ラトリア様の思惑
ダヴィド視点
宗主と皇太子殿下がミチル様に話された内容は、すぐさまルシアン様に報告された。
それからルシアン様のご機嫌はすこぶる悪い。表情や声と言った態度には出てないんだけど、滲み出るものと言うものがありまして。
ミチル様を自国に招きたいと言う要望をオーリーがしようとしてるんだから、この方が腹を立てない筈がない。
「誰も彼も、何故、彼女を巻き込もうと考えるのか」
「それが一番簡単に物事を解決出来る手段だからでしょうね」
ロイエに睨まれたけど、オレだって不服ですけど?
セラがため息を吐く。
「兄と至急接触を図るように」
ルシアン様がおっしゃる。
「何か案が?」
「兄の思惑次第だ」
ラトリア様の、思惑。
セラからミチル様が宗主を罵ったと聞いた時は肝が冷えた。
「大旦那様に向かって人でなし魔王! って罵るのよ? まったく、ミチルちゃんには参ったわぁ」
額に手を当てて、それはもう深いため息を吐くセラ。
ロイエは無反応。
あの宗主を罵るって凄くないですか。有り得ない。そんな事したら翌日ベネフィス様に切り刻まれて湖の魚の餌にされている未来しか想像つかない。
って言うかその罵りはどうなんですかね?
気になってミチル様の元を訪れると、表情こそ普段通りだけど、何となくご機嫌が斜めなのが伺い知れると言うか。
「何の用ですか、ダヴィド」
うわ、何故かとばっちりがこっちに。
まぁ、無理もないけど。
宗主とのやりとりの内容をセラから聞いて、これはミチル様がお怒りになるって思ったし。
「ご機嫌伺いに参りました」
笑って答えると、顔を背けるミチル様。
珍しい。
ミチル様がこんなにはっきりと機嫌を露わにするのはとても珍しい。いやー、怒ってる。
「私に苦言を呈するつもりなら、聞き入れるつもりはありません」
「いえ、そんな気は全く」
いや、本当に無いです。
ミチル様はこちらを向いて僅かに首を傾げる。
「本当に機嫌伺いに来たのですか?」
厨房からくすねてきた菓子をテーブルの上に置いて、勝手に茶を入れる。
ミチル様の部屋には簡易的な厨房が付いてて、初め見た時は意味分からんと思ったけど、これ便利。
「いくらアルト家門に入ったからと言って、我等レーゲンハイムの主はミチル様から宗主にはなりません」
不必要に宗主やルシアン様に逆らうつもりは無いけど、オレの主はミチル様。
絶対にそこは揺るがない。
「宗主に暴言を吐いたと聞いて、珍しいなと」
淹れた茶をミチル様の前に置き、自分のも置いて勝手に座る。本来こんな距離感は許されないが、ミチル様はこういった様式を好まれるのだとセラを見ていて学んだ。
「お義父様にあのような事を言うのは良くないと分かっております。ですが後悔はしておりません」
そうでしょうとも。
うんうんと頷いて茶を飲む。
「ただ」
ただ? 何か気になる事があった?
アウローラを通して陛下や祖父に話がいく事だろうか?
「魔王に人でなしは、なんら罵りになってなかったなと」
そこですか?
「もっと抉るような事を言うべきでした。何かないですか、ダヴィド」
「オレが提案したと知られたら死期が早まるので、オレに聞かないで下さい……」
まだ死にたくないです、オレ。
真剣な顔でそんな事聞かないで下さい。
「ミチル様もご理解いただいていらっしゃるでしょうが、今回はアルト家の家督継承問題の材料にされているようですから、見守るしかないかと」
オレの言葉にミチル様が眉を顰める。
「ダヴィドに尋ねるのはおかしいのかも知れませんが、アルト家ではいつもこのようにして家督を継承するのでしょうか?」
「いえ、初耳です。
宗主はきっとカーライルを出るおつもりなんでしょう」
本来なら単純に宰相職を辞するだけで良い筈だ。
それをこんな大事にしたのは、ラトリア様がこれまでのアルト家のしきたりを破るに足るだけのものを見せなくてはならないからだ。
家訓を絶対とするアルト家において、それを破らせるのだから理由は必要になる。
なのにそれすら宗主から与えられているようではその資格なしと判じられる。
ラトリア様は自力で何とかしなくてはならない。己の子を守りたいなら。……ルシアン様が動こうとしてるけど。
「……お義兄様は、謀がお好きではないのです」
「それでもですよ、ミチル様。
家長になったんですから、好き嫌い言ってたら守るべき者を守れません。それはカーライルに残ろうと、イリダだかオーリーだか分かりませんけど、何処に行こうと変わりありません」
「家長……」
そう呟いて俯くミチル様。
分かっていた上で、ラトリア様の事を懸念されている。
まぁ、その不安も分かる。
ラトリア様は何事も卒なくこなす方ではあるものの、根底の優しさが見える人ではある。
「良い方向に持っていく為にルシアン様もご助力なさるでしょうし、大丈夫ですよ」
ミチル様の憂いを無くす為にルシアン様はラトリア様を助けるだろう。いや、犠牲にするみたいな事も言ってたな……。そもそもオーリーの元に行かせるなんて言語道断だし。……極端な手段に出ない事を祈る。
皇太子殿下や陛下はミチル様をオーリー達の思惑から遠ざける為に動くだろう。いくら宗主が釘を刺したとしたって。
それは宗主も分かってて、警告はした、くらいのものだろう。……と言うか、皆が動くのを分かった上で言ってる気もする。
