おかえりなさい、ミチルちゃん
ミチルが眠りについてから三ヶ月後の、セラ視点です。
ミチルちゃんが眠りについて、三ヶ月が経った。
目覚めるかも知れない。ただ、このまま眠ったまま死ぬ可能性もある事は、フィンの事で嫌と言う程聞かされていた。
……まさか、自分にとって大切に思う人間が、二人も同じ症状になるとは思ってもみなかった。
胸ポケットに入れていた紙を取り出す。
何度も読み返したミチルちゃんからの手紙。ミチルちゃんがベネフィス様に送った手紙。……どれだけ救われたか知れない。同じぐらいに苦しさもあった。
今のワタシは、ミチルちゃんが目覚めるのを信じ、ルシアン様が早まった事をしないようにする。
いつかミチルちゃんが目覚めた時に、ルシアン様が側にいなかったら意味がない。ミチルちゃんはきっと、ルシアン様を助けたくて、女神に祈った筈だ。だから、守る。
……そう思うのに、指の間を、砂がすり抜けていくように、少しずつ少しずつ、削れていく。
イリダ戦は試作艦が来るまでは全てが順調だった。
ルシアン様の立てた作戦により、イリダの艦隊は目の前で数を減らしていた。
でも、試作艦は圧倒的攻撃力と、こちらの攻撃を受けても耐え切れるだけの防御力を持っていた。その上、大地を通して生物から魔力を吸い上げる技術が導入されていた。
滅びの祈りが捧げられる中、人的配置を誤っていると思っていた。
アレクシア様じゃ八人分の魔力を受け止められる筈がなかったから。
それでもその役目はアレクシア様が果たさねばならないものだった。彼女が女皇として完遂しなければならないものだったのだから。誤算があるとするなら、ミチルちゃんの魔力が多過ぎた事だったろうと思う。
その事を大旦那様に尋ねたくて、部屋を訪れた。あの方がその点に気付いていない筈がなかったから。
「アレクシア様が失敗する事は想定の範囲内だった」
ならば何故と問えば、大旦那様は苦々しく笑った。
「ゼファスが"名"を継いでいたとは知らなくてね。そんなものの存在を知っていたらやり方を変えていた。
ゼファスがミチルの負担を軽くさせる為に代わりを果たそうとするのは、火を見るより明らかだからね」
確かに、あれは誰にとっても予想外だったろうと思う。
公家と女皇だけが持つ"名"。それなのに、ゼファス様はどの文献にも載っていなかった"名"を口にしたのだと言う。オットー公すら知らなかった。
「私の予定ではね、セラ。アレクシア様が失敗したとしても、ミチルが代わりに魔力の受け皿となって、祈りを捧げて成功する筈だったのだよ。例え一人欠けたところで、それを補えるだけの魔力をミチルは持っているからね」
ため息を吐いた大旦那様は、立ち上がって窓の前に立つ。
「本当に、私の知恵など、肝心な時に役に立たない」
その言葉に、自分の心情が重なって胸が詰まる。
アルト一門は実力のない者を認めない。公家もそうだろう。そうやって選び抜かれた人間達だ。それなりの自負があったろうと思う。やり遂げるという決意を持ってあの場に望んでいた。
でも、イリダとの戦いでは役に立たなかった。自分達が井の中の蛙であった事をこれでもかと思い知らされた。
ミチルちゃんを犠牲にして得た平和。何も知らない人間が聞けば、美談になるのだろう。
……なにが美談なものか。なにが奇跡なものか。
全てをミチルちゃんが被ってくれただけの事だ。そんな言葉で片付けないで欲しい。
ワタシの中のミチルちゃんは、おっちょこちょいで、噂の自分との乖離に青ざめるような、普通の人間なのに。
甘えん坊で泣き虫で、変な所を我慢して。
思い出せば思い出す程、やるせなくなってくる。
「イルレアナ様は皇位を継ぐよ」
「……それは、どういう意図ですか?」
公家はミチルちゃんを、アスペルラ姫の血が欲しくて、イルレアナ様を皇嗣としたのだ。肝心のミチルちゃんが眠りについてしまった今、イルレアナ様が皇位を継ぐ理由はない筈だ。
「ゼファスだよ」
聖下?
