主人の笑顔を守る為に
セラ視点です
人間の進化って、こんな感じかしら?
そんな事を考えながら見守るのは、ワタシの主人であるミチルちゃん。
進化は大袈裟だったかしらね。とは言え、淑女だってまだ行動的よ? と言いたいぐらいに、奥手どころか退行していたミチルちゃんが、今では自らの意思でルシアン様に抱きついたりしてるんだから、感慨深いわぁ。進歩したかと思えば一瞬の暴走で、またいつも通りを繰り返す。一時期鈍過ぎて、監禁止む無しとまで覚悟したっていうのに。
ミチルちゃんを強制的に変えたのは、イリダとの戦争だったのよねぇ。もう二度と離れたくない、後悔したくない、という思いが、ミチルちゃんの背中を押して、愛情表現をするようになったんだもの。
複雑な気持ちになるのは仕方ない事だと思うのよ。今こうして目覚めてるから良かったね、なんて言ってられるけど、あのまま目覚めなかったらそれどころじゃない訳だし。
でも、こうしてミチルちゃんは目覚めたし、ご夫婦の仲が深まって、跡取りの問題も双子出産で一気に解決したし、平和だわ。
このまま維持したい。
そう思っていたのに、ミチルちゃんが胸が大きくなりたいだの何だの言い出して。そんなの気にする事じゃないって思うんだけど、ワタシも自分の顔の事を言われるのは嫌なのよね。自信がないとかそういう事じゃなくて、無意識に拾い上げてしまう。
実際、皇女シンシアも、他の令嬢も、この前のビルボワン伯爵令嬢も、ルシアン様の冷たい態度にめげずにいた令嬢達って、みんな胸が大きかった気がするわ。
胸が大きいと気も大きくなる、って事はないと思うけど、美の基準の一つとして言われてるのも事実だし、美しくなる為に胸を大きくする努力をする令嬢は多くいる。
だからミチルちゃんが気にするのも分かるんだけど、ルシアン様が相手にする筈がないって事も分かってるんだから、あれはミチルちゃんなりの戦いなのよね。ルシアン様の隣にいる為の。近付かせたくない、って言うのはなかなかにミチルちゃんにしては明確な意思表示だと思うのよね。応援したいわぁ。
とは言え、胸の事はさて置いても、文句なしにミチルちゃんは美しい訳だし、血筋だってこの上ない。そう言う事じゃなくて実力で、って事なんだろうけど、なんでミチルちゃんの目は自分の美貌が目に入らないのかしら??
アレクサンドリア家は、皇配殿下を見ても分かるように、お年を召されても分かる美貌の一族。陛下も若かりし頃はさぞや美しかったのだろうと分かる。
その血を引いたミチルちゃんの父親は、見た目だけなら極上品で、これまた見た目だけならとびっきりな女性を娶って生まれたのが、ミチルちゃんと二人の兄姉。
ミチルちゃんはその中でもずば抜けて美しいのに。
洗脳って言うのかしらね、長年醜いと言われ続けた弊害なのか、ご自身の美貌に関しては受け入れないのよねぇ。
……一回殴ったら正常に見えるようにならないかしら?
「セラ、何か危険な事考えてません?」
隣で一緒に見守っていたダヴィドが聞いてきた。あらヤダ☆ 滲み出ちゃってたかしら?
「一瞬だけね」
「考えてた事は否定しないんですね……」
「それで? 何か分かったからここに来たんでしょ?」
先日ダヴィドとロイエの三人で、最近のミチルちゃんに関する噂の出所について情報を出し合った。
結論として、まぁ調べなくてもうすうすは分かっていた事だけど、シャマリー・ビルボワン伯爵令嬢の仕業だった。
でも、令嬢は伯爵家。対するミチルちゃんは公爵家。公爵令嬢じゃなく、公爵夫人でもなく、公爵本人。そんな人物を悪く言ってタダで済む筈がない。
ゼファス様がリュリューシュ様を公式に養女とされるのはまだ先の事だけど、非公式の事実として知れ渡っているし、ミチルちゃんはその母であり、自身が女皇になってもおかしくないし、女神の愛し子でもある。
そんなミチルちゃんを悪く言うのは、些か分が悪い。言った所で周囲が同調する筈もない。
それなのにこの広がりようは不思議でならないのよね。
口にしてはいけない事だから広がる、というのはなくはないだろうけど、それにしては広がっている。広がり過ぎている。
シャマリーが率先して広げたとして、こんなに広がるものかしら?
「シャマリー・ビルボワン。ビルボワン家は伯爵位の持ち主で、歴史もそれなりにある家です。金銭にも困っているような家でもない。
彼女は後添えの産んだ子供で長女。跡取りとして前の妻との間に兄がいますが、仲は悪くありません。前の妻とは死別ですね」
爵位の高さ、財政、家庭環境、美貌、年齢……は適齢期後半と言った所だろうけど、どれを取ってみても問題があるようには見えないわねぇ。
ラルナダルト家は皇国と長らく関わりを持っていないし、アルト家だって表立ってないし、アレクサンドリア家とだって言わずもがな。家同士の確執、と言う線も無い。
以前粛清が行われた時だって、ビルボワン家はなんら問題がなかった。もしくは取るに足らない程度の不正。
ルシアン様に本気で懸想したとしても、彼女が本妻になるのは難しいんだから、あんな風にミチルちゃんとやり合う理由が無い。
まさか、自分の方が上だとか、ふざけた動機じゃないわよね……?
