新しい利用者
ラトリア視点です
使い古されたアンクを持ち、皇都にある皇族のみが入る事を許される図書館に向かう。
先を歩いていたダナンが立ち止まる。その背中から緊迫したものを感じる。
「……ダナン?」
前方に視線を向けると、皇太子であるゼファス様が館の前に立っていた。周囲を取り巻く者達の雰囲気は、ただの側仕えが持つ者ではない。ダナン達、隠密行動をする者と同じものだ。
オットー家は守護者として影を取り仕切る一族。皇太子となられてもその力を持たれたままと言うのは聞いていた。
ゼファス様が父がアンクを持っていた事をご存知なのだとしても、それが私に譲られた事をよしとされない可能性はある。
どうしたものかと思っていると、ゼファス様が手を軽く上げた。周囲の影達がその場に跪く。
「来るのが遅いよ。待ちくたびれた」
緊迫した空気が途端に柔らぐ。
「……は、申し訳ございません」
「書類が溜まっているのに抜け出して来たんだから、早く受け取って。寒いし」
そうおっしゃると、こちらに向けてアンクを差し出された。
戸惑いはあるものの、ゼファス様の前に跪く。降ってきたアンクを慌てて受け取る。
「リオンから受け取った方は返して」
外套の内側のポケットに入れておいたアンクを取り出し、ゼファス様に差し出す。
「……アンクに刻める名は一つだけだ」
父から譲り受けたアンクに刻まれていた名は、ゼファス様の長兄──エザスナ・レミ・オットー殿下のものだ。
「……よろしいのでしょうか、皇族ではない私がアンクを所持しても」
尋ねると、聖下は呆れたようにおっしゃった。
「そんなもの建前に決まってるでしょ。
ここにある全ての情報を望む者全てに開示する事は不可能だし、するつもりもないけど、そなたは知る必要がある」
言葉にはなさらなかったが、きっとこう、続いた筈だ。
そなたは知る必要がある、ミチルの為に。
「ありがたく、拝領致します」
「終わったら会いに行くんでしょ?」
「はい。出立まで滞在する予定でおります」
次の定期船で私はイリダに向かう。それまでに準備を整えなくてはならない。
「新しいのを持って来るようにと伝えておいて」
ミチルへの伝言だろう。
そこまでおっしゃると聖下はその場を立ち去られた。音もなく、本物の影のようにゼファス様を守るようにして消えた。
息を吐く。
考えてみれば、私がイリダに向かう事は、聖下が大切にしているミチルを守る為のものでもある。咎められる筈もなかったと今更ながらに思い至り、苦笑いを浮かべた。
「……行こうか、ダナン」
図書館の入り口はアンクを持つ私しか通さず、ダナンを置いて入るしかなかった。
生きている人間とは思えない、まるで人形のような双子に訊ねられるままに名乗る。
この図書館にある全ての知識を知る権利が与えられたと告げられた。
人の姿は見えない。
入る事を許可された者が限られているのだから、当然と言えば当然なのだが。
奥に向かうと椅子に腰掛け、本を読んでいるルシアンがいた。
「遅いです、兄上」
本日二度目だよ、その言葉を言われるの。
「すまないね」
「エザスナ殿下のアンクで入館したのですか?」
……ルシアンはそれを知っているのか……。
「いや、ゼファス様から新しいアンクを頂戴したよ」
ルシアンが目を細める。
「ミチルに関すると聖下は途端に甘くなる」
それをルシアンが言うのはどうかと思うけどね……。
「これだけの文書量を読むのは骨が折れそうだけれどね、古ディンブーラ皇国の遺産なのだろう。ありがたく読ませていただくよ」
今日は早く出るにしても、ダナンを待たせ続ける訳にはいかない。次からはダナンを帰らせて、時間を決めて迎えに来てもらうのが良さそうだ。
「ところでルシアン、ここで待ち伏せたと言う事は、ミチルに聞かれたくない事があるのかな? それとも、オットー家の影?」
ミチルにはオットー家の影がついている。アルト家──クリームヒルトを付けようとしたが聖下に却下されたと聞いている。
「どちらも」
「なるほど」
私とルシアンが執務室で話していれば、ミチルはなにかしら思うだろう。余計な心配をかけない為か、それとも……。
「こちらの考えは父に筒抜けでしょうが」
そうだろうね、と答えて頷く。
父に見通せない事などない、そう考えて行動した方が良い。
「邪魔をされなければ構いません」
ルシアンも私も、アルトの人間としての基準を満たすだけのものは持ち合わせている。それでもあの父には遠く及ばない。そんな事は十分に分かっているし、ルシアンが言う通り気にする事ではない。
大事なのは、為したい事、為すべき事の為に十分な力が己にあるかどうか。
「イリダの技術者をマグダレナに呼び寄せ、魔力について研究させるだけが目的なのかい?」
