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※フィクションです。

※ホラーっぽい描写がありますが、ホラーではありません。



「あのさ、……そろそろ出てってくれない?」


 四つ年下の弟からの最後通牒に、雛菊ひなぎくはとうとう来たかとそれを真摯に受け止め、タオルで髪を拭くのをやめてソファの下に敷かれたラグへと正座をした。

 弟の海里かいりはソファに腰掛けるとネクタイを緩め、雛菊を見下ろす。

 その目には呆れか、憐れみか、どちらにしても姉への尊敬の念は皆無だった。

 そこはかとなく自覚はしていた。

 もういい加減追い出される頃合いなのではないか、と。

 雛菊は情けない顔を伏せて、海里からの言葉をただじっと待った。


「俺もさ、就職してから忙しくて、ねぇちゃんが家のことをしてくれてて助かってはいたけど。正直、このまま居座られたら困る」


「……おっしゃる通りで」


「ねぇちゃんのことは、可哀想だとは思うよ?結婚を約束した男が実は既婚者で、離婚協議中だから待ってくれって言われて大人しく待機してる間に相手の奥さんにバレて慰謝料請求されて、そのことが会社に広まって居づらくなくなって、お金と職を失った、本っっっ当に残念なねぇちゃんだとは思ってる」


 どう噛み砕いて聞いても、可哀想だと思っている言い草ではなかった。

 絶対に蔑みが含まれている。

 救いようのない馬鹿なねえちゃんだと、思っているのがひしひしと伝わってくる。

 雛菊は、危うくにじみかけた涙を、ぐっと堪えて言った。


「……おっしゃる通りで」


「騙されてたんだから奥さんに慰謝料払う必要なんてなかったのにとか、そもそも何で既婚者って気づかなかったのかとか、出尽くした議論を今さら蒸し返す気はないけど――」


 すでに嫌と言うほど蒸し返している。

 海里は現在進行形で雛菊の心の傷を抉りつけて、あまつさえ塩まで練り込んでいる。

 それでも現状、不良債権にしかならない姉に、口出しすることなど出来るはずもなくて……。


「とりあえずアパート探してあげるから、出てって」


 海里はこめかみをぐりぐりと押してため息をついた。

 悲しきかな、雛菊の選択肢など、諾しかなかった。




* * *




 どんなにボロくても、例えお風呂がなくてもいいから、家賃が払える格安のアパートにして欲しいと頼んだ。

 それでも海里が見つけてきてくれたのは、狭くて築年数がそれなりに経過していたが、外観や内装は意外に綺麗な、防犯面に力を入れている女性専用アパートだった。

 そして残念なことに、要望通り浴室がない。代わりに、部屋にはシャワー室があった。

 弟に住むところの手配をしてもらっている時点で、姉の威厳など微塵もなかったが、雛菊自身、こんな惨めな大人になるとは夢にも思っていなかった。


(今頃は彼と二人、慎ましくも仲良く暮らしている予定だった……)