「力尽くで解決する事は容易だが、判然としない」
ロイエの言葉にワタシもダヴィドも頷く。
彼女の行動は、動機として弱い。
「そう言えば彼女をエスコートしていたあの男は誰なの? 他の男に言い寄るのを許す腑抜けなのかしら?」
「先程説明した兄です」
「伯爵家嫡男が妹の暴走を止めきれないと?」
そうなのよねぇ……それも意味分からないわ。甘やかされて育った……と言うのもなくはないだろうけど。
「ルシアン様に言い寄るぐらいだし、分かってはいた事だけど、エスコートしてくれる人もいないのね」
「それなんですが」と、ダヴィドの歯切れが悪くなる。
ワタシとロイエがダヴィドを見る。ワタシ達はまだ調べ始めたばかりだけど、ダヴィドは少し前から動いてる。
知ってる情報はこの中で一番多い。
父からもらったコ達も、先入観無しに情報収集させるのと、情報ありきで調べさせるのとに分けないといけないわね。
「数年前まで、家同士が決めた婚約者がいたようなんです」
「死別か、心変わりか?」
ロイエの質問にダヴィドが困ったような顔になる。
「確かに元婚約者は他の女性と婚姻を結んでいるんですが、その女性とも家同士の政略結婚。元から恋人だったとか、一夜の過ちっていうのも無さそうなんです。婚約も解消と言う形を取っています。どちらかが問題と言うのでも無く、円満解消」
元婚約者が別の令嬢と結婚と言うと、不貞が考えられるけど、そうではないのね……それとも本当は何かがあって、シャマリーの自尊心が許さなかったとか?
「子供の有無は?」とロイエが質問をする。ダヴィドはクビを横に振った。
「つい先日生まれたみたいではありますが、当初の理由では無さそうでした。皇都で医師業を営んでいる者達に片っ端から確認しましたけど、そうじゃないんですよ」
当時妊娠していたけれど……と言う話でもない。
「一般的な理由では無い、と言う事か」
「シャマリー嬢に強引にケチを付けるとしたら、母親の事ぐらいですかねぇ」
……母親?
「どういう事? 調べてるなら教えてちょうだい」
「母親が平民です。皇都でも指折りの商家の次女で」
「それよ!!」
「それだ!!」
ロイエと同時に叫んでいた。ワタシ達の勢いに押されて、ダヴィドは目を見開いて仰け反ってる。
「でも、貴族が平民の娘を後添えに迎えるのは珍しくないし、後継者は貴族の正妻との間の子だし……」
「違うわよ」
話が見えてないのか、ダヴィドが首を傾げる。
「レーゲンハイムともあろう者が、主人のミチルちゃんの過去を調べてないなんて、お話にならないわよ?」
ようやく糸口が見えてきたわ。
「え? ミチル様が出てくる要素ありました?」
ロイエは腕を組み、眉間に皺を寄せている。ワタシとロイエの顔を交互に見るダヴィドは、まだ分かっていないようだ。
「純粋なマグダレナの民しか魔力の器を持っていない事は、知ってるわね?」
時折生まれる器持ちの平民の事はこの際置いておく。
「それは勿論。当時大騒ぎになりましたから」
「その発見をしたのは、ミチルちゃんよ」
首を傾げた後、ダヴィドが人差し指を立てて言う。
「もう一回いいですか?」
「ミチルちゃんが、器が複数の箇所に存在する事と、貴族と平民──そもそもの種族のルーツが異なると器の有無に関わってくる事を突き止めたの」
わざとらしく丁寧に説明する。
「……カーネリアン女史では……」
「共同研究の体は取ってるけど、発見したのはミチルちゃんよ。それがあって、当時、オットー家の養女に入ったんだもの」
ほほー、と感心するように声に出した後、「え? シャマリーの婚約解消の理由、魔力の器の有無です?」と間抜けな声でダヴィドは言った。
恐らくね、と答えながら頷く。
領地経営に魔力は必要になる。これまでは測定で器がないと思われていても、子供には受け継がれていくと言われていた。それが根底から覆されて、生涯魔力を持たぬようになるのだと言う事実は皆の知る所になった。
婚姻を結んでいても離縁された者もいただろう。
ビルボワン家も、と言うよりも誰も彼もが知らない事だったから、シャマリーの場合は婚約段階で露見したのもあるし、相手を騙そうとした訳ではないと言う事で円満解消になったのね、きっと。でも、婚姻間近の解消。母親の出自。わざわざ口にしなくても分かってしまう。
誰も、シャマリーを妻にと望まない。貴族なら。
必然的にシャマリーの嫁ぎ先は貴族の妾となるか、平民の妻となるしか選択肢がなくなった。
ルシアン様の妾になろうとしたのも、アルト家の男が妻を一人しか娶らない、と言う理由ではないんでしょうね。
彼女は、自分が妾にしかなれないと分かっていて、ルシアン様の妾になろうとしたんだわ。
……思った以上に事が大きい。
解決策は一つでは無いんだもの。ううん、解決出来ない事の方が多いんじゃないかしら?
