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 必ずしも皆一緒に食事を取らないといけない訳ではないが、大体は同じ食卓につくことが多い佐千原家。

 紫野が仕事を終えてから手早く夕食を作るのが日常なのだが、今日は雛菊が料理をした。

 いい匂いのする状態でお預けをされている愛犬たちには堪らない。

 閉店の七時を三十分ほど過ぎたあたりで、わたあめ待ちきれないとばかりに、きゅうんきゅうんと切ない訴えを始めた。

 聞いているこっちが辛くなる鳴き声だ。

 撫子でもふもふしていた雛菊は、わたあめをなだめるほたるに、様子を見てくると告げて立ち上がった。

 そしてリビングを出ると、ちょうど梓と鉢合わせた。


「あれ?紫野さんは?」


 階段を覗くも、渋面を張りつけていた彼によって、階下へと行くことを阻まれてしまった。


「話がややこしくなるから、今は待機してて」


 梓にくるりと体の向きを変えさせられて、よくわからずに背中を押された雛菊は、ほたるの隣へと座らされる。

 梓は撫子に癒しと温もりを求めて背中から抱きつき、顔をうずめた。

 さっきまで雛菊と仲を深めていたのに、もう梓の撫子になってしまった。

 やっぱり飼い主が一番らしい。


「撫子ー……」


 撫子から分泌される癒し成分にあやかろうと、さりげなく雛菊は頭を撫でさせてもらっていると、ほたるが神妙な面持ちで尋ねた。


「梓、もしかして……下で何かあった?」


「あった。バニラの飼い主が……。あぁ……何か、説明するのも面倒くさい」


 梓が億劫そうに言うと、ほたるは全て理解した顔でなるほどと頷く。


「また、わたしが行って来ようか?」


「顔で妹だってバレるから。……それに、余計拗れる」


「……うん」


 二人の会話に混ざれず、撫子も梓を癒すのに忙しく、雛菊はもうそろそろ帰った方がいいかなと思い始めたところで、愛犬たちの待ちに待った紫野が帰宅した。

 二匹は飛び上がって喜び、駆け寄られた紫野も彼らを抱き締め、癒しの一時を得ている。

 そして今日は「待て」なしでご飯をもらい、二匹ともがつがつと勢いよく掻き込んでいた。

 雛菊の栗ご飯も美味しそうに食べていて、それだけで一日の疲れが吹き飛んでしまいそうだ。

 食卓にお邪魔し、四人で夕食を囲むと、まず紫野が雛菊へと謝った。


「また梓がわがまま言ってごめんね」


 梓は物言いたげな目を紫野へと向けたが、それは微笑みで黙殺された。

 不思議に思いつつ、雛菊は首を振る。


「いえ全然。栗をいっぱい買ってしまって、私一人では食べきれなかったので」


「……八百屋のおばさん、容赦ないな」


「わたしも初めの頃はあれこれ買わされたよ。レジの横にあるお饅頭とか、特売の果物とか」


 通過儀礼的なものなのだろうか。

 これが続くのかによって、八百屋へ行く覚悟の持ちようが変わる。

 しかし栗ご飯は美味しかったので、結果オーライと見るべきか考えていると、梓が切り出した。


「それで、どうなった?」


 味噌汁に口をつけていた紫野が、お椀をそっと置きながら、安心させるようににこりとする。


「大丈夫だから、梓は気にしなくていいよ」


「ならいいけど。……兄貴は愛想がよすぎるんだよ」


「客商売だからね。梓は、もう少し笑顔の練習をしなさい」


 おっとりと諭された梓は嫌そうに顔をしかめ、ほたるはくすくすと笑っている。

 紫野が親役で弟と妹を可愛がっていて、二人も兄を慕っているのが、和やかな会話の端々から伝わってきて、雛菊は眺めているだけで温かい心地になった。

 他愛ない会話に、気を遣って混ぜてくれるので皆親切だ。

 しかしなぜ自分のような人間がこの輪の中にいるのかが、未だに謎ではある。

 幸せな家庭に憧れていたので、神様が気まぐれで体験させてくれたのだろうか。


(その内神社にお賽銭を入れて来よう)


 ありがたく噛み締めていると、ふいに紫野と目が合った。

 美味しいとその表情が告げていて、口に合ってよかったと安堵する。

 自然と顔がほころぶと、紫野はしばらく雛菊を見入ってから、ふっと笑んで言った。


「家族が増えると、賑やかでいいね」


 次の瞬間、ほたるが大皿から摘まんだ、玉ねぎなし肉じゃがのじゃがいもをつるんと箸から滑らせ、梓は意味を計りかねるように眉を顰めた。

 そして二人して、まったりお茶を啜る紫野へとゆっくりと目を向け、凝視した。

 彼が何も言わないので、なぜか二人揃って答えを求めるように雛菊へと視線を移す。


(え?私に関係があること……といえば)


 雛菊には思い当たる節があり、はっとした。


「もしかして紫野さん、あの柴犬ちゃんを引き取るつもりですか?」


「「…………」」


 室内に不思議な沈黙が下りた。

 最初に小さな呟きをもらしたのは、梓だ。


「……そう来るのか」


 興味があるのかないのかわからないクールな表情で、栗ご飯のおかわりを食べる梓へと、ほたるが身を乗り出すようにして尋ねた。


「……何かさすがにちょっと、展開が早すぎるかなと思ってたけど、犬の話だったの?」


(え?あの柴犬の話じゃなかったの?)


