狂火
「殿下、どうかお下がりください。」
イシスは側近の騎士たちにそう何度も乞われたが頷けなかった。
突然のモンスターの襲撃の最中、少しでも味方を生き延びさせねばと自ら派手な動きで引きつけつつ、戦場から離れてしまった彼ら。
出発前にリリスから貰ったお守りは相当に強力なようで、味方の中で明らかに無傷なのはイシスだけという状況。
こうなれば、お守りの力が続く限りは盾になるしかないとイシスは率先してモンスターの正面に立ち続け、傷こそないが誰よりもどろどろな状態になっていた。
お陰でメンバーの中に致命的な傷を負っているものはなく、本体から離れ、森をさ迷う状況下になっても、暗い雰囲気はないのが救いだった。
「周囲を警戒しながら交互に食事をとるぞ。何とか本隊へ戻らねばならないからな。」
リリスと居るときとは異なり、少しばかり強い語調で部下へ声をかけ、率先して最初の見張りとして立つイシス。
もう何度も見張り役は自分達でと部下達は進言してきたが、その度に突っぱねられているので、今さら誰もイシスへそれを言う事はない。それよりはスムーズに順番を回した方が殿下にお休みいただけると、準備にはいる。
携帯食料と、火をおこして水を沸かし薄いお茶を作る。温かいものはささやかな贅沢である。これがあるかないかだけでも大いに気持ちが変わる。
短い時間ではあるが代わる代わるに休憩を取り、彼らは束の間緊張を解く。
イシスも、側近に声をかけられ休憩に入った。
乾いた喉を潤す香りのしないお茶と、パサパサの携帯食料。ゆっくりと形がなくなるまで咀嚼し、最後にまたお茶をすすり、ひと心地つくとすぐ見張りと代わる。
部下達はイシスを王族として大事にしてくれるが、所詮は第5王子。大抵の事は自分でできるし、城での自分の重要性はさほどない。
ここで彼らを守り抜ければ死んでも国に痛手はないと内心では思っている…というのが彼の正直な気持ちだった。
ただ…一つだけ心残りがあるとしたら、いつも自分のすることを受け入れてくれる少女の事。
誰にも頼らず、ひたすらに魔術に打ち込み続ける彼女が、これ程の品を渡して何事も無いようにと願ってくれたと言うのに倒れたら、一体何を思うだろう。
浮かぶのは、何事にも強く主張しない姿勢と無関心。
自分が死んだら…
もし、死んでも彼女が無だったら――それが、狂えるほどに嫌だ。
どうせ一生友人でしかないのだとしても、それだけは嫌だ。
だから、生きねばと、思うことができる。
「リリィ…」
ぴったりと腕にくっついている腕輪を袖の上から撫でながら、イシスは少女の名前を呼んだ。
「殿下、全員休憩取り終わりました。」
「そうか。では、本陣へ戻る道を探すぞ。」
「はっ!」
騎士たちを振り返れば、全員隊列を組み終え、待っていた。
全く、優秀な部下だ。何がなんでも、国に戻してやらなければな。と、イシスは独り言ち、また行軍を再開する…と、さほど距離を進まぬ内に突然天地を引き裂く光が視線を奪い、揺れと轟音が遅れてやってきた。
「な、なんだあれは!」
「敵の魔道士か!?」
あまりの出来事に騎士たちは恐慌状態となったが、イシスは別の意味で驚きを浮かべたのみで、即座に彼らを振り返ると、よく通る声で活を入れた。
「静まれ!」
その声は彼らの耳に強く届き、ピタリ、動きを止めさせる。
「あれは塔の魔道士リリスの黒雷だ。喜べ、我らは助かるぞ。」
イシスはよく覚えている。彼女が城へ来るきっかけとなった恐ろしい光を。
それを、まだ小さな少女が呼んだと知った時の衝撃を。
森に落ちた光はまさしく、あの日見たものだ。だが、雷が落ちたと言うことは…
「皆気を引き閉めよ!彼女が雷を落としたとなれば、敵が潜んでいる可能性が考えられる。急ぎ合流し敵を蹴散らすぞ。」
「はっ!!」
