白の墓標
ラトリア視点です(書き忘れておりました。申し訳ありません)
ルシアンと離宮に足を踏み入れる。
「来たくなかっただろうに」
ルシアンが不機嫌だ。
表情だけ見ればいつもと変わりないように見えるが、親しい者、近しい者なら分かる機微。
まぁ、当然と言えば当然。
己にしつこく言い寄っていた皇女シンシアと対面するのだから、不愉快極まりないだろう。
挙句、愚か者に命じてミチルに危害を加えようとした。ルシアンが許す筈もない。私も許せそうにない。
……素直に付いて来たのは、もしや皇女を抹殺する為……では無いと兄は思いたい。
「皇女を前にしたら、ミチルを害されそうになった時の事を鮮明に思い出して、始末したいと言う衝動が湧くかも知れません。その際には止めていただけますか」
「……止められると良いんだけれどね」
一応、自制する気はあるようで安心する。
私は本来、当主となるべく育てられた。当主の命に応じて荒事も熟せるようにと養育されたルシアンには敵うまい。以前のルシアンならまだしも、陛下の皇配であるソルレ様は恐ろしく腕の立つお方で、そんな方に一時期とは言え仕込まれていたルシアンを止めるなど、まぁ無理だろう。
状況も変わり、私は宗主を支える立場となった。
いま一度鍛えてもらった方が良さそうだ。
これ程嫌がるルシアンを連れて離宮に足を踏み入れたのには理由がある。
ゼナオリア行きを受け入れる代わりにルシアンに会いたいと皇女が望んだからだ。ゼナオリア王がシンシアを選ぶ確率は高い。彼女の意向を無視する訳にはいかなかった。
あれから何年も経つのにルシアンの事を忘れられていないとは、弟が罪作りなのか皇女の時間が止まっているのか。一途なのか執着なのか。
それにしても彼女は自分の立場を理解していない。選ぶ立場ではなく、選ばれる立場になっているのだと分かっていない。
アスラン王からの書簡は届いたと聞いているが、まだ私達は内容を知らされていない。シンシアに先んじて知らせが届き、私達は呼ばれたのだろうか?
貴人を幽閉する為に作られた北の離宮は、窓が高い位置にある為、昼間でも光が乏しい。
すれ違う者は警備として巡回する兵達。侍女などは最低限しか用意されず、娯楽らしきものもなく、外から入る者を受け付けない、美しい、生きたまま閉じ込められる墓標のようである。
私達の足音だけが響く。
案内された場所に行くと、椅子の背もたれに寄りかかるようにして座る女性がいた。
目は虚ろで、何も見ていない。うっすらと笑みを浮かべている。
……一目で薬物を投与されている事が分かる。
隣にはリジー──エリザベス・ルフトが立っていた。
私とルシアンを見て、深く礼をする。
「お待ちしておりました」
「あぁ……」
女性──シンシアに目を向ける。
「どういう状況なのか、教えてもらえるかな?」
「宗主様が選択をご用意なさいました」
突如父が話に躍り出た事に胸が騒つく。
皇女を見てもしやと思った。皇太子殿下がこのような事をなさる筈はない。そうであれば──。
まさかこんな事をしてくるとは……。
アスラン王は皇女シンシアを選ぶだろうと言われているのに、何を考えてこのような……。
「私を呼び寄せた意図は?」
ルシアンがエリザベスを見据える。
「宗主様は先日この離宮にお越しの際、哀れな姫に最後の思い出を作ってあげようと仰せでした」
頭が痛い。
隣に立つルシアンを見ると、先程まで滲み出ていた苛立ちは消えたようだった。皇女を始末したいと言っていたけれど、今はこの状況を理解する為に頭を働かせている事だろう。
ゼナオリア王の花嫁候補として皇女の名を出したのはこちらだ。それなのに父はこの状況を作り出した。
「ルシアン」
「父からすると、皇女がこうなっても構わないという事です」
そう言う人だったと納得して頷く。
ただ、何も考えずにこんな事をする人ではない。
皇女に嫁がれたら困る事がある?
それとも、本当に選択させただけなのか?
