レーゲンハイムの守るもの
ダヴィド視点です。
本当はダヴィドによるルシアンへの突撃インタビューの予定だったんですが、どうしてこうなったかな……。
オレはレーゲンハイムの人間でありながら、女神の存在を信じていなかった。
女神に愛されたラルナダルト家。それなのに、ラルナダルトの血筋を引く者の行方が知れない。ラルナダルトを守る為に存在する筈のレーゲンハイムはずっと、主を失ったままだ。これでどう信じろと?
愛されていたのはアスペルラ姫だけだったのを、ずっと愛されていると言い続けていたのではないかと疑ってしまうよね。
このまま、レーゲンハイムは腐っていくのだろうと思っていた。古臭い言い伝えを信じたまま。
だから突如現れたミチル様がラルナダルト家を継ぐ事が決まり、あのクズ王家が断罪された時も、何だこのくだらない茶番はと冷ややかに見ていた。音に聞こえたカーライル王国のアルト家が、皇国への足掛かりとして、ラルナダルト家に目を付けた。その為の舞台なんだと思ってた。
それなのに、ミチル様は真実にラルナダルトの血を引く方だった。
生まれて初めて、女神は本当にいて、ラルナダルト家は女神に愛されているのだと思った。
もし、祖父がイルレアナ様と婚姻を結んでいたなら、オレもアウローラも生まれなかったんだろう。オレの主であるミチル様も。
運命は複雑で残酷だとは思う。
でもこうして全て終わってみると、複雑に絡み合っていた糸がほどけて、ラルナダルト家は本来あるべき場所──ディンブーラ皇国──に戻っていた。それが可能だったのは、実力者であるアルト家の力あったればこそだろう。
アウローラはアルト一門の主要な家の一つであるルフト家の嫡男との婚姻を切望した。
祖父っ子であるアウローラが、惚れた腫れたで突撃したとは思えなかった。
優等生で、おまえが男だったならと言われて育ったアウローラは、祖父の悲願であるラルナダルトの血筋に連なる者を探す為だけに、剣術を身に付けたぐらいだ。
『お兄様、私、もう二度とラルナダルト家が途絶えるような事態を起こしたくないのです』
ルフト家との婚約が決まった日の夜、アウローラは尋ねてもいないのに、話し出した。
『皇国とも渡り合えるだけの力が、ラルナダルトには必要なのです。アルト一門の強固な力は必須です。
我らレーゲンハイムはもっと強くあらねばなりません。ミチル様を今度こそお守りせねばなりませんから』
ようやく見つかったラルナダルト家の後継者であるミチル様が、世界を救って眠りについた。
いつ目覚めるとも知れない眠りに。それなのにアルト家との繋がりを求めた。
『おまえはミチル様が目覚めると信じているんだな』
オレは目覚めるとも、目覚めないとも、思えなかった。
思うだけの要素がオレの中にはない。
『五十年です、お兄様』
五十年? と聞き返すと、アウローラは頷いた。
『お祖父様は五十年もの間、ラルナダルトの、イルレアナ様の存命を信じておられました。
ミチル様が眠りに就かれてまだ半年。お目覚めになる可能性はあります』
『でもなぁ』
アウローラは首を横に振り、オレの言葉を遮る。
『もし、このままラルナダルトが途絶えるならそれも運命です。ただ、このまま朽ちるのも悔しいですから、レーゲンハイムの力をアルト一門に託してから消えましょう。
ミチル様が愛してらっしゃるルシアン様の、アルト家を守る力になるのも、一興というものです』
ふふふ、とアウローラは悪戯っぽく笑った。
『ですがお兄様。ミチル様は目覚めます、きっと』
『随分と自信満々だなぁ』
アウローラは力強く頷いた。
『私は何度もミチル様の捧歌を目にし、耳にして参りました。あのお方は女神に愛された存在です。そのお方のお命を女神が奪う筈がありません。
ミチル様の幸せは、ルシアン様にあるのですもの』
オレは妹のようにミチル様のお側には仕えられていない。だから、アウローラのその思いが羨ましい。
そのブレる事のない信念を、オレも持ちたい。
『そっか』
『そうですわよ。ですから、私とロイエ様の婚姻は必要なのです』
『そんな事言って、おまえの一目惚れなんじゃないのかー?』
冗談でそう言うと、アウローラは口元に手をあてて、うふふふふふふふ、と不敵に笑った。
あ、図星。
妹のアウローラは、思っている事を当てると、こうやって笑ってごまかす。
ミチル様への思いも、ロイエへの想いも、どちらもあるんだろう。アウローラは心にもない事は出来ない質だ。
*****
急を知らせる使者がカーライルのアルト邸に駆け込んだのは、正午を過ぎて間もなくだった。
執事がベネフィス様に使者からの手紙を渡すと、ベネフィス様はそのままアルト公に紙を手渡した。
不吉な知らせでなければ良い。たとえば、ミチル様の容態が悪化したと言うような、最悪な──
「朗報だ」
紙から視線を上げたアルト公は、はっきりと言った。
「ミチルが目覚めたよ」
たいして接点なんかなかったのに、それでも、目覚めたと聞いてこんなにも嬉しく思うのはオレがレーゲンハイムだからなんだろうか。
オレ達レーゲンハイムの唯一無二の存在。嘘偽りなく女神に愛されたオレの主人。
かつてのアドルガッサーの二の舞を防ぐ為に、レーゲンハイム一門を併呑したアルト家が、旧アドルガッサー領をラルナダルト領に改名し、正式な領主となった。
