ミチルの深淵なる悩み その5
ルシアンとバフェット公が、巨乳好きと言う噂が立ってると聞かされ、ミチル、キョニュー化プロジェクトについて全部自白させられた。
ルシアンには秘密したかったのに、そんな事になっては隠し通せる筈もなく……。
まだ朝だと言うのに、私のHPは半減している。
目覚めの紅茶よ、と言ってセラが出してくれた紅茶は、色も鮮やかで香りは強くない。味はいつも通り美味しい。
「リンデン殿下が、胸が大きくなる情報を集めてる、しかも殿下の元にはミチル殿下が最近出入りしている。
バフェット公とアルト伯は本当は胸の大きな淑女がお好きなのではないか、という事らしいわよ」
セラから噂について教えてもらった私は、あまりの衝撃にカウチに倒れた。
前半正解。後半は真偽不明。
…………最悪だ。
それじゃルシアンの元に巨乳美女が殺到しちゃうじゃないか!
「元はルシアン様の方がお立場が上だったのに、今では妻のミチル殿下の方が立場が上で、ルシアン様は身の置き場がないのでは、とか」
ぐぁ……っ!
その辺割と事後報告だったって言うか、公家のヒトタチに外堀埋められたとでも言いましょうか……! って言うか、そのお立場がって言われてる旦那様が直々に動いてましたけどね?!
「女神に愛された存在だものね、ミチルちゃんは。不満があっても夫であるルシアン様は口にも出来ないんじゃないかとも言われているわね」
ぎゃーーっ! 愛し子とか不可抗力ーーっ!!
「ですが、それならば何故、私が夫を愛するが故に胸を大きくする努力をしているとはならないのですか?!」
妻の努力、何処いった?!
起き上がり、抗議の声を上げる。
「家庭内は冷え切っていて、体面を保つ為にミチルちゃんがそうしてるんじゃないかとか、ルシアン様のお心は既にミチルちゃんから離れていて、それを必死に繋ぎ止めようとしてる、とも言われてるわね」
えええっ?! 何故事実は外に出ないの?!
「誰ですかっ、そんな酷い噂を流してるのっ!」
悪意がある! その噂絶対おかしい! 悪意しか感じない!!
「事実とは正反対ではないですかっ! 私はルシアンの隣に立つのに相応しくなりたいから色々と方法を探しているのに、こんな、あんまりです……っ!」
あまりの酷さに、自室というのもあって叫び出した私を、誰かが後ろから抱き締めた。
正面に座るセラの涼しげな表情からしても、ルシアンに違いない。って言うか、感覚でルシアンだって分かる。
セラがウインクして出て行った。
抱きしめてくれる腕を掴むと、腕の力が増して、左の頰にルシアンの頰が触れた。
「ルシアン……」
いくらなんでも酷すぎませんかね。
さすがに私も泣きそうです。
腕から手を離すと、カウチの後ろから回って来たルシアンが横に座った。って言うか、この人いつ部屋に入って来たんだろう?
頰を撫でられる。大きな手の温かさにホッともするけど、泣きそうになる気持ちが増してきた。
「来月の終わりに皇室主催の夜会があるでしょう?」
頷く。
でもちょっと行きたくナイ。
あんな噂の最中に参加したら、格好の的じゃないですか? かと言って参加しなかったら、噂は本当なんだ、と言われてしまうんだろうし……。
「私に任せてもらえますか?」
任せる?
安心させようとしてくれてるんだと思う、優しい笑顔だった。
「これまではミチルが自身で対処すると態度に示していたので我慢していましたが、本来、私はミチルに関する事には狭量です」
「それは……ルシアンに私の事でご迷惑をおかけしたくなかったので……」
何でもかんでもルシアンにしてもらうのは間違ってると思ってる。貴族としての在り方をあまり損ねないようにしつつも、周囲の皆に甘えてばかりはいけないとも思う。
そもそも周囲が優秀過ぎて、それに甘えていたら駄目人間まっしぐらだ。だから自分で出来る事は自分で対処したい。
おでこにおでこが触れる。
「迷惑などと思った事は一度もありません。私としてはミチルに害を為すものは全て排除したい。ですがそれが貴女の気持ちを無視したものになって、貴女をないがしろにしているとは思われたくない。貴女の心も身体も守りたいんです」
胸がぎゅっとして、思わずルシアンの胸に飛び込んでしまった。温かくて、良い匂いがして、更に胸が締め付けられる。
ルシアンの腕が私を抱きしめると、すっぽりとはまるというか、ルシアンのポケットに入ってしまったみたいな、安心感が心を満たしていくのを感じる。
それに、とルシアンは続ける。
「アルトは売られた喧嘩は買いますし、叩きのめすのが家訓です」
上から不穏な言葉が聞こえてきた。
いつもならちょっと手加減してあげて、と思うんだけど、今回は色んな理由で賛成です。
あまりにも悪意に満ち溢れ過ぎでしょう、いくらなんでも!
