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女(体化)勇者、不要フラグを受付中!

時はさかのぼって、同日の朝早く。

カグカハの街並みは朝もやに煙っていた。


海に隣接しているこの都市は、大きな漁港を抱えている。

なので、まだ太陽が上ったばかりだというのに、すでに道は多くの通行人でにぎわっていた。そのほとんどは漁師と、彼らから仕入れを行う商人たちだ。

遠洋の船が帰ってきた、だとか、小魚はからっきしダメだった、などと遠慮なく語らう賑わいは、宿のベッドで爆睡していたウルスラの耳にも届いていた。


「んご~……」

「おい起きろ」


潮騒のような人声の喧騒も、彼女の惰眠を邪魔できないらしい。

すでに身支度を整えたアラエが低く叱咤する。

だが、ウルスラは夜着からはみでた白い腹をぽりぽりかくと、ごろりと寝返りをうった。

呼ぶだけでは足りないのだ。

今までの付き合いでよく知っているアラエは、彼女の細い肩を軽くゆすった。

ウルスラはむにゃむにゃと口を動かして、ついでに垂れたよだれを片手で拭いつつ、軽くあくびを漏らして、ようやく……


「んが~~」

「寝直すんじゃあない」


寝汚(いぎたな)いことこの上ない。

アラエは深くため息をつくと、手ごろな布切れを水でたっぷりと濡らした。


「くぷ~~~……」

「もう起きる時間だぞ、ウルスラ」


いっそ優しくささやきながら、枕元に腰かける。

まだ水滴のしたたるその布を丁寧にウルスラの顔にかけると、鼻から口までをそっと覆った。

数秒後――


「ぶはっ!? 息が詰まる!?」

「おはようウルスラ」

「あ、おはようございます。……じゃない! なに、朝イチ、人の息の根、止めてくれてるんだ!?」


顔からはぎとった布切れを投げ返しながら、ようやくウルスラが体を起こした。

なんなく受け取ったアラエは、布を指先で回しながら、


「お前が起きないのが悪い」

「起こすにもやり方があるだろうよ!? また不運な目に遭っちまったかと……あと、オレを女の名で呼ぶな」

「どうみても女性だろう。ウルスラ」


言われたウルスラは、両手を胸にあてた。

ほっそりした小枝のような指が、柔肌にむっちりと埋まる。

その弾力のある手ごたえを楽しむように、ウルスラはむにむにと両手を動かした。


「何回触っても楽しいな、コレ」

「女性が人前で胸を揉むものじゃない」

「自分のだからいいじゃないか。他人のを揉めばいいのか?」


言うなり、アラエの胸元へ手を伸ばす。

鍛えられた胸筋へ触れる寸前で、荒っぽく弾かれた。


「人の胸も勝手に触るな」

「だろう? だからオレは自分のを触るってわけだ。女にされたときは、体力はないし背も縮むし、『こんな呪いサイアクだ!』と思ったが、この感触だけはいいな」


ゆったりと巻いた深紫の髪に大きな瞳。

長い旅路で健康的に日焼けした肌はすべすべで、細くしなやかな肢体を柔らかくシーツに埋めたウルスラの姿は、美少女といっても差し支えない。

しかし、自分の胸元で手を動かしながら、ふにゃん、とだらけた顔つきは、どう見ても年頃の女性には見えなかった。

モミモミに忙しい相棒の残念な顔に、アラエは軽く息をつくと、


「さっさと支度をしろ。この街は朝が早い」

「なんだよ。さっきから通りが騒がしいと思ったら、住民のみなさんはオシゴトに精を出してるのか」

「ああ。食いはぐれたくない。俺たちも仕事をするぞ」


立ち上がるアラエに続いて、ウルスラもピョコンと床に降り立つ。

椅子に掛けておいた短鎧とマントをはおれば準備完了だ。

通りへ足を踏みだす。

大きな宿場町だけあって、人の多さも相当なものだ。

満足げに見渡すウルスラの視線は、なぜかうろうろとさまよっている。

人々の表情ではなく、頭上から足元までを順番に確認する少女に、アラエは短く声をかけた。


「良さそうなものはあるか」

「そうさなあ……」


分別くさく顎を撫でて、ウルスラは瞳を半眼にすがめる。

そうすると、若い娘とは思えない手練れの気配が華奢な全身に漂った。

可愛らしい朱唇が不満げにゆがむ。


「ロクなフラグが無いな……お前さんに斬ってもらうまでもない」

「そうか」


アラエは乗り出していた体を戻す。

ウルスラも鼻を鳴らすと緊張を解いた。肩をグルグルと回して体をほぐすと、「それなら、いつものヤツやりますか」と軽く宣言する。

大きく息を吸って、両手を口に添えると……


「こちらはー不要フラグ回収業者でーす!」

「……」


澄んだ声が朝焼けの街に響く。

周囲の人波がザワッとするのを横目に、アラエはそっと身を引いた。


「ご生涯でーご不要になりましたー、フラグはぁーございませんかー? なんでも回収いたします。不幸なものでも構いませーん!」

「なんて言ったんだ、お嬢ちゃん」


こらえきれずに、通行人が足を止める。

物珍しそうにジロジロと眺める者もいれば、好奇心にウズウズ身を揺する者もいる。

ウルスラはぐるりと彼らを――いや、彼らの全身を確かめながら口を開く。


「お客様、お目が高ぁい! ワタクシはフラグ鑑定人でございます。こっちはフラグスラッシャー(斬職人)のノクス先生」

「……」


強烈に袖を引っ張られて、アラエがよろめきながら会釈する。

あっけにとられる観客たちへ、ウルスラは一段と声を高くした。


「人生における選択肢。それが皆さまご存知、『フラグ』でございます。乗り越えられない壁はない、と昔のエライ人は言いました。が、乗り越えたくないフラグがあるのも、また人生。ワタクシどもは、そのようにご不要となりましたフラグを回収させていただいております」