 それはそれで、ぞっとしないでもない。

 既婚者だと知った時点ですでに、雛菊から彼への愛情は薄れていた。

 何度も別れようと話したのだが、なかなか聞き入れてもらえず、ずるずると押し問答を続ける内に奥さんにバレて慰謝料を請求されてしまった。

 彼は雛菊を繋ぎ止めるために、周囲に離婚して結婚すると吹聴していたのが元々の原因なので、別れ話が裏目にでた結果となった。

 家に乗り込んできた奥さんに言われるがまま、内容も確認できずに書面にサインさせられた時には、もう手遅れ。

 不貞を認めたことになっていて、慰謝料を払うはめになった。

 本当に、どうしようもない愚か者だ。

 自分が誰かに好かれることに慣れていなかったせいで、浮かれて周りを見もしなかった。

 彼に文句の一つも言わずに、仕事も辞めて姿を眩まし、弟の部屋へと転がり込んだのが三ヶ月ほど前。梅雨の頃だった。

 今ではカエルではなく、鈴虫が鳴く季節に移り変わっている。

 時の流れは早いなと、しみじみと思いながら雛菊は少ない荷物を運び込み、南側の照らすの吐き出し窓を開けた。

 三階の高さから東に臨めたのは、南北に長く伸びた商店街。

 このアパートへと来る前に、ちらっと様子を見てきたが、八百屋さんの野菜はスーパーよりも新鮮で安かった。

 衣料品はお年寄り向けが多かったが、飲食店も多く、花屋や薬屋に美容院まである。

 百円ショップもあったので、日用品は商店街で全て揃いそうだった。

 駅からも近く、立地条件は最高。

 お風呂がないにしても、なぜ格安だったのかだけが、疑問ではある。


「いわくつきじゃないって、不動産屋さんは言ってたけれど……」


 夕涼みしている和室の壁の向こうから、時折妙な音が聞こえてくる。


 ――――カリ……。


「ひぃうっ……」


 家鳴り……だろうか。

 綺麗に見えてもがたがきているのかもしれない。

 雛菊は一度身震いをしてから窓を閉めて、そそくさと買い出しへと出掛けた。




 お財布に優しい百円ショップで日用品類を購入し、八百屋で見切り品を選んで買い占めたりしていると、商店街内に犬を連れた人が多いことに気がついた。

 ここは夕方の散歩コースに入っているのだろうか。

 アーケード内は平らな石畳なので、散歩がしやすいのかもしれない。

 雛菊は彼らを自然と目で追い、気持ちが和むのを感じた。

 昔から動物は大好きだった。

 それでも両親が動物嫌いだったので、実家では飼うことができなかった。

 雛菊の思い描く幸せな家庭の一齣では、ありきたりだが、芝の庭で子供と犬が仲良く兄弟のように駆け回っている。

 二十代も後半、職もお金もなく弟頼り。この先もし、海里が結婚でもしたら、自分を気にかけてくれる人はいなくなってしまう。


(何で、上手くいかないんだろう。どこで道を間違えたのかな……)


 男を見る目がなかった雛菊が、何よりも悪い。

 それに、知らなかったからとは言え、許されないことをした。恨まれて当然のことを。

 被害者面なんて、できるはずがなかった。

 それに例えそれが短くとも、失われた月日はもう帰っては来ない。

 年を重ねることが怖いだなんて思う日が来るなんて、幼い頃には考えもしなかった。

 若かった、そしてどうしようもなく馬鹿だった。

 雛菊は往来で涙ぐみそうになって、慌てて踵を返して狭い小道に入り込む。

 しかし現実から逃げていた雛菊は、背後から近づいてきていた自転車の存在に全く気づいていなかった。

 あ、と思った時にはバックがひったくられていて、さらにはその衝撃で、前のめりに転倒してしまった。

 二十歳過ぎてから、こんな風に転んだことなどあっただろうか……。

 偶然目撃していた誰かが、「ひったくだ!」と叫び、それが商店街のアーケードの方まで響き、一時騒然となった。

 転んだ拍子に飛んでいった買ったばかりの食器類は、紙で包まれていたが、ぱりんと割れた音がした気がした。

 ころころと見切り品の柿が転がっていく様子と、遠ざかっていくひったくり犯の姿が、雛菊の視界ではにじんで見えた。


(何て、惨めなんだろう……)


 重要なものなど何一つ入っていなかったバックをひったくられて転んだくらいで、なぜ泣いているのだろうか。

 知らない人ばかりの中で、子供みたいに涙を流すだなんて……。


「……もぅ、嫌だ……」


 目元を腕で拭い、起き上がろうとしたその時だった。

 雛菊の脇を、茶色い何かが目にも止まらない速さで疾走していった。

 『それ』はだいぶ先にいたひったくり犯の自転車にあっという間に追いつくと、しなやかな跳躍をして、飛びかかる。自転車は制御を失い、よろりと進んだが、最後には横へと傾ぎ、がしゃんと派手な音を立てた。

