密談
ゼファス視点です。
目の前の男はいつものように笑みを浮かべ、赤ワインの入ったグラスに口付ける。
近いうちに遊びに行くと書かれた手紙が届いてから二週間程して、闇夜に紛れるように訪ねて来た。
「今回はいつもと違う趣向を楽しもうと思っていたのだけれどね、早々に罠にかかってくれるようだ」
有難いと言うべきか、残念と言うべきか、と言ってまたワインを口にする友に、呆れる。
「暇だからと言って、あのような者を相手にそなたが本気になる必要もないだろう」
「獅子搏兎と言うだろう?」
「ト国の言葉か」
そうだよ、と答えて笑みを浮かべる。
獅子搏兎。獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす、と言う意味だ。
「それに、窮鼠猫を噛むとも言う。これから、楽しませてくれるかも知れないよ?」
楽しむと口にしている時点でおかしいのだが、この男には言うだけ無駄だ。
リオンが少年時代に掲げた目標は達成された。人生を賭けて成そうとしていた事が、イリダにより強制的に早められたのは幸か不幸か。
そうそう、と何かを思い出したように私を見る。まったく、わざとらしい。
「愚息の教育に助力いただいているようで、感謝の念に堪えないよ、ゼファス」
「……ルシアンの為では無い」
分かっていてこのような言い方をするのだから、意地が悪い。
満足気に微笑む顔に、苛立つ。
「そうだろうが、延いてはルシアンの導きとなっているのだから、親として感謝するのは当然の事だよ」
「殊勝な態度が気持ち悪い」
はっきりと言ってやれば、リオンは声に出して笑った。
「話を戻せ」
空になったグラスに、リオンはワインを注いでいく。グラスの半分を超えた所で止める。
「戻すも何も、先程話した通りだよ、ゼファス。
蒔いた種が芽吹いた。彼らはその吹いた芽の青々しさを大変気に入ってくれたようでね。もっと育てたいと仰せだ」
長い間アドルガッサー王国の貴族は二分していた。王に与した者達は王室派と呼ばれた。対するはラルナダルト家を頂点とする貴族派であり、レーゲンハイム家がそれを支え、揺らぐ事はなく、貴族派が優勢だった。
ディンブーラ皇室、もしくは公家としか婚姻を結ばないラルナダルト家は、王国内に於いて盤石な立場を強化し続けた。王家よりも上の血統を持ち続け、王家よりも上位に座する事に執着する家。
少なくとも、知らぬ者からすればそうとしか受け止められなかったろうが、事実はそうでは無い。
アスペルラ姫から続く血脈を守り続ける為だけに行われる婚姻に、アドルガッサー王家は苦々しい思いを抱き続けていた。本来、アドルガッサー王家はラルナダルトを守り、隠す為の、傀儡となるべくして作られたものであったにも関わらず。
アスペルラ姫が、ディンブーラ皇室、雷帝国、どちらにも与しないと言う立場を貫く為の、隠れ蓑としての王室であったのに。
王家本来の目的が失われたのは、王室の血が途絶えかけ、傍流から後継者を当てがってからであったろう。愚かにも王家はラルナダルトよりも上位であろうとした。王室本来の主目的を棄却し、己が地場を固める為に諸外国からの貴族を高待遇で受け入れ始める。
そうして、王室とラルナダルト家の間に決定的な溝が出来た。
祖父母の代まで時は流れる。
当時のアドルガッサー王は悪巧みの為には頭がよく回る男で、当主となったイルレアナ様の兄上が薨られた後、皇室に提出されるべきラルナダルト家からの婚姻の申し出を不当に保持し続け、法に定められた六十日以内に男子の後継者を立てよ、と言う期間に間に合わぬよう、あの手この手を講じた。
ラルナダルト家とて愚かでは無い。別の手段をもって皇室と連絡を取ろうとした。それを国境を適当な理由を付けて封鎖したり、間諜を疑って全ての書類に検閲をかけるなどを行った。
イルレアナ様の伯父である当代のディンブーラ皇帝は、大変苛烈な性格であり、彼の不興を買って潰された王家は実に片手を超えた。その皇帝がアドルガッサー王家の所業を知れば間違いなく、アドルガッサー王国そのものが潰された事だろう。暴君だった。
レーゲンハイム当主は国内の混乱を収める為、悪手を打つ。至星宮を王室に渡したのだ。そうして、イルレアナ様の婚姻相手を公家からいただこうとした。だが、そうまでして血脈を守らなくてはならない理由を国内の貴族の大半は知らない。
それはつまり、ラルナダルト家が王家に屈したと思われるに十分であり、貴族派は混乱を極め、レーゲンハイム家に非難が集中した。
本来レーゲンハイム家の嫡子 ニヒト・レーゲンハイムの妻となる筈だったイルレアナ様は、レーゲンハイム侯を父として慕っており、自身の事、ラルナダルト家の事等に深くお悩みであったと聞く。
結果、イルレアナ様がソルレ様と共に出奔するに至る。
「それに、今が上手く収まっているからと言って、許される罪と許されない罪があると思わないかい?」
リオンは筋の通らぬ事が嫌いだ。それが過去の事であろうとなかろうと、あるべき姿、と言うものにこだわる。
「ミチルがルシアンに教えた話にね、遺伝子と言うものがある」
いでんし?