ディンブーラ皇国は千年の時を経て八公家の体制に戻った。家に伝わる話でしか聞いた事のなかった昔話が、現実になって目の前にあるのは不思議な感覚だ。まるで物語の中に入ってしまったんじゃないかと思えてくる。
行方不明だったイルレアナ様は今ではディンブーラ皇国の女皇として君臨しているんだからもう、意味が分からん。事実は小説より奇なり、という言葉は聞いた事あったけど、あれは嘘じゃない。
ミチル様は伴侶であるルシアン様との間に双子をご出産された。存続が危ぶまれたラルナダルト家の血が、続いていく。
ミチル様と、二人のラルナダルトを、守っていく。
夜中、突然部屋に来た祖父が言った。
「ダヴィド、支度をせよ」
言われるままに支度をして向かった先は皇城だった。行きの馬車の中で、祖父はひと言だけ言った。
「おまえもレーゲンハイム当主として、覚悟を決める時が来た」
レーゲンハイム家当主としての覚悟──。
祖父の声の低さに、思わずごくりと息を呑んだ。
当主になって何年か経っていた。でも、オレはまだ当主になった実感のようなものがなかった。未だに実権を握る祖父が健在だからだろうと思っていた。
人の気配のしない皇城は不気味な程で、足音をさせずに僅かな灯りだけを頼りに案内された部屋に入る。
誰もいない部屋で、ひと言も発する事なく祖父に並んで立っていた。
どれぐらい待ったろうか、扉が開き二人の人間が入って来た。アルト公とルシアン様だった。お二人は着席し、何も話さない。
それから間もなくして、イルレアナ陛下と皇配殿下であるソルレ様が入室された。アルト公とルシアン様は立ち上がり礼をなさる。中央の席に陛下がお座りになり、その後ろに近衛騎士のようにソルレ様が立ったのを受けて、アルト公とルシアン様も着席する。
「お待たせしたかしら」
「いいえ」
陛下の問いにアルト公が答える。陛下はオレを見てにっこりと微笑まれると、「貴方がニヒトの後継者のダヴィドね」とお声をかけて下さったので頭を下げる。
侍女がそっとやって来て、陛下、アルト公、ルシアン様の前にワインの入ったグラスを置き、去って行った。
「孫であるミチルが、ルシアンとの間に双子を産みました。大変喜ばしい事です」
ルシアン様の方を向き、「ルシアン、私にひ孫を抱かせてくれた事、礼を言います」と笑顔で声をかける。
「勿体ないお言葉にございます」
「リュリューシュがゼファスの養女に入り女皇となり、ロシュフォールがラルナダルトを継ぐ。これでラルナダルトは安泰です。本当に、めでたい事。ミチルには褒美をいくら授けても足らぬ程です」
手の上で広げていく扇子に視線を落とす陛下は、穏やかな笑顔を浮かべてらっしゃる。ひ孫の誕生を心から喜んでいるのだろう。
パチン! と強い音をさせて扇子が閉じた。鋭い音が室内に響く。
「これで予備は不要になりましたね」
鳩尾のあたりが冷やりとする。
予備──分かっていた。この時が来る事は。
「あのご家族なら、カーライルからラルナダルト領の至星宮に輸送済みですよ」
アルト公は答え、ワインを口にする。
ほほ、と陛下は微笑まれる。
「さすがアルト公、なんと手際の良い。話が早くて本当に助かります」
ニヒト、と陛下が祖父を呼ぶ。
「心得ております」
「頼みましたよ」
祖父が頭を下げる。倣ってオレも頭を下げた。
衣擦れの音がして扉が閉じる音がした。陛下と皇配殿下がご退出になったのを確認してから顔を上げる。
「ラルナダルトが光なら、レーゲンハイムは闇、だったかな?」
アルト公が言った。
その言葉はこれまで何度となく聞いてきた。でも、オレは果たした事がなかった。
「ずっと不思議だったのだよ。
アスペルラ姫の血を引く者が少ない事がね」
「姫の血脈はこの上なく貴重なものですが、増えれば良いというものでもありませんからな」
公の言葉に祖父が答えた。
「当家も血にはうるさいが、ラルナダルト程ではないね」
そう言うとルシアン様を見てアルト公は言った。
「ルシアン、継ぐと決めたのはそなたなのだから、ラルナダルトの闇はそなたが飲み干しなさい」
「勿論、ミチルには何一つ知らせる気はありません」
「よろしい」
笑顔で頷いたアルト公はオレを見た。ルシアン様もオレを見る。
「ダヴィド、ミチルの父と母、兄と姉をおまえの手で始末せよ」
ミチル様の母親以外は、陛下にとってもソルレ様にとっても血を分けた息子、孫だ。それを、殺せとあのお二人は顔色を変えずに言った。
その覚悟はどんなものなのだろうか。
オレは丹田に力を入れ、頭を下げた。
「レーゲンハイムを継ぐ者として、お役目、ありがたく頂戴致します」
ラルナダルトの血は貴重だ。だからと言って無闇矢鱈と増やせば良いと言うものではない。
今はミチル様がいらっしゃる。だからおかしな事をする者はいないだろう。
でも、その後は──?
災いになる種は早めに間引く。
それがレーゲンハイム。ラルナダルトを守る者。
気持ち良さそうに眠っていた、二人の赤子の顔が思い出される。無垢な寝顔を幸せそうに見つめるミチル様の顔を。
オレが仕える主人はミチル・アルト・ディス・ラルナダルト様と、その二人のお子。
例え姫の血を引いた者が他にいたとしても、相応しくない者はラルナダルトに必要ない。