「ゼファスは信じているんだ。ミチルが目覚める事を」
そのひと言に、動揺する自分がいた。
「その為に皇位を継ぐらしいよ。ミチルは女皇になんてなりたくないから、代わりに自分がなって、準備をするんだと言っていた。
目覚めたミチルとルシアンとの間に生まれた子を自分の養子にし、シミオンの子と結婚させるんだとね」
振り返った大旦那様は困ったようでもあり、嬉しそうでもあった。
「何度聞いてもね、ミチルは必ず目覚めると言い切るんだよ、困ったものだろう?」
胸の奥を鷲掴みされたような気持ちがした。
「だからね、私も、信じる事にしたのだよ、セラ」
微笑む大旦那様の表情は、いつも通りだった。
何故、諦めていたのだろう。
何故、信じなかったのだろう。
あれだけの奇跡を起こしたのだから、ミチルちゃんは尊い犠牲になったのだと思っていたのは、自分だったのだ。
主人の帰りを待つのが、ワタシの役目だと言うのに。
「ルシアンには伝えてはならないよ。アレは今、考えない事で己を維持している。迂闊に期待させて、心を壊したくない。無論、自発的意思ならそれで良い」
「はい、理解しております」
「よろしい」
大旦那様は頷いた。
信じたい、と言う気持ちが、信じるに変わったのはそれから間もなくの事だった。
フィンが目覚めたのだ。
嬉しかった。
フィンが目覚めた事が純粋に。
アレクシア様も泣いて喜んで下さった。
同時に、暗い気持ちも沸き起こった。
フィンは言った。
『温かい光が全身を巡って、身体の痛みが和らいでいき、目覚めました』
温かい光とは、女神の奇跡だろうと思う。
定着したとは言っても、一向に増えない器の魔力に、暗澹たる気持ちになっていた。
でも、奇跡が起きた。ミチルちゃんが起こした。
フィンの魔力は増えていき、魔力の放出、枯渇による損傷が癒えたから、目覚めたのだ。
だから、同じ事があればミチルちゃんは目覚める事に他ならなかった。……そうさせるだけの力が働けば、ミチルちゃんは目覚める。
──女神を呼べたなら。
そんな事、誰も出来ないのに。ミチルちゃんしか出来ないのに。そのミチルちゃんが眠っているのだから、不可能なのだと認識させられて、心が黒く塗りつぶされそうだった。
「セラ、そろそろ婚姻を結ぼう。私は式などには関心がないから、質素で良いぞ」
突然のオリヴィエの言葉に、何を言ってるのかと思った。
あまりの事に言葉も出ないワタシを無視して、オリヴィエは話を続ける。
「ミチル様とルシアン様のお子を守る子を産む。ミチル様がいつ目覚めるかは分からないから、一人では足りないだろうが、身体は丈夫な方だ。四人……五人までいける気がする」
「オリヴィエ……」
オリヴィエはいつものように、無表情のまま言った。
「ミチル様とセラの結び付きを考えれば、その辛さは私の比ではないだろう事は分かる。
私は、気休めなどは好きではないからな、そう言った言葉が欲しいなら、別の人間を当たってくれ」
ただな、と言葉を区切る。
「私も貴方も、ミチル様を守る騎士だ。あの方の命尽きるまで、それは終わらないのだぞ? セラ」
涙が溢れた。
ミチルちゃんが目覚めるのを、疑うなんて、ワタシもまだまだね。
オリヴィエが言うように、ゼファス様が信じるように、ワタシも信じるわ。
例え、ミチルちゃんが目覚めなかったとしても。信じる事は悪い事じゃないわ。
おばあちゃんになって目覚めたとしても良い。
もう一度、ミチルちゃんに会う日を、信じるわ。
だって
魂も、この身も、あの方に捧げたもの。
*****
「いた……っ! 痛いです、セラ! 今の本気でやりましたね?!」
デコピンを見舞った額を押さえながら、涙目でワタシを見上げるミチルちゃん。
「当たり前でしょ! 何でワタシに胸の相談をしてくるのよ! 男だって知ってるでしょ!」
「セラならイケるかなと思って」
イケるって何よ……。
痛む額を撫でるミチルちゃんに、戻ってきた日常に、胸がいっぱいになる。
きっとミチルちゃんも何度となく感じてるだろうし、ルシアン様も感じてる事だろう。
ロイエも、エマも、クロエも。
皆、きっと思ってる。
この幸せが、ずっと続いてくれるように、と。




