魔王は不敵に笑う
ミルヒ視点です
不機嫌なご様子のゼファス様を楽しそうに見ているのは、ミチル様が魔王と呼ぶお方 アルト公。
カーライルでの地位も失われている。ラルナダルト家はディンブーラ皇国で公爵位を賜っているけれど、アルト公はなんの爵位も持たない。一見無力化したように思えて、危険物が世に放たれてしまっただけのような、そんな不安がある。かの御仁に関していえば、爵位は猛獣に着けていた足枷だったのではないかと思うことがある。
「自由とはいいものだね。朋友との時間も多く取れて」
にこにこと、音がしそうなほどの笑顔のアルト公を、それはそれは胡散臭い目で見つめるゼファス様。……このお二人、実は仲が悪いのだろうか? 仲が良いと思っていたのだけれども。
「図書館の蔵書は皇城内に移動させた」
「これでミチルも安心して読書ができるね」
一瞬、ゼファス様の口元に力が入る。
「……来ると思っているのか?」
「来るだろうね」
誰がだろう? お二人の会話は隠語が多い。言わなくとも伝わるのだから、やはり仲が良いのだろう。
「魔素を解消するためか?」
「老いた狼の子が、魔素に蝕まれているようだからね」
「……そうか」
大きなため息を吐くと、マカロンを口にするゼファス様。珍しい。あんなに乱暴な食べ方をなさるなんて。
老いた狼の子が誰のことなのかは分からないけれど、たぶんゼナオリアやアル・ショテルのことをいってるんだろう。
「子は連れてこないだろうな」
「そうだろうね」
ゼファス様の眉間に皺が寄る。考えを読もうとするかのようにアルト公を見つめる。
「それでは一時的な対策にしかならないだろう」
「ゼファス、我らが思いつくことにあちらが思いつかないはずもないだろう? 相手も同レベルかそれ以上と思ったほうがいい」
「……珍しいな、そなたがそこまで言うとは」
アルト公は笑った。その笑顔に焦りや誤魔化しは感じられない。
「何を言っているんだい、ゼファス。私は常に最悪の状況を想定しているよ」
「だからいつも容赦ないのか……」
「それはそうだよ。アルトに仇なす者に慈悲など不要なのだからね。いやぁ、便利な家訓だよね」
もう一度大きなため息を吐くと、ゼファス様はもう一つマカロンを口にする。あ、それ、ミチル様が一番好きな味の奴ですね。
「大事なのは、相手に先手を取られないことだと私は思っているよ。後手に回れば受けた損傷の回復に体力を使うことになるからね」
「そんなことばかり言っているから、アレに魔王だと言われるんだ」
「あの子は本当に怖いもの知らずだよねぇ」
……楽しそうに微笑む姿は魔王そのものです。
「そういえばそのお姫様が、新しいものを立ち上げたそうじゃないか」
あ、ゼファス様の表情が和らいだ。
「ラグビーのチームが皇国に属する全ての国で作られる。向こう三年ほどは国内のチームに切磋琢磨させ、勝ち抜き戦を行う予定だ。優勝した国には女皇から賞金とトロフィーが授与される」
「いいね。堂々と他国に入る口実ができて。ミチルにそんなつもりはないだろうけれどね」
「アレはそなたと違って悪辣さを持ち得ていないからな」
貶されても全く気にならない、むしろ褒め言葉ぐらいに思っていそうなほど、アルト公は笑顔だ。
「我らが女神の愛し子はそれでいいのだよ。どんなものも使う者の心次第と言うだろう?」
ミチル様はきっと、民のことを考えてラグビーを広めようとしている。新設ギルドなども。ただ、殿下を取り巻く方たちが少しばかり、いやかなり、腹黒いというかなんというか……。
とは言え、ラグビーは既に注目を浴びていて、城下では話題に上らない日はないらしい。新しく作られたカフェもそうだ。
カフェの給仕は、宿屋のそれとは一線を画す。
これまで宿屋には幾つもの顔があった。宿屋であり、食事処であり、売春の仲介場でもあった。給仕する者は身を売ってもよいと思っている者だった。そうせざるを得ない者もいるとは思う。それとは同じではないと民に理解させるために、カフェには警備を担当する者たちが多く立っているらしい。客層は女性が主だというから、もともと危険なことは少ないだろうけれど。それから、カフェは職の限られる女の人に安心して務められる働き口として、女神の愛し子が望んでいる、ということも広められた。
これまで当たり前と思われていたことを、そうではないのだと理解させるのは難しい。時間もかかるだろう。
