三人の女性
ゼナオリア王 アスラン視点です
ラモンの手の中で書簡が音をたてて歪む。彼の者の掌中にあるのはディンブーラ皇国皇太子からの書簡だ。
その様子をヒメネスが呆れ顔で見つめて言う。
「そのご様子では散々な結果になったようですね、ラモン卿」
顔を上げたラモンはヒメネスを睨みつける。
他の面々は気不味そうに俯く。
ヒメネスからすれば文句の一つも言いたくなるだろう。
何故ならヒメネスは、ディンブーラ皇国にゼナオリアの王妃となる者を求める事に最後まで反対していた。
それは余もそうであったが、宰相であるラモンが、いくら敗戦国であったとしても、全てにおいて下手に出るのは得策ではないと強く押し、その案に賛同する者は多かった。最終的に許可したのは他でもない己である。
責は余にある。
「ただのお断りが来て済むような相手ではありませんよ、ディンブーラの皇太子も、リオン・アルトも」
そう言ってヒメネスはラモンが丸めた書簡を取り上げ、広げて声に出して読み上げた。
「"貴国との関係強化の為、我が国から王妃に相応しい者を用意した。
ついてはこの中から選ばれたし。
エリーゼ・ディンブーラ
アレクシア・ディンブーラ
シンシア・ディンブーラ"
……何とも錚々たる顔ぶれですね……。
この返答、既に全て知っているのではないかと勘繰りたくなるぐらい見事に皮肉が効いているではないですか。
ご丁寧に釣り書きまで用意されているときてる」
ヒメネスが苦笑いを浮かべた。
前女皇であり、二人の子を産んだエリーゼ・ディンブーラ。余よりもかなりの年上である。
シンシア・ディンブーラはエリーゼ・ディンブーラの実の娘であり、この中では一番若く、婚姻歴が無い。
……アレクシア・ディンブーラ……マグダレナ側から監視人としてこちらに遣わされたフィオニア・サーシスの妻……であった筈だ。だが、家名がディンブーラに戻っている。フィオニアとの離縁の話は聞いていたが、まさかこのような形で名を見るとは思っていなかった。
愛おしそうに妻の話をするフィオニアの顔が思い出される。
「こちらを馬鹿にするにも程がある! いくら戦勝国とは言え、これは無礼ではないのか!」
ラモンがヒメネスに向かって叫ぶ。
「馬鹿げた要求を出したのは当方だと再三申し上げました、ラモン卿。
我らがいくらかつてのオーリーと異なると言っても、あちらからすれば同じオーリーだ。しかも自国での革命を成功させる為に戦艦で攻める事までしているのですよ。
悪感情を持つなと言う方がおかしい」
言い返せないのか、ラモンはヒメネスを睨む。
「こちらの内情が知られていると言ったな、ヒメネス卿。貴方の奥方が情報をもらしているのではないかな?」
ヒメネスの眉間に皺が寄る。
さすがにこの発言は差し置く事は出来ぬ。
「マグダレナから然るべき人を探して来るよう命じたのは余であり、ヒメネス侯爵夫人は素晴らしい女性である。
彼女を中心としたマグダレナの貴族達が、縁のなかった我が国の為に働いてくれている事をそなたが知らぬ筈はあるまい、口を謹め、ラモン」
「…………は、申し訳ございません。言葉が過ぎました」
「ヒメネスも、許せ。余がラモンの案を選択したのだ。責は余にある」
「私如きが陛下の裁可に口を出すなど、出過ぎた真似を致しました。申し訳ございません」
二人は深く頭を下げた。
これで少しは冷静になってくれれば良いが。
「今更ではあるが、素直に詫びたいと考えている」
「陛下、それは……」
戸惑いを隠せない表情を見せるラモンに、首を横に振る。
「重ねての失態は許されぬ。国と国との交渉に駆け引きが必要な事は十分に理解しているが、このままでは我らが望む結果は得られん。
対面はしておらぬが皇太子はリオン・アルトの親友と聞いた。ヒメネスの申す通り、我らが小手先の策をへし折るなど、虫を叩く程に造作なかろう」
仰せの通りに、と答えてラモンは俯く。
数年前の、あの会合が思い出される。
ディンブーラ皇国女皇 イルレアナ・フセ・ディンブーラ。
