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教室。
七限が終わった。
この高校は珍しい。週に二度、六限で終わらない日がある。
この七限というのが、僕にはどうにも堪える。
普段との違いといえば、単なる五十分間の延長分でしかなく、
まして、こと今日に関しては、それによって日差しの勝手が異なるような季節でもない。
それでも、単なる五十分の違いというのが堪えるのだ。
僕は伸びをした。
「祐樹」
背後から、僕の名前を呼ぶ声がした。
僕は振り返らない。
「一個いる?」
「いらない」
からんころん、と篭った音がする。
口の中を飴玉が転がる音だ。
僕は特別に興味を示さない。
音の主は僕の顔の前に手を差し出した。
「ちゅぱちょんキャンディ。新味だよ?」
「…そう。それで、今日は何味?」
「ブルーハワイ味」
「また随分と奇抜だね」
「これ凄く美味しいんだよ」
「飴嫌いなんだっていつも言ってるじゃんか」
からんころんの主、もとい、神咲遙香は、手に出した個包装――「ちゅぱちょんキャンディ」をポケットにしまった。
ちゅぱちょんキャンディというのは、女子高生の間で流行りのお菓子らしい。
王道から奇天烈まで、色々なフレーバーがあるちゅぱちょんキャンディであるが、お菓子そのものが流行っているのではなく、フレーバーに意味を持たせる、通称「飴言葉」なるものが流行っているそうだ。
無論、ブルーハワイ味も例に漏れず、
「飴言葉、当ててみてよ」
案の定、神咲は飴言葉について問うてきた。
僕はこの問いに正解を出せたことが無い。
大体、この飴言葉というやつは、一般的な正解は無く、当人がその時の気分で適当につけるのだから、それを当てるなど土台無理な話なのだ。
僕はいつもの調子で適当に答える。
「…「早く帰りたい」」
「ちょっと何それ、祐樹の今の気持ちじゃん。残念、不正解」
「正解はね、「映画観に行こう」だよ」
「そんなの当てようが無いじゃないか」
「乙女心が分かってないなあ。昔からずっとそうだね。だからモテないんだよ」
「それで、何の映画?」
「えへへ。えっとね」
神咲はバッグから雑誌を取り出した。
芸能だのスイーツだのの特集がポップなフォントで並んでいるやつだ。
ちょっと待ってね、と言葉を添えて、彼女は雑誌をめくる。
忙しい手の動きにつられて、左耳にかかった髪がはらりと落ちた。
昔から変わらない、艶やかで真っ直ぐなショートヘア。
「見て、これだよ」
彼女の声が僕の視線を仕切り直した。
深々と折り目のついたページには、赤ペンで大きく丸印が書かれている。
無論、囲まれているのは映画の宣伝コラムだ。
彼女は映画について話し始めた。
何やら、イケメン俳優だとか美人女優だとかが出ていて、脚本家が凄腕で、悲しい話で、泣けて、イイ映画なんだとか。
快活に話す彼女につられて右に左に揺れる髪が、まるで耳の後ろに帰ろうと躍起になってるみたいだった。
くだらない感想を抱く自分に、僕は少し嘲た。
ひとしきり話し終えると、髪は、(文字通り)主の手によって居場所に帰ったのだった。
僕も帰る時間だ。
「土曜日の十三時に駅前。昼ごはんは食べてこないこと。遅刻は厳禁だよ」
「私これから部活だから。楽しみにしてるからね」
「またね」
彼女は早口に続けると、そそくさと教室を出て行った。
「土曜日の十三時に駅前。昼ごはんは食べて来ないこと」
僕はおまじないみたいに反芻した。
それから少し間を取って、教室を出た。