 それでも逃げようとしたひったくり犯を押し倒し“『それ』は、服の襟首のぱくんとくわえて背中に乗って自由を奪った。

 『それ』は、茶色と黒色の綺麗な毛並みをした、ジャーマン・シェパードだった。

 遠くても、その逞しさと美しさを兼ね備えた姿が、雛菊の目と胸に深く焼きついた。


(すごい……)


 商店街内から顔を出した人々から、わっと拍手と歓声が上がる。

 ひったくり犯は駆けつけた人たちに取り押さえられて、お手柄のジャーマン・シェパードは、みんなに労われながら悠然とした駆け足で戻ってきた。

 そして途中でくわえた柿を、雛菊の目の前へと、ぽとり、と置く。

 驚き過ぎて無反応だったからか、黒い鼻先で柿を転がし、傍へと寄せてきた。


「……あ、ありがとう……」


 近くで見ると、凛々しく理知的な顔つきのジャーマン・シェパードだった。

 赤い首輪が、とてもよく似合っている。

 もしかしたら女の子なのかもしれない。

 たった今起きた出来事があまりにも日常離れしすぎていて、雛菊は転んでいたことさえもすっかりと忘れて去っていた。

 地面に這いつくばった状態で柿を手に取ると、今度は人影が差した。


撫子なでしこ!よくやったね!」


 それは男性の声で、撫子と呼ばれたシェパード・シェパードをわしゃわしゃと存分に褒め讃えてから、すぐに雛菊へと問いかけてきた。


「――――大丈夫ですか?」


 ちょっとだけ噛み跡と唾液のついた柿から、耳に心地いい柔らかな声がした方へと目を移し、平気だと言いかけたところで息を呑んだ。

 撫子の隣に膝を突く形で、こちらを覗き込んできたのは、甘く端正な顔立ちの男性だった。

 男らしいというよりかは、柔和で中性的。人好きしそうな微笑により細められた琥珀色の瞳に、一瞬見惚れてしまった。

 美形ではあるが、地毛だろう色素の薄い髪をしていて、柔らかな雰囲気を持っているおかげか近寄り難さはなかった。

 撫子と呼ばれたシェパードと並ぶと、相反する性質がかちりと噛み合ったようにしっくりとくる。


「警察……は、誰かが呼んだでしょうから、救急車を呼びましょうか?」


 彼は気遣わしげに倒れたままの雛菊を見つめて、ジーンズのポケットからを携帯電話を取り出した。


「へ、平気ですからっ……!」


 上手く転んだおかげで、どこも痛いところはない。

 落ち着いた物腰をしている彼は、涼しげな瞳でみっともない姿を晒している雛菊を眺め、大丈夫そうだと判断したのか携帯電話をしまってくれた。

 雛菊は自分の情けなさに俯いていると、


「立てますか?」


 手を差し出されて、躊躇いながらその手を取った。

 染み一つない彼の肌ばかり見ていたからか、その固くて、ところどころにひび割れのある手に驚いてまじまじと不躾に見つめてしまった。

 手だけではなく、袖から覗く以外と筋肉のついた腕にも、うっすらと何かが刺さったような丸い古傷がある。

 もう消えかけているが、近くで見ると皮膚の色が違う。


(もしかして、危ない人とか……?)


