愛を得る
シャマリー・ビルボワン視点です
突然現れたその人は、浅黒い肌に黒い髪、空のように青い瞳をしていた。背はレイモンド様より高く、姿勢や服の上からでも鍛えられた身体なのが分かる。
中性的なレイモンド様とは違い、少し野性的な印象を受けるのは、その肌の所為なのかしら。男らしさを感じる。
「なんだ、おまえは」
レイモンド様は苛立ちを隠さない。
……ご自身よりも下の人間だと判断したのだろう。
「私か? 私はダニエル・ファン・ヒメネスと言う」
……ヒメネス。聞いた事のない家名。肌の感じからしても、皇国の方ではなさそう。
褐色の肌が多いのはギウス国だと聞いた事があるけれど、ギウスはロストア語が母国語と聞いている。けれど、ヒメネス様はとても流暢な皇国語をお話しになる。
「名など聞いていない。私の邪魔をするなと言っている」
「女性が嫌がっているのだ。助けるのは当然だろう?」
レイモンド様の苛立ちとは正反対に、ヒメネス様は余裕の表情を浮かべている。
「嫌がる筈がない、シャマリーは私の妻になるのだからな!」
勝手に話を進めようとするレイモンド様に抗議する。
それにしても、よくこんな事を言えるものね。なさった事すら自身を美化する為に脚色しそうで、ぞっとする。
本当に、この方と結婚出来なくて良かった!
「ロエスト様、勝手に話を進められては困ります。そのような事実はないのですから」
兄が戻ってきてくれて、私とレイモンド様の間に立ってくれた。緊張で強張っていた身体から、少し力を抜く事が出来た。良かった……。
「シャマリー、こちらの方は?」
兄にヒメネス様の事を尋ねられたが、私も名前しか分からない。知らない、と言う意味で首を横に振る。
ヒメネス様は兄に向かって微笑んだ。
「令嬢の騎士が戻ったようで安心した。嫌がっているように見えたので、勝手ながら介入させてもらった」
兄はホッと息を吐いてヒメネス様に笑みを浮かべた。
「そうでしたか。妹を助けていただきありがとうございます。それで、失礼ですが……?」
ヒメネス様は胸に手を当てた。頭を下げないあたり、高位の方なのではないかしら。
「あぁ、これは失礼した。
私はダニエル・ファン・ヒメネス。オーリー王 アスラン様にお仕えする身だ」
オーリーと言えば、イリダからの長きに渡る支配を、イリダの現国王と共にクーデターを起こして打ち破り、アスラン王の元で国を再興したのではなかったか。
「……ふん、蛮族風情が」
ぼそりとレイモンド様がヒメネス様を謗る。
侯爵から伯爵位に落ちて、品性まで失われてしまったのかしら? 貧すれば鈍すと言う言葉もあるもの。
……これが今のレイモンド様なのね。
兄がレイモンド様に冷たい視線を向ける。
「ロエスト子爵、今更妹に接近したのは何故ですか?
魔力の器を持たぬからと捨てた元婚約者に、どんなご用事が?」
日頃は温和な兄の追及に、さすがのレイモンド様も言葉に詰まったようで、答えない。
「妹君を妻にすると言っていたから、関係の上手くいっていない婚約者同士かと思ったのだが……」
ヒメネス様は何かに納得したように、大きく頷いた。
「何と言う恥知らずな……!」
兄の言葉にレイモンド様の視線が泳いだかと思うと、ヒメネス様を睨む。
「オーリーの貧乏貴族には関係のない話だ! この事は私とシャマリーの問題なのだからな! さっさと去れ!」
レイモンド様の怒気も気にしたようではなく、ヒメネス様は二度程頷いた。
「マグダレナの民同士でなければ魔力の器は継承出来ぬと言うのは知っている。
血筋の為に彼女の手を離して、今更令嬢の価値に気付いたなどと、下劣な事は言うまいな? 先程、真実の愛だなどと言う言葉が聞こえたような気がするが……」
まさにその通りの事を口にしていたレイモンド様は、反論も思い付かないようで、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「マグダレナの民には同情する。
魔力の器は大事な事であるのは理解するが、その為にこのような素晴らしい女性との婚約を諦めねばならないのだから」
あからさまな挑発に、レイモンド様の顔が怒りで赤くなる。
「貴様! 言わせておけば……! 無礼だぞ!」
口を開けば開く程、レイモンド様の醜態が晒されていく。すっかり頭に血が上って、ここが何処なのかも失念されていらっしゃる。
オーリー王 アスラン様の側近と名乗る方がこうして皇城にいらっしゃると言う事は、正式に招待を受けてらっしゃると言う事。そのような方にこのような無礼な振る舞い。ヒメネス様の爵位や出身などは関係ないと言う事が、何故この方にはお分かりにならないの?
