選択肢
ニヒト(銀さん)視点です
パチリ、と音をさせて扇子が閉じられる。それからまた僅かに開き、パチリと音をさせて再び閉じられた。
思案を繰り返す主人を横目で見ながら、声はかけず、ただ、待つ。
そろそろかと予想してティーポットにお湯を注ぎ入れておく。
冬に近づくにつれ、陛下の執務室の窓から見える木々も葉を落としていき、侘しい佇まいだ。
「アルト公の手の上で踊らされてしまったようね」
閉じられた扇子は開かれる事はなく、膝の上に置かれた。お考えがまとまったようだ。
「そう仰られますのは?」
十分に蒸らした紅茶をカップに注ぎ、サイドテーブルに置く。ゆらりと湯気が立ち上り、消える。
「ゼファスを行かせたのは間違いだったと言う事よ」
アルト公を止める為に皇太子殿下をラルナダルトに送り出したものの、それはアルト公の望む展開だったと言う事か……。
「皇女シンシアが、ゼナオリアへの降嫁を受け入れたのよ」
そちらが真打ちとなるのならば、報告に上がったアレクシア様の件は流れたと言う事なのかどうなのか。
「アレクシア様とサーシス家の次男を引き離したのはただの罰だったと言う事ですかな」
そうね、と答えると紅茶を口にし、息をお吐きになる。
表情は優れない。
「しかし、シンシア殿下がその役目を果たせるとは思えませんが」
ゼナオリアは皇国との血の繋がりを求めている。それは女神の庇護下に入る為である事は明白。
「シンシアは子をなせない身体になっている筈」
「…………は」
「シンシアがあの子に手を出して離宮に封じられた後、アルト家が監視の為に付けた侍女は、ルフト家の分家筋なのよ。
私ならそれぐらいの事はするわ」
ルフト家──毒に秀でた一族と聞いている。
「アルト公はシンシアをあてがい、ゼナオリアの要求を飲んだように見せかけるでしょう」
「敗戦国が戦勝国から妻を賜った場合は、第二妃などは持てぬのが習わし。王家の存続に関わりますが……」
隠れて他の女に産ませれば後継は何とかなるとして、ゼナオリアの望みは叶わない。なにしろ女神との交渉材料になる子が生まれぬのだから。
「何も問題が無いように思われますが」
「シンシアが子を産めぬ事を相手に知らせるつもりでいるでしょう。どの段階かはまだ読めないけれど……」
「では、やはりアレクシア様が?」
ゼナオリアは魔素の件をこちらに伝えてきていない。
交渉すらさせず、あちらの要求を飲み続けて封殺し、素知らぬ顔をするのかと思ったが……それでは火種になってしまうとの判断か?
「降嫁するにしても、今ではないのでしょう。
王族同士の婚姻よ、準備に数年を要するわ」
頷く。
王国内での婚姻だとしても準備に一年はかかる。国家を越える所か、大陸を跨るのだ。最低でも三年はかかるだろう。
「その間にアルト公はあちらに入り込むつもりなのではないかしら」
なるほど。それならば堂々とゼナオリアに入れようと言うもの。狙いは監視──だけではなさそうだが。イリダならまだしも、ゼナオリアにそれだけの価値あるものがあったか?
「問題はその為に、カーライルにおけるアルトの分身であるレンブラント家を潰す事」
「長男が養子に入った家でしたな?」
ラトリア・レンブラント。ルシアン様の兄。
リオン・アルトに似た柔らかな人当たり。才能はアルト家の男子として遜色ないが、策謀を嫌う性格であるとの事であるから、アルト家の後継としては不適格と言える。
弟であるルシアン様に立場を譲り、自身はレンブラント家の養子に入ったと言う。
「アルト公は良いように使われるのを厭うたのよ、ニヒト。カーライルにいればどうしても皇国、帝国、ギウスの仲立ちとならざるを得ないでしょう。
レンブラント家がアルト家と繋がっている事は誰もが知る事実なのだから。
けれどレンブラント家が──アルト家がいなければカーライルはその役目から逃れられる」
確かに、主人の計画にも、皇太子殿下の計画にも、アルト家がカーライルにて存続している事が前提だった。
「……なるほど。ですがそれではアルト家とて無傷ではありませんでしょう」
陛下は首を横に振る。
「レイが新しいギルドの創設に携わるわ。それと、カフェの件よ」
カフェは人の集まる所である。カーライルにてミチル様が立ち上げに加わったと言う店に足を踏み入れたが、中々に人の出入りも多く、人や情報を隠すには丁度良く思えた。
「それは全てアルト──ラルナダルトの管理下におかれるの」
合点がいった。
「名ではなく実を取った、と言う事にございますか」
「そう。アルトが傅くのは、後にも先にもカーライル王家だけと言う事なのでしょうね」
背もたれに寄りかかると、大きく息を吐かれた。
陛下には申し訳ないが、アルト家が主人はカーライル王室のみとの強い意志を抱いているのであれば、その気持ちは嫌と言う程に分かる。
我らレーゲンハイムにとって、主人はラルナダルトだけなのだから。
「憎らしい事。
ラルナダルトが栄えるのは嬉しいけれど、ディンブーラとして見れば損失となるのだもの」
イルレアナ様はラルナダルトのお血筋ではあるが、今はディンブーラ皇国の女皇であらせられる。
