目に見えずとも
ラトリア視点です
王太子家族はカーライルに無事に帰国したが、王城にはポリット侯の手の者がいる為、ロシェルの生家──シャンティカイユ家に預かってもらっている。
レンブラント家やフレアージュ家にはポリット侯が目を光らせているだろうが、シャンティカイユ家には付いていない事を確認している。
それに身重の妻と息子の顔を見に私が訪れたとして、何ら不思議はない。
ロシェルは服飾を趣味としているのもあって、他国からも珍しい生地などを取り寄せていた。今回運び込まれた荷は、ラルナダルト領からではなく、別の国を通している。
その荷を運ぶギルド職員の振りをして殿下達にはこの屋敷に入ってもらった。
今日も妻子に会いに来たと言う事でシャンティカイユ家を訪れている。
案内されたサロンに、王太子家族はいた。
「ご無事の帰国、安堵致しました」
殿下に礼をする。
「顔を上げてくれ、レンブラント卿。我らに何もなかった事は卿が一番分かっているだろう」
顔を上げると、苦笑いを浮かべた殿下と、微笑む妃殿下がいた。王女殿下が妃殿下に甘えるようにしてくっついていた。
旅の中で親子の仲が深まったのであろうかと考えていると、「レニアルの事だが」と殿下が話し始めた。声に強張りを感じる。何かあったか、ラルナダルトで。
「レニアル、お部屋にいってお人形を持ってきてくれるかしら?」
モニカ妃のお願いに王女は笑顔で頷くと、私の横を通ってサロンを出て行った。
「レニアルの教育係として付けていた者がポリットの推薦であった事は、そなたも知っているだろう」
「……なるほど、良からぬ事をレニアル殿下に吹き込んでいた、と言う事ですか」
「そうだ」
モニカ妃の表情には後悔が浮かんでいる。
その可能性はあると思っていたが、あの男は本当に容赦がない。
念の為にと、陛下と王妃殿下の侍従に解毒剤を渡しておいたが、正解であったかも知れない。
「計画は順調と聞いているが」
王太子殿下の問いに笑顔で答える。
「勿論、遅滞なく進んでおります」
大きなため息を吐く殿下を、モニカ妃が気遣わしげに見つめる。
「すまない。決めた事ではあるが、やはりこれからの事を思うと気が重い」
殿下の代からは、宰相を歴任していたアルト家がいない。後任はフレアージュ侯になるだろう。フレアージュ侯なら上手くやるだろうが、不安を抱かれる気持ちは分かる。
目を閉じ、大きく息を吐いた殿下は、私を見て言った。
「ルシアンに言われたのだ。
自分の代で忠節を違える事になるが、目に見えるものが全てではないと」
私は笑顔で頷いた。
弟がアルト家の思いを殿下に伝えていた事を嬉しく思う。アルト家は二君に仕えずとして、各国からの誘いをひたすら断り続けた。已むを得ず一族の者を行かせる際には、子を成せぬ身体にしてから送り込んだ。
非道な事だと思う。そうまでして守り続けた家。カーライルという国を、容易く捨てられるものではない。
「その通りにございます、殿下。
我らアルトが、カーライル王家に仇なす事はございません」
頷いた殿下は、モニカ妃にちら、と視線をやるとこちらに向き直る。
「モニカが言っていたのだ。
人には逃げられぬものがあり、たとえその時逃げ果せたとしても、形を変えてやって来るのだと。
国もきっとそうなのだろう。
これまでカーライルはアルトの力に依存し過ぎていた。これからは王家の血を引く者として、この国を守り続けると誓う」
逃げられぬもの──その言葉が胸に刺さる。
思わず苦笑いを浮かべてしまった私を、殿下が不思議そうに見る。
首を横に振る。
「申し訳ございません。まさにその通りだと思いまして。
私はアルトに生まれながら、その柵から逃げようとしました。
ルシアンが後継となり、逃げ切れたと思っておりましたが、そうもいかぬと覚悟を決めたばかりなのです」
そうか、と殿下は頷く。
「明後日、フレアージュ侯の使いが迎えに来る予定でおります。
次の謁見を持ちまして、レンブラント家はカーライル王家に爵位を返上し、私はアルトの家名に戻らせていただきます」
「アルトに戻り、ラルナダルト領に入るのか?」
いえ、と答えて首を横に振る。
「ディンブーラ皇国皇都に参ります」
予想と違う答えだったのだろう。殿下の表情には戸惑いが見られた。
