歌う姫の領地改革
ダヴィド視点です
笑顔のまま部屋に戻り、盛大に息を吐く。
あぁ、本当に情けない。
オレもアウローラも、祖父にまったく信用されていなかったなんて。オレよりはアウローラが気に入られているのは分かっていたし、実際アウローラのほうが頭の回転も早くて立ち回りもソツがない。
そのアウローラにも伝えていないことがある。
思い出せば祖父は繰り返し教えてくれていた。それをいつもの小言だと思って聞き流していた。
きっとまだ、ミチル様に伝えていないことはある。
そう思ったのは、陛下がフセの名を継いだ者だけが皇宮図書館の番人の持つ知識を上書きできることを知っていたからだ。
アスペルラ様から受け継いだ皇室に関する情報があるはずだ。それがあるからこそペルビアナ様が歴史を改竄していないかを確かめられるんだから。
フセの名の意味も、他家の名の意味もご存知なのだろう。
それをただ教えてくださいと言って教えてくれる方たちではない。残念ながら。
ラルナダルトを隅から隅まで調べさせよう。
いくらラルナダルト領がアルト家の管理下になって改善したからといってたった数年ですべてが塗り替えられるはずもない。
アドルガッサー王国時代のラルナダルト領とそれ以外の領地の違いを調べる。
それでなにが得られるかは分からないが、自分の足元と隣人の足元の違いも見分けられないなら話にならないだろう。
情けない程にオレは祖父にもアウローラにも劣る。でも、オレにはオレのやり方がある。
ルシアン様の父親は天才と名を馳せるリオン・アルトだ。その父親と比較されること、父親に及ばないことに腐ることはないのかと疑問を抱いたことはある。ルシアン様はきっと、無駄だと言うだろう。比較するだけ無駄だと。
為すべきことをする。それがルシアン様がよくおっしゃる言葉だ。
多くを語らないが、そうなったのはミチル様の影響だろう。甘い言葉を口にして慰める者と、側にいて一緒に前を向いてくれる存在。そのようなことをおっしゃっていた。
きっと多くの者が言っただろう。偉大な父親と比較されてかわいそう、もしくは父親のようになろうと思わないのか、と。
雑音に惑わされることなく、ルシアン様は己の思う道を行く。セラもそうだ。オレもオレの思う道を行くだけだ。足らなければ足せばいい。
ミチル様は皇都の地図を眺めて、図書館の場所を何処にするかを悩んでいる。
「識字率も大事ですが」
民の識字率などを上げたいというミチル様の考えには賛成だ。以前は最低限で十分だと思っていた。
状況が変わって、ゼナオリアやアル・ショテルのことを知れば知るほど、マグダレナ大陸との水準の差に焦りを覚える。
アル・ショテルの民は皆、読み書きができる。それだけじゃない。子供は全員学校に通い、優秀な子供は王家直轄の研究施設で働く。それも高報酬で。民は研究員になるために必死に学び、研究をし、それがあの国の水準を押し上げた。
ミチル様がいたから前回は事なきを得た。
それは当たり前じゃない。
リュリューシュ様やロシュフォール様が愛し子に選ばれるかは分からない。
誰かをアテにするべきじゃない。奇跡は起きないから奇跡なんだと誰かが言っていた。
だから、学校を作って子供に勉強させるのは賛成だ。一朝一夕で育つものではない。早ければ早いほど良い。それを民に納得させなくてはいけない。
家業によっては子供は働き手だ。いくら無料だからといって学校に行かせたいと考える者は少ない。
商人の家なら喜ぶだろうけど、農作物を育てることを生業とする家は疎ましく感じるだろう。
そのことを説明すると、目を閉じて考え始める。
本当なら貴族が平民のことをそこまで考える必要なんてない。
でも、ミチル様はそれをよしとしない。よしとしなかったと言うよりは、こうしたほうが良いことだと思って行動している。
「戸籍を作りましょう」
「コセキ?」
「貴族籍だけでなく、領民たちにも作りましょう。それがあると色々管理しやすくなります。図書館の本の返却もそれで解消できそうだわ」
「管理とは?」
戸籍。
貴族だけでなく籍の範囲を平民にも広げるのはなかなかに骨が折れそうだ。
「それはマグダレナの血が流れているかを調べるためにお使いになるんですか?」
「そこまで管理するのは難しいでしょう。
私が望むのは、どうやったら領民たちが生きやすくなるか、可能性を秘めた者の才能を如何に伸ばしていくかです」
ミチル様のこの考えはずっとブレない。
「徹底的に調べさせます」
「ダヴィドの言うように、人手が足りない者たちには、人手が渡るようにしないといけないわ。
たとえば、農業を営む者であれば、ギルドからお金を借りるかわりに、他の農業従事者の手助けをするといったように、子供を労働力とみないようにしたいの」
「借りますかね?」
金を借りるのは商人や貴族ならありうるが、そうじゃなければしない。そもそも担保となるものがないから借りられない。
「人力で賄っている部分の代替となる道具を作って、それを購入してもらうのです。
貸し出しもいいですね。使ってみて買うに値すると思ってもらった場合は残金を支払ってもらって」
人力だからこそ人手がいる。道具を用いて効率化できればそれに越したことはない。
「学校での食事は学校が用意して費用は請求しません。それと子供が働いている場合は税率を上げますが、学校に通っている子供がいる場合は成人している人数だけに税をかけるようにして欲しいの」
子供の労働力をアテにすると良いことがないと思わせるのか。
確かに家族の人数分の税を課すから、子供も働かざるをえなくなる。
「色々と工面が難しい場合は教会で奉仕をしてもらいましょう」
貧しいものたちにも、労働を対価として様々なものが得られるようにしていくお考えか。
確かにそれしかないのだからそうするしかない。
でも、それしか方法がないのと、選択の余地があるとなれば話は違う。
民の、気持ちが。
「受け入れる者は増えるでしょうが、税収が下がりそうです」
問題は資金だ。
いくらラルナダルト家とはいえ、潤沢な資産も使い続ければなくなる。
「アレクサンドリアでは、怪我をして働けなくなった者や女性に細かい作業をしてもらったの。
働くよりも学びが必要な年頃の者は学校へ。働ける年齢の者には様々な働き方を用意するのよ。
一時的に税収は下がるかも知れないけれど、長い目で見ましょう」
「そこまでして育てた民が他所に流れたらどうするんです?」
「それはそれで仕方がないけれど、それ以外にも住み心地の良い領地にしていくしかないわ。
治安が良いとか、物価が安定しているだとか、働き口が豊富といった魅力のある土地にするのが私たちの務めです」
言ってからミチル様は小首を傾げる。
「別に資金を確保できるものがないかしら?」
「なにか考えます」
妻の願いならなんでも叶えようとするルシアン様に相談してみよう。
ミチル様、気づいてないけど、ルシアン様が部屋に入って来たから、そろそろ話を終わらせないとな。
「こっそり手伝えないのですか?」
「ありますよ」
ルシアン様の声に驚く主人。
この人、本当に引きこもり気質で良かった。こんなにうっかりしてるのに変に行動力あってあちこち出歩かれたら、トラブル頻発して監禁されそう。
「ゼナオリアとアル・ショテルとの魔石の取引量を増やす予定です。ミチル、魔石を作ってくれますか?」
勿論、と嬉しそうに頷いたミチル様が、恐ろしい量の魔石を作り出し、歌う姫の実力を垣間見た。