ヒメネス様も、分かった上でレイモンド様を挑発なさってらっしゃるようだし、困った方だわ……。
どう止めたものかと思案していると、隣の兄が頭を下げた。ヒメネス様も頭を下げられたのを見て、顔を上げると、ミチル殿下とアルト伯が側までいらしていた。
慌ててカーテシーをする。レイモンド様も同じように慌てて頭を下げた。
「その辺で許してあげて欲しい、ヒメネス卿」
アルト伯はレイモンド様を見据えたままおっしゃった。
「ロエスト子爵はご気分が優れぬようだ。お見送りして差し上げるように」
殿下の後ろに立っている美しい方──エヴァンズ公のご息女の伴侶でもあるサーシス様が、レイモンド様の前に立ち、笑顔をお向けになる。
「ロエスト子爵。久しぶりの夜会に気分が高揚なされたのは分かりますが、ここは皇城。お分かりでしょう?」
有無を言わせぬ笑顔に、レイモンド様は引きつった顔のまま頷くしかなく、大人しく会場から追い出されて行った。
「いや、大変申し訳ない、アルト伯」
困ったようにヒメネス様が笑う。
「いや……この件に関しては感謝する」
予想もしない答えがアルト伯の口からこぼれた。
殿下を見ると、悲しそうに私を見てらっしゃった。
あぁ、やはり私の事をご存知なのね。
「掴まれた場所は、大丈夫でしたか?」
殿下の問いに、レイモンド様に掴まれた腕を見ると、少し赤くなっていた。それに気付いた殿下の表情がますます曇る。
問題ない、と言おうとした所、アルト伯がくすりと笑われた。何に笑ったのかと不思議に思っていると、困ったようにアルト伯が笑う。
「すまない。殿下が塩をまけとおっしゃるものだから」
殿下はひと言も言葉を発していなかった筈なのに、アルト伯の言葉に殿下は頷かれた。何となく甘い空気がお二人から漂う。
「発言の許可を?」
戯けるような口ぶりでヒメネス様がおっしゃった。
皆の視線がヒメネス様に注がれる。
「シャマリー嬢とおっしゃったか、貴女は美しいだけでなく、立ち居振る舞いなども大変に素晴らしい。貴女のような方は見た事がない」
突然褒められた事に、戸惑ってしまう。
もしかして、見初めていただいたの、かしら……?
「是非、我が祖国、オーリーにお越しいただけないだろうか?」
「それはどう言った意味でしょう?」
兄が尋ねる。声には戸惑いが滲んでいる。
「何処までご存知かは分からないが、我が国ではこれまで上位貴族と呼ばれた者達が一掃され、残ったのは伯爵位以下となった。教育はなされているが皇国や帝国の水準とは比べるべくもない」
話の展開が見えないわ。
「貴女のような素晴らしい令嬢に、手本となっていただきたい」
……あぁ、教師になれと言う事……?
ほんの一瞬、ヒメネス様が私に求婚して下さるのではと思ってしまった自分が恥ずかしい……。
恥ずかしさにその場を去りたくなってくる。
少し前まで、修道院にと思っていたのに。私の心はまだ浅ましくも、誰かに求められたいと思っていたのだわ。
「交易の安定確保の為に来られたのでは?」
アルト伯が問うと、ヒメネス様は笑った。
「態と無粋を申されてますね、アルト伯?」
殿下の目がきらきらし始めた。何故かしら?
