思いが破れたとしても、思う事は無駄ではない
ミチルの祖母 イルレアナ視点です
魔道研究院の院長であるエスポージトは、説明を始めた。
「魔力の器が出来得る箇所は全部で七箇所です」
魔力の器のある場所は決まっていると思われていた。
複数の場所に器が存在しうる事が発見され、二箇所にしかないとされていた定説は覆された。
発見したのは魔道で有名なカーネリアン一族でも、特に優秀とされたデネブ女史だったが、きっかけはレイだったと言う。
再調査の結果、器は七箇所のいずれかにある筈であり、貴族──つまり私達マグダレナの民は胸より下に器を持ち、平民──オーリーやイリダとマグダレナの間に生まれた、もしくは先祖にマグダレナの血が入っている場合、ごく稀に器を持つ者が現れる。そしてそれは、首から上に器を持つ。
「殿下の体内には、器が七つあります」
器が、七つ……?
「転生者は生まれた時から器が二つあると聞いた事があります。転生者である殿下は元々二つ器をお持ちだったと思われます」
エスポージトは言葉を一度切った。
「女神により器を全て生成されたのか、人は元より器を持っているものの、それが眠ったままなのかは不明ですが、殿下のお身体には、間違いなく器が七つあります。そしてその内の一つを除いて完全に魔力が枯渇しております」
枯渇と言う言葉の持つ響きに、胸がざわりとする。
アレクシアの想い人であるフィオニア・サーシスは魔力が枯渇した事で眠りに着いた。
「その、一つと言うのは」
「鳩尾のあたりにある器なのですが、そこに薄く魔力の残滓が見受けられます。それ以上増える事もなければ、減る事もない、かつて見た事の無い状態です」
大気中の魔素を取り込む事で器に魔力が蓄積されていく筈であるのに、減りもしない、増えもしないと言うのは、どう言う事なのか。
「神の力を人の身で受けた事による損傷が、殿下のお身体のあちこちに見受けられます」
マグダレナの大陸だけでなく、イリダやオーリーの大陸をも覆う程の力を、女神は発した。
七つの器全てに満たされた魔力は、女神の滴、アンク、天秤、杖により実際の何倍にも増幅された筈なのだ。
一体どれほどの力を、レイのあの華奢な身体で受け止めたと言うのか。想像するだに恐ろしい。
命を失ってはいないとは言っても、いつ目覚めるとも知れない。それなのに、それでも生きていてくれて嬉しいと思ってしまう。
眠るあの子が苦しんでいない事だけを祈る。出来るなら代わりたいとさえ思う。私のような老体が生き長らえて、未来あるレイがこのような目に遭わねばならない理不尽さに、その状況を防ぎ切れなかった己の未熟さに苛立つ。
「率直に申し上げさせていただいて、殿下の身に起きている事は前例のない状態であり、明確な事は何一つ申し上げられません」
現実と言う名の闇に、心が覆い尽くされてしまいそうになる。
私の元を聖下が訪れたのは、レイが眠りに着いてからひと月ほど経った頃だった。
レイがこうなった事で、アレクシアの退位は実現出来ていなかった。アレクシアも流石に退位したいとは口にしなかった。
祈りが成功しなかった事を己の所為だと責めていた。あの時素直に聖下に任せていれば良かったのか、自分が命をかけてでも耐え切ったなら、状況は変わったのではないか、と。
彼女は選択を誤りはしなかった。皇国の女皇としての責務を全うしようとした。力不足であったとしても、やり切ろうとした。
はっきりと実力が足りなかったと責められたなら、彼女は楽になっただろう。──でも、誰も言わなかった。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、お越しいただき嬉しいわ」
聖下には尋ねたい事があった。
"ヤツフサ"と言う名が何なのか。
……知った所で、残す者もいないと言うのに、皇国の為に、と思ってしまっている自分に、心身に刷り込まれた習慣に、苦笑する。
お茶と菓子が運ばれてきたものの、聖下は口になさろうとはしなかった。毒は入っておりませんよ、と言うと、ふ、と溢すように笑うものの、口にはなさらなかった。
「八代目女皇 イルレアナの側に常に控えていた者がおります。オットー家の当主であった男です」
神がかり的に皇国内を纏め上げていった伝説の女皇。私と同じ名を持つ、転生者であったと言う彼女。
「イルレアナは魔力を大地と女神に捧げる為に、皇族を選別しました。その為の"名"。八公家の当主と女皇のみが引き継ぐものです。私が継いだ"ヤツフサ"は、真に必要であるとされた時のみに、オットー家の者だけが名乗る事が出来るものです。それは、女皇の持つ"フセ"よりも上の強権を持つ"名"」
何故そのようなものを、公家の一つに授けたのか。
イルレアナとオットー家当主は道ならぬ恋をしていたのだろうか? そうでなければその全幅の信頼は何処から来るのか。イルレアナはオットー家の出ではない。皇女として生まれている。
「恋人とも違うものであったようです」
私の胸の内の疑問に答えるように、聖下は言った。
「"もし私が、私に続く女皇が、この名に相応しくない行いをしたならば、ヤツフサの名において断罪して欲しい"」
女皇を、皇室を正す為の"名"……。
「女皇イルレアナの言葉です。これが、オットーが守護者と呼ばれる所以です。公家や皇族に影を付け、裏から皇国を守るのは、後から付いたものであったと聞いています」
その名を、今回聖下が継いだのは、祈りの為に?