「ええと……それじゃあアンタたちは、フラグが見えるのかい」


水が流れるような長ゼリフに圧倒されていたが、観衆のうちの一人が恐る恐る問いかける。

ウルスラは「目立つものしか見えないですが」などと謙遜しながら、にっこりと頷いた。

抑えきれないざわめきが広がる。

それもそのはず、フラグを視認できるのは王国の御用学者や研鑽を重ねた魔術士など、一握りのトップだけ。

大きなフラグしか見えないにしても、普通ならばお目にかかることなど滅多にない貴重なスキルである。

遠巻きに眺めていた者たちまで、ウルスラの元へ駆け寄った。


「明日の漁が成功するか見てくれ!」

「幼馴染に告白したいんですけど、成功します……?」

「俺にはどんなフラグがあるんだ、教えてくれ!」


つぎつぎと質問する彼らをウルスラは眺めた。

その目には、成立しているフラグが看板のように可視化されている。

問いかけられた順に、微笑みながら


「いつもより少し少なめに終わるフラグが見えます」

「ご希望のものはありませんが、『告白される』フラグならバッチリです」

「『晩ご飯が焼き鳥』になるフラグが立っています」


ガックリしながら、あるいは喜びながら、人の輪が広がっていく。

笑顔を保ったまま、ウルスラが呼びかけた。


「それで、どなた様かご不要なフラグはございませんでしょうか」

「俺のフラグは、いくらで買い取ってくれるんだ」


漁が少なめになる、と言われた男が手をあげた。

ウルスラの笑みが深くなる。深紫の髪がぴょんと跳ねた。

手抜かりなく懐から筆記用の蝋板(タブラ)を取りだした。


「お客様の場合、ご不利なフラグということで……手数料をいただきまして、ええ。……これくらいでいかがでしょうか」

「なんだ、思ったよりも安いな! 子供の駄賃にもなりゃしねえ」


蝋板(タブラ)に書かれた料金に、漁師は口を曲げた。


「『漁獲量が少なくなる』って必ず決まったわけでもねえ。フラグなんぞ、俺がぶち折って見せらァ!」

「えっ、それではフラグをお売り……」

「しねえよ。他を当たってくれ、お嬢ちゃん」


足取りも荒く立ち去る男に続いて、告白されフラグ持ちもフラフラと場を離れようとする。

ウルスラは頭をかいて、


「あなたは……お売りいただけない、ですよね」

「もちろん。ああ、早く告白されないかな」


有利なフラグを売り払うものはいないだろう。

うっとりした面持ちに、ウルスラはため息をついた。

アラエは旅荷物を背負いなおした。


「不作だったな。別の場所をあたろう」

「ふぇえ……オレ、朝イチ張り切ったのによぅ……」

「ちょ、ちょっと待ってくれアンタたち!」


とぼとぼと引き揚げるふたりに声をかけたのは、晩飯が焼き鳥と言われた男だった。


男は平凡な顔をひきつらせながら、アラエの袖にしがみつく。