「周りくどいので」
「元とは言え、かつて深い仲にあった相手に口説かれていた令嬢に、強引にいって振られたくないと言う男心をご理解いただけませんかね? その為にまた会う機会を得る口実を作っていたと言うのに……」
……それは、私の事……?
「アルト家は婉曲した愛情表現はしない」
殿下は真顔になった後、扇子を広げて顔を隠された。耳が赤い事からしても、恥じらっておいでなのだわ。
戻ってきていたサーシス様が殿下の後ろで、なんとも言えない表情をなさってらっしゃる……。
……アルト伯の愛情表現は凄まじいのではないか、と想像する。
ヒメネス様は咳払いをすると、跪かれ、熱のこもった目を私に向けた。
胸が早鐘をうつ。
「美しい方、ひと目で貴女に心を奪われた哀れな私に、愛を乞う機会をお与えいただけませんか?」
愛の言葉に胸が更に高鳴る。
どうして良いのか分からず、兄を見ると、にっこりと微笑んでいた。
「ですが……私は……」
嬉しいと言う感情が、胸の奥で不安と鬩ぎ合っている。
「もし、貴女が魔力の器がうんぬん、とおっしゃるのであればなんら問題ありません」
魔力の器と言う単語に、胸がきゅっと縮こまる。
「我らオーリーはご存知の通り魔力の器を持たぬ身ですし、我らの大陸では器をお持ちでも意味はないのですよ」
……意味がない?
言葉の意味を図りかねていると、アルト伯が教えて下さった。
「マグダレナ大陸に魔素がある事はご存知ですか?」
頷くと、アルト伯も頷いた。
「魔素があればこそ、我らマグダレナの民は魔力を体内で生成出来る。オーリーの大陸に魔素はない」
魔素の事は知っていた。全ての大陸にあるのだと思い込んでいたけれど、この大陸にしかないとは。
そうであるなら、魔力の器があろうとなかろうと、オーリーの国では関係無いの……?
じわじわと、胸の奥にあった不安な気持ちが消え、希望があふれてくる。
許されるの……?
「私……は……」
涙が頰を伝うのが分かった。
ヒメネス様が微笑む。
そっと差し出した私の手をヒメネス様が取り、甲に口付けを落として下さった。
わっ、という歓声と拍手がわきおこった。
立ち上がったヒメネス様が、私の涙を指で拭って下さったのは、恥ずかしかった。
恥ずかしさと嬉しさとで胸がいっぱいで、夢なのではないかと思ってしまう。
けれど、耳に入る拍手の音と、目に映るヒメネス様の甘い笑み、涙を目にためている兄と殿下、周囲の方達からの柔らかい眼差しと、肩に触れるヒメネス様の手の温かさに、これが夢ではないのだと分かる。
自身ではどうしようも出来ない事で、これまでの全てを否定され、どうして良いのか分からず自棄になっていた。
全てを諦めなくてはならないのだと思っていた。
おまえなど無価値なのだと、おまえの努力になど意味は無いと言われた気がしていたのに。
「きっと、貴女を幸せにする」
耳元で囁かれたヒメネス様の言葉に涙が止まらなかった。
淑女が人前で泣くなど、恥ずべき事だというのに。
勝手にヒメネス様の求婚を受けてしまったけれど、父も母も怒らなかった。
兄からも説明を聞いて納得し、喜んで下さった。母に至っては泣いてしまった。
母はずっと己を責めていた。
私はやっと、素直に二人に謝る事が出来た。これまでの行いを、心から謝った。
ダニエル様と私の婚約が決まった。
レイモンド様にはその後も纏わり付かれて不快極まりなかったものの、皇室から私達の婚約は"二つの国を結ぶ大変価値のあるものだ"とお墨付きをいただいてからは、ぱったりと接触が途絶え、清々しい気持ちになった。
悲恋からの大恋愛と、私とダニエル様の婚約が社交界で騒がれたのには閉口してしまったけれど。
