新たなアルトの第一歩
ラトリア視点です
ゼナオリアに上陸した私達は、フィオニアに迎えられた。案内された屋敷はディンブーラやカーライルとも違う様式の建造物。元はイリダの貴族が使用していたというから、イリダ風というのだろうか。こちらも歴史のある国ではあるから、実際は別の様式名がついているのだろう。
屋敷の使用人たちは元々私の屋敷で働いていた者たち──つまりアルトの人間。アルトは外部の人間を徹底的に排除する。外部から一切入らないわけではないが、アルト一門に加わる際に誓約させる。絶対的な忠誠を求めるが、それに値するだけのものを与える。使用人であろうともアルトの人間。手を出されたなら容赦しない。それがアルト一門。
王家は監視役となったフィオニアたちに屋敷を用意しようとしたが、それは断った。屋敷を購入する権利を与えてもらうことと引き換えに、魔石を積み上げたと聞いている。魔力の結晶である魔石は、ディンブーラでも高価だ。新しく国を興したゼナオリアからしても、魔石は喉から手が出るほどに入手したいものだったろう。一も二もなく頷いたというが、魔石の価値だけでなく、こちらの機嫌を損ねないようにとの忖度もあったろうと思う。……魔素の影響も。
屋敷に案内された私は執務室に赴き、側近となる三人を前にして立った。跪く三人を見下ろす。
クリームヒルト家の長男 ダナン。ロイエ家当主の姪 エリザベス・ルフト。サーシス家次男 フィオニア。
「アルト一門宗主 リオン・アルトの命により、この地にて第二のアルトを興す。その為にそなたたちを私の側近とする。アルトの掟を忘れるな、その胸に強く刻め」
アルトの掟──破れば当主であろうと処罰される絶対の掟。当主の弟である叔父 キースがそうであったように。
三人は頭を下げた。
言うべきことを伝えたので、椅子に座る。ダナンは音もなく私の背後に立ち、リジーはお茶の用意を始めた。
「フィオニア」
「は」
フィオニアを見る。数年ぶりに会うフィオニアは、随分と痩せていた。無理もないとは思うが、同情はしない。
弟を担ぎ出しておきながら、弟よりも姫を選んだ。側近として置かねばならないが、信用はしない。サーシス家の人間をそばに置かねばならないから、仕方がないが。
姫の事情も分かる。フィオニアにも色々とあっただろうことも。理性ではどうにもならないものはある。だが、だからといって仕方ないとはならない。アルト一門に身を置きながらあれだけの寛大な措置を受けられたのは、相手が姫であったからに他ならない。二人の関係は、姫が相手だったから難しくなり、姫だからこそ助かったといえる。
そのうち姫とも会うことがあるだろう。誰もが己の選択の結果を受ける。それが思わぬ結果を引き起こしたとしても。
「報告を」
はい、と短く答えた後、フィオニアはゼナオリアとアル・ショテルで起きていることについて説明を始めた。内容は報告書にあるものと大差ない。
「ディンブーラ皇国がアル・ショテル、ゼナオリア双方に提示した魔石の価格について、想定されていたとおり、価格交渉の場を設けてほしいとの要求を受けております」
そうなるように仕向けているのだから、そうなってくれなくては困るが、あちらが何を提示してくるかは未知数だ。予測の範囲内であることを願うばかりだが、ルシアンの読みは外れないだろう。あの報告が誤りでなければ。
「ゼナオリアはアル・ショテルほど魔石を必要としておりませんが、皇国との交渉を望んでいることは間違いありません」
リジーの淹れてくれたお茶を口にする。普通の味に安堵する。クロエが淹れたならばこうはならないだろう……。
「そうだね。あちらは偽の婚姻を提示してまでこちらと交渉したいのだから」
創造神を見限り、女神マグダレナの庇護下に入るために。そしてそれは女神の望みでもあるのだろう。察するに、女神はこうなることを予見されている。
血のみに頼ることは不可能なのだと。
「真実を伝えても彼らは女神に会いたいと願うと思うかい?」
私の問いにフィオニアは首肯する。
「はい、為政者としては確実性を求めるかと」
「気持ちは分かるが、神に会いたいなどという望みを持つことがそもそも、分を超えていると思うんだけどね」
