蝕まれる
ケツァルコアトル(ケツァ)視点です
ホルヘを筆頭とした研究員たちの努力を嘲笑うように、魔素の数値は上がっていく。
魔素を分解することを止めたからなのか、それ以降は数値が劇的に上がりはしなかったが、かと言って下がりもしなかった。
緩やかに濃度が上がっていく、魔素。
マグダレナ大陸にはオレたちと同じイリダやオーリーの民がいる。当然魔素の影響を受ける。それにも関わらず生きてこられたのは、マグダレナ大陸の動植物を摂食したからだという。
遠く離れた大陸。定期的に船が訪れるとはいっても鮮度を保ったまま植物を輸入することは難しい。動物も然り。
マグダレナとの交易船に紛れ込ませた研究員が興味深い報告を寄越した。
魔素を取り込んでも問題のないマグダレナの民ですら、魔素の毒性が体内に蓄積するとただでは済まず、亜族という存在に成り果てるというのだ。
しかし、歌う姫が亜族になる不治の病を治す方法を見出した。魔石を口にするのだ。たったそれだけで解毒されるという。
我らイリダは思い込んでいた。あれは動力源。口にするものではない、と。
マグダレナ大陸の動植物を食べれば毒が中和される──そこから気がつくべきだったのに、思い込みは人の思考を阻害する。
マグダレナの民を殺せば魔石が手に入る。それは体内の魔力が死の間際に結晶化するということ。動物も植物も死すときに魔石を生み出すが人よりは小粒であり、純度が低いという。
オレは安直に、マグダレナの民を誘拐してくればいいんじゃないかと言った。ホルヘはそれではかつての王族たちと同じだと怒りをあらわにした。
そうだ。だから滅んだのだ。その驕りが国を滅ぼし、女神の怒りを買い、魔素がこの大陸を覆っているというのに。冗談でも口にするべきではなかった。
「どうやったら女神の怒りをとけるんだ」
「愛し子にお願いでもするか」
冗談混じりにホルヘとそんなやりとりをした。
その一ヶ月後、オーリーの新しい国、ゼナオリアがマグダレナの民とオーリーの両方の血を引く者たちを国に招いた。驚いたことに高位の貴族たちはその者たちと婚姻を結んだ。
オレたちは確信した。あっちも魔素に覆われており、その対策としてマグダレナに取り入ったのだと。
だが彼らは魔素を分解する能力を持たない。それなのに何故受け入れたのか。
答えは間もなく判明する。
ゼナオリア王 アスランが王妃としてマグダレナの皇族を求めた。敗戦国がそんな大それた要望を出して受け入れてもらえるはずがない。アスランはそんな奴じゃない。なにか別の思惑があると考えるのは当然だった。
ディンブーラ皇国の皇族は魔素を操る力を持つという。その力を求めて王妃として皇国の皇族を求めた──そういう筋書きにしたいのだろう。だがそんな望みが受け入れられるはずもないし、一代限りでは意味がない。魔素の問題を恒久的に解決する方法は一つ。女神の庇護を得ること。
つまり、創造神であるオーリー神を、被造物であるオーリーの民が捨てる選択をしたということに他ならなかった。
「信仰を捨てるというのか」
信じられないといった顔をホルヘはするが、オレには分かる気がした。ショロトルは神に縋り、見向きもされなかった。だからオレたちはショロトルの中に生まれ、オメテオトルは女神の慈悲を求めてあのようなことを計画した。
信仰などなんの救いにもならない。いないと思っていたのに、神はいた。愛し子の願いを女神は叶えた。
ゼナオリアがなにもしてくれない神を捨ててマグダレナに鞍替えしたとしてもなんら不思議じゃない。
女神との橋渡しが可能な存在──愛し子がいるのだ。ゼナオリアの狙いはそこにあるに違いない。
かつてオメテオトルがそうしたように。
だがそんなのは上手くいくはずがない。
オレたちは同じ過ちを犯してはならない。別の方法を探さねば。
魔素の濃度がこれ以上上がる前になんとか……。
ゼナオリア王の王妃として、アル・ショテルにも出入りしていたフィオニア・サーシスの妻だったアレクシスが選ばれたという情報が飛び込んできた。
あれ程仲睦まじかった夫婦に何があったというのか。オレたちは動揺を隠せなかった。
「くそっ!」
ホルヘが机を叩く。書類がいくつも床に落ちたが誰も拾わなかった。拾う気力もなかった。
イリダ大陸の魔素の濃度が一段階上がったのだ。
体力のない老人や子供が魔素の毒にやられ、病床はあっという間に埋まった。
魔素が大陸に蔓延していることを民に伝えなくてはならないが、伝えたところでなんの解決にもならない。魔石は動力源としてマグダレナ大陸から購入しているが、国民に配るほどの量を手にすることは難しい。それだけの財源もない。
症状の重い者に、薬として魔石を粉末にしたものを飲ませてはいるが、隠しとおせるとも思えない。
だからといって魔素について民に教えれば、この国を捨ててマグダレナ大陸に渡ってしまう可能性もある。
それから間もなく、かつてディンブーラ皇国の女皇だった皇族が死に、皇国が一年間の喪に服すことを知らされ、交易は最低限に制限された。
ヨナタンが嘔吐を繰り返すようになり、魔素の毒に犯されつつあることが分かった。