宗主の言う通りオーリーとイリダの大陸に魔素が充満するような事があれば、それはマグダレナの民として対応しなくてはならない。
女神が何を以てそんな事をなさったのかは分からない。
「ダヴィド」
「はい」
「マグダレナ様はお考えがあると思うの。
三年の眠りから目覚める際に、お話を少しさせていただいたのだけれど、マグダレナ様は兄であるオーリー神達に思う所がお有りだとおっしゃられていたから……」
心臓が跳ねた。
女神と言葉を交わしたと主は言う。
「双方の大陸に広がる魔素は極微量で、人体への影響は僅かだと聞いています」
そう、微量らしい。
よく気付いたなと思っていたら、フィオニア・サーシスが宗主から命じられて調べ続けてたって言うんだから、宗主の頭の中ってどうなってるのか。
予見してたって事か。
「私が女皇になれば全ては解決するのですか?」
一番聞きたくない言葉を、ミチル様が口にする。
「……解決する事も多いとは思います」
オレの反応に、不思議そうな顔をする。
「レーゲンハイムとしては女神の愛し子が女皇になるのは喜ばしい事ではないのですか?」
「それがミチル様の心から望む事であれば」
俯く。
ミチル様は自分が犠牲になればと考えているフシがある。だからあの局面であんな事を決意出来たんだと思う。
簡単に言えば自己評価が低く、自身の価値を低く認識されている。
それに、ミチル様は人の上に立つ為の教育を受けていない。
上に立つと言う事は滅私奉公しろと言う意味ではない。
然るべき時に、然るべき犠牲を公私に渡って払えるかと言うものだ。
自分を犠牲に、と言うのは正しいけれど、正しくない。
「それはそれとして、先程申し上げたように今回の事はアルトの問題です。レーゲンハイムもラルナダルトも愛し子も関係ないと思われます」
不満そうに菓子を口にするが、理解はなされている。
アルトとしてミチル様に求めるものはあるだろうが、オレはレーゲンハイムであり、この方はラルナダルトの当主だ。
そこは絶対に譲らない。
もしミチル様が望むのであれば、宗主の意思に反しようとも、動く事は吝かではない。
……呼び出しを受けた。宗主に。
「流石は至星宮だね。良い部屋が多くて大変過ごしやすい。このまま命を落とした事にして、ここで暮らすのも悪くないね」
楽しそうに話す宗主が胡散臭い。
「ルシアンとミチルの機嫌が悪くなってしまったね」
困ったねぇ、などと、心にもない事を言う宗主。と言うか、笑顔で言うから余計に。
「質問をお許しいただけますか」
「どうぞ」
「何をお隠しですか?」
宗主はオレを見て目を細めて笑う。
「まだ何も隠していないよ」
まだ何も隠していない。
アルトの男は嘘を吐かない。言葉遊びと嘘は異なるものだ。相手を煙に巻くのは貴族として普通の事であり、腹芸の出来ないものは無能と謗られる世界だ。
「ルシアンの怒りが手に取るようだよ。アレは本当にミチルに関する事には狭量だからね」
「焚き付けたのですか?」
肩を竦める宗主の前にベネフィス様が紅茶を置く。
「アレはそろそろ、その狭量さを飼い慣らすべきだろう?」
やはり分かっていてあのような発言をされたのだ。
「では、ミチル様にお話しになられたのも、同様の意味を持つのですね」
そうだよ、と答えて紅茶を飲む宗主を、思わず見てしまう。
お二人──ラトリア様を含めれば三人か、三人の成長を望んでいると言うが、この方の行動には情が感じられない。
「宗主の情はいずれにお有りですか?」
率直にそう伝えてしまったのは、ミチル様の影響かも知れない。
宗主は笑う。
「面白い事を言うね、ダヴィド。
アルト宗家を継ぐ者が情を制御出来ないと思っているのかい?」
「いえ、制御するだけの情をお持ちなのかと」
結構はっきりと言ったけど、ベネフィス様も宗主も特に反応がない。
けれど、﨟長けた二人だから油断はならない。何が刺激するかは分からない。
「これは手厳しいね。
今回の課題に対してレーゲンハイム当主はお怒りだ」
けれど、と言葉を区切り、話は続く。
「分かっているだろう、ダヴィドも。
常とは異なる状況を越えるには、その枠を越えるに足り得るだけの物を見せる必要があるのだと」
「率直に申し上げさせていただければ、レーゲンハイムが仕えるのはラルナダルトの血筋のみです。
ロシュフォール様の代になられましたらそうではないでしょうが、今はそうではありません。
もしミチル様がアルト家門から出たいとお望みになれば何をおいても実現します」
その為にミチル様を危険に巻き込む事は許さない。
ルシアン様がミチル様を害するものから守ろうとなさっているから、こうしているだけだ。
「その一本気は好ましいよ」
分かってた事だけど、全然揺さぶる事が出来ない。
「ラトリアはどう動くと思う?」
「オーガスタス様やロシェル様、いずれお生まれになる二人目のお子の為に、ポリット一味を駆逐するおつもりでしょう」
あの強欲な男をどうにかする事など、ラトリア様なら造作もない筈だ。
「そうだろうね。では何故、無駄に時間を費やすような事をしているのだと思う?」
……確かに。
これ程時間をかける必要はない。
「まさかラトリア様ご自身が、失敗するおつもりだと?」
「それは終わってみるまで分からないけれどね、何か思う所があるのだろうね」
楽しみだね、と微笑む宗主の考えてる事は、オレにはやはりさっぱり分からなかった。