 身体を起こしてもらい、視線がかち合うと、安心させるようにか、かすかに微笑みを深く刻んだ。

 それから今度は、真剣に尋ねてきた。


「痛むところはありませんか?」


 雛菊がこくりと頷くと、彼は安堵したのか息をついた。そして散乱していた荷物をさっとまとめると、雛菊が握っていた柿と交換するように手渡された。


「申し訳ないですが、柿は撫子が齧ってしまったから、買い取っていいですか?」


「い、いいえ。お金は結構です。見切り品で、一個当たりの単価だと数十円なので」


 焦りながら説得をして、何とか彼から了承を得た。

 撫子はやはり雌だったらしく、飼い主の彼が話している間も、大人しくお座りの姿勢で待っていた。

 最初に雛菊を助けてくれたのか彼女だった。

 彼女がいなければ、バックは取られて転んだまま、あまりの惨めさにぼろぼろ泣いてしまったいただろう。

 雛菊はしゃがんで、頭を撫でながらお礼を言った。


「ありがとう、撫子。すごく、かっこよかったよ!」


 人懐っこい性格なのか、ぺろりとピンク色の舌で頬を舐められた。

 華麗な大捕物を見せた撫子だが、普段は飛びついてきたりしない、きちんと躾された淑女だった。

 くすぐったかったが、犬とこうして戯れる機会などそうないので、雛菊は思う存分もふもふさせてもらった。

 その間、彼は微笑ましそうに雛菊と撫子を眺めていた。


「よかったね、撫子」


 雛菊の顔をべろんべろんし尽くして満足げな撫子へと、彼が話しかけた。

 撫子も彼を見上げて、視線で言葉を交わす。

 温かな絆がそこに見えた気がした。


「警察までついていこうか?」


 気づくと制服の警察官が到着していて、ひったくり犯が突き出され、目撃者たちが被害者である雛菊の方を指差していた。


「お気遣いありがとうございます。平気ですので、撫子の散歩の続きをしてあげてください」


 撫子に助けてもらったのに、そこまで突き合せるわけにはいかない。

 動物は警察署に入れないだろうし、外で待たせるのは可哀想だと思った。

 雛菊がやんわりと断ると、彼はうっとりするような優しい微笑して、丁寧に軽く会釈をしてから、「じゃあ、また」と言い残して撫子と並んで歩いていった。

 そんな笑みを向けられたのは初めてで、心臓が勝手にどきどきと脈打ち出し、苦笑しながら首を振る。

 彼にはきっと、綺麗で性格のいい、奥さんか恋人がいるはずだ。

 しかし撫子と並んでいるだけでもすでに出来上がった空気を出しているので、その隣に並べる勇気のある女性がいるのかは疑問ではあった。

 雛菊も、身の丈に合わない恋をしたいとは思わない。初めから相手にされるはずがないのだから。

 そもそも、もう、恋なんてこりごりだ。


(ただ……、撫子はもう少しだけ、もふもふしたかった)


 またと言っていたので、会う機会があれば、きっと快く触らしてくれるだろう。

 そこで雛菊はふと、さっきまでの塞いだ気持ちが知らない間に霧散していることに気がついた。

 災難があったのに、普通に笑えている自分に少なからず驚いた。


「アニマルセラピーって、効果があるんだ……」


 疲弊した心に必要なのは、癒しのペットなのだと天啓を受けたような不思議な気分で、雛菊は撫子の後ろ姿をしばらく見続けた。





 しかし警察で事情を聞かれてから家に帰ると一転、一人という寂しさが暗い室内から這い寄ってきて、明かりをつけてもそれが晴れることはなかった。

 買ったばかりの皿や茶碗は割れていたが、お椀と大振りのコップは無事だった。


(財布も無事だったし、また買えばいい)


 ところどころぶつけた跡のある野菜を簡単に調理し、食べ終えてから、蕎麦にしておけばよかったと地味に後悔をした。

 夜風が吹き込む和室の窓を閉めると、お風呂セットの入った小さな手提げ鞄に着替えを詰めた。

 この近所に銭湯がある。

 本当はのんびりとお風呂に入りたい、だなんて贅沢なことは言えなかったが、今日くらいお湯に浸かってゆっくりとしたい。

 和室から洋室に移動しようと襖に手をかけた時、


 ――――カリッ……。


 ぞわっと寒気がして、雛菊は全力で銭湯へと走った。

 あれは、怪奇現象……なのだろうか。

 不動産屋では、そんなことを一言も言っていなかった。

 隣はつい先日、空室になったばかりだと聞いている。


(まさか、誰かがこっそりと住んでいるとか……?) 


