姉の情報
イリスは甲板に出て海を眺めていた。荒れていた波はおさまり、今では穏やかな波に戻っている。空を見上げればカモメが飛んでいる。シリウスからミント水を貰ってから不思議と気分の悪さが消え、体調も回復した。
―不思議だな…。まるでスーと急に体が軽くなって…、魔法みたい。
「アラン。」
呼ばれた声に振り向けばシリウスが立っていた。
「後、数刻で港に着くぞ。」
「え?そうなのですか?」
「俺は薬の調達や必要な材料を買いに行く。お前も一緒に来い。」
「は、はい!」
シリウスの言葉にイリスは頷いた。まさか、シリウスに同行させて貰えるとは思わなかった。イリスはシリウスを窺いながらそう思った。てっきり、留守番を言いつけられて部屋にいるように命令されるかと思ったのに…。でも、嬉しいな。ずっと船で生活していたから久し振りの陸だ。港に着き、下船したシリウスの後に続き、イリスは街の活気あふれる様子を見ながらきょろきょろと興味深げに見回した。
「逸れるなよ。」
「は、はい!」
イリスは慌ててシリウスについていく。ふと、イリスは妙な視線を感じた。見れば、若い女達がこちらを熱っぽい視線で見つめていた。正確にはイリスではなく、シリウスを。通り過ぎる女性はそのほとんどがシリウスに視線を奪われ、振り返って彼を見つめている。凄い人気だなとイリスは感心する。でも、それも仕方ないかもしれないと思った。シリウスの容姿はとにかく、目立つ。美しすぎるその容姿は人目を引く。彼の怜悧な美貌はいつも一緒にいるイリスでさえ時々、見惚れてしまう程だ。でも、これだけ注目されているのにシリウスは平然としている。慣れているのだろうか。そう思っていると、
「ねえ、そこのお兄さん。見ない顔ね。旅の方?」
「何か探し物?良かったら、案内しましょうか?」
数人の女性に声を掛けられる。メアリー船長みたいな美女ではないが綺麗な町娘達だ。娘達はシリウスを見て頬を紅潮させ、懸命にアプローチしている。男性なら、こんな可愛らしい女性達に好意を持って話しかけられれば普通に喜びそうな状況だ。が、シリウスの対応は冷たかった。
「結構だ。急いでいるので失礼する。」
そのまま女達の手を振り払い、スタスタと早足で通り過ぎる。イリスはシリウスの後を追い、女性達にぺこりと頭を下げた。幾ら何でも断るにしても、もっと言い方があるだろうに…。でも、シリウスの性格上、優しく断るなんてできなさそうだなと思った。
―始めは怖いし、人を物みたいに思っている冷たい人なのかと思っていたけど…、でも、別に全く優しくないわけじゃないんだよね。
イリスはそう思った。彼は一見、冷たいがイリスに対して一定の気遣いをしてくれる。今日もそうだ。船酔いで苦しんでいるイリスにミント水を持ってきてくれた。物凄く優しいというわけではないがそれでも当初程、心が冷たい人だとは思わなくなった。それに、イリスを所有物扱いするがきちんと約束は守ってくれる。グレン達に絡まれたり、他の船員に仕事を押し付けられたり、乱暴に言い寄られたりしそうになればシリウスがさりげなく間に入って助けてくれた。イリスは彼が口だけの人間ではないことを理解していた。ちゃんと約束通りシリウスに逆らわなければ彼はイリスを他の船員から守ってくれている。奴隷というからもっと酷い扱いをされると思ったがきちんと食事は与えられるし、人としての生活は保障されている。最近ではイリスはシリウスに従順な姿勢を見せているせいか始めみたいに手錠でベッドに拘束されることもなくなった。拘束具といえばこの腕輪ぐらいだった。イリスはシリウスに取引を持ち掛けられた時、家畜みたいな扱いをされるのではないかと身構えたが比較的人間らしい生活を送ることができて安心していた。
「着いたぞ。」
「ここは?」
イリスが連れてこられたのは一軒のカフェだった。ここに一体何の用があるんだろうと思いながら中に入った。
「何が食べたい?」
「え?」
「好きな物を頼むといい。」
「は、はい!ありがとうございます。」
材料の買い出しと聞いていたのでイリスはまさか食事ができるとは思わなかった。でも、折角の機会だ。船の上では食べれなかった物を食べたい。イリスは嬉しそうにメニューを選んだ。
「美味しい!」
イリスはチーズオムレツとシチューを口にして、頬を緩ませた。柔らかい白パンがシチューによく合う。ここはカフェだが食事も提供しているらしい。イリスはにこにこと食事の味を楽しんだ。向かいの席のシリウスは黙々と食事をしている。