カフェもミチル様が考えてらっしゃる憩いの場、癒される場、とは別の側面があるのだろう。簡単に言えば諜報活動の場が増えた。酒場、宿屋の食事処、そういった場所がこれまでは用いられていただろうが、今後はそこにカフェが加わる。
「ラグビーではどのチームが勝つかの賭け事が許される」
「おや、禁止しなかったのかい?」
「ギルドが請け負う。賭け金から報奨は支払われ、その残りはギルドとその国が受け取る。掛け金にも上限が設けられるから破産はしにくいはすだ」
「それならばあっという間に広まるだろうね」
「ギルドは受け取った金の半分を教会に寄付することが決まっている」
そうなれば、ギルドが儲けてると考える者は少ないだろう。問題は教会がそのお金をどう使うか、だけれども。
「教会はその寄付を孤児などの保護に用いる」
「ミチルの案かい?」
「いや、ルシアンだ。ミチルは賭け事には否定的だったが、放っておけば法外な賭けがされるだろうから、それならば国が介入したほうがいいと説得したようだ」
「道理でね」
確かにミチル様が賭け事を許容されるなんて珍しいと思ったが、そういうことだったのか。さすがアルト伯。そうやってアレコレと外堀を埋めたんだろう……。
「愛国心が少しは芽生えるだろうね」
「愛国心というよりは、愛し子にだろう」
孤児は国ではなくミチル様やゼファス様、教会に感謝するだろう。私がそうなったように。私は私を拾い上げてくれたゼファス様がここにいるから、こうしてディンブーラ皇国のために働いているけれど、ゼファス様がいないならこんなところに用などない。さっさと解放されたい。
「己のルーツであるゼナオリアや、アル・ショテルへの気持ちもあるだろうが、自分の住む国への帰属意識が高まるのは、実に良いことだ」
……たぶん、ミチル殿下はそこまで考えてない、と断言できる。
「楽しくなりそうだ」
「そなたが言うと不吉だから止めろ」
「つれないね、ゼファス。このような時に己が生きていることに感謝しなくては」
「面倒くさがりの発言とは思えないな」
「それはそうだよ。我らは主役ではないのだから。心置きなく楽しめるというものだ」
アルト公は手を伸ばしてマカロンを手にする。ミチル様が好きなマカロンを。まじまじと手の中のマカロンを眺める。
「愛し子とは、本当に祝福された存在といえるのか疑問だよね。神と人の間に立たされるのだから」
マカロンを口にするアルト公をゼファス様が睨む。
「他者の願望を押し付けられたアスペルラ姫は、さぞご苦労なさったことだろう」
「シラン・ディンブーラの残した文書か」
アルト公が左手をあげると、執事がその手に日記のようなものを渡した。
「そう。シラン・リヴァノフ・ライ。雷帝国初代皇帝が己の子孫に向けたものだ」
写しの一部だけれどね、そう言ってゼファス様に差し出す。受け取ったゼファス様は表紙に視線を落とした。
「これが表に出れば、雷帝国皇室の立場は危うくなる。なにしろ、アスペルラ姫の子孫こそ雷帝国皇帝に相応しい。時がきたらその座を譲れと書いてあるのだからね」
「……皆、勝手なことばかり言う」
「そうだよ。人はね、欲望に動かされる生き物なのだから。これで、帝国は皇国との婚姻を拒否できなくなるのだから、喜んでくれないか、ゼファス。それはそうと、図書館から運び出した本の中に八代目女皇が暗号で記したものがあったはずなんだが、それが見当たらない。君が隠したのだろう?」
何を言ってるんだという顔でアルト公を見るが、ゼファス様の様子からしてアルト公が言うとおりなのだろう。
「ゼファス、君はミチルに出会った時に気付いていたはずだ。彼女の持つレイという名に」
「……レイなど、珍しい名ではない」
「Reyならばね。ミチルの持つレイは、reiと書く。ミチルがラルナダルトの末裔だと分かっていたはずだ」
アルト公の言葉を、ゼファス様は肯定も否定もしなかった。
「ミチルからもらったお守り、歪ではあったが、あれは八代目女皇の残した文章と同じ文字だ。あれを読めるのは書き記した八代目女皇イルレアナとヤツフサの名を継いだ君だけだ、ゼファス」
「今ならミチルも読めるだろうね」と付け加えると、紅茶を優雅に口にする。
「ゼファス・ヤツフサ・フラウ・オットー。ライ・オットーといったほうがいいかな?」
ゼファス様の表情から色が消えた。
にっこり微笑むアルト公は、やはり魔王だと思った。