それにしても、アルト家の家訓って、なんかちょっと、激しいの多くないか? ちょっと嫁として確認しておこうかな。
ルシアンの身体が離れて、真っ直ぐに見つめられる。
「それから、私がはっきりと言葉にしなかった所為で、ミチルを不安にさせた事を謝らなくてはいけませんね」
ん?
「私の好みの件です」
どきりとする。ルシアンはこれまで、理想なんてない。私が好きなんだと言い続けていた。
「その前に少し、幼い頃の私の話をします。あまり、ミチルには知られたくないですが、私の曖昧さが貴女を不安にさせるなら、否やを言っている場合ではないから」
えっ、何だろう、それってトラウマとか、そう言う事?
「あの、ルシアン、無理はしなくて大丈夫ですよ?」
ふ、とこぼすような笑みを浮かべると、私のおでこにキスが降ってきた。
「ミチルも少しは耳にしているでしょうが、私は空虚な幼少時代を過ごしていました。周囲から愛されていたにも関わらず、己への自信の無さから、その思いすら否定して、自分など必要のない存在だと思い込んでいた」
苦笑すると、「今思うと、恥ずかしい。実に愚かな事です」と言う。
ルシアンの手を掴むと、目を細めてルシアンは微笑んだ。
「あの日、薄汚れた黒猫を見た時、まるで自分のようだと思った。全てどうでも良いと思いながら、本心はそうじゃなかったんでしょうね。だから、自分と同一視した子猫を、後先考えずに拾い上げていた」
ルシアンと初めて会った時の記憶が頭の中で再生される。あんなに分厚い眼鏡をしてて、表情なんか全然見えないのに、心細さ、所在なさが滲み出ていた少年。
「貴女が子猫を面倒見ると言った時、自分を受け入れてもらえたような気持ちになったんです。
それから、私は自分にしか向けていなかった目を、外に向けました。
誰に対しても関心を持った事などなかった。誰かが私に好意を持つ筈がないと思っていたから。
本当に、自分の事しか考えてなくて、見苦しい」
思わず首を横に振っていた。
そんな事ない、と言いたくて。
あの年齢で、そんなに何もかも完璧な人間なんて、いないとは言わないけど、そうそういる筈がない。
「あの頃のミチルはふくよかで」
ぐほぅ!
イキナリ黒歴史を穿り返された私は、仰け反りそうになった。それをルシアンが笑顔で抱きしめて止める。
「貴女は自分を変える為に走った。周囲が笑っている事にも気付いていたのに、それでも」
いや、だって、変わるしかなかったし。それ以外道がなかったと申しますか。
「ミチルと会話を重ねていく度に、私は貴女を好きになっていったけれど、貴女の心には既に叔父のキースがいた」
あれはただの憧れだと今なら分かるけど、あの時の私もルシアンも、そうは思わなかったよね。
「叔父もアルトの男ですから、妻以外を愛する事はない。だからミチルと想い合う事はなくとも、貴女の気持ちが他に向く事が怖かった。
変わりたいと思った。貴女に少しでも想ってもらう為に。外に目を向けたきっかけはミチルで、その時からミチルしか見ていない。異性がどうのと考えたのは貴女しかいないんです」
知っている事なのに、ルシアンの気持ちが入った言葉の一つひとつに、心臓が反応する。
「好きで、好きで、好きで、頭がおかしくなるぐらい貴女の事ばかり考えていた。貴女が欲しかった」
恥ずかしいです、ルシアン!!
あまりに直球な言葉に、逃げられない。でも、逃げたくない。
私の頰を撫でる手は、優しく、手を通してルシアンの想いが伝わってくるようで。
「答えないんではないんです。答えようがない。他の女性を見ても何とも思えないのに、好きな身体の線も何もないでしょう? 理想もそうです。
だから、私の答えは、ミチル以外ありえない」
ぶわっ、と顔から熱が出るのが分かった。身体も熱い。
「自分でも分かっています。私のミチルへの想いは異常だと。重くて負担なんだろうと言う事も」
ルシアンが困ったように笑う。
…………ミチル、驚きです。
ルシアン、病ンデレの自覚あったんだ……!