新たな嫁ぎ先をとワタシ達が用意した所で、貴族の妻の座に収まる事が出来ないんだもの。子を産んだとしても、その子は家を継げない。平民になるしかない。
伯爵家の令嬢として生まれて、努力もしただろうし、人が羨むだけのものをシャマリーは持っていた。あの事がなければ、彼女は幸せな人生が約束されていた筈。
それが一瞬で砕けた。
だから、ミチルちゃんを恨んで、ルシアン様に近付こうとしたのね……。
「……難しくないですか?」
「簡単には解決出来ないわ。と言うか、解決出来る自信が無いわ」
「誰の為に解決しようとしている?」
ルシアン様の声が背後からした。
ロイエはいつの間にかルシアン様の側に控えているし。
ワタシとダヴィドが頭を下げると、ルシアン様はソファに腰掛けた。
「それは、ミチルちゃんの為です」
「本当に?」
真っ直ぐに見つめてくるルシアン様の視線に、自分の考えに自信がなくなってくる。
「ビルボワン伯爵令嬢以外もそうだが、どれだけの人数が影響を受けたのか、分かっているのか?」
「いえ、未調査です。申し訳ございません」とダヴィドが謝罪する。
「女神は民に、マグダレナの民以外と血を交わらせてはならない、加護を失う事になる、と伝えている。それがいつから狂いだしたのかはもはや知る術も無いが、それはミチルの罪か?」
「いえ、違います」
「むしろこのままでは血が薄まっていく危険性を知らしめた存在として、褒められこそすれ、恨まれる筋合いは無い。ミチルは誰かを不幸にするつもりで言った訳ではないし、あれを広めたのは父とカーライル女史だ。
お門違いも甚だしい」
目の前に置かれたコーヒーをお召し上がりになると、だが、と続きをお話になる。
「頭では分かっても、いざ己の身に降りかかれば、そう簡単に割り切れるものではない」
貴族として生まれ、教育を受けていれば、持つ者としての責任を植え付けられる筈。でも、その考えすら、維持出来ないだろう。……自分は貴族──マグダレナの民ではないと、言われているようなものなんだから。
「ダヴィド、ロイエ、セラ、皇国だけで良い。かつての報告で影響を受けた家を全て洗い出せ。
次の皇室主宰の夜会までには全てを片付けておく必要がある」
「夜会に御座いますか?」
皇室主宰の夜会の事をおっしゃっているのね。
「あの方がこの件に乗じて動くのが一番面倒だ」
……あの方。
ミチルちゃんの祖母であるイルレアナ様。
確かにあのお方が動きだしたら、どれだけの人間が罰を受ける事か知れない。
「理解したなら直ぐに動け。時間がない」
部屋を出ようとしたワタシに、「フィオニアに」とおっしゃると、ルシアン様は封筒を差し出された。
定期的に届くフィオニアからの報告書への返答は、ルシアン様がいつもお書きになる。
封筒を受け取り、配下の者達がいる場所に向かう。
とにかく情報を集めなくちゃいけないわ。
イルレアナ様のお考えが何処にあるのかまでは把握出来ていないけど、ルシアン様のあの口振りからして、ミチルちゃんの望まぬ結果なのは分かる。
たとえイルレアナ様のお考えが世界の為であっても、イルレアナ様の考える正解だとしても、ワタシはミチルちゃんの思いを無視したくない。
これ以上ミチルちゃんを犠牲にしたくない。
イルレアナ様だって、本当はやりたくない事をなさってるとしても、あの方の根本は皇族の、人の上に立つ者のソレ。その為に皇族が犠牲を払う事を、必要だと思ってらっしゃる。大極を見てらっしゃるんだとも思うのよ。
分かってる。分かるのよ。ミチルちゃんが女皇になるのが正解だって。だけど、嫌なのよ。
血筋も、愛し子である事も、女皇に最も相応しい事も。
実際女皇になったら、ミチルちゃんがその地位に相応しい努力をする事も、全部分かってる。
でも、ワタシはミチルちゃんに笑っていて欲しい。あの、優しい笑顔が、皇族としての作られた笑顔になってしまう事が嫌なの。
もう良いじゃない。そんなつもりがあろうとなかろうと、世界を救ったのよ。だからもう、これ以上ミチルちゃんに頼らないで、自分達の力で切り開いて生きていくべきだわ。
ワタシは、配下として父から預かった者達に向かって言った。
「魔力の器の有無により影響が出た全ての一族を調べて頂戴。周囲にもらした心情があれば、それも」
見つけなくてはいけないわ。ないかも知れない。でも、皆が幸せになる方法を見つけたい。




