女神の強かさ
ルシアン視点です
申し訳ございません、と頭を下げるダヴィドを見る。その横でアウローラも頭を下げている。
皇城で陛下から教えられた情報を、レーゲンハイム翁は知っていた。だがその孫であるダヴィドとアウローラは知らなかった。敢えて教えなかったのだと口にした。
「王室の二の舞にならぬよう敢えて教えなかったって言ってたんだし、きっと色々と教えられてないんじゃないの? 二人には」
悔しそうな顔をするダヴィドをセラが慰める。
「それでも、です。ラルナダルト領には魔力の器を持つ平民が多いことをオレもアウローラも知っていました。自領にあるものを当然と受け入れる視野の狭さを祖父は見抜いていたのだと思います」
アウローラも頷いた。
「祖父は常々、視野を広く持てと申しておりました。いつ何時なにが起こるのか分からないのだから、入手できる情報はすべて手に入れろと。
それから物事を決めつけるな、とも」
そのとおりだ。
レーゲンハイム翁がダヴィドとアウローラを信用していないとは思っていない。
だが、人は変わる。相手にその才がないとなれば、教えないというのも選択肢として十分にありえる話だ。
「曽祖父はどんな人だったの?」
「凡才であったと、祖父は言っていました」
欲を持った人間ではなかったのは幸いだが、欲に塗れたアドルガッサー王家の考えを見通すことはできなかったということか。
騒ぎを大きくすれば陛下の伯父、時の皇帝の逆鱗に触れる可能性は高かったと聞く。
穏便に済ませようと一時的に王家の要求を受け入れたが、ラルナダルトが王家に屈したように見えたことだろう。
主人でもあり、婚約者でもあったイルレアナ様を失ったレーゲンハイム翁の心中を思う。
裏切られたと考えるよりは、父の悪手に主人に愛想を尽かされたと考えそうだ。
姿勢を戻すよう命じると、ダヴィドもアウローラももう一度頭を下げてから姿勢を戻した。
「女神の行動をどう見る」
「神話では、どの神が創った民が一番優れているかについて争い、イリダとオーリーの戦いが始まったとありますね」
ダヴィドの言葉にロイエが応える。
「無益な争いを神自らが起こすとは」
「そこに女神は参加しないんですよね。劣ります、と初めから言って」
「ありがたいことだわぁ。神のくだらない見栄の為に民が命をかけて戦うのよ? 馬鹿馬鹿しい」
セラは呆れた顔を見せる。
「そうだな」
女神が民に優れた才能を与えていたならば兄神たちは強引にでもその争いに巻き込んだろう。そうはならなかったのは、魔力を持っているものの、その力は大地と女神に捧げるだけだったから。
兄神たちの関心はすぐに失われたことだろう。
オーリーやイリダの大陸から離れたマグダレナ大陸。潮の流れなどもあり、なかなかにたどり着くのが難しいようだ。
たどり着いたとしても魔素が充満したこの大陸で、魔素を分解する魔力の器を持たないオーリーやイリダの民は長くは生きられない。
血が混じることがないようにと命じても、それが破られるのは火を見るより明らかだ。それならばどうすると考えた結果が、己を信仰させること。それも、己ではなく己の子に魔力の器ができる。
「思う以上に強かな考えをお持ちだ」
皆が頷く。
「慈愛って言葉、むしろ怖いですよねー」
「裏切らなければ問題ない」
「そうよぉ」
ロイエとセラが茶を淹れ始める。
「そうなんですけど、なにが逆鱗に触れるか分からないじゃないですか?」
「逆鱗?」
セラが問い返すとダヴィドが頷いた。
「ミチル様が、神と人の倫理観は異なるとおっしゃっていた」
「……人が神の写身とはいっても、同じではない」
オーリーとイリダを滅ぼす気は最初から女神にはない。かの民を己の下に置き、祈りを捧げさせ、力を蓄える。
慈悲などではない。
兄である二神の力を削ぐためだけにあの時滅ぼさなかったのだとしたら。
民からの信仰により神の力が増えるのであるならば、全ての民を己の支配下に置くのが賢明だろう。
滅ぼして新たな民を作り出されでもしたら面倒だ。今の民を生かしつつ、己を信仰させるのが効率的だ。
「……魔道ギルドに命令を。ゼナオリアとアル・ショテルへの魔石の取引量を増やすように。価格はあちらが耐えられる範囲内で上げる。
それから魔力の器を持つ平民が作り出す魔石の純度を報告するように」
……父はどこまで予測しているのだろうか。
俺が考えたことなど既に思い付いているだろう。だからこそ、兄をゼナオリアとアル・ショテルの監視人としたのだから。
「値上げを受け入れますかね? いくらアル・ショテルが持ち直してきているとはいえ、魔石が解毒に有効だという情報も流してありますから、反対に値下げを交渉してくる可能性が高いです」
「その場合はアル・ショテルに提案を」
「提案ですか?」
「あちらの技術者を百人、こちらに渡すように」
兄にも頼んでいるが、その場合送られてくるのは少人数だろう。それでは駄目だ。
「セラ」
「はい」
「双方の建国に関する文献を集めて欲しい」
「それはギルド経由で入手しても?」
「構わない」
ロイエに視線を向ける。
「オーリー、イリダの民が、純血と混血でどのような差があるのかを調べられるだけ調べて欲しい」
「かしこまりました」
使えるものがあるならなんでも。
知り得るものはすべて。
父に差し出された本の表紙を目にして、ため息が出そうになる。
「愛息子が欲しがってると聞いたのでね。手元にあったし、私は読み終えているからね」
背表紙の表題をざっと確認しただけで、俺が求めていた本が揃っているのが分かった。
目の前の父は目を細めて微笑んでいる。
「……ありがとうございます」
楽しそうにしている父親の様子に、差し迫るものはないのだと分かる。
「なにを考えているのでしょうか」
「長く側にいるからといって、相手の考えていることが全て分かるとは言えないね。ラトリアはそなたのことを大切に思っているけれど、そなたを理解しているかといえばそうではない。主観で相手を判断し、理解したと思い込むものだ」
「そうですね」
確かに兄は俺を可愛がってくれる。望んではいないが。今はそれもありがたいことなのだろうと思うようになった。
親にとって子供がずっと子供であるように、兄にとって俺はずっと弟だ。
悪意などではない。相手を認めていないということでもない。無意識に相手を守るべき対象だと思い続けている。そう教えられて育つのだから。
「予断を悪いとは言わないが、それは主観であることを忘れてはならないのだよ、ルシアン」
「はい」
「倫理も予測も常識も、人の数だけ存在する」
視野を広くと意識しても、どうしてもその幅は固定化してくる。それが悪いわけではない。ただ、そこに視野の切り替えをする対象を増やせばいい。
「耳が痛いです」
素直な感想を口にすると父は楽しそうに笑う。
「なにを恥じることがある。愚か者は耳が痛いことを自覚せず、遠去けるのだよ。
痛みや迷いから逃げることも時には必要だけれどね、その感覚だけは忘れてはならないよ。
その感覚を忘れた時、人は傲慢になる」
「はい。心しておきます」
「よろしい」
満足気に微笑むと、茶の代わりをベネフィスに命じた。