「宗主が渡したのは一時的なものか、永続的なものか?」
永続的なものであれば、叔父であるキースのようにその命尽きるまで夢の世界の住人となる。
「お答えする権利を有しません。ですが、そのように問われたならばこう答えるように申しつかっております。
"想像にお任せするよ"」
そう言って笑う父の姿が容易く想像出来る。
頭の痛みが増す。
何も言えずにいる私達にエリザベスは言う。
「定期便には間に合うように準備致します」
ゼナオリア、アル・ショテル入りする為にエリザベスに連絡を取っていた。
新しいアルトを立ち上げる為に、クリームヒルト、サーシス、ルフト家の人間を側に置かねばならない。
ルフト家の分家であり、ルフトを名乗る事が許された家の一人娘、それがエリザベスだ。
かつてミチルの侍女として仕えた事もある。
「あぁ、頼んだよ」
もうここに用はない。
皇女に会う必要は本来ない。皇女は確かにルシアンに会いたかっただろうが、ルシアンを呼び寄せたのは皇女ではない、父だ。
あの状態の皇女を父は私達に見せたかった。
「アスラン王は誰を選ぶと思う?」
「……アレクシア様なのでしょうね」
それはありえないと思っていたにも関わらず、父がシンシアをあのようにしたのであれば、アレクシア様が選ばれるのだろう。
思わずため息をこぼしてしまう。
「ルシアンはどう見る?」
長い廊下を歩き終え、警備をする兵の横を通る。
「父の思考の傾向を、これまでに何度も考えてきました」
ちらと弟の表情に目をやるものの、特に苛立ちを感じている様子もない。
「皇国を粛清した際も、雷帝国に手を出した際も、何れも自身の思うようにしたと言うよりは、あるべき姿に戻したようでした」
確かに父は、あるべき姿というものが好きだ。
「アルトの未来を考えれば手放すべきでないものも、簡単に手放します」
そうだね、と答える。
欲がないのかと思う程に、どれだけ価値があるものでもあっさりと手放す。
「父はラルナダルトを立て直そうとは思っていなかった」
全てではないにしろ、父はミチルとラルナダルトの間に何某かの関連がある事を早い段階で掴んでいたように思う。
古ディンブーラの体制に戻そうとするならばラルナダルトの復権は絶対であった筈だ。
けれどそうはしなかった。
「全てにおいてこだわりを持っている訳ではないと言う事かな」
私の言葉にルシアンが頷く。
一貫性があるなら想定もしやすかったと思う。
いや、あるのだろう、父の中では。
「父にとっては、ラルナダルトの再興はどちらでも良かった。ミチルがいれば良かったのでしょう」
そうだ。あの時父はミチルをゼファス様の養子とした。ラルナダルトという形に拘らずとも、女神への祈りは可能だった。必要なのは祈りの場に立ち入る資格を持つ公家と言う肩書き──つまり、公家が継ぐ名。
ミチルは幼少時に陛下から名を賜っていた。だからラルナダルトの復興は必要なかった。
ミチルは父に大切にされた。ミチルに手を出されて怒ったのは、ミチルが使える駒だからだ。
駒であると認定されれば、大切に扱われる。
「彼女は駒ではなかった、と言う事かな」
「もしくは、駒としての役目を終えたか」
「……父の目的が分からないよ」
「何も求めていない可能性もあるのではと思えてきました」
思わず立ち止まってしまった。
ルシアンも立ち止まり、振り返る。
何も望んでいない?
「正確には、あちらに入り込めさえすれば良い。
婚姻がなくとも、今回の事で我らはあちらに干渉する機会を得ます」
「婚約に至らなければそうではないだろう?」
ルシアンは首を横に振る。
「彼らは婚姻がしたいのではありません。女神の救済を求めています」
魔素を止めたい。
その為に断られる事を前提とした婚姻。
どちらに転んでもゼナオリアは救いをこちらに求めてくる。
「皇国と繋がりたい。その切っ掛けを作る為の婚姻です。国家間においてその為に婚姻を結ぶ事は一般的でしょう。
アスラン王は純血と聞きます。血が混じる事を望まないのは、皇国だけではないと言う事です」
「そうかも知れないが、相手の国に何かを求めるならば、婚姻は……」
いや、婚姻は必須ではない。さっきからそう言っている。
彼らは女神と繋がりたいのであって、皇国と繋がりたい訳ではない。最低限の繋がりがあれば良い。
「だが、ラルナダルトは皇国の公家だ。皇国との繋がりは必要だろう」
「彼らはミチルとの繋がりを求めているだけで、婚姻は絶対ではない。
これからは兄上がいます」
皇家よりも、義兄である私に接近した方が早いと判断しても不思議はない。
「何処までゼナオリアが考えているかは分かりません。あくまで予測に過ぎない」
ゼナオリアの望みは一つ。その為にシンシア達は必要な駒だと思っていた。その考えを壊したのは父だ。用意しておきながら壊したのは何故なのか。本当に不要になったからあんな事をしたのか?
「ゼナオリアは魔素に苦しんでいる。今回も助けてくれない創造神オーリーを見限る事を決意した……。
女神の庇護下に入りたいと望み、その切っ掛けとして不相応な要求を皇国に突きつけた。助けを皇国に求めて、たとえ交渉が難航したとしても、その間にミチルと繋がる事が出来れば良い。
理由もなくゼナオリアの使者が皇国に立ち入る事は出来ないだろうが、理由が理由なら何度も訪れる機会を得るし、各公家にその橋渡しを頼むだろう。真っ先に足を向けるのはラルナダルトだ。筋書きとしてはおかしくない」
予想だけれどね、と付け加えると、ルシアンが頷く。
魔力の器を持たない、マグダレナの貴族達を受け入れたのはその布石?
「……なるほど。父は受け身を嫌ったのか」
交渉の為にとあちらがマグダレナを自由に歩くのを嫌がった。
ルシアンは頷いて言った。
「それもあるでしょうが、きっと父は魔素──女神の意向を正確に理解する為に兄上を行かせたいのだと思います」
魔素がオーリーとイリダの大陸を覆っている事は事実らしい。
女神の意図を正確に知る為に私を向かわせる。
フィオニアでは抑えきれなかったものを抑えよと言う意味もあるだろう。
「責任重大だね」
「もう一つのアルトを立ち上げるんです。それぐらい出来ていただかなければ困ります」
揶揄いでも何でもなく、真顔で言い切る弟に苦笑してしまう。
本当に父も弟も容赦がない。
「それに、兄上以外には出来ないでしょうから」
思いもつかぬ言葉に嬉しくなってしまう。
「善処するよ」
我ながら弟に弱いと思いながら。




