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鏡花


「イシス様、女官が参りました。」


 取り次ぎのため扉に立っていた騎士の声が部屋の中に届き、イシスは入るように指示を出す。


「リリィ、髪を切ろう。」

「そういえば、そんなこと言ってたね。」

「ちゃんと覚えてくれてたね。僕がしばらくいないからね、整えておかないと、どうなることか。」

「今回は長いの?」

「ん、ちょっと、ね。」

「そう。」


 少し寂しげな笑顔が、リリスにいつもよりも長い仕事なのだと告げている。その顔の意味を言及することはなく、リリスは頷くだけに留めた。

 今日長い休憩がとれているのも、恐らくは長い仕事の前準備に目処が立ったからだろう。こういう時は他に新しい仕事を回されることはないのだとイシスが以前話していた。


「お待たせいたしました。イシス様」


 外にいた騎士が扉を開き、女官が楚々と入ってきた。

 その手には大きな布と髪の毛用のハサミが握られている。


「余計な仕事をすまないね。」

「とんでもございません。」


 女官は微笑むとでは早速といいながらテラスへとまっすぐ出ていった。

 手に持った布は二枚。

 テラスの床に敷くための物と、リリスに巻き付けるためのもの。

 テラスには丸いテーブルと2脚の椅子がある。床に敷いた布の端は、テーブルの足と椅子を重石代わりに抑える。そして、真ん中に1脚、椅子を置いた。


「さあ、リリス様」

「お願いします。」


 促されるままリリスは座り、大人しくする。彼女の長い髪をどうするかという相談は全てイシスと女官の間で話し合われ、長さをこうして、ボリュームを押させて、前髪は…と、とんとんと纏まっていく。


「では、参りますよ。」


 ニッコリと笑う女官にリリスはただこっくりと頷くばかりである。

 現在のリリスの髪の長さは足の付け根までになっていた。正直少し長くしすぎたと思っていたが、イシスがこうして整える場を設けてくれるのに任せているため、ほったらかしにした髪は、今の長さまでになってしまった。

 二人の話をまとめると、髪の長さは本人でもきちんと手入れをしてもらえそうな長さにしつつ、できるだけ長いままにしたいというイシスの希望から腰より少し上位の長さに切ることになった。

 それはずいぶん切ることになるなと思いつつ。おとなしく座っているとなぜか一度髪を後ろで束ね、下の方で何ヵ所か縛られた。

 リリスがいつもと違う事をされているなと思っていたら、腰くらいの辺りでぶつりと一度ハサミが入れられた。


「それ、どうするの?」


 ぼとりと落ちた髪の毛は、見事な束である。

 リリスの疑問に、毛束を拾い上げながらイシスが笑う。


「うん、お守り。」

「お守りって、ただの髪だけど。」

「リリィはロマンもなにもないね。」

「そりゃ、私が術式を組んだお守り持っていった方が絶対だもの。」


 あまりにも現実的な指摘にイシスは苦笑するしかない。


「明日、護符を届けるよ。」

「手作り?」

「うん。悪意を弾いて身代わりになってくれる。」

「それは…なんか、身に付けづらいな。」

「なんで。」

「なくなるのがやだ。」

「何度でも作るよ。」

「ならつける。」


 二人の拙い会話を聞きながら、女官はしずしずと髪を切り続けている。


「どこにつけるのが邪魔じゃない?」

「うーん、服の下ならどこでもいいけど、あ、でもちゃらちゃら揺れるのは邪魔だな。」

「わかった。腕にしよう。」

「腕?」

「つけるとぴったりになるのを作ったことがある。」

「なら安心。」


 シャキンシャキンと切られていく髪。さすがに前髪の段階になると二人の会話を遮らざるを得ないと、女官は少し二人の会話が途切れるのを待った。


「イシス様、リリス様、前髪を…」

「僕は邪魔だね。」

「仕事してきたら?」

「今日はもう終わってる。ここで見てる。」


 と、イシスは布の重石代わりのもう1脚の椅子へと離れていき、座った。

 少しお行儀悪く片足を抱える形で座り、じっとしているリリスを眺める。目をそっとつぶって自分の髪がどんな風に切られるか欠片も気にしない少女。

 会話の中でも、日常の中でも、彼女は大抵そうだ。

 特に何かに食い下がることはなく、ただ時間だけが彼女にとっては重要な様だった。知識を集めて、研究をして、自分の力を上げるというのは全然していないように見えてそうでもない。

 他の魔導士が何度も何度も術を放って練習するのとは全然違った練習方法をしているとイシスが知ったのは半年くらい前のことだった。

 ずっと籠って本ばかり読んでいるのになんでそんなに簡単に術を扱えるのかと疑問を溢したら、毎日魔力のコントロールは練習しているとリリスは話したのだった。

 その態度は相変わらずなんでもないよというもの。でも、その内容は、なんでこんな少女が自分でそんなやり方を編み出せたんだろうと疑問に思うものだった。


 そもそも、リリスの得意な術はちょっと特殊だった。やり方や考え方について、リリスは何も隠していない。自分の考えたものや、これまでのものをより扱いやすくした術等、その理論を文書化し、塔への提出だってしているが、リリスのいっている現象がよくわからなくて皆同じように使いこなせないというものが多々ある。

