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閑話。



 今日はクリスマスイブ。だというのに、兄は朝に数分どこかに外出しただけで、デートにも行かず仕事。雛菊も仕事。そして梓は学校。……みんな忙しい。

 佐千原家でのクリスマスパーティーは二十五日の夜と決まっているので、今日は特にやることもない。

 受験勉強もほどほどに、ほたるはリビングで一人、シェパードの仔犬の名前を考えていた。

 すると愛犬たちが、ほたるは暇だと判断したのか、散歩を求めて突撃してきた。


「えー……寒いよ?」


 一応そう訴えてみたけれど、毛皮を着込んだ彼らに寒さなど関係なかったらしく、それぞれリードを引きずってきた。

 仕方なく重たい腰を上げようとしたのだが、一斉に散歩をさせるのはほたるではきつい。

 一匹づつ交代で連れて行こうかと考えていると、タイミングよく助っ人が現れた。


「ペットサロンはクリスマス関係なし?」


「あ、海里さん」


 海里はマフラーとコートを脱いで、勝手知ったる我が家のように、ふぅと息をついてソファへとかけた。


「お店はクリスマスでも忙しいみたいです。年末も、三十一日まで営業していますから」


「え、休みないの?さすがの変態でもぶっ倒れない?」


 明け透けない言われようだ。

 でも残念なことに、それは周知の事実であり、楠先生たちにもそう言われ慣れている上、ほたる自身もたまにそう思うところがあった。

 だから兄の変態的な性質については、さらっと聞き流すことにした。


「お兄さんが弱ってるところはあんまり見たことないです。お姉さんにフラれた時くらいですよ、死んでたのは」


 ちょうどほたるの座っているこの場所で倒れていたことは記憶に新しい。


「どうせねぇちゃんの変な思い込みでフラれただけじゃない?理解しがたいし腹が立つけど、両思いみたいだから」


 海里は未だに反対なのか、むすっとして、癒しを得るために仔犬をひょいっと捕まえ抱っこした。

 仔犬はその指を、がじがじと一心不乱に甘噛みする。

 この仔犬はとにかく噛みぐせがある子だったので、噛まれてまずいものは全部、届かない位置に避難してある。

 それでも動かしようのないテーブルの脚には見事に歯型がついていて、ささくれていた。

 最終手段で酢を水で希釈したスプレーをかけて対策をとった結果、何とかおもちゃ以外は噛まないようにしつけ終えたところだ。

 ちなみに今は人間の手がお気に入りで、常にはみはみしている。

 お風呂は直ったけれどテーブルを新調する余裕はないので、兄が結婚したらお祝いとして母に要求しようと密かに考えているところだった。

 鉄製の脚で無傷なローテーブルには、下に置いておけない雑誌たちがうずたかく積まれ、その一番上には無造作に置かれた地元のタウン誌が乗っている。

 その表紙を彩るきらびやかなツリーを眺めて、ほたるはため息をついた。


「せっかくの両思いなのに、デートにも行けないなんて、お姉さん可哀想……」


 付き合い始めて最初のクリスマスイブだというのに。


「うーん?でもうちの残念なねぇちゃんは、記念日をないがしろにされても全っ然平気な性格だからなー……。――――あ。わかった。本当は、ほたるちゃんが寂しいんじゃないの?」


 ――――ぎくっ。


「梓くんもいないみたいだし?」


「うっ」


 聡い海里にはほたるの恋心がお見通しのような口ぶりだった。


「バレバレですか!?」


「うん」


(あっさり肯定された!?)


