私が永遠に失ったもの
シャマリー・ビルボワン視点です。
時を遡っての内容になる為、シャマリー視点が続きます。
青天の霹靂──。
突如齎されたその情報は、瞬く間に皇都を駆け巡った。
あまりの内容に、なんて質の悪い冗談なのかと、笑ってしまった程だった。
それぐらい、荒唐無稽な話に聞こえた。それなのに、兄までその話を家でするのだ。しかも、私に関係があるとおっしゃるのだもの。
「つまらない冗談はよして、お兄様。ちっとも面白くないわ、これっぽっちも笑えないもの」
それなのに、兄は青い顔で、首を横に振った。
「嘘じゃない。嘘じゃないんだ、シャマリー」
兄の様子にただならぬものを感じた。
姿の見えない何かが、気が付けば私の後ろまで来ていて、足首を掴まれたかのような感覚がして、動けなくなった。
「おまえには、魔力の器が無い」
自分に魔力の器が無い事は知っていた。十六才になって直ぐに測定されて、そう判定されたのだから。
でも、これまでそんな事は問題にならなかった。
「今までも魔力の無い者はいたでしょう? 子供は持って生まれるのだから何も問題はない筈だわ」
そんなのは兄もよく知っている筈。それなのに敢えて話を続ける。
「それは……魔力の器がこれまで測定されていなかった場所にあった場合だ」
聞きたく無い。そう思った。
きっと、良くない事を言われる。
「黙っていたが、おまえの母親は平民なんだよ、シャマリー。貴族の家に養女に入っていただけなんだ。
だから……おまえは魔力の器をそもそも持たないんだ」
絞り出すような、苦しげな兄の声。
兄の後ろで俯く母は、いつもより小さく見えた。
そんな、馬鹿な──。
測定で器がないとなっても、子供には魔力の器が引き継がれると言うのが通説だった。でもそれは、貴族同士なら、と枕詞が付くのだと、今、出回っている情報が言う。
「嘘……でしょう……?」
笑おうとするのにいつものように上手く笑えない。顔が引きつるのが分かる。
「ごめんなさい、シャマリー……ごめんなさい……」
その場に泣き崩れる母の姿に、事実なのだと、否が応にも思い知らされた。
父に恋した母が、後妻として嫁入りする事に、ビルボワンの祖父母は身分を理由に反対したと言う。
何としても己の恋を成就させたかった母は、実家の財力に物を言わせてとある貴族の養女となったのだそうだ。祖父母に反対されたのは聞かされていた。ただ、養女うんぬんは知らなかった。
ビルボワン家には既に血を継ぐ兄もいた為、最終的に祖父母が折れた。ビルボワン家の跡取り息子の後妻に収まった母は、程なくして私を産む。
私は兄に懐いたし、兄は年の離れた妹を可愛がってくれた。父も母も私を慈しんでくれた。
顔の造形が良い方が貴族の令嬢は有利だった。その点、私は母によく似て、整った顔をしていた。
美の基準はいくつかある。
顔、胸の大きさ、腰のくびれ、手足の長さ。
それ以外に淑女に求められる立ち居振る舞い、教養。生家の爵位、もしくは財力。
全てにおいて、私は恵まれていたと言って良い。事実、婚約者になりたいと声を上げた家は数多あり、選別が難しかったと聞いている。
そうして結ばれた婚約。相手は侯爵家のレイモンド・ロエスト様。ロエスト侯爵の長男で、将来有望と噂される程に優秀で、見目も良かった。私の、憧れの人だった。
全てを持って生まれた淑女、私は、そう呼ばれていた。
でも、本当はずっとずっと、努力していた。怠った事などなかった。
レッスンがどれ程辛くても、必死に覚えた。何度も練習した。美容の効果があると聞けば様々な物を試してみた。ダンスもそう。刺繍も、お茶も、嫌になる程に練習を重ねた。
長い歴史を持つ皇国は、爵位を持つ家が他の国に比べて多い。
皇室を筆頭として公家が脇を固めており、徹底して血筋を守っていた。貴族とはそう言うものであるとは分かっていても、異様に感じる程だった。
その為、皇国貴族にとっての縁談における最上位は侯爵家だった。
私がレイモンド様の妻になるには、それはそれは努力が必要だったのだ。だから、その為の努力なら何でもした。
