ホワイトデー 後編
同じ月の間にホワイトデー終えられて良かった…。
しばらくぶりの至星宮に、ミチルは嬉しそうだ。
馬車で眠りに付いた子らは、ベビーカーの中でそのまま寝ている。
「こちらには何日程滞在する予定なのですか?」
「決めてはいません。皇都からでは見えない部分を確認しなくてはいけませんから、しばらく滞在しますよ」
「では、ロシュフォールとリュリューシュを連れて色んな場所に行けますね」
「私とも」
頰に口付けを落とすと、ミチルは嬉しそうに微笑んだ。
「勿論です」
ロイエとダヴィド、ニヒトの協力を得て、ラルナダルトに来てからは半日の執務。その間にミチルは祈りを捧げている。半日はミチルと子らとの時間。
夜は皇都にいた時よりも長い時間をミチルと過ごすようにした。
「ラルナダルトにいる方が、お仕事をなさりやすいのですか?」
執務を半日しかしていない為に疑問に思ったのだろう。
「いいえ。ホワイトデーなので」
「ホワイトデーは明日ですよ?」
カウチに腰掛け、膝の上にミチルを座らせる。
「いつもミチルには寂しい思いをさせているのだから、一日じゃ足りないでしょう?」
恋人繋ぎをした手を、握り返してくる。真剣な表情だ。
「無理をさせているのではないですか?」
こんな時でも俺の事を考えてくれる。
もっと甘えて良い。
我儘を言って欲しい。
「いいえ。私にとってはミチルが一番です」
瞼に口付けて、頰に口付ける。
「ミチルを甘やかすつもりで来たけど、結局私が一番良い思いをしている気がする」
そう言うと、ミチルはふふふ、と笑った。
「そんな事ありませんわ。私の方が上です」
「そう?」
そう思ってもらえているなら良い。
「ルシアンとロシュとリュリュがかつて無い程に一緒に過ごしておりますもの」
「そうですか?」
「そうです!」
ミチル自身は、私との時間が増えた事より、私が二人の子との接点が増えた方が嬉しいのか。
「それに」
頰をうっすらと赤く染めたミチルが俺を見る。
「こうして一緒に過ごす時間も増えましたもの」
抱き締めると、胸に頭を預けてくる。
こんな風に自然と甘えてもらうのに時間がかかった事を思い出す。散々甘やかして、これが普通なのだと思わせても、なかなか慣れてはくれなかった。
今では抵抗なく身体を預けてくれる。それが、とても嬉しい。
「愛しい人」
口付ける。数えきれない程の口付けを交わしたのに、恥ずかしそうにするその初々しさは、男の庇護欲をかきたてる。
「どうしたの?」
何も気付かない振りをして、髪に口付ける。それから額に、瞼に、鼻に。
「る、ルシアン、もしかして……」
「もしかして?」
「今日も……?」
そんなつもりはなかったが、こんな風に言われると、揶揄いたくなってくる。
「期待を裏切っては、良い夫とは言えませんね?」
「き、期待って、そんな……!」
真っ赤な顔で慌てふためくその様に、胸が疼く。
「駄目ですよ、そんなに煽っては。我慢出来なくなるでしょう?」
「煽ってませんーっ!」
逃がさないようにきつく抱き締める。
羞恥で体温も上がったミチルは、腕の中で丸まっている。
「可愛い」
赤く染まった耳に口付ける。
「ミチル、顔を見せて」
おずおずと顔を上げる。恥ずかしさから目に涙が溜まっている。目に口付けて涙を奪う。
「さっきはあのように言ったけど、もっと煽って良いんですよ?」
「またっ、ルシアンはそうやって破廉恥なっ!」
彼女の口癖である『破廉恥』を、これまで何度聞いただろうか。
「ごめんね?」
「悪いと思ってませんね?!」
「思っていませんよ。愛を囁いているだけですから」
「愛と言うか……!」
「愛ですよ?」
頰を撫でる。
「言葉で愛を囁いて、触れて愛を伝えていると、貴女の全てが欲しくなってしまう」
ごめんね、俺の愛がミチルを潰してしまう事は分かってる。それでも、止められない。
愛しくて、全部欲しくなってしまう。
「そ、そう言うものなのですか? 私はその……触れ合った事による刺激でムラムラしてしまうのかと……」
ミチルの言葉に苦笑してしまう。
随分と直球な言葉を使ってきた。大分余裕が無くなってきている。
「まぁ、そう言う事でしょうが、胸の内の動きとしては、さっき言った通りです」
ミチルの唇が動く。声は出ていない。
『言い方大事』
可笑しくて吹き出してしまう。
可愛くて堪らない。