そっと手を伸ばしてルシアンの頰に触れる。
重いって言うか、病ンデレって言うか。
「知ってはいましたが……ルシアンは本当に、私の事ばかりなのですね」
病ンデレ再確認。病ンデレの上限値不明。
「そうです」
即答である。
「私もルシアンの事ばかり考えていますが、ルシアンには負けそうです」
頬に触れていた私の手のひらに、ルシアンはキスをする。
「同じじゃなくて良いんです。私の方がミチルを想っていたい」
それはどう言う心理なんだろうな?
自分の方が愛していたい、っていうのは。
「誰よりも貴女を愛していたい」
……うむ。同じぐらい愛し合ってる、幸せ! ……とならない所が病ンデレたる所以なのかも知れぬ。
「重くてごめんね?」
そう言って笑うルシアンは、少し困ったような、悲しそうにも見える顔をしていた。
「……愛してます、ミチル」
胸が締め付けられる。
「貴女だけを愛してます」
セラが以前、ルシアンが私以外に目を向ける筈がない。疑う余地がないと言っていた。この前リンデン殿下も、私が死んだとしてもルシアンは他の人に目はいかない、って言ってた。私がいなくなった後の孤独とか、ルシアンには関係ないのだ。だって、私の後を追ってしまうから。
病ンデレだからそうなんだろうとは思っていた。でも、ちゃんと理解してなかったな、って思う。
「私はルシアンのものです。これからも、ずっと」
なんだか泣きそうだ。
私はいつも空回りしてる気がする。
どれだけ美人でも、どれだけグラマラスな人が来ても、ルシアンの心が動く事はないのに。ずっとずっと言われてきたし、ルシアンだって何度も何度も言葉にしてくれていたのに。
「ごめんなさい、ルシアン」
いいえ、と言ってルシアンは私を抱きしめた。包み込まれるような、そんな優しい抱きしめ方で、胸の奥が更に締め付けられる。
「貴女が私の為にしてくれている努力を、私が厭う訳がないでしょう?」
「そうなのですけれど……」
「何故私には秘密にしたのか、教えて?」
ルシアンに胸を大きくする方法を探してます、なんて言ったら、毎日が破廉恥になりそうだ。そんな爛れた生活!
「……ルシアンなら、方法を見つけて下さるのは分かっているのですけれど……その中でも私を困らせる方法を選択するのは分かっておりますもの……」
ジッとルシアンが私を見つめる。
無表情だ。
「つまり、私は、ミチルを愛する行動をするが故に、最愛の妻から相談を受ける事が出来ていなかった、と言う事ですか?」
言い方って、本当、大事だよね……。これだけ聞くと、ルシアンの破廉恥さが微塵も感じられないもんね?
言葉を尽くした所で、ユーが破廉恥イケメンである事は揺るぎない事実ですヨ!
「……率直に申し上げると、ルシアンが破廉恥だからです……」
言い方は大事なんだけど、分かってもらわんといかん。
「ですが……ミチルを愛したい」
そんな拾って下さいダンボールに入ってそうな顔しても駄目なもんは駄目なんですよ。
「私は何度も破廉恥が過ぎると申し上げておりました。ルシアンはいつも愛と言う言葉を盾にして私に、あんなコトやこんなコトをなさるではありませんか」
「愛し合う夫婦ですから、何も問題ないでしょう?」
それは、そうなんだけど。恥ずかしいんだヨ、本当に。
前より慣れてきたけど…………ん? 慣れてきてるのか? 自分……。
「ルシアン、私、以前よりその、色んな事に慣れて参りましたよね?」
私の質問の意図が分かったのか、ルシアンが頷く。
「えぇ、着実に」
恥ずかしい事もあるけど、ルシアンに愛される事は嬉しいし、幸せなのだ。それは本当に。私自身がルシアンの事が好きで仕方ないんだから。しかも顔とか態度にだだ漏れだって言うじゃないですか。何処いった、淑女教育。
言葉だって態度だって自分からも出していくぞ! と思った訳だけど、能動的な部分とは別に、受動的な部分に関してもそうなんじゃないのか?
恥ずかしい恥ずかしいと逃げ回っていたけど、なんだかんだと慣れてきた。……もしかしてコレ、恥ずかしがって逃げ回ってなかったら、もっと早くに慣れてたかも知れないって事ですか……?
「ミチル?」
つまりこれって、自ら遠回りをしてたって事です。
この脳内の逡巡を何度やってきたか分からないけど!
一瞬呆然とした私の耳に、ルシアンがキスをする。
「もっと、慣れましょうね」
慣れなくては……と思うのに、後悔と恥ずかしさで心の中が大荒れにナリマシタ……。
人はね、そんな直ぐには変わりマセン。