ルシアンは私に、イリダから技術者を連れて来る事を第一に望んだ。
「アスラン王との婚姻の為の準備に三年はかかります。最も猶予が無いのはアスラン王との婚姻が成立しない場合です。
その間にあちらの情報と技術を吸収するだけしなくてはなりません」
頷く。
あの条件ではあちらも頷くまい。
オーリーの真の望みは正妃ではなく、女神マグダレナなのだから。
「その前にあちらが断ってくるような事があっては困ります。念の為にフィオニアをイリダに送りましたが、それだけでは心許ない」
「時間稼ぎをしてくれば良いと言う事だね」
「はい」
早々にあちらが種明かしをしたとしても、あちらの要望を受諾するかどうかの交渉をする事になる。
ゼナオリアの事が暗礁に乗り上げたとしても、イリダと交渉するようにして時間を稼ぎたい所だ。
理由は何でも良い。正規のルートで入り込む事が肝要なのだから。
「こちらに出入りしているのはオーリーのみです。イリダは受け入れはするものの、こちらに人を遣わさない」
「侵略しようとした国が軽々しく出入りするのは憚られる、などと言ってるようだけれど、建前だろうね」
魔力ギルドを通して魔石が手に入れば、イリダからすればこちらから得たいものなどないだろう。人を遣わす必要性がないと見るべきだ。
「はい」
「何を考えていると思う?」
近くにあった椅子に座らせてもらう。
「オーリーと同じように魔素があの大陸にも広がっているのであれば、彼らは魔素の解析を進めている事でしょう。大地を通して魔力を奪うような技術を作る事が可能な彼らが、魔素の解析に時間がかかるとは思えません」
「既に分解する技術は得ているのではないか、と言いたいんだね」
ルシアンは頷く。
弟の考えに同感だ。
イリダの動向が見えない。
「オーリーは女神の傘下に加わる事を望み、それにより魔素の影響から逃れようとする。イリダは独自の技術で魔素の影響を打破しようとする……健全な思考はイリダだけれど、彼らは前科があるからね」
指導者はイリダの旧王朝の王族の生き残りだ。
しかも女神に救いを求めたいと言う個人的な望みと、民族同士の諍いを利用した本人なのだから、警戒するなと言う方が無理な話だ。
「イリダの思惑を知りたい。あの技術力は脅威でしかない」
マグダレナがあちらの技術に追い付くには時間がかかる。
「その為にも、大陸全土の発展を促す為に新ギルドを創設するのだろう?」
カフェや新しいギルドの創設の根幹を担うのはラルナダルト家──アルトだ。
思惑に多少のズレはあったとしても、皇家も公家も我らも目指す方向は同じ。
力を付けなくてはならない。かと言ってディンブーラ皇国だけが力を付けても意味がないのだ。
帝国とギウス国、大陸全体がまとまらなければならない。そうしなければ敵に回られる可能性が高まる。
「今後、民族の血が混じり合う事は避けられません。女神の意志が何処にあるかは分かりませんが、マグダレナの民の血を維持するにも限界がある」
「平民が技術力を持つのはむしろ脅威になるとは考えないのかい?」
ルシアンは手に持っていた本を閉じる。
「万人を一つの思想に染め上げる事は不可能です」
「確かにそうだね」
それこそ、かつて蔓延った悪辣な宗教の真似事をする事になる。
「どう転んでも避けられない道であるなら、その道を自らが作るしかありません。主導権を奪われてしまえば全てが後手に回る。手綱を握り続ける事が影響を最小限に抑える手段となります」
その考えは正しい。
「魔力の価値があればある程、ミチルは狙われます。ラルナダルトの血を引く者も」
「ルシアン、そなた」
思いも付かなかった事を言い出す弟に、戸惑いを覚える。
「マグダレナの持つ優位性を無価値にする気なのかい?」
「すぐにではありませんが、いずれは。
魔力頼みでの優位性など、支配下に置かれたならば無意味です。
覚えておられませんか、彼らはそもそも、我等を家畜として扱おうとしました」
不快感が胸を覆い尽くす。
「……そうだったね」
イリダとオーリーの民を見極める必要がある。
現在のイリダが、かつての支配層と同じ考えを持っているとは言わないが、潜在的な思想と言うものはある。
彼らがオーリーの民を、自分達と同等と受け止めているとは考えにくい。
「責任重大だ」
立ち上がったルシアンは、手に持っていた本を渡してきた。
「この図書館は貸し出しが可能です」
そう言ってルシアンは行ってしまった。
……思ったより柔軟な管理のようだ。
周囲をぐるりと見回す。
閉ざされた知識。
一刻の猶予もなく、私はここでの知識を身に付ける必要がある。
「睡眠不足が続きそうだ」