頰を両手で包んで口付ける。
甘く囁く。
「諦めて、今夜も愛されて」
ホワイトデー当日。
ミチルが目覚める前にシフォンケーキを作り始める。
パティシエからの助言通りに、生地を二種類用意した。生地の基本は同じで、途中で二つに分け、片方はプレーンなままにし、もう片方はほうじ茶を粉末にしたものを混ぜ込んでおいた。メレンゲを加え、オーブンで焼く。
クリーム色と薄茶色のシフォンケーキが焼き上がる筈だ。
そろそろミチルが目覚める頃合いだ。レモンを搾り入れた水の入ったグラスを手に、寝室の扉を開ける。
上半身を起こしたミチルが、ぼんやりとした顔でこちらを見る。
「おはよう、ミチル」
テーブルに水を置き、ベッドに腰掛ける。
「おはよう……ございます」
寝乱れたアッシュブロンドの髪を手櫛で直してから、額、瞼、頰に口付けをする。最後に唇に。
「水を飲みますか?」
頷くミチルにグラスを渡す。
「良い匂いが……します」
「えぇ。菓子を焼いています」
「ルシアンがですか?」
「そうです。ホワイトデーですから」
「本当に作ったのですか?」
「朝食として食べてもらおうと思って、作っておきました」
ミチルの唇が動く。
『スパダリ』
スパダリ? 初めて聞く言葉だ。ミチルの前世での言葉は多岐に渡る為、知らない言葉はまだまだ多い。
何かの折に確認しておこう。
ミチルが入浴している間に焼き上がったシフォンケーキをボトルに挿して逆さにする。
変成術で作り上げた白金の簪を絹に包んで胸ポケットに入れておく。
装飾用の宝石を埋め込まない為、白金色だけで味気なくなってしまう。せめてと、髪から出る部分に百合の花に見えるように透かしを入れてみた。
誰かに渡す為の物を、変成術を用いて作り出したのは初めてだ。作りながら、ミチルは同じ気持ちだったのだろうかと何度も思った。
扉が開き、ミチルが戻って来た。
「戻りました」
ミチルに近寄り、抱き上げると、カウチまで運ぶ。
「歩けますよ?!」
「甘やかしているだけです」
カウチに座らせ、額に口付ける。
「今用意するので待っていて」
「る、ルシアンが甘いです」
「ホワイトデーなので」
「ルシアン、全てホワイトデーと言う言葉で片付けようとしてますね?」
笑ってしまう。
本当に、ミチルは素直に甘やかされてはくれない。
茶葉の入ったティーポットに湯を注ぎ、ティーコージーで包むと、お湯で温めておいたカップと共にミチルの前に置く。
型から外したシフォンケーキ二種類をカットし、1ピースずつ並べ、生クリームとパティシエが作った粒餡を添えた皿も置く。
「シフォンケーキ!」
「はい。特訓しました」
ミチルの隣に腰掛け、俺の膝の上に移動させる。
「どちらから食べますか?」
「……プレーンから」
フォークでひと口サイズにカットし、生クリームと粒餡をのせたものを、ミチルの口に運ぶ。
抵抗しようとするミチルに告げる。
「バレンタインデーの際に言ったでしょう? ひと口ずつ食べさせると」
軽い見つめ合いの後、諦めたように口を開く。
ミチルの口に吸い込まれるようにして消えた、シフォンケーキ。
驚いたように目を僅かに見開いて、口を押さえる。
「口に合いませんでしたか?」
慌てるように首を横に振ると、「とっても美味しいです!」と興奮した声を上げる。
「フワフワですけれど、しっとりもしていて……!」
「それは良かった。今度はほうじ茶の方を食べて下さい」
ほうじ茶を混ぜ込んだシフォンケーキを口に運ぶ。
抵抗する事は頭から消えたようだ。
「こちらも美味しいです。ほうじ茶の味がします。ほうじ茶を牛乳の代わりに入れたのですか?」
「いえ、横着をする為に、ほうじ茶の茶葉を細かくしたものを混ぜ込んでいるんです。本当なら、淹れたほうじ茶と茶葉を入れるべきなんでしょうが」
「一つの生地を分けて作ったのですね」
頷くミチル。
直ぐに作り方が知られてしまったが、口に合っているようで良かった。
「まさか、粒餡まで作ったのではありませんよね?」
「それはパティシエに作ってもらいました」
「艶々に炊き上がっていて、甘さもあるのにくどくなくて美味しいです」
喜んでくれているのが嬉しくて、頬に口付ける。
「それは良かった」
交互にシフォンケーキを口に運ぶ。
半分程食べた所で、何かに気付いたように動きが止まる。抵抗せずに食べていた事を思い出した?