 二人きりの時でさえも、恋愛感情を匂わせる表現は控えめにしているのに。何てことだ。

 これが大人と子供の経験値の違いなのだろうか。


「そういえば海里さんは、彼女とかは?」


「今はいないよ。ねぇちゃんのごたごたがあったから、恋愛とかそんな気分じゃなかったんだよねー」


 海里は仔犬にがぶりと噛みつくふりをして、がじがじ攻撃を仕返ししながら言った。


「そっかぁ……。でも海里さん、かっこいいから、すぐに彼女ができそうですよね」


「ありがとう。ほたるちゃんも可愛いから、一人に決めなければすぐに相手が見つかると思うよ」


(普通に可愛いって言われた。……さすが大人)


 照れていると、海里はしばし考える仕草をして、それから、さもないことのようにほたるを見つめて言った。


「一人者同士、クリスマスデートでもする?」


「えぇー!?」


「こいつら連れて」


 海里が示したのは、早く散歩に行きたいよ!と、くっきり顔に書いてある愛犬たち。

 そういうことかと、ほたるは内心ほっとして、クリスマスデートという名のお散歩に二人で出かけることとなった。




 防寒対策をばっちりしたほたるはわたあめのリードを持ち、海里が撫子と仔犬を担当することになった。

 駅前のイルミネーションを見て、商店街をぐるりと回る散歩コースに決め、二人肩を並べて歩いていたのだけれど……。


「うわぁー、カップルばっかり」


「イブだからね」


 幸せそうな恋人たちを羨ましく眺めていると、わたあめが疲れたのか抱っこをせがんできた。

 撫子も、仔犬でさえ元気に歩いているのに、わたあめはいつまでも甘えっこだ。

 ほたるは仕方ないので抱っこして、隣の海里を見上げた。


「どちらか持ちましょうか?」


「大丈夫だよ。チビすけが引っ張っても、撫子がたしなめてくれるから」


 よく観察すると、確かに仔犬があちこち行こうとするのを、撫子が先制して止めている。


「さすが撫子。……でも撫子って、お姉さんとの散歩の時は走るんですよ?しかも、全速力で」


「こんなに大人しいのに?なめられてるんじゃない?ねぇちゃん、情けない顔してるから」


 シスコンなのに、結構辛辣だ。


「海里さんはいつからお姉さん大好きなんですか?」


「何か語弊がある言い方だけど……、昔からだよ」


「昔からあんな感じですか?」


「うん。昔から何か抜けてて。なのに、やたらと粘着質な男にばっかり好かれてたから、撃退するのがそれはもう大変で大変で」


「想像はできます」


 水面下で男たちを退け続けてきた海里の苦労が目に浮かぶようだ。


「悪いけど、ほたるちゃんもそっち寄りだから。上二人が見えないところで男避けしてると思う。特に、一番上は絶対」


「えー……そんなことはないですよ」


「いいや、あのしつこくて執念深い男が、実の妹を放置してるとは思えない。絶対、裏工作してる」


 しかし兄の性格を鑑みると、なくはない話ではあった。


「裏工作って、どんな?」


「あえて一緒に歩いて、すでに彼氏がいるからお前らの入る隙は1ミリもないアピールしたり、ちらっとでも見ようものならほたるちゃんの死角でガンつけて牽制したり、下心を持って近づいてきたやつは問答無用で弱味握って脅したり」