「私は、これまでずっと逃げていました。皇族としての務めから。なりたくて皇族になどなった訳ではないと、心の何処かでいつも思っていた」
目を伏せ、しばしの間言葉を発しなくなった聖下を、急かす事もなく、私はぬるくなってきた紅茶を口にする。
「アレが……ミチルが、私に言ったのです。働けと──今の、私で良いと」
思い出すように発せられたその言葉には、重さとでも言うのか、深さとでも言えば良いのか、一言では言い表せないものがあった。彼にとって、大事な言葉なのだろうと察せられた。
「貴女の孫は、本当に無茶苦茶です。それに酷い」
その言葉に私は思わず笑ってしまった。
誰にも心を許さぬと言われている聖下をこんな風にさせたのはレイぐらいのものだろう。伴侶であるルシアン様も、大変に難しい気性だ。
損得なく二人に近付く人間は、いない事はなかっただろうが、だからと言って心を必ず掴める訳ではない。
レイの、あの子の、真っ直ぐさが彼らの心に刺さったのかも知れないし、真実は二人にも分からないかも知れない。心は単純ではないが、理屈でもない。
「皇族として生まれた訳でもないのに、民の命を奪う事を強制的に選択させられた……アルト公からそれがどれほどミチルに重くのしかかり、心に負担をかけているかを聞くたびに、苛立ちました。アレは民に近過ぎる。
選択をさせたくなかった。その為に"フセ"よりも強く、誰の代わりにでもなりうる"ヤツフサ"の名を継ぎました。
皇室を守る為でもなく、女皇を守る為でもなく、ミチルを守る為だけに」
自嘲気味に「結局、私は守れなかった」と言うと、膝の上に置いていた手に、力を入れるのが見えた。
「私は、目覚めると信じています。ミチルが目覚めた時に、これ以上負担をかけたくない。今度こそ守りたい」
真っ直ぐな視線を私に向けて聖下は言った。
「皇位をお継ぎ下さい、イルレアナ様。私を皇太子に指名していただきたい」
「教皇職を辞すると言う事ですか?」
いえ、と首を横に振る。
「皇位に就く者は、女神に近い者が相応しい。マグダレナ教の教皇職は皇位継承者がなるべきだと考えています。その為にも私は皇位に就く必要があります」
「帝国が認めるかは分かりませんよ」
「今なら可能です。むしろ今やらねば永遠に出来ない。ミチルが見せた奇跡を前にして、拒否するだけの材料を帝国は持たない」
女神の奇跡は大陸全土に及んだ。その奇跡を呼び込んだのは、皇国公家に復籍したラルナダルト家の当主である事は、帝国民にも知る所だと聞く。おかしいと思っていた。何故、レイがその身を犠牲にした事を民が知り得ているのか。
……聖下が、広めたのだ。
「ミチルは必ず目覚める」
それは確信であるのか、願望であるのか、問う事は出来なかった。
「せっかくあの子が、己を犠牲にしてまで助けてくれたものを、私達が無駄にする訳にはまいりませんね」
聖下に向けて微笑み、頷いた。
私も信じたい。そうでなければ耐えられない。
レイの目覚めを信じて、残りの人生を生きる事を決意した。
あの子の為に、かつての祈りを復活させたいと思い、ソルレと共に旅をした。離れている間、レイを忘れた事などなかった。泣いているのではないか、泣かされているのではないかと、不安な気持ちを抱きながら。
それでもあの子に未来を繋ぎたかった。あの戦いでその夢が絶たれたと思った。
けれど、あのような状態であっても、生きている。あの子は生きているのだ。
私は、皇位を継承し女皇となった。
そして聖下を皇太子とした。
全ては、ミチルの目覚めの為に。




