8
かつて、心から大切な人がいた。
僕と半生を共にした彼女は、ある日突然、この世界から消失した。
世界に置き去りにされた彼女を、世界に繋ぎ止めておけるのは、僕だけだ。
だから、世界が彼女を忘れても、僕だけは、彼女を忘れない。
彼女は確かに存在していたのだと。
僕は証明しなければならない。
それがどうだ。
覚えているのは、忘れてはならないということと、靄のかかった記憶の断片だけ。
もう、彼女の名前さえ思い出せない。
僕は冷笑した。
ここ数日、僕は眠りにつくのを怖れた。
目が覚めれば、彼女のことを少しずつ忘れるから。
忘れることに、抗えないから。
このいざないに敗北すれば、彼女の記憶を失うことを知っているから。
彼女が、確かにこの世界に存在していたことを、誰も肯定できなくなるから。
――きっと、この後目が覚めたときには、僕は、もう名前も知らない彼女のことを、とうとう何も思い出せないんだろう。
そもそも、本当に彼女なんて、実在したのだろうか。
拠り代は、ただ、存在した、という僅かな記憶だけだ。
そんな曖昧で、何を肯定したらいいのだろう。
もう、それは意味など無く、エゴですらなく、たちの悪い足掻きでしかないだろう。
――きっと、それでも、否定したくないのだ。
ただそれだけなのだ。
――まどろみの中、僕の視界に入ったのは、くたびれた個包装だった。
おぼろげな記憶の終着点、最後の瞬間に、その個包装と、かたい感触があったことを思い出した。
あれは飴玉だ。
僕と彼女の、つなぎ目だ。
僕ははっとした。
――ああ、そうか。
点と点は線になった。
彼女は――。