賽は投げられた
祖国から届いた手紙を持つ手が震える。
いずれこうなる事は予見していた。そうならない為に何度も妻──アレクシアを説得してきた。けれど彼女は頑なに受け入れなかった。
何度説明しても分かってはもらえなかった。
選択肢を用意するのはこちらではない。
だが、もはや言っても仕方のない事となってしまった。
彼女はやってはならない事をした。
部屋に入るなり妻に声をかける。
「アレクシア」
侍女に目配せして息子を連れて行かせる。
近頃二人で話す内容はジェイデンの事。アレクシアは不満を露にし、関係は良好とは言えない。
「また、ジェイデンの事ですか?」
違うと答えると、アレクシアは小首を傾げた。
少女から大人の女性になっても僅かに残るあどけなさが、たまらなく愛しかった。
幼い頃からの忠誠を捨ててでも、手にしたいと思った、唯一の女性。
「……アレクシア……許して欲しい」
私の常と違う様子に、アレクシアは戸惑った表情を浮かべる。
「私は貴女と離縁する」
信じられないものを見る目が私に向けられる。
「……私が、ジェイデンを手放すのを嫌がったから、愛想を尽かされたのですか?」
アレクシアの声が震える。
違うと首を横に振る。
「それでは、何故……?」
息を吐いてから、口にする。
「宗主が……お怒りなんだ」
「は…………」
宗主と言う言葉を聞いて彼女はその場に座り込んだ。
「我らは生かされている存在だと言ったろう、アレクシア……何故、あんなものを……」
決定打は、アレクシアがゼナオリアの側近ヒメネス卿の妻に送った手紙だった。
アレクシアは祖国を同じとするヒメネス侯爵夫人を頼ろうとした。しかしヒメネス侯爵夫人がなんの縁もないアレクシアを助ける筈もなかった。
ヒメネス侯爵夫人はここに来るに当たってミチル様に関した事で一悶着あったと言う。
結果、彼女が抱えていた悩みは解消され、ヒメネス卿と婚約をし、ゼナオリアに来てから婚姻を結んだ。
彼女はミチル様に恩義を感じていると聞く。アレクシアの行動に疑問を感じた夫人はラルナダルト家──つまりルシアン様に報告した。
かつては定期便として月に一度しか船は発着しなかったが、今は週に一度は来るのだ。それ程までに交易は盛んになっている。
ヒメネス夫人の手紙は速やかにルシアン様に届けられ、ルシアン様から知らされた宗主は決定を下された。
「ジェイデンをマグダレナのサーシス家に預けたとしても、いずれ再会を果たせると言ったのに」
アレクシアの目から涙が溢れ落ちる。
「離れたくなかったのです……ようやく……私だけの家族が出来たと思ったのです……」
両親と死別し、成人後に祖父と叔母に出会えたかと思えば、安定しない政情に翻弄された。
その特別な事情に同情はする。しかし、彼女が選んできた事なのだ。女皇にならなくて良いと祖父であるクレッシェン公に言われていたにも関わらず、皇位に就くと決意した。祖父と叔母を喜ばせたい一心で。
その気持ちが悪いとは思わない。だが、女皇とはそんな軽い気持ちで就くべき立場ではない。
前女皇時代からの貴族の汚職を止める事も出来ず、皇国貴族にも軽んじられ、その皺寄せがミチル様に向かった。
……結果として、宗主による大粛清が行われた。
ここから先は私自身が魔力が枯渇して眠っていた為、他者から伝え聞いた。
イリダ戦。
アレクシアは女皇として祈りを捧げる必要があった。それが彼女が退位する条件だった。
祈りの継続が困難と判断されたゼファス様が、代わりを務めると申し出たにも関わらずこれを拒んで続行、失敗する。ただこれはアレクシアだけの責任ではないし、祈りに参加した公家の当主達も魔力を奪われて祈りの継続は不可能だったと聞く。
ミチル様が女神を降臨させた事によりマグダレナ大陸は守られたが、アレクシアは女皇としての責務を全う出来なかったとして退位した。
本来であれば公家のいずれかに降嫁しなければならぬ所を、陛下──イルレアナ様と宗主のご厚情により、瑕疵のある者として我らは婚姻を許された。
条件は子が生まれた場合は、サーシス家に預ける事だった。厳しく育てられはするだろうが、扱いとしては破格だった。本来なら有り得ない程の扱いだったのだ。
それにも関わらず、アレクシアはジェイデンを手放す事を嫌がった。
「子と、夫と、共に生きたいと望む事は、罪なのですか……?」
アレクシアの目からぼろぼろと涙が溢れていく。
「……それが、私達が共にいる為の条件だった」
「ジェイデンを、手放さなかった場合、私達は、どうなりますか?」
宗主からの命令は簡潔だった。
アレクシアと離縁し、ジェイデンをマグダレナに送る事。これに従わない場合は、全員処罰の対象とする──。
私とて息子を手放したくはない。それでも、決定を覆す事はアルト一門において死を意味する。
極端ではある。
だがそれは辺境に存在する国において、家門を統率する為に絶対となる。
「全員、処罰される」
「何故、このような非道な事をお決めになる事が出来るのですか? アルト公も子を持つ親でしょう? 人の心がないのですか?!」
「……貴女は、贖罪をしていない」
アレクシアが目を見開く。
「ミチル様がお目覚めになられたから、貴女は事態を軽く見ているのだろうが、お目覚めにならなかったら、我らはどう見られると思う?
責務も果たさず、遠き異国の地で、安寧を得る恥知らず……。これが、我らへ向けられる目なんだ、アレクシア……」
あの時と同じ。
未遂に済んだとは言え、深刻な状況に陥った。
結果がどうあれそれは変わらない。けれど、アレクシアは結果ありきで物を考えてしまう。
「貴女は何ら責を負っていないんだ、アレクシア。
それにも関わらず、恩を仇で返すような真似をした」
そんな……と、消え入りそうな弱々しい声を発し、首を横に振る。
「私、そんなつもりは、なかったのです……本当に……」
「……もう、決定されてしまったんだ、アレクシア。
私は貴女と離縁し、アル・ショテルに常駐する。ジェイデンはマグダレナのサーシス家預かりとなる」
この先を口にしようとすると、胃のあたりに鉛のような重さを感じる。
「貴女は……ゼナオリアのアスラン王の妃候補となる」
アレクシアの顔から表情が消える。
目を背けたくなるが、これは彼女を説得出来なかった己の所為なのだ。
愛する女性を他の男の元に送る事などしたくはない。
これを飲まねばアレクシアは、叛逆の意志を問われて処刑されてしまう。それだけは、それだけは何としても防ぎたい。
「……フィオ……ニア……?」
立ち上がり、私の前に立つアレクシアを、見つめる。
直に見る事も叶わなくなる、愛しい女性の姿。
「貴方は……それを……受け入れるのですか……?」
「……貴女の命を奪わせない為なら」
くしゃりと顔を歪ませて、アレクシアは私にしがみ付く。
「許して、フィオニア……私の浅慮が、貴方とジェイデンを……!」
抱きしめる事はせず、彼女の顔を見続けた。
この表情を忘れない為に。
何としても理解させるべきだった。彼女が浅慮だったとしても、それを補えない私が愚かだったのだ。
賽は、投げられてしまった。