 紫野を窺うと、湯飲みをそっと置いてにこりとして言った。


「もちろんあの柴犬の話だよ」


 やっぱりそうだったらしい。

 梓とほたるは何かを勘違いしていたのか、口をつぐんで紫野を怪訝そうに窺い見た。

 紫野は優しい笑みを浮かべているのに、うっすら黒いもやがかかっているような気がして、雛菊は瞬きをするとあっという間にそれは消えてしまった。

 眼精疲労だろうか。


「……ちなみに、柴は引き取るのか?」


「それはまぁ、……もらい手がなければ」


 まずは里親を探し、どうしても見つからなかったら引き取るつもりらしい。

 梓もほたるも反対ではなさそう。

 このまま佐千原家の新しい家族になる方があの柴犬の幸せに繋がるはずなのだが、つい心情が口をついて出てしまった。


「私も、あの柴犬ちゃんの里親に立候補しようかと思ってて……」


 美形三人の視線が一気に向けられると、はっきり言って落ち着かない。

 心に冷や汗をかく雛菊は、何とか思いを伝えようと切実に告げた。


「あの柴犬ちゃんと偶然出会ったのも、恥ずかしながら……運命、じゃないかと思いまして……」


 二十代後半の女が恥じらいつつ運命などとのたまったせいで、皆ぽかんとしてしまった。


(ド、ドン引きさせてしまった……)


 そんな雛菊を慰めに、わたあめがとことこやってきて、おこぼれをねだる。

 しかし人間用ごはんをあげると紫野に叱られるので、いそいそと犬用ご飯の余りから小さく刻んだ栗をよそい、少量あげた。撫子にも、同じだけお裾分け。

 その間にいち早く回復した梓が、「いいんじゃないか」と雛菊の肩を持った。

 認めてもらえたようで嬉しい。


「前の飼い主さんはどうなって……あの、お兄さん?」


 ほたるが戸惑った声で紫野を呼んだあたりで、撫子を撫でていた雛菊は顔を起こした。

 どことなく瞳を潤ませて頰がうっすら赤い紫野は、ほたるに何でもないと首を振った。

 

「前の飼い主のことは心配しなくていいよ。でも責任のあることだから、もう少しじっくりと考えて、結論は急がない方がいい」


 気が急いだせいで責任感が足りないと思われてしまったのだろうか。

 それとも紫野も、あの柴犬を渡したくないと、雛菊を牽制しているのか。

 彼相手では、雛菊ごときになど勝ち目がない。


「とりあえず退院するまで一緒に通って、親交を深めるかな……」


 紫野は雛菊を眺めてそう呟いた。

 きっと親交を深めた結果、柴犬が選んだ方が新しい飼い主に決まる。

 雛菊か、紫野かだ。

 やはり負ける気しかしない。

 雛菊は、そっと嘆息をもらした。





 そして毎度のごとく、家まで送ってもらう道中、タイミング悪く海里から電話がかかってきた。

 スマホ画面を見つめて迷っていると、「いいよ」と促されたので、断りを入れてから出たのだが……。


「――――海里?」


 しかし一向に返事がない。


「海里?」


 もう一度呼びかけると、低い問いかけが返ってきた。


「……傍にさ、誰かいるよね?」


 弟の洞察力の鋭さに、雛菊は息を飲んだ。


「何で、わかるの……?」


 ついきょろきょろと周囲に視線を巡らせ、紫野に首を傾げられてしまった。


「周り見ても隠れてないから」


「……!?」


 行動まで先読みされ、さすが長年共に育った弟だと感心してしまった。

 しかし、わかっているなら話は早い。


「ごめんね。後でかけ直すから」


 通話を切ろうとすると、海里が慌てて止めたので、雛菊はスマホを耳を当て直した。


「待って!外歩いてる時には電話、出なくていいから」


 やはり海里は、どこか物陰から窺っているのではないだろうか。


「それと……ごほん。――――ねぇちゃんってさ、甘い物好きだよね?」


「え?うん」


「好き?」


「好き」


「大好き?」


「うん。大好きだよ」


 甘い物が好きなことぐらい知っているのに、たまにこうして確認してくる。

 姉の嗜好などすぐに忘れてしまうのかと、毎度物悲しくもなる。


「じゃあさ、俺のことは?」


「好きだよ?大好きに決まってるよ」


 大事な弟なんだから。

 すると電話の向こうで、何やら押し殺した声が聞こえてきた。

 テーブルに足の小指でもぶつけて悶絶しているのだろうか。心配だ。


「……海里?」


「…………ううん。何でもないから。今度甘い物送ってあげる。じゃあね」


「うん!またね」


 やはり海里は姉思いのいい子だ。

 ほっこりして通話を終えると、紫野がなぜか複雑そうな面持ちでこちらを眺めていた。


「……?」


「……今の、弟さん?」


「はい。よくわかりましたね?」


「……いつも、そんな感じなの?」


「そんな?」


「いや、いい。牽制されてるのは、伝わったから」


「……?」


 海里と話してもいないのに、何を牽制されたのか、雛菊にはわからなかった。

 結局そこから紫野はいつも通りの様子へと戻り、家につくまで他愛ない話している内に、そんなことはすっかりと忘れ去ってしまった。



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