「親の性質が子に似る事を遺伝と言うだろう?」
あぁ、遺伝し、遺伝子か……なるほどな。
「傍流が主流となって時は流れ、血は薄まっているであろうに、現在の傍流にすら、アドルガッサー王室とラルナダルト家に楔を打ち込んだ愚か者の遺伝子は脈々と受け継がれているのだから、血と言うのは恐ろしいものだね」
言わんとする事は分かる。
血は水よりも濃い、などと言われる。
「そなたはあるべき姿に執着する傾向がある」
言われなくとも気付いてはいるだろうが、何を以てこの男が“あるべき姿”に固執するのか、その理由が知りたかった。
リオンは手に持ったワインをグラスに注いでいく。縁の限界まで注がれたワインは、絶妙な均衡を保ったまま零れずにいる。
器用に保たせるものだとグラスを見つめていると、更にワインを注ぎ足す。当然グラスから溢れ、流れ落ちたワインがテーブルクロスを汚した。
「こうならなければ、特に関心を持つ訳ではないよ?」
筋を違えた場合、いずれその歪みは何処かに滞留し、やがて決壊する。
「それに、アルトが関わる必要の無いものにまで干渉はしない。情報収集ぐらいはしたとしてもね」
ベネフィスが新しいグラスをリオンの前に置き、ワインを注ぎ直す。
「まさか本気で表舞台から消えるつもりではないだろうな?」
まだやらねばならぬ事がある。落ち着いたら戻って貰わねばならない。
「楽隠居も楽しそうだとは思うけれどね、直ぐに飽きるだろうと思うんだよ」
そうだろうな、と答えて自分もワインを口にする。
リオン・アルトの頭が動かなくなる事はあるまいと思う。本人に動かしている意識はなくとも。
「長年過ごした母国をそう簡単に後にするつもりはないけれどね、いつまでも私がいるのも良くは無いのも事実だ。諸国行脚も楽しそうだとは思っているよ」
「諸国を恐怖に貶める気か」
そう言うとリオンは笑った。
リオン・アルトが自国内に入ったと知ったら、気の弱い国の王なぞ、心臓が動きを止めそうだ。そうじゃなくとも寿命が縮まる事だろう。
「心に疚しい事が無くば、何を恐れる事もないだろう?」
自身が与える影響力を分かっていての言い草に、今日何度目かの呆れを覚える。
「まだ、やり残した事があるのか?」
こちらを見ずに薄く笑う。
「なくはないよ。これまで視野が狭かったからね、目を向けて見れば、世界は本当に広い」
「あまり、イリダとオーリーに干渉するな」
釘を刺せばリオンは楽しそうに笑った。
「ゼファス、食わず嫌いは良くないよ」
ため息が自然と出る。
「アルト家宗主が動けばアレにも影響が」
言い掛けて止まる。
「リオン、そなた、何処まで計画していた?」
「私は常に閃きを大事にしているんだよ」
何が閃きだ、全部計算尽くであろうに。
本当に、呆れる。
「"アルトに仇なす者、許さじ"」
そう言って、私を真っ直ぐに見つめ、微笑む。
「あの程度で許すなどと思われては、アルトの名折れだからね」
「何を考えている」
「大丈夫、滅ぼしはしないよ。ただ、悪さをした子には正しいお灸が必要だろう?」
これからオーリーとイリダとの接触は増える。
イリダの復興の早さは目を見張るものがある。このままいけばマグダレナとオーリーの上を行く可能性は大いにあり得る。
ギルドやサーシス家次男を配した所で、その勢いを削ぐ事は出来まいと思う。
「マグダレナの脅威が、愛し子だけと思われるのも業腹だろう?」
「心にも無い事を言うな」
無論、アレを危険に晒す事など二度と許せるものではない。絶対に。
「勝手は許さん」
「ゼファスは本当にミチルが可愛くて堪らないのだね」
好きなように言え。
「そなたのルシアンと同じだ」
リオン相手に否定しても無駄な事だと認め、答える。
私がアレを守りたいと思う事は事実であるし、それにはリオンの協力は不可欠なのも事実。
「それにね」
畳まれた紙がテーブルに置かれた。
手にし、中を確認する。
「…………これは」
言葉に詰まる。
紙には予想もしない事が書かれていた。
「お怒りなのは私だけでは無いようだよ」
そう言ってリオンは困ったように笑った。
「暇を持て余している事は事実であるけれども、準備をしなければならない事もまた、事実なんだよ、法皇聖下」
これが事実なら──。
「知っている事は全部言え、リオン」
この紙に書かれている事が事実であるならば、やらねばならぬ事がある。




