況過
国境での小競り合いはリリスの参加で大きく事態が好転した。
森でさまよっていた第5王子の救出と、隣国の魔導士による術式の解除。
その二点だけでも将軍の憂いは断たれ戦況は有利なものとなったのだが、更には、普段塔から出る事のない天才魔導士が自陣にいるというだけで、全体の士気が爆発的に上がった。
兵の数だけでいえば十分に有利であった戦いである。この勢いに乗じて、その後一気に収束させることができたのだった。
それから――
イシスが戻るのと一緒に城に戻ったリリスはと言えば、以前と変わらぬ生活をしていた。
本を読み、研究をし、ひっそりと魔術の練習をする。戦場での活躍などなかったかのように、淡々と日々を過ごしている。
ただ、イシスが部屋に訪れる事がぱったりと無くなっている。
それだけが前と少し違う事だった。
戦地で行方不明にもなったが部下を守るための行動であったし、その後の活躍も目覚ましく、色々と事後処理に追われているらしい。と、部屋から出ないリリスの元へ、老師がわざわざイシスの状況を話しに来てくれた。
事後処理が終われば、リリスもきっとパーティに呼ばれることになるだろうから、せめて正式なローブを綺麗にしておきなさい。とも話していったので、老師がやって来た目的の本題がそっちだったのは明白だった。
ついでの話の方をさも本題のように話していく老師を見送って、リリスはしばしぼーっとする。
あの時、イシスを守りたくて飛び出して行ったリリス。
戦場ではその身を守りたくてずっと隣にいたけれど、帰ってきてから思うのは、イシスは第5王子なのだという事ばかりだった。
守れて良かった。と、心の底から思う。
今度こそ、繰り返した運命を変えられた。とも。
けれど、リリスにとって一番大切な人というだけで、これから先もイシスの隣に居られるとは思えなかった。そんな事、いち魔導士に許されているはずもない。
所詮初恋なんてそんなもの。
手の届かない恋心。
「その身を守れた。これで終わり。それだけの話。」
これまでもよく軍事的に大事な場面で出かけていく事のあったイシス。今回の件も、彼の活躍は大きく人の噂に登っている。
元々期待された若き王子様なら、きっとどこかのお姫様とでも結婚するのではないだろうか。
そうなれば、ただの魔導士のリリスなど邪魔以外の何物でもない。
「守る事と、傍にいる事は違うって…なんで私、気づかなかったのかな。」
ただひたすら知識と力を求めて高めた。それはそれで正解だったが、どうやら考えが足りなかったと、今更知ってもどうにもならない。
運命の人を守るために生きてきた。
その運命の人に出会う努力と、傍にいる為の努力は置き去りだった。
考えれば考える程愚かしい自分に腹が立つ。
あまりにも腹が立って仕方がないので、考えるのをやめるためにこれまで手を付けた事のない術式の開発に没頭し、引きこもり続けた。
本を読んで、研究して、また本を読んで…その繰り返し。
一方、リリスの日頃の様子を毎日の報告に上げさせながら、イシスは執務室から出られない事に焦燥感を募らせていた。
戦場で見たリリスの言葉や態度は、まるでイシスを特別だと言っている様であった。
数年間なにくれと彼女に構ってきたイシスだったが、そんな風にいう事も、そんな態度も、リリスは見せたことが無く、城に戻って別々に過ごす中であれは夢か幻だったのではないかとまで思うようになっていった。
何より、リリスがあまりにも以前通りの生活をするものだから、余計にである。
しかし、そんな本人の感情などお構いなしに、周囲の噂と期待は先行し、最近では結婚はいつになるのかとまでひそひそと言われる始末。
好意的な分、否定も拒否もし辛くて困る。
周囲の期待に反し、イシスの気持ちはずいぶん置いてけぼりな状態だ。
これまで、王家でのイシスの立ち位置は微妙だった。
第5王子など、王太子のスペアにすらなれない末端も末端で。あとはせいぜい出来が良ければ重要なスポットを担って家族の苦労を減らしてくれればいいな。位の期待感。
幸いにも、国王も王太子もそこから下の兄弟たちも、家族愛のある国であったため、変に蔑ろにされる事もなく育ち、他国から聞こえる王家の噂等と比べるとずいぶんと幸せな環境で暮らしてきた自覚はある。
ただし、特段期待された事もない人生だ。せいぜい王家に恥をかかせなければ、後は自由に暮らせるというような立ち位置だった。
それがここに来て、イシスにはリリスという付加価値が与えられてしまった。
まさに世界が一変した。
希代の天才魔導士は、自ら人になじまないが国に反意も持っていない。
というのが国から見た主な評価。
王家としてはこの才能を他国に渡すわけにはいかないが、手懐けるとっかかりが何もない。
という大きな悩みの中心にいるような人物であった。