レンブラント家が公爵位を返上する事は伝えていたが、ディンブーラ皇国に行く事は伝えていない。
「会わねばならぬ方がおりまして」
「……そうか」
立ち入ってはならぬと思ったのか、それ以上聞かれる事はなかった。
扉が開き、人形を抱いたレニアル王女が戻って来て母であるモニカ妃に抱き付いた。
途端にその場の空気が柔らかいものに変わる。
これ以上話す事もなかったので丁度良かった。
「では、失礼致します」
「あぁ、ではまた」
礼をしてサロンを後にし、妻子のいる部屋に向かう。
階段を上がる。
今回の帰省に合わせてロシェルに充てがわれた部屋は、ロシェルの元々の部屋ではない。
身重になるに連れて動きづらくなる娘の為に、シャンティカイユ侯が日当たりの良い部屋を用意してくれたのだ。
ダナンが扉を叩くとロシェル付きの侍女が顔を出した。
私の顔を見てすぐに扉を大きく開いた。
「奥様、旦那様がお越しです」
私の姿を見るなりオーガスタスが走って来た。
抱き上げると声を上げて笑った。
私と同じ髪の色と、ロシェルと同じ瞳の色を持つ愛しい我が子。
「父上、おかえりなさい」
「ただいま、オーガスタス。母上の言う事を良く聞いていたかな?」
「うん」
窓の側にある椅子に腰掛けていたロシェルが侍女の手を借りて立ちあがろうとするのを、止める。
「あぁ、そのままで。
大分腹も大きくなって動き辛いだろう」
オーガスタスを抱いたままロシェルの横に立つ。
「ラト、おかえりなさい」
「ただいま、ロシェ」
健やかそうな彼女の様子に安堵する。
「少し痩せたのではなくて? ……まだ、続いているの?」
私がポリット侯に毒を盛られている事をロシェルは知っている。
「それももう終わるよ」
そう答えるとロシェルはほっと息を吐いた。
「そうよね。殿下ご夫妻がこちらにいるのはその為なのだものね」
「そうだよ」
オーガスタスを下ろすと、侍女がその小さな手を引いて部屋を出て行った。
「不自由はしていないかい?」
「大丈夫よ」
「それは良かった」
ロシェルの頰を撫でる。
「大丈夫だと信じているわ。けれど、全てが終わるまで安心出来ないの」
不安気に揺れるロシェルの瞳に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「全ての準備は整ったよ。
これからの事もルシアンが助けてくれたからね、何も心配しなくて良い」
頷くロシェルの髪に口付ける。
「ミチルが望んでくれたのね。私達の事を」
「きっとそうだろうね」
本来であればオーガスタスは、ルシアンとミチルの子が生まれた時、父に処分されても文句が言えなかった。
ミチルが目覚めなかった時の為に、子を持つ事が許されただけだったのだから。
孫の命すら駒として扱う。アルト家宗主として、情に流される事があってはならない。
だが、ルシアンがそれを止めた。ミチルが悲しむからと。それが何を意味するのか、ルシアンとて知らない訳ではないだろうに。
困ったねと言いながら、父はそれ以上何も言わなかった。
見逃してもらえるのかと思っていたが、今回の事でそうではないと思い知らされた。
父はこの為にオーガスタスを生かしておいた。
私にアルトに生まれた者としての務めを果たさせる為に。
「子が生まれて、落ち着いたなら私の元に来てくれると嬉しい」
オーガスタスの時には間違えた事ばかりして、ロシェルにはよく怒られた。その時の失敗をルシアンに送ったら珍しく感謝されたけれども。
「勿論よ、ラト。こうして今、離れているのも淋しいの。産後が落ち着いたなら、オーガスタスと貴方の元に参ります」
「うん」
ロシェルの頰に口付ける。
「次はきっと、長旅になる。
身体が大丈夫になってから来ておくれ。絶対に無理をしないで欲しい。
貴女に何かがあったら、生きていけない」
伴侶を失ったアルトの男は短命だ。子の成人を見届けた頃に命の炎が尽きる。
他の者を愛する事など出来ないのだ。
私もそうだろう。
「まぁ、ラト。
会う度に情熱的になっていくわね」
ふふ、と笑うロシェルに、愛しさが込み上げる。
「それは仕方ない。私もアルトの男なのだから」
明後日、ポリット侯を断罪する。
アルトの名でカーライル王家を守るのはこれが最後となるだろう。




