うよ」
ミチル様の祖母 イルレアナ陛下は後継者が出来たと知るや否や、実の息子とその妻、二人の孫の処分をレーゲンハイムに命じた。
ラルナダルトの名はミチル様がお継ぎにはなったものの、事実上のラルナダルトの家長は陛下であり、レーゲンハイムはその命に従うだろう。
皇族らしく、大変強かな方だ。
「アルトが受けた屈辱はアルトの手で雪がねばならないからね、先んじて動いただけだ。陛下もそこはお許し下さるよ」
「前女皇エリーゼの罪は」
今回主人が罰を与えたのは皇女シンシアのみ。
「マグダレナの民以外の血を皇家に入れた事にございますか?」
「そうじゃないよ。あるだろう、最大の罪が」
主人は笑った。
「女神マグダレナを戴くディンブーラ皇国の女皇であった者が、娘を邪教の聖女として認めたのだからね、これ以上の罪はないと思うよ」
確かに重罪であると頷いていると、主人は上着の内側から紙を取り出し、私に差し出した。
礼をして受け取る。
紙には女性の字で書かれていた。
"アルトの林檎をかつての女皇に捧げるように"
アルトの林檎。
ルフトが育てる毒の中でも類を見ない程に毒性の強いものをそう呼ぶ。
複数の毒性を持つ為、解毒がとても困難なものだ。
人知れず、罪は裁かれる。