そんな彼女が、研究以外で他人のために動いた。それも、彼女自身の意思で。
王城に激震が走ったと、その時城に残っていた兄の口から語られるほど、その出来事は誰にとっても大きな話題だった。
正直、第5王子のイシスとは比べ物にならない特別な価値が彼女にはある。
それがなんと、周囲の噂では『二人はどうやら恋仲らしい。』と熱く語られており、戦場で二人を見た多くの兵からは、『それはお似合いのお二人でした。』と証言が上がっている始末であった。
そして、忙しく事後処理をあらかた終えた後、戦の報告で謁見の間へ訪れた際、イシスは父親から
「でかしたぞ!イシス」
と、開口一番に言われ、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ふざけないで頂きたい。」
かつてなく、反抗的な4番目の弟の様子に、王太子が目を丸くし、リリスとの仲を心配までしてくれた。
が、それがまたイシスに追い打ちをかける。
王も、王太子も、さらに言えば、母も兄達も全員が、噂を真であると認定したわけである。
当の本人が、それが本当であったならと…夢物語の様に思っているというのに、この期待感。
「私はともかく、リリスが私をおもってるなんて、あるはずないでしょう。」
イシスは思わずきつい口調で、家族全員に言い放ってしまった。
囲む家族の顔色は一様に、『心配』の一言に尽きる物に変わった。
「イシス、あなたまさか振られたの?」
と、王妃がおろおろと言い始め。
「まさか…帰ってきてから会いに行ってないせいか?」
「兄上がイシスを忙しくさせるからですよ。」
「だって今回行ったのイシスだったから」
「それにしたってやり様はあったんじゃないのか?ちゃんと会いに行けない分、贈り物はしてたんだろうな。」
イシスの兄達が、四者四様言い募る。
因みに順番としては、真っ先に心配をしてくれるすぐ上の兄、王太子を責める3番目、状況を伝える王太子、女の扱いに対する熱の入れ方が強めな2番目――というものである。
全員に共通する反応は、どこまでも恋仲である前提の話で進めているという点である。
「そもそも、お互いに告白もしていませんよ。」
今度こそ、全員顔の色を無くした。
「い、イシス、お前、リリス嬢へ告白もしてなかったのか…」
「あんなに一緒に居ただろう。」
「何年も仲良くやっていたから遂にと思っていたんだよ。」
「やれやれ、女性の扱いがなってないな。」
又も同じ順で口を開く兄達。
そして、4人の息子達の声を聞いた後、国王は重々しく口を開いた。
「イシス、今度の論功行賞でお前には離宮をひとつ特別に下げ渡す心積もりだ。言ってる意味は、分かるな。」
「なっ!何をいきなりそんな…」
父親の言葉に焦るイシス。
第5王子でいつかは臣籍に下るだけのイシスが、王宮の一角を貰うことなどあり得ない。破格の待遇である。
「あなた、今は国の事なんてどうでも良いんです!」
「いや、母上。さすがに国の事は大事かと。」
父に食って掛かる母。
母に現実的な突っ込みをする1番上。
「兄上こそ何言ってらっしゃるのか。イシスが嫁を迎えられるかどうかですよ。一大事じゃないですか。」
「でたよ。兄様は恋と結婚に比重起きすぎですよ。」
「幸せな家庭は大事だぞ?」
娶るならばよい嫁が良いと、いつでも恋と愛と結婚の話を大事にという2番目に、3番目が突っ込みを入れる。が、2番目は平然と言い放つ。因みに2番目は既婚者で愛妻家で憧れの恋人のようなご夫婦ナンバーワンに毎年輝いてるらしいともっぱらの噂である。
貴族にも平民にも人気が高いので王家としては万々歳である。
「家庭はさておいても、俺はイシスに幸せになって欲しいかな。」
1番年が近いからか、4番目の兄はいつもイシスの意思を確認し、尊重しようとしてくれる。
「イシスは、どうしたい?」
促すような言葉に、他の兄達、父母も、口をつぐみイシスを見た。
「私は、イシスはリリス嬢を好きなんだと思っていたよ。」
「それは…はい…間違いないですが。」
さすがのイシスも両親と兄達の前でリリスが好きだと豪語するのは恥ずかしいものであった。少し頬を赤くしながら小さく頷きを返す。
「だったら、諦めたりできないと思うんだよね。だってほら、ここにいる全員、欲しいものは大抵持ってる王族だし。」
「それもそうですね。」
イシスは、兄の言葉に目から鱗…といった顔をしてから憑き物が落ちたようなスッキリとした様子で今度は強く首肯した。
「皆が言うように、私はリリスが好きなので、迎えにいきたいと思います。」
「よく言った!」
ここまで妻と子供たちに圧されて発言権がなかった国王が我が意を得たりと意気揚々と頷き、王家の面々は動き出した。
噂を、本当にするために。