騎士たちは気合いを入れ直し、戦えるだけの余力を残せる速度で駆け出した。視界の悪い中、率先して盾となっているイシスと、奇才の魔道士が来たという希望のお陰で大きな不安を抱くことなく彼らは駆ける。
「き、貴様ら!」
「結界が切れたのか!」
途中、隣国の紋の刻まれたローブを着込んだ男たちと鉢合わせるも、彼らは素早く剣を抜き、その胴を迷わず薙ぎ払い、後続の者がその喉を突いた。
魔道士はどのような術を得意とするか見た目ではわからないものである。人体修復が得意な者がいてはかなわない。
一番遠くの魔道士に到達するまでに少しばかり猶予を与えてしまい、火球が迫るも、全てイシスが切り伏せ後続には届かせなかった。
ただの剣で術を切り伏せられるはずがない。
火を産み出した魔道士は ひぃっと、悲鳴をあげ後ずさるも、イシスの真後ろから迫っていた騎士がイシスの脇をすり抜け、喉を一閃切り上げた。
これでその場にいる魔道士は全員地に伏した。
「魔道士の作戦は気になるが…今は合流を最優先とする。」
ひと声告げられた指示に騎士たちから否やはなく、即座に全員駆け出し、走る中で見事に隊列を整える。
石も土も焦げ熔け、直撃を逃れた草木がパチパチと燃える中、リリスは眉間にシワを寄せながらはぁはぁと呼吸を荒くさせていた。
これは決して魔術を使った影響ではない。
別の要因――恐怖ゆえであった。
鳥を飛ばし、自らのローブにも形質変化と質量及び重力に干渉する術式を与え追いかけてきた。
すると、何故か途中から鳥が何かに狂わされ、方向を見失い始めたのだ。
鳥の狂う土地がどの辺りかを高く飛び上がった上空で何度か検証し、目視で確認した土地に又降りたち空から見た位置と目視と空に置いてきた鳥の位置を確認しながら森を進む。そうしてうろついた先に、焚き火を囲む3人の魔道士を見つけた。
ローブは隣国のものだと一目でわかった。
「地場を狂わせたのは彼ら…?」
そろりと灌木に身を潜めながらできる限り近づいてみる。
すると彼らの会話がとぎれとぎれに聞こえてくる。
どうやら他と連絡を取り合いながらの作戦の様。こんなところにいるのは術の要のひとつを保っているためらしい。
連絡相手の言葉は聞こえないが拾い上げた言葉を繋げてリリスは仮説をたてていく。上から見る限り、こんなに広い範囲で要を置いているのだから、ここの他に要がありそうな位置は…といくつかのパターンから可能性の高い順に思い描いていく。
リリスが考えをまとめている間に彼らは他の要と連絡を終えたらしい。連絡を繋いでいたらしい魔道士がふぅーと、息をついて愚痴をこぼし始める。
「それにしても、最初の襲撃で味方を守りきって森に入ってくるとか、最悪だな。」
「予想外なことが起きるのは当たり前だけどぉ、まさかほとんど痛手を与えられなかったとかさぁ、あり得なーい」
「まあまあ、その部隊もこのまま森でさ迷い続けて死ぬ運命です。」
「要の回りに方向狂わす罠仕掛けといて正解だったな。」
途端、リリスの頭に血がのぼる。
目の前が赤く染まり、容赦という文字は完全に辞書から消え去った。
掴む杖。
小声で歌う術式。
いつものように鏡の結界と同時展開しなくて良いからそれはすぐに出来上がる。
前触れもなくリリスはすっと立ち上がり、最後のひと振り、杖を天へ向け光を呼んだ。
彼らの驚いた顔が光に散らされる。
壊れたのは要の一つ。いくつ要を壊したら、イシスの無事を守れるだろう。
空においた鳥の他にもう一つ、リリスはイシスに貰った花を栞にしたものを鳥に変えて飛ばす。すると、今度はまっすぐ森の奥へ飛んでいく鳥。
あぁ、地場の狂いは解消されてる。
それだけで少し呼吸がまともになる。
リリスは周囲を警戒しながらふわりと浮かび上がり鳥を追った。
要を先に潰すことも考えたが、地場が戻ったなら先に合流してイシスの安全を確保したい。場合によっては要を壊しきるまで安全な結界の中に囲いこんでおきたい。
今度こそ、守るのだから。