 その中でも、『反射』というものがうまく具象化できないのだ。リリスが一番得意としており、色々な場面で使っているらしい反射は、結界として有用なものであるのは証明されているのだが、イメージがしづらく、その現象自体の証明が難しい。

 魔術は、理論も魔力操作の緻密さも必要だが、現象に対するイメージも大切だ。

 リリスの文献は、そのイメージが大いに人とずれているために、難解と言われている。扱えればもっと色々なことが発展するだろうと言っている老師も居るが、もう一方では、彼女の話を理解できるまで質問を重ねるとしたら何年時間がかかることかとため息混じりに語る老師も居る。


 そんな彼女が見せてくれた練習方法は、彼女の手のひらの上だけで完結していた。手の上に収まるサイズの反射の結界を内側に向かうように作り、その中で様々な術式を展開する。ただそれだけの話。

 驚くべきなのは、難易度が高く攻撃力の高い術をその手のひらサイズに圧縮展開し、それと拮抗するだけの結界を同時に展開し続けているというのに、彼女は反対の手にペンを握り、自分の研究結果をカリカリと紙へと落とし込んでそれを見ていないという点だった。

 こんなやり方、反則じゃないかと一瞬イシスでも思ったが、すぐに考えを改めた。

 よく考えたら、いつも彼女は本を読みながら自分と会話を成立させていたじゃないかと。


 唖然としながらも、彼女の特殊性にはただ苦笑する以外無かった。


 そんな、全てにおいて生き急いでいるリリスが、イシスの勧めでお茶をしたり、おやつの時間をとってくれたり、こうして髪を整える時間をとってくれたりしている。彼女はなぜ付き合ってくれるのだろうかと、言ってはなんだがイシスにはさっぱりわからなかった。

 10代にして希代の天才とまで言われている生き急ぎ過ぎの彼女にとって、その時間に意味はあるのか。


 シャキンとハサミが鳴り、女官がエプロンのポケットから刷毛を取り出し、顔についた細かい毛をはたき落とす。

 前髪をパサパサと払い、また落ちた毛をひとしきり落とし終わると、どうでしょう?という顔でイシスを振り替える。

 それに合わせ、リリスがゆっくりと目を開き、女官へ終わったのかという顔を向けるが、女官はリリスを見ていない。彼女の出来映えに関する決定権はイシスにあると言うように、彼の感想を待っている。


 さっきまでのリリスは前髪も長く、額の真ん中で両側に分けていたが、後ろの髪は腰より少し上位になり、前髪は眉より上で切られている。はっきりと露になった顔は、さっきまでの髪型よりずっと幼げに見えるが、よく似合っていた。

 なにより、はっきりと目が合うのがすごくいいなとイシスは頷いた。


「リリィ、よく似合うよ。」

「ならいいね。」


 リリスは特に鏡等を所望することもなく、その言葉にこっくりと頷いた。女官はリリスに巻き付けた布を取り払い、足元の髪の毛を一部避けてリリスが歩く道を作ってくれた。


「ありがとう。」


 椅子から降りて、一言伝えるとリリスは部屋へと戻っていった。イシスも女官へ労いの言葉をかけると、部屋へと戻る。

 二人を見送り、女官は後片付けのためそのままテラスに残る。髪の毛を室内に持ち込むわけには行かないので、彼女はそのまま庭をぐるりと回り退席する予定なので、部屋へ続く扉を閉め、自分の職務に没頭した。


「リリィ、一応鏡見る?」

「じゃあ見る。」


 イシスが部屋の端に備えられている鏡のカバーを取り払う間にリリスはその横に並んだ。

 鏡は高価だというのに、この部屋にあるのは全身を映し、横3人くらいは悠々と体が見える幅がある。鏡の前でリリスは前髪がずいぶん短くなったとつつき、後ろの髪が軽くなったと頭を振った。


「髪、しばる?」

「うん。」


 さっき鳥にして飛ばしたスカーフ。それがきゅっと結ばれるのを鏡越しで見つめ、イシスが良いよと言うのを待つ。


「できたよ。」


 ぽんとリボンを叩くイシス。きれいなスカーフが髪をまとめている。何となく嬉しくなる自分の気持ちに、リリスは あ…と、声をあげた。


「ん?どうかしたのリリィ。」

「お守りだね。」

「今さらわかったの?」

「うん。毎日大事に身に付けとくね。」


 鏡越しに向けられる嬉しそうな顔はあどけない。


「リリィに何にもないことを祈ってる。」

「怪我、しないで帰って来れるように凄くいいの作るね。」


 まだ出発までに時間はあるが、いつもと違ってどこか危険度の高そうなイシスの態度を見てると、明日にでもいなくなってしまいそうだ。と、リリスは思った。





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