 しかし玄関口には一応、張りぼてみたいな防犯カメラも存在している。

 だとするとやはり、家鳴りという結論に帰結してしまう。

 頭を悩ませながら、雛菊は銭湯の暖簾を潜ろうとした時、高校生くらいの女の子と鉢合わせてしまい、お互いに足も思考も停止してしまった。

 それから雛菊ははっと我に帰り、彼女が先に出られるよう一歩ずれた。


「あ、すみません……」


 彼女は申し訳なさそうに雛菊の脇を頭を下げて通った。

 年上の雛菊が先に道を譲ってしまったことで、恐縮させてしまったらしい。

 湯上りで頬を上気させた愛らしい顔が、会釈してそのまま伏せられている。

 すると完全に乾ききっていない艶のある髪から、シャンプーの香りが漂ってきた。

 量販品でも使う個人によって微妙に違うのだなと、雛菊は手提げの中で倒れているボトルへと目を落とした。


「何してるんだ、ほたる」


 男湯の暖簾から姿を現した青年が少女へと声をかけると、彼女は慌ててもう一度雛菊へと礼をし、彼と肩を並べて去って行った。

 ちらっとしか見えなかったが、美男美少女のカップルであった。

 クールな雰囲気の青年と、素直そうで小動物のような可愛い美少女。

 銭湯という場所のせいか、妙な郷愁に胸が締め付けられ、結局あまり長湯は出来なかった。

 それなら無理して来なくても部屋のシャワーで済ませればよかった……とは思わない。


 なぜなら、部屋に戻るのが怖い。


 夜道を歩いている方が怖くない……、というわけでもなく、雛菊は頼りの弟、海里へと電話をかけた。

 それなのに、一向に出る気配がない。

 お風呂にでも入っているのだろうか。

 里心のついた雛菊は、しつこく根気強く鳴らし続けると、ようやく海里が出るには出た。


「今だけはまじで、勘弁して……」


 そう言ってすぐに切られてしまったが。

 女の勘とは奇妙なもので、例の彼の時には全く働かなかったくせに、今は敏感に誰かの気配を感じ取っている。


(私を追い出して、早速彼女呼んだとか?)


 うじうじといじけて自立しない姉よりも、若くて可愛い彼女といたい気持ちはよくわかる。

 昔は後をついて回り、「法律を変えてでも、ねぇちゃんと結婚する」とまで言ってくれていたのに、時の流れとは本当に無情だ。

 ため息をつき、夜風で湯冷めしてしまう前にと、雛菊は家路を急いだ。




 帰宅後すぐに畳に敷いた布団へと潜り、オレンジ色に光る豆電球を眺めながら、雛菊は意識を散らした。


 ――――カリ、カリッ……。


「ひぅぅ……。絶対に、いわくつきだ。そんなこと言ってなかったのに……」


 布団を頭までかぶり、目も閉じた。


(神経が過敏になっているだけ。気のせいだ)


 そう言い聞かせていても、実際にカリカリと音が響いている。


(そうだ。撫子を思い出して……)


 雛菊は、撫子が傍にいてくれる想像をして気を紛らわした。

 犬がいてくれるだけで、何て落ち着くのだろうか。

 幽霊や、きっと不審者だって追い払ってくれる。


(それに……寂しくない)


 温もりが恋しい。

 愛情が同じだけ返ってくるとわかっているのだから、いくらでも可愛がる。

 独身者がペットを飼う理由を、まざまざと感じている。

 ペットがいると結婚ができないなんて言われたとしても、もう結婚という言葉には何の希望も抱けないので好都合だ。

 人は平気で他人を欺く。だから、動物がいい。

 それなのにふと、撫子の飼い主の彼の微笑みが、雛菊の脳裏を掠めた。

 これまでの人生で、誰かにあんな顔を向けられたことがあっただろうか。

 犬に生まれていれば、誰かに無償で愛されたのだろうか。

 こんなに情けない自分をきちんと見てくれたのだろうか。

 そんなことを延々と考えながら、雛菊の記念すべき引っ越し初日の夜は、こうして更けていった。




撫子のカラーはブラック&タンです。

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