 それは海里の実体験ではないのだろうか。


「うーん、お兄さんはそういうタイプだけど、梓は無関心だからなぁー……」


「そんなことはないと思うけど?」


 そうかなぁ、と半信半疑なまま駅前へとたどり着き、きらびやかなイルミネーションのアーチを潜った。

 光の道の先には大きなもみの木のツリーがあり、周りには電飾で形作られたトナカイのオブジェなんかが飾られている。


「ここ、ペット大丈夫だっけ?」


 混雑しているので、海里は仔犬を抱っこし、撫子のリードを短めに持った。

 愛犬たちは、キラキラする光のアート作品に興味津々な様子だ。


「たぶん、大丈夫だと思います。入場規制とか、してないみたいだから」


 辺りを見回したほたるは、そこではたと気づいた。

 混み合い狭いので、手を繋いだり腕を組んだりして、いちゃいちゃするカップルばかりではないか。

 そしてほたる自身も、海里とかなり密着して身体を寄せ合っている。

 立場的には『義理のお兄ちゃんになるかもしれない人』でも、端から見れば恋人同士に見えるかもしれない。

 しかも犬連れなので、二人はかなり目立っていた。

 すれ違う人たちに、「可愛いわんちゃん」と連呼され、そのたびに海里がにこっと返して対応している。


「……落ち着いて見れないね。出ようか?」


 ある程度はイルミネーションを見れたので、ほたるは頷いた。

 日が暮れてくるともっと人が増える。

 その前に帰宅した方がいいかもしれない。

 人混みから抜け出したところで気を抜いたせいか、ほたるは後ろから肩をぶつけられた。

 仔犬を抱き、撫子のリードを持つ海里が、器用にほたるを胸へと受け止める。


「わっぷ。……ご、ごめんなさい!」


「人の波に乗れないのが専売特許の姉で慣れてるから大丈夫。それより、わたあめ潰れてない?」


 ほたるは慌てて視線を下げた。


「あ。びっくりしたみたいだけど、潰れてないです」


 わたあめは驚くどころか、距離が近づいた仔犬に、くんくん鼻を寄せている。

 その仔犬は、海里のコートをひたすらがじがじして、衝撃にはまるで気づいていない様子だった。

 ちょっとしたハプニングが過ぎ去り和んでいると、海里が思い出したかのように、ふと顔を覗き込んできた。


「……さっきの話だけど、梓くんも人並みに独占欲があると思う」


 虚を突かれて顔を上げたほたるに、海里は不敵に笑んでから、静かに距離を詰めてきた。

 彼の影が落ちてきて、吐息が唇を掠める。


 あ、キスされる――――。


 そう理解したものの、ほたるはきゅっとまぶたをつむることしかできなかった。

 どうしようどうしようと、頭の中がぐるぐるしているのに、身体はまるで凍りついたように動けない。

 そしてほたるの唇に、とうとう触れた。――――何か、もふもふしたものが。


(……え?)


 驚いて目を開けたほたるの視界に飛び込んできたのは、茶色と黒のもふもふ。

 全体を把握するために、一歩後ずさりをした。

 そこにいるのは、海里の顔をべろんべろんする撫子。と、その撫子を抱き抱えて、ほたると海里の間に割り込む梓。


「あ、梓……?」


 梓は撫子を地面へと下ろして、不思議とにやにやしている海里に一言告げた。


「……かき回さないでください」


「ごめんごめん。梓くんが駅から出てくるのが見えたから」


 どうやらさっきのキス未遂は、梓を試すための作戦だったらしい。

 恥ずかしいことに、本当にキスされると思ってしまった。


「ほたるに手を出したら、……兄貴に何されるか」


 梓がぽつりと呟き、海里が唸る。


「あいつ、人の大事なねぇちゃんは奪っておきながら……」


 梓がリードを譲り受けていると、その撫子は何かを発見したのか、急にしっぽを大きく振り始めた。

 撫子の視線の先へと、三人揃って顔を向ける。

 向こうから駆けてきたのは、楠動物病院のちなみと総次郎だった。


「誰?」


 初対面の海里が尋ねてきたので、近所の動物病院の看護師さんとその愛犬だと簡単に説明しておいた。


「二人とも久しぶり。……こちらは?」


「うちのお姉さんの弟さんです」


「……ああ。あの変態に狙われてた、彼女の」


 ちなみからの憐憫の情を静かに受け止めた海里は、一瞬で親近感を覚えたのか、警戒心の一切ををほどいて、目だけで何か会話をしていた。

 ちなみから、「お気の毒に」と聞こえた気がして梓を窺うと、黙って首を振られた。

 ほたるは沈黙していると、初対面の仔犬を見つめていた総次郎の眼差しに気づいたのか、海里がしゃがんで、顔を見合わせるように二匹のあいさつさせた。


「その子、名前は?」


「まだです。お姉さん、センスないから」


「絶望的にね」


 と、海里がつけ足す。


「確かに、『シェパちゃん』は酷かった」


 梓も思い返して頷く。


「今朝あの変態が役所にいたのは、仔犬を迎えたからだったの?」


「えっ?登録はまだしてませんよ?」


 ほたるはきょとんとして、ちなみと顔を見合わせた。

 名前が決まってから行く予定になっているはずなのに、兄は役所に何をしに行ったのだろうか。


「お兄さんが朝、役所に?」


「うちの若い看護師が言うには」


 役所まで歩いて五分もかからない。十分もあれば、余裕で行って帰って来れる距離だ。

 そういえば朝、数分どこかに出かけていた。それが役所だったのだろうか……。

 そこで三人は同じ結論に達したのか、はっとして声を揃えた。

 