ラルナダルトだけを思えば増強される事は望ましいが、皇国とすれば大陸全体の掌握での中継地点であるカーライルが制御下から外れるのは好ましくない。
「……アドルガッサーから転籍した貴族の大半が淘汰されようとしていると聞き及びます」
陛下は目を閉じる。
「膿を全て出し切るつもりなのでしょう。
そうしてギルドが特定の貴族の管理下にある事が廃止され、ギルドは完全に独立した機関となるのです」
古いギルドは独立した組織となり、力ある貴族の庇護がなくなる。それはつまり自ら力をつける必要があり、これまでのようなぬるま湯には浸かっていられないと言う事だ。内部の変革を余儀なくされる事だろう。
新興ギルドをほぼ掌中にするアルトは、大陸内の全ての国への出入りが自由となる。
そうして得られた情報は、ある程度管理されたとしても、それぞれに益をもたらすものになるだろう。
甘い汁を吸わせて、存在を否定出来ないようにしていくのは常套手段だ。
「皇太子殿下を行かせた事を後悔なさっておいででしたが、それはどういった点でしょうか」
「ゼファスが移動すると言う事は、判断に迷う事があっても直ぐには確認が取れないと言う事」
「離宮の事にございますか?」
「えぇ。
離宮にも警備をする為の兵士もいるし、落ちぶれたとしてもあの者達は皇族ですもの。影が付けられているわ。何かあれば他の影に連絡を取るでしょう。
けれど皇都から離れた位置にある離宮で何かが起きたとして、直ぐには他の影に連絡は取れない。取れたとしてゼファスは皇都を離れていた。
ましてや、シンシア達の世話役をしているのはアルト家よ。そこにアルト公が足を踏み入れたとして、オットーの影も特別警戒を抱かない」
皇太子殿下を遠ざける必要が分からん。
離宮には女皇であった皇女エリーゼ、皇女シンシア、皇子アダールしかいない。
陛下が私を見て笑う。
「さすがのニヒトにも分からないかしら?」
「申し訳ございませんが、とんと」
「アルト公の目的はエリーゼの可能性もあると言う事よ」
「それは……」
「落ちた偶像とは言え、エリーゼはまだ若く、子を産める事も確認されている。魔素を吸収する事も可能よ」
「皇女シンシアではないのですか」
「可能性がある、と言う話をしているのよ。
エリーゼに、ここで生涯閉じ込められるのと、ゼナオリアにて王妃となる事のどちらを選ぶかと問われたら、どうなるかしら?」
「飛び付く可能性は高ぅございますが、アルト公の目的が見えませんな」
「正直に言って、アルト公が何を目的としているのか、私にも予想がつかないわ。
こうではないか、と行動から予測するだけ。けれどここに来て選択肢が増えてしまって分からないのよ」
そう言って陛下はため息を吐く。
「いやはや、これは予測が難しゅうございますな……」
アルト公はゼナオリアにて何をしようとしているのか。
それが分かれば糸口も見えて来ようが、さすがにこれは。
「つまり、アルト公は三つの駒を持っていると言う事ですな」
前女皇エリーゼ。同じく前女皇のアレクシア。皇女シンシア。
敗戦国からの過分な要求に応えるには、十分に瑕疵のある存在だ。
「どう考えてもゼナオリアを挑発しているようにしか思えませんが……むしろ選ばせたくないのではないかと」
あぁ、と呟くと陛下は頷かれた。
「ただの時間稼ぎなのだわ……」
「と、仰られますのは?」
「アルト公は筋を通すのがお好きでしょう? そもそもマグダレナの血とオーリーの血を混ぜる気などないの。
あちらに入る為の名目が欲しいだけなのよ」
得心がいった。
「最低でも三年はかかる準備期間の中で、欲しいものを得られると予測がついていると言う事ですな」
そのようね、と答えて陛下が紅茶を口にされる。
飲み干されたカップに茶を注ぎ、ミルクを入れる。陛下は二杯目はミルクをお入れになる。
「ゼナオリアのアスラン王は、誰も選べないわ」
次の言葉を待つ。
「女神の愛し子であるレイを貶めようとしたシンシアを選んだなら、女神は自分達を受け入れてくれないのではないかと考えるでしょう。
ではアレクシアを選ぶかと言えば、アスラン王はフィオニアと懇意にしているのだから、その妻を選ぶような真似はしない。
残った女皇エリーゼを選ぶかと言ったら、いくら美貌を保っているとは言え、エリーゼはアスラン王よりも遥かに上。身籠れるのかも分からない」
「苦渋の選択ですな」
「けれど、自らが欲しいと望んだのだから、選ばざるを得ない。仕方なくシンシアを選ぶでしょう」
年齢などを考えると皇女シンシアしか選択肢がないと言う事か……。
「そうして聞かされるの。シンシアは子が出来ない身体だと」
「ほほぅ、これはまた」
意地の悪い展開となりそうだ。
アルト公は選ばせる気がないと言う陛下の言に納得がいく。
「それに、ゼナオリアは、エリーゼも、シンシアも、目にした事がないの」
それは偽物を送る事が可能だと言う事だ。
「……ゼナオリアは、初手を間違えましたな」
「そうね。私も気を付けなくてはね」
そう言って陛下はミルクのたっぷり入った紅茶を口になさり、にっこり微笑まれた。