「私ばかりいただいてしまいました。ルシアンは召し上がらないのですか?」
「味見で散々食べましたから、しばらく見たくないのが、正直な所です」
「そんなに練習なさったのですか?」
「初めてで何でも成功させられる程器用ではありませんから」
ミチルが眉間に皺を寄せて首を傾げる。
いつの間に、とでも思っているのだろう。
「さぁ、まだ残っていますよ?」
全て食べ終えると、ミチルは息を吐いた。満足気な表情が可愛らしい。
「美味しくて食べ過ぎてしまいました」
「本当はもっと食べてもらいたい」
途端に怪訝な顔をする。
「それは……自分の作った物で私を構成したいと言う欲求ですか……?」
随分と怪訝な顔をすると思っていたら、不思議な事を口にする。俺が料理する度に見せていた表情は、そう言う事か。
「その視点はありませんでした」
だが、納得もする。
血となり肉となるのは日々の食事であると考えるなら、俺が作った物をミチルが食べると言う事は、そういった意味合いを持つ訳か。
あからさまにしまった、と言う顔をするミチルに、笑ってしまう。
「ミチルはもっと食べた方が良いですよ?」
ミチルの動きが固まる。
「……どう言う、意味ですか……?」
「以前も言ったでしょう? 閨で思うと」
突然ミチルが胸のあたりを押さえた。多分、無意識に。
……なるほど、最近何やら動いているのは、そこに起因するのか。そんな気はしていたが。
ただ、何もなくそのような行動を始める筈も無い。切っ掛けがある筈だ。
尋ねても素直には話してくれないだろう。周囲から話をして聞いておくとしよう。
胸ポケットから簪を取り出し、布をめくる。
ミチルの視線が注がれる。
「簪ですか?」
「そうです。初めて作ったので、所々不格好なのは許して下さい」
簪を見る為に顔を近付けていたミチルは、驚いた顔で俺を見上げた。
「ルシアンが、作ったのですか?!」
「えぇ。ミチルの真似をして、作ってみました」
ミチルの口がまた動く。
『スパダリ過ぎる』
また出てきたスパダリと言う単語。
「スパダリとは?」
己の口を手で隠すミチル。それを取り払い、鼻に口付ける。
「教えて、ミチル」
「す…………」
「す?」
俯きながら答える。
「……スーパーダーリン、の、略です」
スーパーダーリン。
字面だけ見ると賛美されているようだ。皮肉では無い事を願う。
「ルシアンは、スパダリすぎますっ」
赤い顔でミチルが言った。恥ずかしさに耐えきれなくなったようだ。
「スパダリとは、褒め言葉ですか?」
この反応からして、褒めているのだろうとは思うが、正しい意味を知っておきたい。
「……超……」
「超?」
「ハイスペックな男性……です、端的に言うと」
「それは良かった」
微笑みかけると、赤い顔をしたミチルが「ルシアンがイケメンでスパダリで、困ります……」と呟いた。
イケメンとスパダリは被ってる気がしなくも無いが。
赤く染まった頬を両手で覆い、恥ずかしさに耐えている姿も可愛いが、簪を挿した姿が見たい。
「簪を挿しても良いですか?」
「勿論ですわ」
後で一つにまとめている髪に、そっと簪を挿す。
「どうですか? 似合いますか?」
嬉しそうに尋ねる姿に、作って良かったと思った。
買った物を贈ったとしたなら、この笑顔は見られなかっただろう。
「えぇ、自画自賛になるようで申し訳ないですが、とても良く似合っています」
「ありがとうございます、ルシアン。一生大切にします」
これまでいくつもの贈り物をした。どれも喜んでくれたが、一番喜んでもらえたように思う。
買った物の方が余程美しい仕上がりだと言うのに。
「こちらこそ、ありがとう、ミチル」
ミチルの言う思い出と言うのは、こういう事を言うのだろう。
金銭が悪い訳ではない。購入した物であっても、思い出は増えていくものだ。手間をかけた分だけ思い出の量が増えると言うのが正しいか。
「貴女と、思い出を作り続けたい」
これからもずっと。
「えぇ、私も、同じ事を思いました」
柔らかな微笑みに、胸が温まる。
人として不器用な俺に、愛を教えてくれた人。
「愛しています、ミチル」
そう言って、口付ける。
また来年もこうして貴女に新しい簪を贈ろうと思う。今よりも上手く作れるように、練習を重ねて。
ロシュフォールとリュリューシュも今よりは大きくなって、少し装飾の増えた簪を贈っても大丈夫だろうから。