かつての友人達とも親交を取り戻し、謝罪を受けた。私はそれを受け入れた。これまで何度も手紙は受け取っていたし、お茶会にも誘われていた。
けれど私がそれを受け入れられなかった。
今は、受け入れるだけのものが己の中に満たされているのが分かる。人を許すのは、許す側にも沢山のものが必要なのだと知った。
婚約が決まった後、ミチル殿下からお手紙と贈り物を非公式にいただいた。届けて下さったのはサーシス様だった。
本当は私に会って直接謝りたいと殿下は思ってらっしゃるとの事だった。けれどお立場的にそれは許されない。
だから代わりに謝罪をと、サーシス様に頭を下げられて、申し訳なさに私も頭を下げた。
手紙には、"貴女のこれからの行く先が幸せに満ち溢れている事を心から祈っております"、と書いてあった。
初めてお会いした時に、慈悲深くないと罵ってしまったけれど、お優しい方だと思う。
私からも、噂を広げた事を謝罪すると、サーシス様は苦笑いを浮かべていた。
本当に申し訳なくて、消えてしまいたくなった。
何かを思い出されたサーシス様にこっそり頼まれたものには、恥ずかしくてたまらなかったものの、頷いた。
ダニエル様との結婚式は、オーリーに行ってから行う。
両親と兄が一緒に行ってくれる事になった。ドレスはこちらで作って持って行く。
私が話せる言葉は皇国語しかない為、ダニエル様に基本的な会話を教えていただいている。
生活様式の違いや文化、覚える事が沢山で、悲鳴をあげてしまいそうになるけれど、新しい生活への期待が不安な気持ちや苦労などを払拭してくれる。
顔を合わせれば愛の言葉を下さり、会えない時は手紙を下さるダニエル様。
ダニエル様への想いは、日に日に増していく。
色んな事を話してくれる。教えてくれる。何が好きか。何が嫌いか。私の事も聞いて下さる。お互いに対する理解が深まっていく。
私を選んでくれた事への感謝だけではなく、恋人として、未来の夫として、私の中で愛情が育まれていくのを実感する。
あの方と一緒にいられる為なら、努力も苦ではない。
相応しくあれるよう努力する、そんな自分を好ましく思う。重ねた努力の分だけ、ダニエル様につりあえる、そう思うと幸せな気持ちになる。
今日も届いたダニエル様からの手紙に書いてあった。
"貴女に早く会いたい。貴女を愛するダニエルより"
過去のレイモンド様への想いも愛ではあったと思う。
けれど、ダニエル様への想いとは比較にならない。
愛される事なく、愛を注ぎ続けた過去の恋は終わり。
愛し、愛される事を知った。
「私も、愛しております、ダニエル様」
手紙を胸にあて、想いを口にする。
「それは嬉しい」
背後から声がして驚いて振り向くと、いない筈のダニエル様が立っていた。
「ダニエル様?! 本日は会えないと……」
突然の事に驚きを隠せない私は、慌てて自分の姿がおかしくないか、整える。
そんな私を遠慮なくダニエル様は抱き締める。
大きな腕に包まれて、言葉にし尽くせない幸福感に満たされる。
「用事が急遽取りやめになったから、愛しいシャマリーに会いに来た」
「もう、先ぶれを下されば準備しておきましたものを」
胸に顔を埋めると、ダニエル様のお気に入りの香水が鼻をくすぐった。
「その間も惜しんだ、哀れな恋する男を許してくれ」
甘い言葉に熱のこもったまなざし。
「仕方のない方」
「そうなんだ、シャマリーに骨抜きなんだよ。
愛してるよ、私のシャマリー」
「私も愛しておりますわ、ダニエル様」
唇を重ねるたびに、幸せが己の中から溢れてくる。
この気持ちが愛しいこの方に少しでも、伝わりますように。