「本当なのか、俺のフラグは!?」

「ええ、そうですが……ワタクシ、うらやましいですよぅ、愛妻料理ですか。このこの!」


いたずらっぽく肘打ちをキめるウルスラに、男はじっとりした視線を返す。

そんないいモンじゃねえよ、と吐き捨てた声は、泣きそうに揺れている。


「アイツの料理は好きだけどよ……これで鳥料理が五日も続いてるんだよ。今朝だってたっぷり食ってきたばかりなんだ。鳥ばっかりだぜ」

「ええっ! 五日も、ですか。それは……」

「飽きるな」


服をつかまれたまま、アラエがぼそりと呟く。

静かな同意に、男は必死に首を振った。


「引き取ってくれよ。回収業者なんだろう!?」

「意外なフラグ買取のご相談ですね……ええと、ではこのくらいのお値段で」

「それでいい、なんでもいいんだ!……ありがてえ、これで鳥肉から解放される……!」


よほどうんざりしていたのだろう。取引成立に小躍りしそうだ。

その男の腕をウルスラの小さな手がガッシリと掴む。

遠慮なく体を引くと頭を低くさせて、若枝のような指先が男の唇を確かめる。

顔に止まった羽虫でも捕まえるように、口の先の空間――何もないように見えるのだが――を摘まむと、鼻歌交じりに相棒に話しかけた。


「フラグはステータス画面で立つんじゃあない、現場で立ってるんだ!……って、おい。聞いてるかアラエ」

「ああウルスラ。腹かと思ったが口なんだな。斬りやすい」

「それが、ちょっと距離が近いんだよな。顔の真ん前。指一本入らないくらいの近さに、フラグの根っこがくっついていやがる」

「このあたりか」

「もうちょい奥」

「ここか……ふむ、鼻の先に当たりそうだな。気をつけよう」


思案げに眉を寄せるアラエと、空をつまむウルスラを交互に見た男は、ジワリと額に汗をかいた。


「お、おい大丈夫なのか。フラグって頭の上とかにあるんじゃあないのかよ」

「よくそう言われるんですがね〜」


ウルスラは注意深くなにかをつまんだまま、男に答える。


「フラグと一番関係の深い箇所にぶら下がるモンなんですよぅ。お客様の場合は、お食事に関することなのでお口からフラグが立っているという具合でしてね」

「そっちの剣士の先生、見えてないみたいな言い方だが……」

「ええ、ノクス先生はフラグ視持ちではありませんので」

「!?」


当たり前のようにのたまうウルスラに、男の汗が加速する。

やっぱり辞めた、と立ち上がろうとする肩は、ウルスラの細腕にしっかりと押さえられた。


「大丈夫ですよぅ。代わりにフラグ鑑定人ウルスラが、しっかりとフラグのシッポをつかんでおりますので〜。それではお客様。ここに膝立ちしてください。ええ、じっとして。動かないでくださいよ。先生は剣の腕は立ちますが、むやみに動かれちゃあフラグの代わりにお客様の顔を削いでしまう」