念願叶って憧れのレイモンド様の婚約者になれた時、本当に嬉しくて嬉しくて涙が出た。
努力は必ず報われるのだと思った。努力を重ねて本当に良かったとも思った。
魔道学院が発見し、皇室が皇国に属する全ての国に発した内容は、全ての国に激震を齎した。
平民の血が入る者は魔力の器を持たず、その子孫も永遠に持つ事はない。
母が平民であった私は、魔力の器を持たない。私が未来に産むであろう子供にも、器は存在しない。
それはつまり、妻としての務めを果たせない事に他ならなかった。たとえ子を生んだとしても、後継者にはなれない。
レイモンド様と結婚出来たとしても、彼は第二夫人を娶る必要が出てくる。そしてその方が産んだ子が、ロエスト家の後継者になるのだ。
……でも、そう……私だけではない筈……。
同じ立場の淑女も、紳士もいる筈。
婚約者になってから数年の付き合いではあっても、心を尽くしてきた。
だから、レイモンド様が第二夫人を迎える事を受け入れよう。私が第二夫人になったとしても、受け入れよう──そう、覚悟していたのに。
ロエスト家から、婚約解消を求める手紙が届いたのは、それから間もなくの事だった。
解消の為に会ったレイモンド様は、すまない、とだけおっしゃった。
父としては、第二夫人でも良いから娘を娶って欲しいとロエスト侯爵に頼んでくれたらしい。私の努力を父は知っていたから。でも、それを拒んだのは他ならないレイモンド様だった。
話し合いの末、婚約は解消された。表向き双方の合意の元による円満な解消──。
でも、この事で私に魔力の器が無い事が社交界に知られてしまった。
これまで私を褒めていた令嬢達が私を嘲笑った。
全てを持って生まれた淑女は、全てを失った淑女になった、と。
あちこちの家で離縁騒ぎが起きた。婚約の解消の話もよく耳にした。
離縁をする家は確かに多かった。ただ、それは妻を二人も娶る余裕のない家によく見られた。伯爵家や侯爵家では、それまでの伴侶とは別に妻を迎える事を、器を持たない妻に許してもらうのが殆どだった。
そんな中で好男子と言われていたレイモンド様は、私との婚約を解消した。
私の予想に反してレイモンド様の評価は下がっていった。侯爵家ともあろうものが、いくらなんでも婚約者をあっさりと切り捨てたのは非情だと評価されたのだ。
今回の事は誰もが知らぬ事だった。誰にも罪はなかった。ビルボワン家が騙した訳では無い。それにも関わらず婚約を解消したロエスト家令息は下劣であると言われるようになる。
家格ではロエスト家には劣るものの、ビルボワン家は堅実な家だった。歴史もあった。政略結婚を結ぶ相手としても優良な家との評価を受けている。
そう言った意味でも、ロエスト家はビルボワン家との婚約を解消すべきではなかった。短慮だと判断されたのだ。
損切りは大事な事ではあるけれど、私にはビルボワン家という後ろ盾があった。それを考慮しないのは愚かとしか言いようがなかった。
慌てたロエスト家は、婚約解消は私から身を引いたのだと言ってくれるよう依頼してきた。
受け入れがたかった。
有難い事に父も兄も私の気持ちを汲んでくれた。
こちらからのお願いは撥ねつけておきながら、自分達に旗色が悪いとなると、このような事を言ってくるなんて。
何という恥知らずなのか。
しかも、こうすれば私の評価も上がって、何処かの貴族の第二夫人に収まる事も可能なのではと言ってきた。
レイモンド様との婚約が解消された時、あまりの事に悲しくて悲しくて、胸が潰れるかと思った。
それ程、辛かった。
でもその言葉を耳にした時、かつてない程の怒りが私の中で生まれた。腸が煮えくり返るとは、こう言う事を言うのだろう。
馬鹿にするにも程がある。
私はこんな男に恋をしていたのかと、己の見る目のなさが嫌になる程で、レイモンド様への恋心は一瞬で砕け散った。
我が家は拒否し、ロエスト家からの非常識な願いを周囲に漏らした。
せめて慰謝料でも包んで頭を下げるならまだしも、あの言い草はこちらが格下だからと馬鹿にしている。