我らマグダレナの民すら創造神の御姿を垣間見ることもできないのに、他の創造神の被造物であるゼナオリアの王が女神マグダレナに会いたいなどと。なかなか、正気の沙汰ではない。
「ヒメネス卿は無理を要求して、なんとか飲める要求まで下げる手法を好むようですので、本意ではないとは思いますが」
「あぁ、ヒメネス卿か。彼の妻は元々ディンブーラ皇国の者だったね」
彼の妻たちは人質にもなりうる。
「なかなか交渉に自信があるようだね」
居場所のなくなった自国よりも、自分を受け入れてくれたゼナオリアの力になりたいと考える者は多いだろう。皇国に残る家族との関係が良好であればその限りではないだろうが。
「ゼナオリアの要求は受け入れられるものではないが、マグダレナの民としては受け入れる余地があるね」
「……布教をなさるのですか?」
「そうだよ」
それこそが彼らがマグダレナの慈悲を賜る唯一の方法なのだから。
「こちらの大地も魔力を吸収するのか調査してほしい。それから皇国出身者との面会を」
「種明かしをすぐになさるのですか?」
「後から教えてもらうのと、先んじて知らされるのでは、どちらが自身が大切にされていると感じるかな? 全員があちらの味方になってもらっては困るからね、誰ならばこちらについてくれるかも見極める必要があるだろう?」
──いいかい、ラトリア。こちらの味方にならずとも、中立になってくれるだけでいいのだよ。
かつて父が言った言葉を思い出す。
──敵は少ないに越したことはない。明確な敵というのはそう多くないものだ。この私にすら、敵と断言してくる者は多くないと思うよ。自身を取り巻くものは、日和見の中立派が大多数を占めるものだ。
日和見の者たちはね、実に都合の良い存在だ。彼らは常に揺れている。どちらに付けばいいのかとね。悩んでいる間は敵にならない。迷っている者を敵と見なすのではなく、悩ませておくといい。その間彼らは我らの敵にはならない。
その間に全てを終わらせなさい。そうすれば彼らに借りが作れて、良いことづくめだ。
笑顔でそう話していた父を思い出し、少し頭が痛んだ。実際そうなのだろうが、あの人は本当に、策を弄するのが好きなのだろう。
「無駄な駆け引きはしたくないし、ここに第二のアルトを興すならばある程度信用も得ておかねばならないからね」
女神の加護を知れば、その簡素さに安堵し、そして為政者たちは困るだろう。マグダレナの庇護を求めてはいるが、自分たちの全てを捨てるのは簡単なことではない。
マグダレナの民と血が混じれば終わりではない。全てのマグダレナの民が女神に無条件に愛されるわけではないのだから。女神を心から崇拝したならば、魔力の器を身に宿すことができるというのは、ゼナオリアの民にとって難しいだろう。民が出来たとして、王は? 代々敬虔なマグダレナ信者を娶る必要がある。器はできれば終わりではない。ゼナオリアの王として守らねばならないものはあるはず。だが、女神マグダレナを心から信じる者を妻にしなければ子に器はできない。繰り返すうちに母親の影響を受ける者も出てくることだろう。かといって、女神を信仰しない一族の者だけを娶り続ければ別の問題が生じる。貴族たちに明確な派閥が出来上がることだろうし。民も下手をすれば二分するだろう。信仰心を持つ者と持たぬ者で。持たねば魔素に蝕まれる。持てば助かる。国内を一枚岩にまとめるのが難しくなる。
「落としどころを何処に求めてらっしゃいますか?」
「そうだね」
旅立つ前にルシアンは言った。
たとえ一つの思想に染め上げられたとしても、次の欲望が生まれるはずだと。
マグダレナの民でありながら、女神マグダレナの慈悲を当然として感謝しなかった者たちとして我らを糾弾してくるだろう。自分たちこそ二柱の神に愛される存在なのだと言って教皇を自称するかもしれないとも。
──ですから兄上、いずれそうなるとしても今ではありません。マグダレナがゼナオリアやアル・ショテルと遜色ない力を得るまでは、かの国には自由な思想でいていただきたいのです。
弟の言葉を思い出し、私は苦笑いを浮かべた。
「マグダレナの発展を望んでいるよ、心からね。それと、ゼナオリアとアル・ショテルの民の、心の自由をね」