「え、ちょっと待」

「ハイ、お願いしますよ、ノクス先生!」


呼ばれて、アラエが体の前で両腕を交差させる。

骨ばった両手が腰に帯びた双剣の柄を握り、鞘鳴りの音がかすかに耳をかすめたかと思えば、男の眼前に剣筋が光を描いた。

ヒュッ、と鋭くつむじ風が鳴る。

男の前髪が数本、パラパラと宙に舞った。


「完了した」

「さっすがノクス先生。早い、正しい、頼もしい!」

「え……今ので終わったのか。もうフラグはないのか」


あまりの呆気なさに、男は呆然と鼻先を見た。なにもない空間に、ヒラヒラと手をかざしてみる。

力の抜けたそのてのひらに、ウルスラは数枚のコインを落とした。


「お疲れさまでしたー! 無事にフラグを買い取らせていただきました。本日のお夕飯、お好きなものだと良いですね」

「ああ、ピンとこないが……気は軽くなった。まあ、ありがとよ」


首を振りながら歩く男の背中を見送って、ウルスラは「よっしゃ!」と気合を入れた。

剣を収めたアラエが渋い顔をする。


「若い娘の姿で『よっしゃ』などと言うな」

「なんだよ、ノリが悪いなぁ。しょぼいけど商売成立したんだからよ。それに知ってるだろう、オレの『不運』。ここからがオレの本領の見せ場だ」


ウルスラの顔から、売り子の愛嬌も相棒へのノリも拭いたように消える。

軽く息を吸って腹に力を込めると、緊張の面持ちでなにかを待ち構えた。


「さぁて……さっきのフラグが、どう()()()()のか。仕上げを御覧じろってね」

「そろそろ来るか」

「ああ」


短く応えてウルスラは腰を落とす。

次の瞬間、グンッ、と彼女の体が沈んだ。まるで目に見えない大岩に押しつぶされるように、頭から背中までがきしんでたわむ。

朱唇からもれるうめきに、アラエの表情が厳しくなった。


「なんだ……コレ……ッ! 意外と、デカい……」

「おい、大丈夫か」

「なん……とか……するよ!」


ウルスラの額から顎へ、一筋の汗がつたって地面へ落ちた。

それが合図だったように、少女は「ふんっ」と気合を入れると両腕を跳ね上げる。

突如として吹き荒れた強風が天へと土ぼこりの渦を巻いたかと思うと、ウルスラの小さな体を目がけて、逆落としに吹き戻る。

怒涛の風を背中ですべて受けとめたウルスラは、姿勢を戻しながら確かめるように体をさすった。

見守っていたアラエの肩から強張りが取れる。


「てこずったな」

「まあな。簡単なフラグだと見たんだが……」


案じるような視線に、ウルスラは肩をすくめてみせる。

浴びた埃をパタパタと落としながら、全身へくまなく視線を走らせる。


「さぁて、どこに行ったのかねぇ、さっきのフラグは。可愛いオレの食いぶちちゃん」

「大きくなったようだが」

「そうだよなぁ……ありゃ、こんなところに」


ウルスラが捕まえたのは自分の右手。

新しいフラグが立ったのは手のひらだった。

滑らかな皮膚をスリスリと撫でながら、フラグに視線を走らせる。


「えぇと……なんだ。あんまり変わらなかったな」

「何になった」


ウルスラが一般のフラグ鑑定人と違うのは、この点である。

彼女――いや、『彼』――がかつて見に受けた呪い。

それは性別を変えただけではない。

オマケで付いてきた、忌まわしい不運属性によって、持ち主の無いフラグを引き寄せてしまうのだ。

しかも、『フラグの内容が変化する』という特性付きで。

アラエが気遣わしげに、少女の手をのぞきこむ。

なにも見えないと分かってはいるが、助けになればとついしてしまうのだ。

ウルスラが、ヘラリと笑った。


「『鳥を料理する』だとよ」

「……最悪じゃあないか」


口元を押さえたアラエが数歩よろめく。

そんな相棒の姿に「シツレイなやつだ! オレだって料理くらいできるやい!」と気炎を吐くウルスラなのだった。


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