「あの…、シリウス様。ありがとうございます。わざわざこんな場所まで連れて来てくださって…、シチューなんて久しぶりなのですっごく美味しいです。」
船の上では腐りやすい乳製品はほとんど手に入らない。だから、久しぶりの卵料理やホワイトソースを使った料理がとても嬉しい。そう言って感謝をするイリスにシリウスはコトリ、とフォークを机に置くと、
「ここには元々、人に会う用があった。店に入ったからには何かを頼まなざるをえない。それだけだ。他意はない。」
「それでも…、嬉しかったです。お礼は言わせてください。」
イリスはシリウスに笑顔でそう言った。彼は表情を変えずにそのまま食事を続ける。少しだけ、彼との距離が近付けた気がした。
「そういえば、人に会うって言っていましたけど…、どなたと会うのですか?」
「情報屋だ。裏の世界ではそれなりに名が知れている男だ。」
「情報屋?」
何でそんな人と?そう思っていると、
「久しぶりだな。シリウス。」
いつの間にか近づいていた人物がシリウスに話しかけた。男は被っていた帽子を外すと、
「しぶとく、生きていたのか?まだあんな色狂いのサディスト女の下で海賊の真似事をしているのか?」
揶揄するような物言いにシリウスは無表情に返した。
「口を慎め。メアリーに聞かれたら貴様は消されているぞ。」
「おお。怖い。怖い。」
おどけた様子で彼はシリウスの隣に座った。
「で?その子はお前の何だ?」
「俺の連れだ。」
「ふうん。連れ、ねえ。お前にそんな趣味があったなんてな。まあ、確かに男にしては可愛い…、」
「無駄口を叩く暇があるなら、早く情報を寄越せ。」
イリスをまじまじと見つめる男にシリウスはぴしゃりと言い放った。男は肩を竦めると、
「相変わらず、せっかちな男だねえ。分かった。分かった。でも、その前に一杯だけいいだろう?」
男はそう言って、酒を頼むと、煙草を吸い始める。
「確か…、火の属性持ちの女について情報が知りたいんだったよな?」
イリスはえっ?と驚いてシリウスを見た。
「そうだ。この際、髪色は問わない。魔法を使えるなら、髪や目の色を変えている可能性もある。火の属性を持つ魔力のある女について、知りたい。」
「んー。そうだな。俺が知っている中では五十人だ。勿論、これだけが全てとは思うなよ?中には魔力持ちを隠している人間もいるからな。ただ、この中でもう亡くなっている奴も多い。処刑されたり、魔力の暴走で死んだり、自殺したりと原因はそれぞれ違う。そうなると、残りは…、」
彼の話を要約すると、
一人はシルヴァーレンの王国魔術師部隊に所属するアルゼ・シュトーレン。
二人目はステラ・ヴェネディクト。神聖皇国の伯爵令嬢で兄も同じ魔力持ちで聖女に仕えている騎士らしい。魔力持ちは神聖皇国では価値ある存在として扱われるため、その魔力のおかげでステラ嬢は伯爵位より、位の高い公爵家に嫁いでいる。
三人目はアネット。平民の出だがその魔力の腕を買われ、帝国の王立魔法学園の教師をしている。
四人目はイヴェット・カーネイル。聖騎士団の団長の称号を得ている。女だてらに男を指揮する豪気な女性らしい。
五人目はスカーレット。海賊船『フェニックス号』の特攻部隊の戦力だ。
六人目はロゼット。炎の魔女と呼ばれ、他の魔術師と比べ物にならない程に莫大な魔力を有している。東の森に住んでいる。世俗との関わりを一切絶ち、ひっそりと森で静かに暮らしているらしい。滅多に人の前に姿を現さない為、年齢不詳でその正体も謎に包まれている。
七人目はブリジット。魔法の天才と呼ばれた女だが魔法至上主義の考え方のせいで魔力を持っていない人間を見下し、研究の為には犯罪めいたことにも平気で手を出す女性らしい。結局、あまりにも狂気的な思想に危険視され、政府から身柄を拘束され、現在では魔力を封じられた塔に幽閉されている。
八人目はキャロライン。ある組織に所属している凄腕の暗殺者らしい。
「まあ、ざっとこんな所だな。」
そう締めくくると男は酒を煽った。シリウスはそうか、と頷くと男に情報料を支払った。
「けど、お前から依頼を受けた時は驚いたぞ。しかも、女を捜せだなんて…、まあ。理由は聞かないでおいてやるよ。俺は報酬さえ貰えればそれでいいからな。けど、程々にしておけよ。魔術師に関わると碌な結果にならにぜ。」
ポン、とシリウスの肩に手を置いて男は席を立った。酒代はそっち持ちでよろしくな。と言い残して男はその場を立ち去った。