女傑と評するに相応しい皇帝だった。感情的な物言いをしているように見せて、それも計算ずくであるように見えた。自身の年齢も性別も何もかも、上手く利用して話の流れを作っていく様は、見事としか言い様がなかった。
雷帝国皇帝もギウスの族長も決して暗愚ではなかった。皇国公家の面々も曲者揃いであり、皇国を長きに渡り支配してきただけはあると思わせる者達だった。
だが、あの女皇とリオン・アルトの前では赤子のようなものであろう。
……そう、リオン・アルト。天才と評される者。
当たりの良い話術に引き込まれている内に、完全にあの者の手の上に乗せられてしまう。
「僭越ながら申し上げます」
ヒメネスは何か策があるのか、口を開いた。
「申してみよ」
「予想とは異なる結果になったとは言え、我らゼナオリアが女神マグダレナの庇護を得る為にも、今回の申し出は利用出来るのではないでしょうか」
ラモンは予想していなかったヒメネスの反応に戸惑っている。最後まで反対の姿勢を貫くと思っていたのだろうが、ヒメネスは考えが柔軟だ。
余が今回の責を負うと口にした事で考える方向を変えたのだろう。
「元よりマグダレナの血を取り込む予定で、我が妻シャマリー達を自国に受け入れたのです。
陛下にはオーリーとして純血をお守りいただければと思っておりましたが、王が先んじて皇国と血の繋がりを持ち、マグダレナの血を引く子を持てば、女神の庇護も得やすくなろうと言うもの」
「それはならん!」
ラモンが声を荒げて抵抗を示す。それに対してヒメネスは強い視線を返した。
「戦勝国から妃を賜った場合は、愛人を持てぬのが決まりだそうですよ、あちらでは」
そう言って皇太子からの書簡をラモンに手渡す。
該当の箇所を読んだのか、ラモンの手の中で書簡はぐしゃぐしゃと音を立てて丸められた。
辺りが騒がしくなったが、ヒメネスが話し始めるとその言葉に耳を傾けようと誰もが口を閉じた。
「監視人であるサーシス卿がいるのです。こちらの全てとは言わずとも、ある程度の情報は知られていると考えるのが普通でしょう。
こちらが外交において駆け引きを持ちかけたように、あちらも駆け引きをしてきた。当然の事です。
陛下のお相手として選定されたこのお三方の内お二人に関して言えば、そもそも選ばせるつもりがないように見えます。あからさまな程に。
我らは必然的にこの、皇女シンシアしか選択肢がない」
多くの者が頷く。
「皇女シンシアは前女皇の娘。皇位継承権を持つ者の筈です。女皇にならずとも、年齢から考えても公家、侯爵位を持つ家に降嫁しても何らおかしくありません。にも関わらず未婚であるのは何かしらあったと考えるべきでしょう。
それと、他国への降嫁が認められていると言う事は継承権を剥奪されているなどの、なんらかの瑕疵があると考えます」
納得のいく説明に思わず頷いてしまう。
「もしくは、継承権は保持しているものの、子が出来ぬなどの問題を抱えているとか」
俄かに場が騒がしくなる。
静粛にせよ、御前であるぞ、とラモンが場を抑える。
確かにヒメネスの言う通りであれば、憎き敗戦国に降嫁させるのにうってつけの存在であると言える。
「継承権争いを無くす為に子をなせぬようにする、もしくは形ばかりの婚姻で双方の継承権を持つ者を持たぬようにするのは考えられる」と、ラモンが言い、ヒメネスが頷いた。
オーリーの王家はイリダにより管理されていた為そのような事はなかったが、かつて臣であった上位の貴族達は、敵対する関係において一時的に婚姻を結ぶ際、決して子をなさないようにしていた。
「皇女シンシアを選択したい旨と、我がオーリーでは戦勝国から妃を賜ったとしても、子孫反映の為に妻は複数持つのが習わしであるとでも返せば宜しいでしょう。それで断られたなら、多少強引になったとしても、本来の流れにもっていけるかも知れません。
無論、皇女シンシアの事はこちらとしても出来うる限り調べさせます」
満足のいく答えだったようで、ラモンが頷いた。