「「……まさか」」


 海里の顔色がみるみる悪くなっていく。


「…………ちょっと、戸籍謄本確認してくる」


 背後に修羅のオーラをまとった海里を、ほたるは大慌てで引き止めた。


「もう役所終わってます!」


「だったら……本人に確かめないと」


 海里が情報提供してくれたちなみに軽く頭を下げてから、走り出した。


「待って!……あ、事情はまた今度、病院に伺った時に!」


 瞬いたちなみにそう言って、ほたるも海里を追いかけて駆け出した。が、撫子と梓にすぐに追い抜かされた。

 撫子に敵うはずがないのでこればっかりは仕方ない。

 ほたるが店へと突入した時には、すでにそこは修羅場となっていた。


「ねぇちゃん!!何で勝手に結婚してんだよ!」


「え?……え?」


 困惑している雛菊の様子に、嘘は見られない。

 つまり、兄が騙し討ちでことを進めた可能性が高い。

 ほたるとしては、彼女の手のひらに乗った、雪だるま型の犬のマスコットが気になるところだ。

 怒り狂う海里とは反対に、策士の穏やかな声が店内に響く。


「雛ちゃんがクリスマスプレゼントに一番欲しいものをくれるって言うから。ね?」


 騙されきっている雛菊が従順に頷き、海里が嘆きとともに崩れ落ちた。悲愴感を表すように、毛まみれだ。

 梓がさりげなく仔犬を回収し、わたあめを抱くほたると撫子を連れて店を出た。


「もっと見たかったのに」


「とばっちりが飛んでくるから却下」


「ねぇ梓、あのマスコットは何だったかわかる?」


「犬の毛を集めて玉にした……毛玉?」


「毛玉?まさか……、あれがクリスマスプレゼントじゃないよね?」


 梓は沈黙を貫いて玄関を開けた。


「あれはプレゼントの一つで、たぶん他にもサプライズが……」


 そこでほたるは気がついた。

 彼女にはこれから、とんでもないサプライズがあったことに。


(よだれまみれの婚姻届けって、受理されるんだ)


 変なところに感心しながら三匹の足の裏を拭き、離してあげるとみんな仲良くリビングへと向かっていった。

 それに続こうとしたほたるは、そこで止めるように梓に手を取られた。

 二人とも外にいたので、手のひらが冷えて、感覚が麻痺しているのに、不思議と重なる部分から熱が宿った気がした。


「……さっき、何で避けなかった?」


 梓に問い詰められて、何のことだろうと思ったが、海里とのキス未遂についてのことだと思い至ると、あわあわとした。

 梓の頬がやや赤く、珍しく恨みがましい目で睨まれた。

 これはもしかして、いわゆる、嫉妬かもしれない。

 頰が緩みそうになり、急いで引き締める。


「よ、避ける時間が、なくてですね……」


「……そう」


 梓はそれだけしか言わず、握っていた手のひらを離すと、靴を脱いでさっさと廊下を歩いていってしまった。

 ぽかんとしていたほたるだが、兄たちのように変な誤解や勘違いで拗れるのは嫌で、すぐさま梓の背中へと飛びついた。


「……うわっ、何!?」


「わ、わたしが好きなのは、あ……梓だから!」


「…………知ってるけど」


 少しの間の後、拍子抜けするほど普通に返された。


「だから高校出るまでは、無理だって。……前も言わなかった?」


「言いました……。いや、そうじゃなくて。き、期待していいの?」


 梓が、ちらっとだけ振り返った。


「…………いいんじゃない?」


 そう言った梓は、もうこっちを振り返ることなく、呆然とするほたるを残してリビングへと入っていってしまった。


(今……いいって言ったよね?……言ったよね!?)


 ほたるは階下で大人たちがもめていることも忘れ、クリスマスソングを口ずさみながら、大好きな梓と愛犬たちのいる暖かなリビングへと駆けていったのだった。




最後の最後まで、ありがとうございました!

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