酒に酔って零れ落ちた言葉として、父の愚痴は面白い程に広まっていった。
侯爵家ともあろうものが、婚約解消にあたり慰謝料も払わず、図々しい依頼をするとは、みっともない、と。
内情は火の車なのではないか、などと揶揄される事も増えた。
否定する為にロエスト家が資金力を見せつければ、それだけのものを持ちながら、罪のない令嬢に慰謝料も払わなかったのかと非難された。
結果として、レイモンド様の新しい婚約者選びは難航した。最終的に決まった婚約者は、男爵家の、言葉を選ばずに言うならば、家格に相応しからぬ女性だった。
貴族社会とは、こう言うものだ。
決して付け入る隙を見せてはならない。
ロエスト家は失敗した。
魔力の器がない所為で、私が貴族の妻になるのはもはや無理だった。
ロエスト家を非難してくれたからと言って、私を嫁にと望む家はない。
それとこれとは別の話だ。
私は貴族の妻にはなれない。これまでの努力は全て無になった。平民の妻に私が身に付けたものの殆どは不要だから。
中傷でもなんでもなく、私は本当に、全てを失った令嬢になった。
皇城で起きた騒動について詳しい事は知らない。ただ、何かがあった事は誰もが分かっていた。
その件について皆が情報を集めようとした矢先、侯爵位を持つ家が、恐ろしい程呆気なく処罰されていった。属する一門も根絶やしにされた家門もある。
それまでの、皇室からの風は南風のように心地よい、などと揶揄されていたのが嘘のように、断罪は苛烈を極めた。
不正と言う名の罪に応じた処罰が、次々と下されていく。家格に関係なく、上から下まで、一切の手心なしに与えられていく罰。
ビルボワン家は不正をしていなかった為、処罰される事もなく無傷のままだったが、軽微な不正を行っていた家などは、戦々恐々としていた。
賊に入られて一家が全滅してしまった家もあった。
騎士団長が交代し、前騎士団長を務めた方の当然の自死。
宰相を務めていたキース・クレッシェン様が急病にて故郷であるカーライル王国に帰国が決まった。
見えない大きな力が働いて、皇国を一瞬にして飲み込んだ。
ただ、私はそれらの制裁を朧げな心持ちで聞いていた。私にはどうでも良い事だったから。
レイモンド様との婚約解消後、胸にぽっかりと穴が開いてしまった。何も、やる気になれなかった。
それから間もなくして、ミチル・レイ・アレクサンドリア・アルトがオットー家の養女になる事が決定し、その為の式に参集するようにと皇室から知らせが届いた。
アレクシア殿下の要請を受けて辺境のカーライル王国から来た、宰相補佐官を務めるルシアン・アルト伯爵の妻。
伴侶探しにやっきになっている令嬢達がアルト伯に目を付けていた。皇女シンシアが狙っていただけあって、大変優秀であり、見目も良い。叔父のように皇国での爵位を得られるのではないかと言われていた。
私にはその時レイモンド様という婚約者がいたから、彼女に嫌がらせをする令嬢達を冷めた目で見ていた。けれど助けようとも思わなかった。
己に降りかかる火の粉は己で払うぐらいの強さがなくては社交界でやってなどいけない。
ただ、さすがにやり過ぎなのではと思っていた。
その矢先の、断罪劇。
魔力の器に関する発見をした事、皇国圏内に広がり悪影響を及ぼしていたウィルニア教団による薬物汚染を食い止めた事、不可能と言われていた植物からの魔石の抽出を可能とした事──などが認められての、公家の養女入り。
魔力の器に関連する事実を突き止めた。つまりそれは、私が全てを失う切欠を作ったのはミチル殿下であると言う事なのか……。
分かっている。殿下の所為では無い事は。
それなのに、ぐるぐると同じ考えが頭を埋め尽くす。
あの時私が殿下を助けていたなら、事態は変わった?
殿下が見つけなかったら?
見つかったとしても、レイモンド様が婚約を破棄しなければ良かったのでは?
どす黒いものが身体の中を這い回る。
そんな自分が嫌で堪らない。
内側から腐っていくようだった。




